ジャクソンビル・ジャガーズ

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ジャクソンビル・ジャガーズ
Jacksonville Jaguars
創設 1993年11月30日 (30年前) (1993-11-30)
NFL参入 1995年シーズン
所属地区

チームデザイン
チームロゴ

ジャガーの頭部
チームカラー
  ティール
 
  ゴールド
ユニフォーム
チーム名
  • ジャクソンビル・ジャガーズ(1995-現在)
ホームタウン
1995-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1995-現在
1995-現在

フロリダ州ジャクソンビル(1995-現在)

TIAAバンク・フィールド
 エバーバンク・フィールド
 オールテル・スタジアム
 ジャクソンビル・ミュニシパル・スタジアム
(1995-現在)

永久欠番
  • なし
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
AFC
地区優勝 (4回)
AFC中地区
AFC南地区
ワイルドカード(4回)
プレーオフ進出(8/29回)
球団組織
オーナー シャヒド・カーン
GM トレント・バールケ
ヘッドコーチ ダグ・ピーダーソン

ジャクソンビル・ジャガーズ英語: Jacksonville Jaguars、略称: JACまたはJAX)は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソンビルに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している(1995年から2001年まではAFC中地区の所属であった)。本拠地とチーム本部は、セントジョンズ川近くのTIAAバンク・フィールドである。

概要[編集]

1995年カロライナ・パンサーズと共に加わったエクスパンションチームである。チームのNFL加入2年目となる1996年にいきなりプレーオフ進出を果たし、1998年には当時のAFC中地区で地区優勝を果たした。翌1999年にも連続で地区優勝を果たしたものの、2000年以降は2017年の一度のみである。

現在までにスーパーボウルに出場したことのない4チームのうちの一つである[注 1]。AFCチャンピオンシップゲーム、およびNFCチャンピオンシップゲームに出場したことのない唯一のチームである。

歴史[編集]

チーム創設まで[編集]

チーム初代ヘッドコーチのトム・コフリン

ジャクソンビルは毎年ゲイターボウルが開催される都市であった。同市のゲイター・ボウル・スタジアムをかつてワールド・フットボール・リーグのジャクソンビル・シャークス/エクスプレス、USFLのジャクソンビル・ブルズが本拠地にしたり、時折NFLのエキシビションゲームが行われてきた。また1967年、1968年にはAFLのオールスターが行われた。これまでにロバート・アーセイオーナーのボルチモア・コルツ1980年代終わりにはヒューストン・オイラーズを誘致する試みがなされた。

1992年、NFLは1976年以来となるエクスパンションチームを2チーム加えることを発表した。この時シャーロットセントルイスボルチモアメンフィス、ジャクソンビルの5都市が立候補した。当初シャーロットとセントルイスが有力しされ、続いてボルチモア、NFLチームがかつて存在したことのないメンフィスは厳しく、ジャクソンビルは最も選ばれる可能性が低いと見られていた。すでにフロリダ州にはマイアミ・ドルフィンズタンパベイ・バッカニアーズと2チームがありいずれも車で4時間ほどの距離にあった。またカレッジフットボールフロリダ州立大学フロリダ大学マイアミ大学ジョージア大学とも集客を争う必要があった。また5都市の中でジャクソンビルだけが全米でのテレビ市場ランキング50位以内に入っていない都市圏であった。当時ジャクソンビルは全米で15番目に人口の多い都市だったが郊外の地域の人口が少なかった。1990年にジャクソンビルの人口は635,000人ほどであったが大都市圏の人口はわずか90万人だった[1][2]。有利な点としてはNFLのアナウンスより前の1989年から誘致を目指すオーナーグループがしっかりしているという点だった。彼らの中には後にフロリダ州知事となるジェブ・ブッシュも含まれた。彼らは1991年にチームの愛称をジャガーズと決定、オーナーグループの筆頭にはウェイン・ウィーバーが就任した。1993年4月、NFLはフランチャイズに選ばれるためにはゲイター・ボウル・スタジアムの改修が必要だと市当局に示した[3]。同年11月1日、まずシャーロットがNFL29番目のフランチャイズとなることが発表され、続いて11月30日、有力視されていたセントルイスを抑えてジャクソンビルが30番目のフランチャイズとなることがNFLから発表された[3]。この決定に対して25,000人のファンがゲイターボウル・スタジアムに乗り出してお祝いし、シーズンチケットはわずか10日間で売り切れた。なおこの時の争いに敗れた3都市には1995年にロサンゼルス・ラムズがセントルイスに移転、1996年にクリーブランド・ブラウンズボルチモア・レイブンズに衣替え[注 2]ヒューストン・オイラーズがメンフィスと同じテネシー州ナッシュビルに移転した。

