バッファロー・ビルズ
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| カンファレンス | AFC |
| 地区 | AFC東地区 |
| 創設 | 1960年 |
| スタジアム | ラルフ・ウィルソン・スタジアム |
| 本拠地 | バッファロー(ニューヨーク州) |
| チームカラー | バーガンディー、ゴールド |
| チームロゴ | 突進するバッファロー |
| ヘッドコーチ | ディック・ジャウローン (2006-) |
| リーグ・チャンピオンシップ (2) 1964,1965(共にAFL) |
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| カンファレンス・チャンピオンシップ (4) AFC:1990、1991、1992、1993 |
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| ディビジョナル・チャンピオンシップ (10) AFL東地区:1964、1965、1966 AFC東地区:1980、1988、1989、1990、1991、1993、1995 |
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| ワイルドカード (7) 1963、1974、1981、1992、1996、1998、1999 |
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バッファロー・ビルズ (Buffalo Bills) は、ニューヨーク州バッファロー都市圏を本拠とし、オーチャードパーク (Orchard Park) の郊外にメインスタジアムを置くNFL加盟のアメリカンフットボールチームである。AFC(アメリカンフットボール・カンファレンス)東地区所属。1990年から1993年に4年連続スーパーボウルに出場したが全て敗退した。愛称の由来は、本拠都市名バッファローと開拓期の英雄「バッファロー・ビル」を掛けた洒落。チアリーダー組織はバッファロー・ジルズと呼ばれている。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 1960年から1985年まで
1960年に創設されて、AFLのメンバーとなった。ディフェンスのチームとして知られて、1964年にはラッシングディフェンスで913ヤードしか許さなかった。これはリーグ記録である。またこのシーズンには50サックを記録してこれもチーム記録となっている。このときの1シーズンは14試合であったが13勝1敗で終了した。13勝という数字はAFL記録であった。ラッシングTDは4つしか許さず、翌年の1965年にかけて17試合連続でラッシングTDを許さなかった。チームは1964年、1965年、2年連続AFLで優勝した。また1966年もAFL EASTを制した。プレイオフには1963年から1966年まで4年連続出場しており、これはAFL唯一である。当時のQBは、ジャック・ケンプ[1]だった。
1969年、O.J.シンプソンをドラフトで獲得した。1970年にAFLがNFLに吸収されて、NFLに所属することになったが、1971年にはリーグ最低の1勝13敗に終わり、得点は最少の184点、失点は最多の394点となった。1973年にQBとしてジョー・ファーガソンが加入するとチーム状況は好転した。シンプソンは2,000ヤードラッシャーとなり、チームも1966年以来の勝ち越しを決めた。1974年にはチームはNFLに加入後初めてプレーオフに進出したが、スーパーボウルを制覇したピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。その後チームは低迷して1977年のシーズン終了後にシンプソンはサンフランシスコ・フォーティナイナーズにトレードされた。
1980年は、ビルズにとって特別な年になり、この年マイアミ・ドルフィンズに11年目で初勝利、AFC東地区優勝を決めた。この年、プレイオフ1回戦は勝ち上がったが、2回戦でAFCチャンピオンとなったシンシナティ・ベンガルズに敗れた。翌年はストライキで短縮されたシーズンを4勝5敗で終えた。1983年のドラフトではジム・ケリーを指名したが彼はUSFLでプレイすることを選んだ。1984年、1985年は2勝14敗に終わった。
[編集] マーブ・リービーとジム・ケリーの時代
