ジム・ブラウン
| ジム・ブラウン
Jim Brown No. 32 |
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| ランニングバック | |
| フルバック | |
| 生年月日:1936年2月17日(77歳) | |
| 出身地: |
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| 身長:6' 2" =約188cm | 体重:232 lb =約105.2kg |
| NFLデビュー | |
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| 1957年(クリーブランド・ブラウンズ) | |
| 経歴 | |
| 大学:シラキューズ大学 | |
| NFLドラフト:1957年 / 1巡目(全体の6番目) | |
所属チーム:
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| 通算成績 (1965年までの成績) |
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| ラン獲得ヤード | 12,312ヤード |
| 平均ラン獲得ヤード | 5.2ヤード |
| TDラン | 106 |
| レシーブ回数 | 262回 |
| レシーブ獲得ヤード | 2,499ヤード |
| TDレシーブ | 20回 |
| NFL.comよりの成績 | |
| 受賞歴・記録 | |
| NFL殿堂入り | |
| カレッジフットボール殿堂入り | |
ジム・ブラウン(James Nathaniel Brown 1936年2月17日- )はジョージア州セントサイモンズ出身の元アメリカンフットボール選手、俳優。アメリカンフットボール選手としては、1957年から1965年までNFLのクリーブランド・ブラウンズで活躍した。彼はNFLのシーズンラッシング記録、通算ラッシング記録を樹立している。2002年にスポーティングニュースによって100人の偉大なプロフットボール選手が選出されたとき最も偉大な選手に選ばれている[1]。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入りまで [編集]
父親はプロボクサーであった[2]。8歳の時にニューヨーク州マンハセットに移った。地元の高校に進学した彼はアメリカンフットボール、ラクロス、野球、バスケットボール、陸上競技を行った。アメリカンフットボールでは1回あたり14.9ヤードを走り、バスケットボールでは1試合平均38点というロングアイランドの高校記録を作った[3]。この記録は後にカール・ヤストレムスキーによって破られた。野球では投手を務めてノーヒットノーランを2度達成している[4]。
シラキューズ大学に進学し2年次、ラン獲得ヤードはチーム2番目となった。3年次には666ヤード(平均5.2ヤード)を走った。4年次には986ヤード(平均6.2ヤード)を走り14タッチダウンをあげた。ハイズマン賞の投票で彼は5位となった。コルゲート大学戦では197ヤードを走り6タッチダウンをあげると共にエクストラポイントも7本決めて43得点をあげチームは61-7で勝利した[4]。また大学時代にも彼はバスケットボールを1シーズンプレーし平均14得点、陸上競技では全米の大会で十種競技5位となった[4]。ラクロスでは全米ナンバー1の選手と評価された[4]。1957年のテキサスクリスチャン大学とのコットンボウルでも132ヤードを走り3タッチダウンをあげてエクストラポイントを3回成功させたが1回ブロックされ試合には27-28で敗れた[5]。バスケットボールでは2年次にチーム2番目の平均15得点、3年次には11.3得点をあげた。ラクロスでは3年次にオールアメリカンのセカンドチームに選出され、4年次には10試合で全米2位となる43ゴールをあげてオールアメリカンのファーストチームに選ばれた[6][7]。
プロフットボール選手時代 [編集]
1957年のNFLドラフト1巡目全体6位でクリーブランド・ブラウンズに指名されて入団した。この年のNBAドラフトで彼はシラキューズ・ナショナルズからも指名されていた[8]。この年彼は1試合で237ヤードを走るという新人ラッシング記録を作り[9]、その記録は40年後にシンシナティ・ベンガルズのコーリー・ディロンが246ヤードを走るまで更新されなかった[10]。
2年目の1958年には1,527ヤードを走り、この年リーグ2位の選手は791ヤードしか走っておらず、大差をつけてのリーディングラッシャーであった[11]。
1961年11月19日の試合ではランで225ヤード、レシーブで50ヤード以上を獲得したが、同一試合でこの記録を達成したのは、その後2012年のジャマール・チャールズまで待つこととなった[12]。