1993年12月31日のゲイターボウル終了後、ゲイターボウル・スタジアムは取り壊され、そこに新スタジアムの建設が始まった。スタジアムの建設中の1994年ゲイターボウルはゲインズビルにあるベン・ヒル・グリフィン・スタジアムで行われた。ジャクソンビル・ミュニシパル・スタジアムは1995年8月18日にセントルイス・ラムズとのプレシーズンゲームでお披露目された。

創設とトム・コフリンHCの時代[編集]

1995年から2003年まで在籍したQBマーク・ブルネル

1995年エクスパンション・ドラフトでチームは最初にQBスティーブ・バーラインを指名した。この年、バーラインに代わってすぐにマーク・ブルネルが先発QBとなったが4勝12敗でシーズンを終えた。しかしこの成績はこれまでのエクスパンションチームで最も勝利した1968年のシンシナティ・ベンガルズの3勝を上回るものであった(なお、カロライナ・パンサーズはこの年7勝9敗で終えた。)。この年はQBブルネル(グリーンベイ・パッカーズからドラフト当日トレードで加入)、OTトニー・ボセリ(ドラフト1巡)、RBジェームス・スチュワート(ドラフト1巡)、QBロブ・ジョンソン(ドラフト4巡)、WRジミー・スミス(ドラフト外)が加入した。

9月3日に行われたレギュラーシーズン開幕戦には72,363人の観衆が詰め寄せヒューストン・オイラーズに3-10で敗れた[4]。チームは10月1日にヒューストンで行われた第4週、ヒューストン・オイラーズ戦で17-16と初勝利をあげた。また翌週には地元で前年のAFCチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズを20-16で破った。残りの2勝はいずれもクリーブランド・ブラウンズからであった。最終週のブラウンズ戦ではマイク・ホリスの34ヤードFGで24-21と勝利した。この試合がブラウンズがボルチモアに移転する前最後の試合となった[5]

1996年、チームは最後の7試合中6試合を勝って9勝7敗でリーグ参加2年目にして初のプレーオフ進出を果たした。転機となったのはセントルイス・ラムズ戦でブルネルが5インターセプトした後、アンドレ・ライズンを先発から外し、ジミー・スミスを先発にしたあたりからである。この時ブルネルを批判したライズンは控えに降格された。最終週のアトランタ・ファルコンズ戦では試合時間残り1分を切ってからモーテン・アンダーセンが30ヤードのFG失敗する幸運もあり、AFC第5シードでプレーオフに出場した。ワイルドカードプレーオフでバッファロー・ビルズを30-27で破り、ディビジョナルプレーオフではシーズン13勝3敗でAFCトップの成績をあげていたデンバー・ブロンコスも30-27で破った[6][7]。この試合終了後地元に戻ったチームを4万人のファンがホームスタジアムで出迎えた。彼らの多くはスタジアムのジャンボトロンで観戦しチームの帰還を待って泊り込んでいた。AFCチャンピオンシップゲームでは第3Qまで接戦を演じたが6-20でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れてスーパーボウル出場を逃した。この年、同じ2年目のカロライナ・パンサーズもNFCチャンピオンシップゲームまで進出したがグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

1997年、チームはスティーラーズと共に11勝5敗でシーズンを終えたが地区内の対戦成績で地区優勝を逃した。マイル・ハイ・スタジアムで行われたデンバー・ブロンコスとのプレーオフでは相手RBテレル・デービスらに合計300ヤード以上走られ5TDを許し17-42で敗れた[8]

1998年、チームは11勝5敗で初の地区優勝を果たした。エクスパンションチームが最初の4年間で3回プレーオフに出場するのは初めてのことであった。チーム創設以来初めて地元で迎えたワイルドカードプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツを25-10で破ったがディビジョナル・プレーオフでニューヨーク・ジェッツに24-34で敗れた。

1999年、チームはNFLトップの14勝2敗で地区優勝を果たした。レギュラーシーズン2度の敗戦はいずれもテネシー・タイタンズ戦であった。ホームアドバンテージを持って迎えたプレーオフでは初戦でマイアミ・ドルフィンズを62-7で破った(これがダン・マリーノとジミー・ジョンソンのNFL最後の試合となった。)。62得点及び55得点差は長いNFL史上でも2番目の記録であった。この試合でフレッド・テイラーが走った90ヤードのプレーはNFLのプレーオフ記録となっている[9]。AFCチャンピオンシップゲームではテネシー・タイタンズと対戦、ハーフタイムまでで14-10とリードしたが後半23失点を許し敗れた(NFLのチームで同じチームにのみシーズン3敗したのはこの年のジャガーズだけである。)。チーム創設以来5シーズンで4回プレーオフに出場したチームの快進撃はここで中断され次にプレーオフ出場を果たすのは2005年となった。