USFLが消滅した結果、ケリーは1986年にチームに入団した。この年のシーズン途中でチームはヘッドコーチを解雇して、元カンザスシティ・チーフスのヘッドコーチだったマーブ・リービーを起用した。アンドレ・リード、ブルース・スミス、優秀なオフェンスラインマンでチームの戦力は充実してきていた。1988年にドラフトでサーマン・トーマスが加入すると12勝4敗で地区優勝を遂げて、その後4年連続地区優勝した。1990年からビルズはノーハドルオフェンスという新しいオフェンススタイルを生み出した。チームは13勝3敗でプレイオフに進出、そして初のスーパーボウル出場を決めて1991年1月27日、ニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。リーグ最多得点を誇るビルズとリーグ最少失点を誇るジャイアンツの対決となった。ジャイアンツはボールコントロールオフェンスに徹してビルズのオフェンス時間を減らす作戦に出た。またビル・パーセルズヘッドコーチと、ディフェンスコーディネーターのビル・ベリチックによって有効なディフェンスが取られた。残り8秒で19-20とリードされた状態で最後47ヤードのFGをスコット・ノーウッドに狙わせたがキックは大きく右に外れてしまった(Wide Right)。1991年は、13勝3敗でトーマスが最優秀オフェンスプレイヤーに選ばれた。この年もプレイオフを勝ち上がり、1992年1月26日、スーパーボウルでワシントン・レッドスキンズと対戦したが、前半終了時点で0-24とリードされ最終的にも24-37で敗れた。1992年は、マイアミ・ドルフィンズに地区優勝を明渡し、ケリーがレギュラーシーズンの最終戦で負傷してしまった。控えQBのフランク・ライクが代わりに出場することとなった。リーグ3位のディフェンスを誇るヒューストン・オイラーズに3-35と大量リードされた後、NFL史上最も得点差をつけられた上での信じられない逆転勝利を行った(The Comeback)[2]その後も敵地でスティーラーズ、ドルフィンズを破り3年連続スーパーボウル出場を決めた。しかし1993年1月31日のスーパーボウルでは9回のターンオーバー(インターセプト4回、ファンブル5回)を喫してダラス・カウボーイズに17-52で敗れた。試合終了間際にビルズがファンブルしたボールをリカバーしたレオン・レットがボールを拾いタッチダウンする直前にパフォーマンスをしていたところ、ドン・ビービーが後ろから追いついてボールを掻き出して阻止するプレイがあった、このプレイがなければスーパーボウルワースト記録となる59失点をするところだった。1993年、地区優勝した後、プレイオフを勝ち上がり史上初の4年連続スーパーボウル出場を果たす。1994年1月30日のスーパーボウルでは2年連続、ダラス・カウボーイズと対戦、ハーフタイムでは13-6とリードしたが、トーマスがファンブルして、それをリカバータッチダウンされるなどして13-30で逆転負けした。
1994年は、7勝9敗と負け越しプレイオフ出場を逃した。1995年、10勝6敗で地区優勝を果たしフレイオフに出場した。ドルフィンズを破った後、スーパーボウルに出場したスティーラーズに21-40で敗れた。1996年、ニューイングランド・ペイトリオッツに続いて地区2位となりプレイオフに出場したが、チーム創設2年目の新興チーム、ジャクソンビル・ジャガーズに敗れた。シーズン終了後、ケリーは引退した。トーマスもこの年エースRBの座を若いアントワン・スミスに明渡した。1997年、ケリーを失ったチームは6勝10敗に終わり、リービーコーチも引退した。
[編集] 1998年から現在
1998年、チームはロブ・ジョンソンがエースQBに指名されたが、シーズン途中負傷したため、ダグ・フルーティが先発QBとなった。この年チームはプレイオフに進出し、ドルフィンズに敗れた。1999年、11勝5敗だったが、インディアナポリス・コルツに続く地区2位となりプレイオフに出場、この年10勝をあげたフルーティに代えてヘッドコーチは先発QBにジョンソンを起用したがテネシー・タイタンズに敗れた。この試合ビルズは残り16秒で41ヤードのFGを決めて16-15とリードしたが直後のキックオフされたボールをラテラルパスされるなどしてリターンタッチダウンをあげられて敗戦した。タイタンズはこの後スーパーボウルに出場した。2000年、サーマン・トーマス、ブルース・スミス、アンドレ・リードが全て契約を打ち切られた。チームは8勝8敗だった。2001年、長く続いたジョンソンとフルーティの先発QB争いがゼネラルマネージャーのサンディエゴ・チャージャーズへの移籍に伴いフルーティが引き抜かれて終止符を迎えた。フルーティは31試合に先発し21勝10敗だった。アントワン・スミスはペイトリオッツに移籍してチームのスーパーボウル制覇に貢献した。この年、ロブ・ジョンソンが負傷し、アレックス・ヴァンペルトが代わりに先発したが3勝13敗に終わった。シーズン終了後ペイトリオッツで先発QBをトム・ブレイディに奪われたドリュー・ブレッドソーを獲得した。2002年は8勝8敗と持ち直したが他チームが全て9勝7敗だったため地区最下位に終わった。2003年、開幕戦でスーパーボウルをこの年制するペイトリオッツを31-0で破ったが最終的に6勝10敗に終わった。2004年、開幕4連敗し、平均13得点しかあげられなかった。同じく開幕4連敗していたドルフィンズに勝利し、続く9試合で7勝をあげてプレイオフ争いをしたが最終週に敗れてプレイオフ出場を逃した。シーズン終了後、チームはブレッドソーを解雇した。2005年はドルフィンズに21-0、23-3とリードしていたところから第4Qに21点をあげられて23-24で敗れるなど5勝11敗に終わり、ヘッドコーチであるマイク・ムラーキー、ゼネラルマネージャーのトム・ドナホーを解雇、ヘッドコーチにディック・ジャウローン、GMにマーブ・リービーを迎えた。
