ジム・ブラウン

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ジム・ブラウン

Jim Brown  No. 32

Jim Brown at LBJ Foundation 2014.jpg
2014年撮影
ランニングバック
フルバック
生年月日:1936年2月17日(78歳)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ジョージア州セントサイモンズ
身長:6' 2" =約188cm 体重:232 lb =約105.2kg
NFLデビュー
1957年クリーブランド・ブラウンズ
経歴
大学シラキューズ大学
NFLドラフト1957年 / 1巡目(全体の6番目)
 所属チーム:
通算成績
(1965年までの成績)
ラン獲得ヤード     12,312ヤード
平均ラン獲得ヤード     5.2ヤード
TDラン     106
レシーブ回数     262回
レシーブ獲得ヤード     2,499ヤード
TDレシーブ     20回
NFL.comよりの成績
受賞歴・記録
  • プロボウル選出:9回(1957年-1965年)
  • オールプロ選出:8回(1957年-1961年、1963年-1965年)
  • NFL75周年記念オールタイムチーム選出
  • NFL1960年代オールディケイドチーム選出
  • MVP:3回(1957年、1958年、1965年)
  • UPI NFL MVP:3回(1958年、1963年、1965年)
  • プロボウルMVP:3回(1961年、1962年、1965年)
  • ラクロス殿堂入り
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

ジム・ブラウン(James Nathaniel Brown 1936年2月17日- )はジョージア州セントサイモンズ出身の元アメリカンフットボール選手、俳優。アメリカンフットボール選手としては、1957年から1965年までNFLクリーブランド・ブラウンズで活躍した。彼はNFLのシーズンラッシング記録、通算ラッシング記録を樹立している。2002年にスポーティングニュースによって100人の偉大なプロフットボール選手が選出されたとき最も偉大な選手に選ばれている[1]


経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

父親はプロボクサーであった[2]。8歳の時にニューヨーク州マンハセットに移った。地元の高校に進学した彼はアメリカンフットボール、ラクロス野球バスケットボール陸上競技を行った。アメリカンフットボールでは1回あたり14.9ヤードを走り、バスケットボールでは1試合平均38点というロングアイランドの高校記録を作った[3]。この記録は後にカール・ヤストレムスキーによって破られた。野球では投手を務めてノーヒットノーランを2度達成している[4]

シラキューズ大学に進学し2年次、ラン獲得ヤードはチーム2番目となった。3年次には666ヤード(平均5.2ヤード)を走った。4年次には986ヤード(平均6.2ヤード)を走り14タッチダウンをあげた。ハイズマン賞の投票で彼は5位となった。コルゲート大学戦では197ヤードを走り6タッチダウンをあげると共にエクストラポイントも7本決めて43得点をあげチームは61-7で勝利した[4]。また大学時代にも彼はバスケットボールを1シーズンプレーし平均14得点、陸上競技では全米の大会で十種競技5位となった[4]ラクロスでは全米ナンバー1の選手と評価された[4]。1957年のテキサスクリスチャン大学とのコットンボウルでも132ヤードを走り3タッチダウンをあげてエクストラポイントを3回成功させたが1回ブロックされ試合には27-28で敗れた[5]。バスケットボールでは2年次にチーム2番目の平均15得点、3年次には11.3得点をあげた。ラクロスでは3年次にオールアメリカンのセカンドチームに選出され、4年次には10試合で全米2位となる43ゴールをあげてオールアメリカンのファーストチームに選ばれた[6][7]

プロフットボール選手時代[編集]

ブラウンズ在籍時代のブラウン

1957年のNFLドラフト1巡目全体6位でクリーブランド・ブラウンズに指名されて入団した。この年のNBAドラフトで彼はシラキューズ・ナショナルズからも指名されていた[8]。この年彼は1試合で237ヤードを走るという新人ラッシング記録を作り[9]、その記録は40年後にシンシナティ・ベンガルズコーリー・ディロンが246ヤードを走るまで更新されなかった[10]

2年目の1958年には1,527ヤードを走り、この年リーグ2位の選手は791ヤードしか走っておらず、大差をつけてのリーディングラッシャーであった[11]

1961年11月19日の試合ではランで225ヤード、レシーブで50ヤード以上を獲得したが、同一試合でこの記録を達成したのは、その後2012年のジャマール・チャールズまで待つこととなった[12]