2000年に7勝9敗、2001年2002年と6勝10敗で3シーズン連続プレーオフを逃した。これにはサラリーキャップの問題が大きく影響を及ぼしていた[10]。2001年には第2週にエースRBフレッド・テイラーが負傷し[11]、この年は2試合の出場に終わった。2002年終了後8年間チームの指揮を執ったトム・コフリンは解雇された[12]

2003年から2020年まで[編集]

2003年から2011年までヘッドコーチを務めたジャック・デルリオ

2003年から現役時代にはラインバッカーとして1980年代終わりから1990年代初めにNFLでプレーし、カロライナ・パンサーズでディフェンシブ・コーディネーターを務めてチームディフェンスを全体の30位から2位に改善したことのあるジャック・デルリオが新ヘッドコーチに就任した[13]。この年チームはドラフト7巡目で指名したバイロン・レフトウィッチをエースQBとした。5勝11敗に終わったもののサラリーキャップの問題も解消しチーム再建に明るい見通しが立った。

PKのジョシュ・スコビーはジャガーズで合計1022のスコアを記録した

2004年、チームはロードのランボー・フィールドグリーンベイ・パッカーズRCAドームインディアナポリス・コルツを破り9勝7敗で終えた。ディフェンスタックルのマーカス・ストラウドジョン・ヘンダーソンはそれぞれプロボウルに選ばれた。フレッド・テイラーをパッカーズ戦で失いこの年もプレーオフを逃した。なおこの年NFLのチームとして初めてロースターに3人のアフリカ系アメリカ人QB(バイロン・レフトウィッチデビッド・ギャラードクイン・グレイ)が入った。

2005年、同地区のインディアナポリス・コルツが開幕から13連勝するなど独走を許したが12勝4敗で1999年以来となるプレーオフ出場を果たした。プレーオフではスーパーボウル3連覇を狙うニューイングランド・ペイトリオッツに3-28で敗れた。

2006年チームは期待されたがレジー・ヘイワードグレッグ・ジョーンズドノビン・ダリウスバイロン・レフトウィッチマイク・ピーターソンがシーズン絶望となる負傷をするなど怪我人が続出したシーズンとなった。スーパーボウルチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズを破るなど2連勝したが8勝8敗に終わった。そんな中でドラフト2巡目で指名されたUCLA出身のランニングバック、モーリス・ジョーンズ=ドリューが平均5.7ヤード獲得でNFLトップとなり16TD(NFL3位)の成績をあげた。

2007年4月28日のドラフトではノートルダム大学のQB、ブレイディ・クインではなくシアトル・シーホークスからオファーを受けているデオン・グラントの代わりに期待するフロリダ大学のS、レジー・ネルソンを指名した。6月15日には長年チームに貢献してきたが怪我の多くなったドノビン・ダリウスを解雇した。8月31日、長年チームの控えQBを務めてきたデビッド・ギャラードをエースQBに指名し、バイロン・レフトウィッチを最終ロースターに残さず解雇した。チームは11勝5敗でプレーオフに進出、翌年1月5日のピッツバーグ・スティーラーズ戦では31-29とプレーオフで8年ぶりに勝利した。しかしニューイングランド・ペイトリオッツ戦でトム・ブレイディにプレッシャーを与えたのはわずか1回でパス24回中22回成功させ20-31で敗れた。この年チームの攻撃の中心はモーリス・ジョーンズ=ドリューフレッド・テイラーによるラン攻撃であったがギャラードもインターセプトわずか3回と安定した攻撃を見せた。

2008年チームはフリーエージェントでWRジェリー・ポーターを獲得、ドラフトでも弱点を補ってESPNのジャーナリスト、ケビン・シーファートなどはスーパーボウルに行けるのではと期待した。しかし開幕戦の第1Qにオフェンスラインの2人を失い、また9月2日にオフェンシブタックルのリチャード・コリアーが14発の銃弾を受けて左足切断の重傷を負い[14]現役を引退した。他にもオフェンスラインに怪我人が続出し、開幕から8連敗していたシンシナティ・ベンガルズにも敗れるなどチームは2003年以来最悪の5勝11敗に終わった。

