フィラデルフィア・イーグルス

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フィラデルフィア・イーグルス
1933年創設
永久欠番 5, 15, 20, 40, 44, 60, 70, 92, 99
所属地区
  • NFL(1933-現在)
  • NFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
  • 東カンファレンス(1953-1969)
首都地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
  • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
  • 東地区(1933-1949)
ホームタウン
  • 本拠地

フィラデルフィア(ペンシルベニア州)

  • スタジアム

Philly (45).JPG
リンカーン・フィナンシャル・フィールド
(2003-)
ベテランズ・スタジアム
(1971-2002)
フランクリン・フィールド (1958-1970)
コニー・マック・スタジアム (1940; 1942-1957)[1]
フィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアム
(1936-1939; 1941)
ベイカーボウル
(1933-1935)

チームデザイン
  • チームカラー

     ミッドナイトグリーン
    
    
     シルバー

  • チームロゴ

ワシの頭部

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (3回)

NFLチャンピオン:1948、1949、1960

  • カンファレンス・チャンピオン (3回)

NFL東:1960
NFC:1980、2004

  • 地区優勝 (10回)

NFL東地区:1947、1948、1949
NFC東地区:1980、1988、2001、2002、2003、2004、2010

  • ワイルドカード (10回)

1978、1979、1981、1989、1990、1992、1995、1996、2000、2008

球団組織
オーナー: ジェフリー・ロリア
GM: トム・ヘッカート
ヘッドコーチ: チップ・ケリー (2013- )

フィラデルフィア・イーグルス (Philadelphia Eagles) は、ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地を置くNFLチームである。NFC東地区に所属している。イーグルスの愛称の由来はニューディール政策のシンボル、ワシ

歴史[編集]

フィラデルフィアには1924年から1931年までフランクフォード・イエロージャケッツというNFLチームが存在した。1933年にバート・ベルラッド・レイによって創設されてピッツバーグ・スティーラーズシンシナティ・レッズと共にエクスパンションチームとして加入した。第二次世界大戦中の1943年には所属選手が不足したため、ピッツバーグ・スティーラーズと合同チームとなり、フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(Philadelphia-Pittsburgh Steagles)となった。

1940年に本拠地をフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムからシャイブパーク(1953年にコニー・マック・スタジアムに改称)に移した。1946年にバート・ベルはNFLコミッショナーとなった。アール "グリージー" ニールヘッドコーチに率いられたチームはスティーブ・バン・ビューレンなどの活躍で1947年から3年連続でNFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし吹雪の中行われた1948年にはシカゴ・カージナルスに7-0、1949年にはロサンゼルス・ラムズに14-0とNFL史上唯一2年連続相手チームを完封して優勝した。1957年に本拠地をペンシルベニア大学フランクリン・フィールドに移した。同スタジアムは1969年に人工芝となりNFLチームとしては最初に人工芝球場を本拠地としたチームになった。

1960年、バック・ショウヘッドコーチの下、後にプロフットボール殿堂入りを果たしたノーム・バン・ブルックリンチャック・ベドナリクらの活躍で3度目NFLチャンピオンとなった。また、この年無敗だったヴィンス・ロンバルディグリーンベイ・パッカーズを17-13で破った。

1963年チームはジェリー・ウォルマンに買収されたが1969年レナード・トースが当時プロスポーツチームとしては最高額の1615万5000ドルで買収した。その後直ちに5シーズンで24勝41敗1分の成績しか残せなかったジョー・クハリッチが解任された。ピート・レツラフGMジェリー・ウィリアムズがヘッドコーチに就任した。

1970年のNFLとAFLの統合後、NFC東地区に所属した。その後同地区のライバルであるダラス・カウボーイズワシントン・レッドスキンズの影に隠れプレーオフ出場はなかなか果たせず1962年から1975年に勝ち越したのはわずか1回であった。1976年UCLAからディック・ヴァーミールを迎えると、1978年には18年ぶりにポストシーズンゲーム出場を果たした。11月19日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではイート・ザ・ボールされれば敗北必至のところ、相手オフェンスのファンブルをハーマン・エドワーズがファンブルリカバーTDをあげて勝利した[2]

1978年から1981年まで4シーズン連続プレーオフに進出した。1980年にはQBロン・ジャウォースキー、WRハロルド・カーマイケルらの活躍で初のNFC東地区優勝を達成、チームは第15回スーパーボウル出場を果たしたがオークランド・レイダーズに敗れた。この試合ではジャウォースキーのパスがロッド・マーティンに3回インターセプトされるスーパーボール記録を作られている[3]

