サーマン・トーマス

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サーマン・トーマス

Thurman Thomas  No. 34

ランニングバック
生年月日:1966年5月16日(47歳)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン
身長:5' 10" =約177.8cm 体重:200 lb =約90.7kg
NFLデビュー
1988年バッファロー・ビルズ
経歴
大学オクラホマ州立大学
NFLドラフト1988年 / 2巡目(全体の40番目)
 所属チーム:
通算成績
(2000年までの成績)
通算ラッシングヤード     12,074ヤード
平均ラン獲得ヤード     4.2ヤード
通算ラッシングタッチダウン数     65
通算レシービングヤード     4,458ヤード
通算レシーブ回数     472回
通算レシーブタッチダウン数     23回
NFL.comよりの成績
受賞歴・記録
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

サーマン・リー・トーマス(Thurman Lee Thomas 1966年5月16日-)は、テキサス州ヒューストン出身の元アメリカンフットボール選手。NFLバッファロー・ビルズで長年スターRBとして活躍した。

1988年ビルズ入団。91年にはリーグMVPを獲得。通算ラン1万2074ヤード、88タッチダウン(TD)などの記録を残して2000年引退。2007年プロフットボール殿堂入り。翌2008年にはカレッジフットボールの殿堂入りも果たした。背番号34。

大学時代[編集]

1984年にオクラホマ州立大学入学。1985年と1987年にはオールアメリカン1stチームにも選出されるなど、4年間で通算ラン4,595ヤード、43TD、100ヤードを超えたラッシングを21試合記録した。1987年のウェストバージニア大学とのサンボウルでは157ヤードを走り、4タッチダウンをあげる活躍を見せてチームは35-33で勝利した。3年生の時にバリー・サンダースが入学してきたが、卒業までの2年間先発RBの座を譲らなかった(トーマスの卒業後の1988年にサンダースは先発に定着し、ラン2628ヤードを記録し、最優秀選手賞のハイズマン賞を獲得し、1989年、大学卒業を待たずにデトロイト・ライオンズに入団した。)トーマスの背番号34はオクラホマ州立大学に3人しかいない永久欠番となっている。

NFL時代[編集]

1988年NFLドラフトでは膝の故障を理由に1巡使指名を見送られ、結局2巡40位でビルズに入団。この年1巡指名権を持たなかったビルズの中では最上位指名選手だった。

ルーキーイヤーの1988年は881ヤードを走り、2年目の1989年から8年連続1,000ヤードラッシャーとなり、5年連続5回のプロボウル選出、3年連続3回のオールプロ1stチーム選出と絶頂期を迎え、1990年からはNFL史上初となる4年連続のラン+パス総合1位も記録[1]1991年にはリーグMVP、1992年には最優秀攻撃選手に輝いた。この間にチームも黄金時代に入り、トーマスやジム・ケリーアンドレ・リードジェームズ・ロフトンらの活躍でリーグ有数の攻撃力を誇ったビルズは90年シーズンからAFC4連覇し、4年連続のスーパーボウル出場を果たした。(第25回第26回第27回第28回)出場を果たした。

1997年に9年連続1,000ヤードラッシュを逃した後は高給に見合わぬ成績が続き、サラリーキャップ制度下での負担を嫌ったビルズに1999年限りで契約更新を拒否され、同じAFC東地区のライバルであるマイアミ・ドルフィンズに移籍した。新天地で迎えた2000年シーズンだったがひざの靱帯を断裂し残り試合を欠場、ドルフィンズとの契約が切れたシーズン後の2001年2月27日にビルズと1日だけの契約を結びビルズの選手として引退した[2]

ビルズではO・J・シンプソンのチームラッシング記録を塗り替えた11,938ヤードを走っている[2]

人物[編集]

守備の穴を見つけることに優れており、鋭いカットバックでビッグプレーを演じた。ランだけでなく、レシーブ能力も優れていた[3]

脚注[編集]

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  1. ^ ドラフト2巡指名の名選手たち -後編-”. NFL JAPAN (2012年4月12日). 2012年4月14日閲覧。
  2. ^ a b RBサーマン・トーマス、引退発表”. NFL JAPAN. 2010年8月2日閲覧。
  3. ^ チーム別ドラフト成功トップ5 -ビルズ-”. NFL JAPAN (2013年4月10日). 2013年4月14日閲覧。

外部リンク[編集]