2009年はホームゲームでのチケットの売れ行きが悪く半シーズンチケットの販売もしたが[15]ホームゲーム8試合中、7試合がブラックアウト(本拠地から一定距離の範囲ではテレビ放送ができなくなる。)となった[16]。チケットの売れ行きの悪さからチームの移転や売却の噂も流れた。この年の平均観客動員はリーグ30位の49,651人であった[17]。このため2010年、地元で利用できるクーポンをつけたシーズンチケットの発売も始めた[16]

2010年、第16週終了時点で地区優勝の可能性を残していたが、エースRBのモーリス・ジョーンズ=ドリューが最終週の試合を欠場[18]、地区優勝を逃した。

2011年シーズン開幕直前、QBギャラードを解雇した。11月29日、3勝8敗の時点でオーナーのウェイン・ウィーバーがチームを自動車部品製造会社代表のシャヒド・カーンに売却したことを発表、ジャック・デルリオヘッドコーチも解任された[19]。暫定ヘッドコーチにディフェンスコーディネーターのメル・タッカーが就任した[20]。5勝11敗に終わり、シーズン終了後、アトランタ・ファルコンズのオフェンスコーディネーターを務めていたマイク・ムラーキーを新ヘッドコーチとして迎えた[21]。この年、ジョーンズ=ドリューは、1,606ヤードを走りリーグのリーディングラッシャーとなった[22]

実業家シャヒド・カーンは2011年11月にチームのオーナーとなる

2012年、開幕前ジョーンズ=ドリューが38日間ホールドアウトを行い、9月2日にようやくチームへ合流した[23]。チームは2勝14敗に終わり、2013年1月10日、ムラーキーHCは1シーズンで解任された[24]。2013年1月17日、シアトル・シーホークスのディフェンスコーディネーター、ガス・ブラッドリーのヘッドコーチ就任が発表された[25]。オフには9年間にわたりディフェンスの軸として活躍したラショーン・マシスを放出。

ウェンブリー・スタジアムロンドン)で試合を行ったジャガーズ(2013年10月27日)

2013年、ガス・ブラッドリー新HCとデヴィット・コールドウェルGM体制での1年目だったが、開幕8連敗を含む4勝12敗でシーズンを終えた。ルーキーのデナード・ロビンソンを史上初のオフェンシブウェポン(OW)というポジション名で登録し、ワイドレシーバーやランニングバックなど複数のポジションで起用する意向を示して注目を浴びたが、目立った成績は残すことはできなかった[26]。この年のオフ、モーリス・ジョーンズ=ドリューを放出。また、2011年のドラフト全体10位指名QBブレイン・ギャバートサンフランシスコ・フォーティナイナーズへドラフト指名権と引き換えにトレードした[27]

2014年、ドラフト1巡目全体3位でセントラルフロリダ大学(UCF)のQB、ブレイク・ボートルスを指名。開幕当初はチャド・ヘニーを先発QBに据えボートルズは控えとしてじっくり育成する予定だったが、ヘニーの不調から予定を前倒し、第3週のコルツ戦途中からボートルズを投入。以降先発を務めることになる[28]。チームは第7週にクリーブランド・ブラウンズ相手に初勝利を挙げるが、この試合でディフェンスの柱ポール・ポスラスズニーが胸筋の断裂で今季絶望に。第13週ニューヨーク・ジャイアンツ戦で、前半21対3の劣勢から、後半18点差を逆転し今季2勝目。第16週はテネシー・タイタンズから勝利を挙げ、通算3勝13敗でシーズンを終えた。なお、この年は敵地で1勝も挙げられなかった。

2016年、チームは9連敗を喫し、12月18日、就任後4年連続してプレーオフ進出を逃したガス・ブラッドリーHCは解雇された。後任にはアシスタントHC兼OLコーチので元バッファロー・ビルズHCのダグ・マローンが就任した。また、翌年1月7日にはジャガーズの初代HCで2015年までニューヨーク・ジャイアンツのHCも務めていたトム・コフリンが球団副社長としてチームに復帰。

2017年は、ボートルスが安定したプレイを披露、守備陣でもA・J・ボウイェジャレン・ラムジーのCBコンビが揃ってプロボウルに選出される活躍を見せ[29]、18年ぶりの地区優勝(南地区となってから初)を達成。プレーオフではバッファロー・ビルズピッツバーグ・スティーラーズを倒したが、AFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2018年ドラフトでDTのターバン・ブライアン、WRのD・J・チャークを獲得した。この年は地区最下位に終わった。