1963年には1シーズンのNFLラッシング記録となる1,863ヤードを走った。また通算ラン獲得12,312ヤード、通算106ラッシングタッチダウン、通算126タッチダウン、通算オールパーパスヤード15,549はいずれも当時のNFL記録となった[13]。また最初に100ラッシングタッチダウンをあげた選手でもある。1978年以降NFLはシーズン16試合となったが彼の現役最初の4年間はシーズン12試合、その後5年間も14試合であった。100タッチダウン目は93試合目にあげた。この記録は2006年にラダニアン・トムリンソンが89試合目であげて破った。1958年から1961年、1964年と5シーズンでオールパーパスヤードリーグトップとなった。彼は1試合平均100ヤード以上を達成している唯一の選手にもなっている。レシーバーとしても優れ262回のレシーブで2,499ヤードを獲得、20タッチダウンをあげた。またキャリア9年間すべてでプロボウルに選出され[13]現役最後の試合となったプロボウルでは3タッチダウンをあげた。数々の記録を残して29歳で現役を引退した。最後のシーズンもリーグ2位のラッシング記録を残した。
1963年に記録した1,863ヤードは現在もクリーブランド・ブラウンズ記録となっている。これはNFL32チームのチーム記録中最古のものとなっている。
現役引退後 [編集]
現役引退後は映画俳優となった。1964年に映画リオ・コンチョスで俳優としてデビューした彼は1967年の映画特攻大作戦の映画中で自身の引退表明のシーンを演じた。1969年の100挺のライフルではバート・レイノルズ、ラクエル・ウェルチと共演した。ウェルチは2002年にスパイク・リー監督のJim Brown: All-American[14]にも出演している。1974年のThree th Hard Way、1975年のTake a Hard Rideなどいくつもの作品で同じ元NFL選手のフレッド・ウィリアムソンと共演している。1998年のスモール・ソルジャーズでは声優として出演した。1987年にはバトルランナーに出演、エニイ・ギブン・サンデーではアメリカンフットボールのコーチを演じた。
映画出演だけでなくナイトライダーの3シーズン目のエピソード「Knight of the Drones 」に登場している。
引退から17年後の1983年に彼の生涯記録を破ることが期待されたピッツバーグ・スティーラーズのフランコ・ハリスのプレースタイルに対して自分のように1ヤードでも多く獲得しようとタックラーに向かっていくスタイルと異なりすぐにアウト・オブ・バーンズに逃げたがると批判を浴びせた。1984年10月7日、シカゴ・ベアーズのウォルター・ペイトンによって彼の通算ラッシング記録は更新された。一方ハリスは1984年にシアトル・シーホークスに移籍し8試合に出場したがブラウンの記録更新には及ばなかった。その後スティーラーズでプレーしたジェローム・ベティス(プレースタイルはブラウンと似ていた)はブラウンの記録を超えている。
1989年に彼の自叙伝、「Out of Bounds」がゼブラブックスから発行された。1993年にはUFCの解説者に起用されペイ・パー・ビューの最初の6シリーズを担当した。
2008年に彼はソニーとEAスポーツに対してビデオゲームのマッデンNFLで彼の肖像権を無許可で使用されたと訴訟を起こした[15]。
2002年にアル・ラーナーブラウンズオーナーが死去した後、後を継いだランディー・ラーナ-の経営スタイルを否定している[16]。
2010年、クリーブランド・ブラウンズのエクゼクティブ・アドバイザーを解任されたがラーナーオーナー一族とわだかまりはないことを明かしている[17]。
栄誉 [編集]
1971年に彼はプロフットボール殿堂入りを果たした。また大学時代の活躍からカレッジフットボール殿堂入り、ラクロス殿堂入りも果たした。彼はNFLで118試合に出場し1試合平均104.3ヤードを獲得、平均5.2ヤードを稼いだ。1試合平均100ヤードを稼いだランニングバックは他におらず、例えばウォルター・ペイトンは1試合平均88ヤード、平均4・4ヤード、エミット・スミスは1試合平均81.2ヤード、平均4.2ヤードであった[18]。歴代ベスト10のラッシャーの内、彼に最も数字が近いのはバリー・サンダースであり1試合平均99.8ヤード、平均5.0ヤードを走った。なおサンダースの父親はブラウンを私が見たベストのランナーだと言っている[19]。
彼の背番号32はクリーブランド・ブラウンズの永久欠番となっている。
社会活動 [編集]
1972年からは全米で最も貧しい地区であるミシシッピ州マーシャル郡へのチャリティを行うようになった[4]。
主な出演作品 [編集]