1963年には1シーズンのNFLラッシング記録となる1,863ヤードを走った。また通算ラン獲得12,312ヤード、通算106ラッシングタッチダウン、通算126タッチダウン、通算オールパーパスヤード15,549はいずれも当時のNFL記録となった[13]。また最初に100ラッシングタッチダウンをあげた選手でもある。1978年以降NFLはシーズン16試合となったが彼の現役最初の4年間はシーズン12試合、その後5年間も14試合であった。100タッチダウン目は93試合目にあげた。この記録は2006年にラダニアン・トムリンソンが89試合目であげて破った。1958年から1961年、1964年と5シーズンでオールパーパスヤードリーグトップとなった。彼は1試合平均100ヤード以上を達成している唯一の選手にもなっている。レシーバーとしても優れ262回のレシーブで2,499ヤードを獲得、20タッチダウンをあげた。またキャリア9年間すべてでプロボウルに選出され[13]現役最後の試合となったプロボウルでは3タッチダウンをあげた。数々の記録を残して29歳で現役を引退した。最後のシーズンもリーグ2位のラッシング記録を残した。

1963年に記録した1,863ヤードは現在もクリーブランド・ブラウンズ記録となっている。これはNFL32チームのチーム記録中最古のものとなっている。

現役引退後[編集]

1970年の映画『…チック…チック…チック英語版』の一場面。共演女優のジャネット・マクラクラン英語版
2007年11月にジャーナリストのフィル・コンスタンティン英語版

現役引退後は映画俳優となった。1964年に映画リオ・コンチョスで俳優としてデビューした彼は1967年の映画特攻大作戦の映画中で自身の引退表明のシーンを演じた。1969年の100挺のライフルではバート・レイノルズラクエル・ウェルチと共演した。ウェルチは2002年にスパイク・リー監督のJim Brown: All-American[14]にも出演している。1974年のThree th Hard Way、1975年のTake a Hard Rideなどいくつもの作品で同じ元NFL選手のフレッド・ウィリアムソンと共演している。1998年のスモール・ソルジャーズでは声優として出演した。1987年にはバトルランナーに出演、エニイ・ギブン・サンデーではアメリカンフットボールのコーチを演じた。

映画出演だけでなくナイトライダーの3シーズン目のエピソード「Knight of the Drones 」に登場している。

引退から17年後の1983年に彼の生涯記録を破ることが期待されたピッツバーグ・スティーラーズフランコ・ハリスのプレースタイルに対して自分のように1ヤードでも多く獲得しようとタックラーに向かっていくスタイルと異なりすぐにアウト・オブ・バーンズに逃げたがると批判を浴びせた。1984年10月7日、シカゴ・ベアーズウォルター・ペイトンによって彼の通算ラッシング記録は更新された。一方ハリスは1984年にシアトル・シーホークスに移籍し8試合に出場したがブラウンの記録更新には及ばなかった。その後スティーラーズでプレーしたジェローム・ベティス(プレースタイルはブラウンと似ていた)はブラウンの記録を超えている。

1989年に彼の自叙伝、「Out of Bounds」がゼブラブックスから発行された。1993年にはUFCの解説者に起用されペイ・パー・ビューの最初の6シリーズを担当した。

2008年に彼はソニーEAスポーツに対してビデオゲームのマッデンNFLで彼の肖像権を無許可で使用されたと訴訟を起こした[15]

2002年にアル・ラーナーブラウンズオーナーが死去した後、後を継いだランディー・ラーナーの経営スタイルを否定している[16]

2010年、クリーブランド・ブラウンズのエクゼクティブ・アドバイザーを解任されたがラーナーオーナー一族とわだかまりはないことを明かしている[17]

栄誉[編集]

1971年に彼はプロフットボール殿堂入りを果たした。また大学時代の活躍からカレッジフットボール殿堂入り、ラクロス殿堂入りも果たした。彼はNFLで118試合に出場し1試合平均104.3ヤードを獲得、平均5.2ヤードを稼いだ。1試合平均100ヤードを稼いだランニングバックは他におらず、例えばウォルター・ペイトンは1試合平均88ヤード、平均4・4ヤード、エミット・スミスは1試合平均81.2ヤード、平均4.2ヤードであった[18]。歴代ベスト10のラッシャーの内、彼に最も数字が近いのはバリー・サンダースであり1試合平均99.8ヤード、平均5.0ヤードを走った。なおサンダースの父親はブラウンを私が見たベストのランナーだと言っている[19]

彼の背番号32はクリーブランド・ブラウンズの永久欠番となっている。

社会活動[編集]

1972年からは全米で最も貧しい地区であるミシシッピ州マーシャル郡へのチャリティを行うようになった[4]

主な出演作品[編集]