2019年第52回スーパーボウルでMVPを獲得したQBのニック・フォールズと4年8800万ドルで契約した。その後、ブレイク・ボートルスはリリースされ、ロサンゼルス・ラムズに移籍した。しかし、フォールズが開幕戦で骨折し、以降QBはガードナー・ミンシュー英語版が務めることになった。9月16日の試合中(対ヒューストン・テキサンズ)、CBのジャレン・ラムジーがマローンHCと言い争いを起こし、10月15日にドラフト1巡目指名権などと引き換えにロサンゼルス・ラムズへトレードされた。シーズンを通して成績がふるわず、2019年12月19日に球団副社長のトム・コフリンは解雇され、2年連続で地区最下位となった。

2020年、シーズン前にDEのカライス・キャンベルボルチモア・レイブンズへ、QBのニック・フォールズシカゴ・ベアーズへ、DEのヤニク・インガクウェミネソタ・バイキングスへ、RBのレナード・フォーネットタンパベイ・バッカニアーズへ相次いで放出した。10敗目を喫した11月29日、GMのデヴィッド・コールドウェルが解任され、トレント・バールケが暫定GMとなった。その後もふるわずにシーズンわずか1勝で地区最下位となり、リーグ全体でも最低の成績となって翌年のドラフト全体1位指名権を獲得した[30]。シーズン終了後、HCのダグ・マローンも解任された[31]。2021年1月14日、フロリダ大学オハイオ州立大学などカレッジフットボールのヘッドコーチを歴任してきたアーバン・マイヤーがHCに就任した[32]

QBトレバー・ローレンスの時代[編集]

2021年ドラフト全体1位でクレムゾン大学QBのトレバー・ローレンスを指名した[33][34][35]。2021年5月、ティム・ティーボウタイトエンド契約を結んだ[36]が、プレシーズン第1週終了後にチームからリリースされた[37]。8月、ドラフト指名権とのトレードでガードナー・ミンシューをフィラデルフィア・イーグルスへ放出した。12月、チーム成績が2勝11敗となりプレーオフを逃した時点でアーバン・マイヤーは解雇され、OCのダレル・ベベル が暫定HCとなった。4年連続して最下位となった。後継のHCには元フィラデルフィア・イーグルスHCのダグ・ピーダーソンが就任した。

2022年、序盤の10試合は3勝7敗と苦しむも、最終戦でテネシー・タイタンズを破り9勝8敗で地区優勝を遂げ、第4シードでプレーオフに進んだ。ワイルドカードラウンドではロサンゼルス・チャージャースと対戦し、一時は0-27とリードされるものの残り時間0のフィールドゴールで逆転し31-30で勝利した。ディビジョナルラウンドでチーフスに屈した。

2023年、11試合目までは8勝3敗と好調であったが、その後の6試合は1勝5敗と失速してプレーオフ進出を逃した。トータルディフェンスではリーグ22位となり、シーズン後にはDCを解雇した[38]

文化[編集]

ジャクソン・デ・ビルと水兵

ロゴ[編集]

ジャガーズが当初制作した跳躍した金色のジャガーを象ったロゴマークは、自動車メーカーのジャガーと類似しているとして一時訴訟問題となった。結局、ジャガーズがチーム公用車にジャガーを採用し、ジャガー側がジャガーズのユニフォームをデザインすることで友好的に落ち着いた。

マスコット[編集]

公式マスコットはジャガージャクソン・デ・ビル(Jaxson de Ville)である。綴りは、ジャクソンビルが「Jax」と呼ばれることにちなみ、「Jaxson」としている。1996年の登場以降、チームの応援を盛り上げているが、その過激な行動には敵チームからクレームが入ることもある。

チアリーダー[編集]

1995年のNFL参入年にジャクソンビル・ロアー(Jacksonville Roar)を結成している。2013年からチーム初の日本人チアリーダーとして、小野綾子が参加している[39]

2024年シーズン

2024年シーズンのジャガーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点
2023 レギュラー敗退 2位 9 8 0 .529 4–2 6–6 377 371 22.2 21.8
2022 ディビジョナル敗退 1位(4) 9 8 0 .529 4-2 8-4 404 350 23.8 20.6
2021 レギュラー敗退 4位 3 14 0 .176 1-5 3-9 253 457 14.9 26.9
2020 レギュラー敗退 4位 1 15 0 .063 1-5 1-11 306 492 19.1 30.8
2019 レギュラー敗退 4位 6 10 0 .375 2-4 6-6 300 397 18.8 24.8
2018 レギュラー敗退 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 245 316 15.3 19.8
2017 カンファレンス敗退 1位(3) 10 6 0 .625 4-2 9-3 417 268 26.1 16.8
2016 レギュラー敗退 4位 3 13 0 .188 2-4 2-10 318 400 19.9 25.0
2015 レギュラー敗退 3位 5 11 0 .313 2-4 5-7 376 448 23.5 28.0
2014 レギュラー敗退 3位 3 13 0 .188 1-5 2-10 249 412 15.6 25.8
2013 レギュラー敗退 3位 4 12 0 .250 3-3 4-8 247 449 15.4 28.1