1985年にチームはフロリダ州で自動車販売業で富を築いたノーマン・ブラマンらに6500万ドルで売却された。この際トース前オーナーがカジノでのギャンブルで2500万ドルの借金を抱えたことが報道された。1986年には第20回スーパーボウルを制したシカゴ・ベアーズのディフェンシブコーディネーター、バディ・ライアンがヘッドコーチに就任した。強力ディフェンスなどでチームは1980年代終わりから1990年代初めにプレーオフにしばしば出場を果たした。しかしプレーオフで勝てないライアンは1991年1月7日に解任されオフェンスコーディネーターのリッチ・コータイトが後任となった。1992年のプレーオフでチームはニューオーリンズ・セインツを破ったが1994年に7勝2敗から終盤7連敗して7勝9敗に終わるとコータイトは契約延長されることなくチームを去った。1988年から1996年までチームは9シーズン中6回プレーオフに出場したが地区優勝は1988年の1回のみであった。この時代のオフェンスのスター選手は走れるQBのランドール・カニンガムキース・ジャクソンハーシェル・ウォーカーなど、ギャンググリーンと呼ばれたディフェンスはレジー・ホワイトジェローム・ブラウンクライド・シモンズセス・ジョイナーウェズ・ホプキンスマイク・ゴーリックバイロン・エバンズエリック・アレンアンドレ・ウォーターズなどである。

1994年5月6日、ブラマンオーナーから1億8500万ドルでジェフリー・ロリアにチームは売却された。フォーブスの2006年版によると評価額は10億2400万ドルでありNFLで5番目に高いフランチャイズとなっている。

1999年アンディ・リードがヘッドコーチに就任し、QBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンぎりぎりでプレーオフ出場を決めて前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならなかった。

2009年ジェッツ戦(QBマイケル・ヴィック)

2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月にショーン・マクダモットをディフェンスコーディネーターに昇格させた[4]。7月28日にジム・ジョンソンは68歳で亡くなった[5]

開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにドノバン・マクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。

2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後、マイケル・ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った [6]

2011年には開幕前にナムディ・アソムーアドミニク・ロジャース=クロマティロニー・ブラウンヴィンス・ヤングプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたが負け星が先行し、8勝8敗でプレーオフを逃した。

2012年、開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど、最後の12試合中わずか1勝と、4勝12敗に終わり[7]、シーズン終了後アンディ・リードヘッドコーチは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した[8]。この年、チームはマイケル・ヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、ルショーン・マッコイ脳震盪で数試合欠場、デショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日にはホアン・カスティーヨディフェンスコーディネーターが解雇された[9]。2013年1月、新ヘッドコーチに、当初オレゴン大学のヘッドコーチに留まる意向を示していたチップ・ケリーが就任した[10]

永久欠番[編集]

殿堂入り[編集]

Eagles Honor Roll[編集]

75周年記念チーム[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a.k.a. Shibe Park (1940-1953)
  2. ^ Miracle at the Meadowlands”. プロフットボール殿堂. 2012年1月2日閲覧。
  3. ^ Steve Wulf (1981年2月2日). “He Had The Winning Hands”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年1月2日閲覧。
  4. ^ イーグルス、キャンプ2日前に新守備コーディネーター発表”. NFL JAPAN (2009年7月25日). 2013年1月2日閲覧。
  5. ^ イーグルスの鉄壁守備築いた名コーチ、ジョンソン氏が68歳で死去”. NFL JAPAN (2009年7月29日). 2013年1月2日閲覧。
  6. ^ オバマ大統領がイーグルス称賛、ビックに再起のチャンス”. NFL JAPAN (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。
  7. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  8. ^ イーグルス、14年に渡るリードHC時代に終止符”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  9. ^ 河田剛 (2012年10月18日). ““数字は嘘をつかず”、イーグルスDC解雇の真意とは”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  10. ^ イーグルス新HC、心変わりの理由明かさず”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  11. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日
  12. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日
  13. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日
  14. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日
  15. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日
  16. ^ NFLレジェンド NFL JAPAN 2009年6月4日

関連項目[編集]

  • メドウランズの奇跡 - ニューヨーク・ジャイアンツとの試合でリードされて残り時間わずかで相手QBがイート・ザ・ボールをすればそのまま敗れるところだったが、イーグルスのディフェンスが相手QBに激しく当たっていたためジャイアンツはフルバック(ラリー・ゾンカ)にボールを持たせるプレーを選択したがハンドオフミスによるファンブル、ハーマン・エドワーズがリカバーしてタッチダウンをあげて奇跡的な勝利をもたらした。

外部リンク[編集]