- 特攻大作戦 The Dirty Dozen (1967)
- 暴動 Riot (1969)
- エル・コンドル El Condor (1970)
- スーパー・ガン Black Gun (1972)
- バトルランナー The Running Man (1987)
- ゴールデン・ヒーロー 最後の聖戦 I'm Gonna Git You Sucka (1988)
- マーズ・アタック! Mars Attacks! (1996)
- ラストゲーム He Got Game (1998)
- スモール・ソルジャーズ Small Soldiers (1998) 声
- エニイ・ギブン・サンデー Any Given Sunday (1999)
- セレブの種 She Hate Me (2004)
参照 [編集]
- ^ Football's 100 Greatest Players TSN
- ^ Jim Brown Biography (1936-)
- ^ "REMEMBER JIM BROWN, LACROSSE STAR?" マイアミ・ヘラルド 1983年11月25日
- ^ a b c d e HALL OF FAMERS カレッジフットボール殿堂
- ^ Cotton Bowl 1957 TCU 28 Syracuse 27
- ^ NATIONAL LACROSSE HALL OF FAME
- ^ IMAGINE JIM BROWN WITH LACROSSE STICK... AP通信 2005年5月20日
- ^ Draft Oddities NBA.com 2009年10月31日閲覧
- ^ “Jock Bio: Corey Dillon”. jockbio.com. 2011年2月7日閲覧。
- ^ “Corey Dillon Break's Single-Game Rushing Record”. football.about.com (2000年10月23日). 2011年2月7日閲覧。
- ^ “引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -前編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
- ^ “開幕3連勝の立役者らが週間MVP -攻撃部門-”. NFL JAPAN (2012年9月27日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ a b “Hall of Famers >> Jim Brown”. profootballhof.com. 2011年2月7日閲覧。
- ^ 他にもアート・モデルブラウンズオーナー、オリバー・ストーン、スチュアート・スコット、バーニー・ケイシー、ハンク・アーロン、ビル・ラッセル、フレッド・ウィリアムソン、ラクエル・ウェルチ、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ、ジョニー・コクラン、マイケル・ウィルボン、ジョー・フレージャーが出演した。
- ^ Football great Jim Brown suing EA, Sony 2009年10月31日閲覧
- ^ “ブラウンズ、チーム売却の噂を否定”. NFK JAPAN (2012年6月8日). 2012年6月25日閲覧。
- ^ “殿堂入りRBブラウン氏、役職剥奪もわだかまりなし”. NFL JAPAN (2010年6月7日). 2010年6月7日閲覧。
- ^ Career Rushing Yards Leaders PRO-FOOTBALL-REFERENCE.COM 2009年10月31日閲覧
- ^ Sanders' humility makes him distinctive ESPN Classic2009年10月31日閲覧
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- OrangeHoops Profile on Jim Brown (英語)
- 通算成績と情報 NFL, or Pro-Football-Reference, or DatabaseFootball (英語)
- all cinema Movie & DVD Database
- ジム・ブラウン - インターネット・ムービー・データベース(英語)
| 先代: ジョー・ペリー |
NFL通算ラッシングリーダー 1963年 - 1984年 |
次代: ウォルター・ペイトン |
| 先代: サンディー・コーファックス |
ヒコックベルト受賞者 1964年 |
次代: サンディー・コーファックス |
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