()内はシード順

2023年シーズン成績

AFC南地区 2023
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 得失差
(4)ヒューストン・テキサンズ 10 7 0 .588 4–2 7–5 377 353 22.2 20.8 1.4
ジャクソンビル・ジャガーズ 9 8 0 .529 4–2 6–6 377 371 22.2 21.8 0.4
インディアナポリス・コルツ 9 8 0 .529 3–3 7–5 396 415 23.3 24.4 -1.1
テネシー・タイタンズ 6 11 0 .353 1–5 4–8 305 367 17.9 21.6 -3.6
AFC 2023

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区優勝
1 ボルチモア・レイブンズ 13 4 0 .765 3–3 8–4 .543 .529
2[a][b] バッファロー・ビルズ 11 6 0 .647 4–2 7–5 .471 .471
3[b] カンザスシティ・チーフス 西 11 6 0 .647 4–2 9–3 .481 .428
4 ヒューストン・テキサンズ 10 7 0 .588 4–2 7–5 .474 .465
ワイルドカード
5[c] クリーブランド・ブラウンズ 11 6 0 .647 3–3 8–4 .536 .513
6[a][c] マイアミ・ドルフィンズ 11 6 0 .647 4–2 7–5 .450 .358
7 ピッツバーグ・スティーラーズ 10 7 0 .588 5–1 7–5 .540 .571
レギュラーシーズン敗退
8[d] シンシナティ・ベンガルズ 9 8 0 .529 1–5 4–8 .574 .536
9[e][d] ジャクソンビル・ジャガーズ 9 8 0 .529 4–2 6–6 .533 .477
10[e] インディアナポリス・コルツ 9 8 0 .529 3–3 7–5 .491 .444
11[f] ラスベガス・レイダース 西 8 9 0 .471 4–2 6–6 .488 .426
12[f] デンバー・ブロンコス 西 8 9 0 .471 3–3 5–7 .488 .485
13 ニューヨーク・ジェッツ 7 10 0 .412 2–4 4–8 .502 .454
14 テネシー・タイタンズ 6 11 0 .353 1–5 4–8 .522 .422
15 ロサンゼルス・チャージャーズ 西 5 12 0 .294 1–5 3–9 .529 .388
16 ニューイングランド・ペイトリオッツ 4 13 0 .235 2–4 4–8 .522 .529
タイブレーク
  1. ^ a b 直接対決(第4週、第18週)でビルズがドルフィンズに勝利
  2. ^ a b 直接対決(第14週)でビルズがチーフスに勝利
  3. ^ a b カンファレンス勝率でブラウンズがドルフィンズを上回る
  4. ^ a b 直接対決(第13週)でベンガルズがジャガーズに勝利
  5. ^ a b 直接対決(第1週、第6週)でジャガーズがコルツに勝利
  6. ^ a b 直接対決(第1週、第18週)でレイダースがブロンコスに勝利
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1月21日
フォード・フィールド
    1月28日
リーバイス・スタジアム
    2月11日
アレジアント・スタジアム
 5  イーグルス  9
 4  バッカニアーズ  32  
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4  バッカニアーズ  23
   3  ライオンズ  31  
 6  ラムズ  23 NFC
 3  ライオンズ  24   1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3  ライオンズ  31
   1  49ers  34  
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7  パッカーズ  48
 7  パッカーズ  21
 2  カウボーイズ  32    
 1  49ers  24  
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1  49ers  22
   A3  チーフス  25
 6  ドルフィンズ  7 第58回スーパーボウル
 3  チーフス  26  
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3  チーフス  27
   2  ビルズ  24  
 7  スティーラーズ  17 AFC
 2  ビルズ  31   1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3  チーフス  17
   1  レイブンズ  10  
AFCチャンピオンシップ
 5  ブラウンズ  14
 4  テキサンズ  10
 4  テキサンズ  45    
 1  レイブンズ  34  
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

AFC南地区[編集]