映画[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1964 リオ・コンチョス
Rio Conchos
フランクリン
1967 特攻大作戦
The Dirty Dozen
ロバート・T・ジェファーソン
1968 戦争プロフェッショナル
The Mercenaries
ルフォ
北極の基地/潜航大作戦
Ice Station Zebra
レスリー・アンダース
汚れた七人
The Split
マクレイン
1969 暴動
Riot
ブリストン
100挺のライフル
100 Rifles
ライデッカー
クリスチーヌの性愛記
The Grasshopper
トミー
1970 …チック…チック…チック
...tick... tick... tick...
ジミー・プライス
エル・コンドル
El Condor
ルーク
1972 シンジケート・キラー
Slaughter
スローター
スーパー・ガン
Black Gun
ガン
1973 マシンガン用心棒
Slaughter's Big Rip-Off
スローター
脱出!処刑の島
I Escaped from Devil's Island
レ・ブラス
1974 ハードウェイ
Three the Hard Way
ジミー
1975 ワイルドトレイル
Take a Hard Ride
パイク
1976 ザ・リボルバー/怒りの38口径
One Down, Two to Go
J
1978 マッド・フィンガーズ
Fingers
ドリームス
1987 バトルランナー
The Running Man
ファイヤーボール
1988 ゴールデン・ヒーロー 最後の聖戦
I'm Gonna Git You Sucka
スラマー
L.A.ヒート/復讐の街角
L.A. Heat
Captain
1990 爆走コップ・タッカー
Twisted Justice
モリス
1996 ホットシティ
Original Gangstas
ジェイク・トレヴァー
マーズ・アタック!
Mars Attacks!
バイロン・ウィリアムズ
1998 ラストゲーム
He Got Game
スパイヴィー
スモール・ソルジャーズ
Small Soldiers
ブッチ 声の出演
1999 エニイ・ギブン・サンデー
Any Given Sunday
モンテズマ・モンロー
2004 セレブの種
She Hate Me
ジェロニモ・アームストロング

テレビシリーズ[編集]

放映年 邦題
原題
役名 備考
1979,1983 白バイ野郎ジョン&パンチ
CHiPs
ロモ/ジョン・ケイシー 2つの役で3エピソード
1984 ナイトライダー
Knight Rider
C.J. ジャクソン 1エピソード
1985 女刑事レディブルー
Lady Blue
ストーカー 1エピソード

参照[編集]

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  1. ^ Football's 100 Greatest Players TSN
  2. ^ Jim Brown Biography (1936-)
  3. ^ "REMEMBER JIM BROWN, LACROSSE STAR?" マイアミ・ヘラルド 1983年11月25日
  4. ^ a b c d e HALL OF FAMERS カレッジフットボール殿堂
  5. ^ Cotton Bowl 1957 TCU 28 Syracuse 27
  6. ^ NATIONAL LACROSSE HALL OF FAME
  7. ^ IMAGINE JIM BROWN WITH LACROSSE STICK... AP通信 2005年5月20日
  8. ^ Draft Oddities NBA.com 2009年10月31日閲覧
  9. ^ Jock Bio: Corey Dillon”. jockbio.com. 2011年2月7日閲覧。
  10. ^ Corey Dillon Break's Single-Game Rushing Record”. football.about.com (2000年10月23日). 2011年2月7日閲覧。
  11. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -前編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  12. ^ 開幕3連勝の立役者らが週間MVP -攻撃部門-”. NFL JAPAN (2012年9月27日). 2012年10月16日閲覧。
  13. ^ a b Hall of Famers >> Jim Brown”. profootballhof.com. 2011年2月7日閲覧。
  14. ^ 他にもアート・モデルブラウンズオーナー、オリバー・ストーンスチュアート・スコットバーニー・ケイシーハンク・アーロンビル・ラッセルフレッド・ウィリアムソンラクエル・ウェルチメルヴィン・ヴァン・ピーブルズジョニー・コクランマイケル・ウィルボンジョー・フレージャーが出演した。
  15. ^ Football great Jim Brown suing EA, Sony 2009年10月31日閲覧
  16. ^ ブラウンズ、チーム売却の噂を否定”. NFK JAPAN (2012年6月8日). 2012年6月25日閲覧。
  17. ^ 殿堂入りRBブラウン氏、役職剥奪もわだかまりなし”. NFL JAPAN (2010年6月7日). 2010年6月7日閲覧。
  18. ^ Career Rushing Yards Leaders PRO-FOOTBALL-REFERENCE.COM 2009年10月31日閲覧
  19. ^ Sanders' humility makes him distinctive ESPN Classic2009年10月31日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
ジョー・ペリー
NFL通算ラッシングリーダー
1963年 - 1984年
次代:
ウォルター・ペイトン
先代:
サンディー・コーファックス
ヒコックベルト受賞者
1964年
次代:
サンディー・コーファックス