[編集] シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝, 敗 = 敗, 分 = 引分
| シーズン | 勝 | 敗 | 分 | 最終順位 | プレーオフ |
|---|---|---|---|---|---|
| 1960 | 5 | 8 | 1 | AFL東地区3位 | |
| 1961 | 6 | 8 | 0 | AFL東地区4位 | |
| 1962 | 7 | 6 | 1 | AFL東地区3位 | |
| 1963 | 7 | 6 | 1 | AFL東地区2位 | AFL東地区プレイオフ敗退 (ボストン・ペイトリオッツ) |
| 1964 | 12 | 2 | 0 | AFL東地区優勝 | AFLチャンピオンシップ優勝 (サンディエゴ・チャージャーズ) |
| 1965 | 10 | 3 | 1 | AFL東地区優勝 | AFLチャンピオンシップ優勝 (サンディエゴ・チャージャーズ) |
| 1966 | 9 | 4 | 1 | AFL東地区優勝 | AFLチャンピオンシップ敗退 (カンザスシティ・チーフス) |
| 1967 | 4 | 10 | 1 | AFL東地区3位 | |
| 1968 | 1 | 12 | 0 | AFL東地区5位 | |
| 1969 | 4 | 10 | 0 | AFL東地区4位 | |
| NFLに加入 | |||||
| 1970 | 3 | 10 | 1 | AFC東地区4位 | |
| 1971 | 1 | 13 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 1972 | 4 | 9 | 1 | AFC東地区4位 | |
| 1973 | 9 | 5 | 0 | AFC東地区2位 | |
| 1974 | 9 | 5 | 0 | AFC東地区2位 | ディビジョナル・プレイオフ敗退 (ピッツバーグ・スティーラーズ) |
| 1975 | 8 | 6 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 1976 | 2 | 12 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 1977 | 3 | 11 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 1978 | 5 | 11 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1979 | 7 | 9 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1980 | 11 | 5 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ敗退 (サンディエゴ・チャージャーズ) |
| 1981 | 10 | 6 | 0 | AFC東地区3位 | ワイルドカード勝利 (ニューヨーク・ジェッツ) ディビジョナル・プレイオフ敗退 (シンシナティ・ベンガルズ) |
| 1982 | 4 | 5 | 0 | AFC9位[3] | |
| 1983 | 8 | 8 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 1984 | 2 | 14 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 1985 | 2 | 14 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 1986 | 4 | 12 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1987 | 7 | 8 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1988 | 12 | 4 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ勝利 (ヒューストン・オイラーズ) カンファレンス・チャンピオンシップ敗退 (シンシナティ・ベンガルズ) |
| 1989 | 9 | 7 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ敗退 (クリーブランド・ブラウンズ) |