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 HOU(4d) 10 7 0 JAX 9 8 0 IND 9 8 0 TEN 6 11 0
2022 JAX(4d) 9 8 0 TEN 7 10 0 IND 4 12 1 HOU 3 13 1
2021 TEN(1d) 12 5 0 IND 9 8 0 HOU 4 13 0 JAX 3 14 0
2020 TEN(4w) 11 5 0 IND(7w) 11 5 0 HOU 4 12 0 JAX 1 15 0
2019 HOU(4d) 10 6 0 TEN(6c) 9 7 0 IND 7 9 0 JAX 6 10 0
2018 HOU(3w) 11 5 0 IND(6d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0
2017 JAX(3c) 10 6 0 TEN(5d) 9 7 0 IND 4 12 0 HOU 4 12 0
2016 HOU(4d) 9 7 0 TEN 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 3 13 0
2015 HOU(4w) 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 5 11 0 TEN 3 13 0
2014 IND(4c) 11 5 0 HOU 9 7 0 JAX 3 13 0 TEN 2 14 0
2013 IND(4d) 11 5 0 TEN 7 9 0 JAX 4 12 0 HOU 2 14 0
2012 HOU(3d) 12 4 0 IND(5w) 11 5 0 TEN 6 10 0 JAX 2 14 0
2011 HOU(3d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0 IND 2 14 0
2010 IND(3w) 10 6 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0 TEN 6 10 0
2009 IND(1s) 14 2 0 HOU 9 7 0 TEN 8 8 0 JAX 7 9 0
2008 TEN(1d) 13 3 0 IND(5w) 12 4 0 HOU 8 8 0 JAX 5 11 0
2007 IND(2d) 13 3 0 JAX(5d) 11 5 0 TEN(6w) 10 6 0 HOU 8 8 0
2006 IND(3v) 12 4 0 TEN 8 8 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0
2005 IND(1d) 14 2 0 JAX(5w) 12 4 0 TEN 4 12 0 HOU 2 14 0
2004 IND(3d) 12 4 0 JAX 9 7 0 HOU 7 9 0 TEN 7 9 0
2003 IND(3c) 12 4 0 TEN(5d) 12 4 0 JAX 5 11 0 HOU 5 11 0
2002 TEN(2c) 11 5 0 IND(5w) 10 6 0 JAX 6 10 0 HOU 4 12 0

AFC中地区[編集]

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 BAL 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0

主な選手[編集]

現役選手[編集]

永久欠番[編集]

永久欠番ではないものの、以下の背番号は選手の栄誉を讃え、使用されていない。

プロフットボール殿堂入り[編集]

プライド・オブ・ザ・ジャガーズ[編集]

2006年7月に開催されたコンテストにより「プライド・オブ・ザ・ジャガーズ」が選出。以後、チーム独自の表彰として継続されている。

プライド・オブ・ザ・ジャガーズ 一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間 選出
71 トニー・ボセリ Tony Boselli OT 1995–2001 2006
- ウェイン・ウィーバー
デロレス・ウィーバー*
Wayne Weaver
Delores Weaver
オーナー 1993–2011 2012
28 フレッド・テイラー Fred Taylor RB 1998–2008 2012
8 マーク・ブルネル Mark Brunell QB 1995–2003 2013
82 ジミー・スミス Jimmy Smith WR 1995-2005 2016

*ウェインの妻。夫婦同時に選出された。

歴代ヘッドコーチ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ その他はクリーブランド・ブラウンズデトロイト・ライオンズヒューストン・テキサンズ
  2. ^ 新設チーム扱いでフランチャイズ史などはその後再建された新生ブラウンズに受け継がれた。

出典[編集]