| 1990 | 13 | 3 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ勝利 (マイアミ・ドルフィンズ) カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 (ロサンゼルス・レイダーズ) 第25回スーパーボウル敗退 (ニューヨーク・ジャイアンツ) |
| 1991 | 13 | 3 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ勝利 (カンザスシティ・チーフス) カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 (デンバー・ブロンコス) 第26回スーパーボウル敗退 (ワシントン・レッドスキンズ) |
| 1992 | 11 | 5 | 0 | AFC東地区2位 | ワイルドカード勝利 (ヒューストン・オイラーズ) ディビジョナル・プレイオフ勝利 (ピッツバーグ・スティーラーズ) カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 (マイアミ・ドルフィンズ) 第27回スーパーボウル敗退 (ダラス・カウボーイズ) |
| 1993 | 12 | 4 | 0 | AFC東地区優勝 | ディビジョナル・プレイオフ勝利 (ロサンゼルス・レイダーズ) カンファレンス・チャンピオンシップ勝利 (カンザスシティ・チーフス) 第28回スーパーボウル敗退 (ダラス・カウボーイズ) |
| 1994 | 7 | 9 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1995 | 10 | 6 | 0 | AFC東地区優勝 | ワイルドカード勝利 (マイアミ・ドルフィンズ) ディビジョナル・プレイオフ敗退 (ピッツバーグ・スティーラーズ) |
| 1996 | 10 | 6 | 0 | AFC東地区2位 | ワイルドカード敗退 (ジャクソンビル・ジャガーズ) |
| 1997 | 6 | 10 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 1998 | 10 | 6 | 0 | AFC東地区3位 | ワイルドカード敗退 (マイアミ・ドルフィンズ) |
| 1999 | 11 | 5 | 0 | AFC東地区2位 | ワイルドカード敗退 (テネシー・タイタンズ) |
| 2000 | 8 | 8 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 2001 | 3 | 13 | 0 | AFC東地区5位 | |
| 2002 | 8 | 8 | 0 | AFC東地区4位 | |
| 2003 | 6 | 10 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 2004 | 9 | 7 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 2005 | 5 | 11 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 2006 | 7 | 9 | 0 | AFC東地区3位 | |
| 2007 | 7 | 9 | 0 | AFC東地区2位 | |
| Totals | 336 | 368 | 8 | (1960-2007, レギュラーシーズン) | |
| 14 | 15 | 0 | (1960-2007, プレーオフ) | ||
| 350 | 383 | 8 | (1960-2007, プレーオフを含んだ全てのゲーム) | ||
[編集] 殿堂入り
- 1985年 - O.J.シンプソン
- 1999年 - ビリー・ショー
- 2001年 - マーブ・リービー
- 2002年 - ジム・ケリー
- 2003年 - ジョー・ドゥラムリア
- 2003年 - ジェームズ・ロフトン
- 2007年 - サーマン・トーマス
[編集] その他
- AFCで4年連続チャンピオンとなった唯一のチームである。
- スーパーボウルではビルズの4連敗を含めて第19回から第31回まで13年連続AFCのチームは敗れている。
- スペシャルチームのスティーブ・タスカーは7回プロボウルに選ばれて1993年にはプロボウルのMVPを受賞した。
[編集] 脚注
- ^ 1988年アメリカ合衆国大統領選挙では候補者争い、1996年アメリカ合衆国大統領選挙ではボブ・ドールの副大統領候補となった。
- ^ この試合では前半にエースRBのサーマン・トーマスが臀部の負傷により退場、ケネス・デービスが代役を務めた。
- ^ ストライキにより短縮されたシーズン
[編集] 外部リンク
- バッファロー・ビルズ (NFL JAPAN) (日本語)
- Buffalo Bills (英語)