  1. ^ Ranking Tables for Metropolitan Areas:1990 and 2000”. U.S. Bureau of the Census. 2010年5月10日閲覧。
  2. ^ Population of the 100 Largest Urban Places:1990”. U.S. Bureau of the Census. 2010年5月10日閲覧。
  3. ^ a b Jacksonville Jaguars”. プロフットボール殿堂. 2010年5月10日閲覧。
  4. ^ JACKSONVILLE JAGUARS (0-0) vs. HOUSTON OILERS (0-0) Sunday, September 3, 1995”. ジャクソンビル・ジャガーズHP. 2010年5月10日閲覧。
  5. ^ AROUND THE N.F.L.;Thigpen Drops Crown On Packers' Heads”. ニューヨーク・タイムズ (1995年12月25日). 2010年5月9日閲覧。
  6. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ”. NFL JAPAN (2009年7月15日). 2010年5月10日閲覧。
  7. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Ambush At Mile High”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  8. ^ Pro-Football-Reference.com - Pro Football Statistics and History
  9. ^ Taylor, Jaguars run roughshod over Dolphins 62-7”. CNN (2000年2月2日). 2010年5月9日閲覧。
  10. ^ フランチャイズ史”. NFL JAPAN. 2010年5月10日閲覧。
  11. ^ Mack earns way back into the lineup”. ジャクソンビル・ジャガーズ (2001年11月11日). 2024年1月25日閲覧。
  12. ^ ジャガーズ、チーム史上唯一のヘッドコーチを解雇”. NFL JAPAN (2002年12月31日). 2010年5月10日閲覧。
  13. ^ デルリオ、ジャガーズの新ヘッドコーチに就任!”. NFL JAPAN (2003年1月18日). 2010年5月10日閲覧。
  14. ^ ジャガーズのコリアーが左脚切断”. AFP (2008年9月30日). 2010年5月9日閲覧。
  15. ^ 集客不振で苦肉の策? ジャガーズが“半”シーズンチケット発売”. NFL JAPAN (2009年7月14日). 2010年5月10日閲覧。
  16. ^ a b 観客動員に苦しむジャガーズ、新チケット販売へ”. NFL JAPAN (2010年4月14日). 2010年5月10日閲覧。
  17. ^ 2009 NFL Football Attendance”. ESPN.com. 2010年4月26日閲覧。
  18. ^ ジャガーズに暗雲、ジョーンズドリューがひざ手術で最終戦欠場”. NFL JAPAN (2011年1月1日). 2013年1月18日閲覧。
  19. ^ ジャガーズ、デルリオHCを解任”. NFL JAPAN (2011年11月30日). 2011年11月30日閲覧。
  20. ^ ジャガーズのタッカー前暫定HC、DCでチーム残留”. NFL JAPAN (2012年1月13日). 2012年1月20日閲覧。
  21. ^ ジャガーズのムラーキー新HC、「低迷脱出まであと少し」”. NFL JAPAN (2012年1月11日). 2012年1月20日閲覧。
  22. ^ RBジョーンズドリュー、ラン獲得ヤードの歴代1位に照準”. NFL JAPAN (2012年6月27日). 2013年1月18日閲覧。
  23. ^ RBジョーンズドリュー、ついにジャガーズ合流”. NFL JAPAN (2012年9月3日). 2013年1月18日閲覧。
  24. ^ ジャガーズ新GM、ムラーキーHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年1月18日閲覧。
  25. ^ ジャガーズ、新HCは前シーホークスDCに決定”. NFL JAPAN (2013年1月18日). 2013年1月18日閲覧。
  26. ^ 史上初のOWロビンソン、今後はRBに専念で再起へ”. NFL JAPAN (2014年4月26日). 2014年4月26日閲覧。
  27. ^ ジャガーズ、元ドラ1QBギャバートを49ersへトレード”. NFL JAPAN (2014年3月12日). 2014年3月12日閲覧。
  28. ^ ジャガーズ育成プラン崩壊、新人QBボートルスのデビュー前倒し”. NFL JAPAN (2014年9月22日). 2014年9月22日閲覧。
  29. ^ NFLが2018年のプロボウルロースターを発表”. NFL JAPAN (2017年12月20日). 2018年9月3日閲覧。
  30. ^ 2021年NFLドラフトの全体1位指名権はジャガーズの手に”. NFL JAPAN (2020年12月28日). 2021年4月9日閲覧。
  31. ^ ジャガーズが指揮官ダグ・マローンに別れ、新GMに加えて新HC探しも開始”. NFL JAPAN (2021年1月5日). 2021年4月9日閲覧。
  32. ^ アーバン・マイヤーがジャガーズ新HCに”. NFL JAPAN (2021年1月15日). 2021年4月9日閲覧。
  33. ^ ジャガーズが2021年ドラフト全体1位でQBトレバー・ローレンスを指名”. NFL JAPAN (2021年4月30日). 2021年4月30日閲覧。
  34. ^ QBローレンスが全体1位 NFLドラフト”. 時事ドットコム (2021年4月30日). 2021年4月30日閲覧。
  35. ^ Reuters Staff (2021年4月30日). “NFL=ドラフト会議、クレムソン大QBローレンスが全体1位”. Reuters. 2021年4月30日閲覧。
  36. ^ Tim Tebow officially signs contract with Jacksonville Jaguars”. NFL.com. 2021年5月20日閲覧。
  37. ^ “元QBの旅が終幕、ジャガーズがTEティーボウをリリース”. NFL JAPAN. (2021年8月18日). https://nfljapan.com/headlines/66704 2021年8月19日閲覧。 
  38. ^ ジャガーズが2シーズンを共にしたコールドウェルDCとそのスタッフを解雇”. NFL Japan. 2024年1月9日閲覧。
  39. ^ ジャガーズ 小野綾子 チアダイアリー”. NFL JAPAN. 2015年5月11日閲覧。

外部リンク[編集]