ディオン・サンダース
| ディオン・サンダース
Deion Sanders No. 21 , 37 |
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| コーナーバック | |
| リターナー・ワイドレシーバー | |
| 生年月日:1967年8月9日(45歳) | |
| 出身地: |
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| 身長:6' 1" =約185.4cm | 体重:198 lb =約89.8kg |
| NFLデビュー | |
|---|---|
| 1989年(アトランタ・ファルコンズ) | |
| 経歴 | |
| 大学:フロリダ州立大学 | |
| NFLドラフト:1989年 / 1巡目(全体の5番目) | |
所属チーム:
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| 通算成績 (2004年までの成績) |
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| 通算タックル | 513回 |
| インターセプト | 53回 |
| 通算サック | 1回 |
| NFL.comよりの成績 | |
| 受賞歴・記録 | |
| NFL殿堂入り | |
アトランタ・ブレーブス時代のサンダース
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1967年8月9日(45歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| 初出場 | 1989年5月31日 |
| 最終出場 | 2001年7月14日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ディオン・サンダース(Deion Luwynn Sanders, 1967年8月9日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州フォートマイヤーズ出身のアメリカンフットボール(主にコーナーバック、リターナー)及びプロ野球選手(外野手、左投げ左打ち)。
NFLとMLBの同時出場を果たしたマルチアスリート。現在はスポーツ・コメンテーターを務めるほか、アリーナフットボールのオースティン・ラングラーズのオーナーを務める。2011年、プロフットボール殿堂入りした。
ニックネームは「ネオン・ディオン」(Neon Deion)又は「プライム・タイム」(Prime Time)。プレーも言動も派手であり、ファッションも普段から派手なスーツと宝石を身につけていることで知られた(ニックネームであるネオン・ディオンはそこに由来している)。
目次 |
人物・来歴 [編集]
北フォートマイヤーズ高ではアメフト・野球に加えバスケットでも活躍し、3つのスポーツでフロリダ州の賞を受賞している。卒業時に野球のカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト指名を受けるが、この時には入団を拒否している。
フロリダ州立大学に進学し、こちらではアメフト・野球の他に陸上競技(短距離)選手としても試合に出場した経験を持つ。 アメフトでは1987年、1988年の2年連続全米大学選抜チームに選出され、1988年にはジム・ソープ賞(1986年に創設された優秀なコーナーバックに与えられる賞、原則として各年度で全米1名)を受賞した。
1989年5月31日にヤンキースでメジャー昇格。この際にはすぐにマイナーリーグに降格。この年6月のNFLドラフトでアトランタ・ファルコンズから一巡目(全米5位)で指名されるが、入団交渉は難航し、その間に再びヤンキースに昇格し、まずまずの活躍を見せるが、8月末にファルコンズとの契約が合意に達し、すぐにキャンプに参加。開幕戦でタッチダウンを記録し、「同じ週にMLBでホームランを打ち、NFLでタッチダウンを記録した最初の(2010年時点で唯一の)選手」となった。
その後も、NFL、MLBの両スポーツで現役選手を続けた。9月には両方のシーズンが重なるが、原則としてNFL優先であった。(もう一人の兼業選手ボー・ジャクソンはMLB優先であった。)
また、野球では1991年、1992年とワールドシリーズに出場(いずれも敗退)し、アメフトでは1995年、1996年にスーパーボウルに出場(いずれも勝利)し、「ワールドシリーズとスーパーボウルの両方に出場した最初の(2010年時点で唯一の)選手」にもなっている。
派手なファッションを好み、言動も派手で、チーム批判やチームメイトとの論争も多く、チーム内ではトラブルメーカーの一面があり、それも影響して両方のスポーツでチームを転々とすることともなる。
以下、MLBでは1997年まで(途中引退時期あり)現役を務め、NFLに専念するが2000年で(一時)引退すると、翌2001年には1年だけMLBに現役復帰。そして、NFLでも2005年に1シーズンだけ現役に復帰した。 (以下、それぞれの種目での詳細は各項目を参照)
1991年、MLBではアトランタ・ブレーブスに移籍し、故障者が続出した中でプレイオフ・ワールドシリーズを戦うチーム事情にあってヘリコプターをチャーターしての同時二刀流に挑戦した。
後述のように、アメフトでは一流選手であったが、野球選手としては打力不足であった。
また、1994年12月26日にはラップのシングル、アルバムを発売。また、MCハマーのプロモーションビデオにも出演している。
現役時代にはナイキ、ペプシ・コーラ、バーガーキング、ピザハット、アメリカン・エクスプレス等多数のCMに出演した。そのナイキからは「ダイヤモンドターフ」という名のシグネチャーモデルのシューズが発売されていたが、シンボルはNFLとMLBの『両刀使い』から取った、野球のホームベースとアメフトのゴールポストを組み合わせたものであった。また、1997年の自殺未遂(後述)の後、キリスト再降臨者になっている。
2011年2月5日にプロフットボール殿堂入りが決まった[1]。
アメリカンフットボール選手として [編集]
先述のように1989年のドラフトでアトランタ・ファルコンズから一巡目(全米5位)で指名され入団。コーナーバック(以下CB)、キックオフリターナー(KR)、パントリターナー(PR)、時折ワイドレシーバー(WR)として活躍した。1992年(2月)に初のプロボウル出場を果たす[2]。1992年にはキックオフ・リターンで1,067ヤード、平均26.7ヤード、2リターンタッチダウンを記録(いずれもリーグ1位)し、1993年にはキャリア最高の7インターセプトを記録。1993年、1994年にもプロボウルに出場している。ただし、本拠地ジョージア・ドームに不満を漏らすなど、野球だけでなくアメフトでも問題児ともなった。
ただし、実力の方は高く相手QBがサンダースの居るサイドにはパスを投げにくくなり、インターセプトの数はそれほど伸びなくなったが、1992年のプロボウルでは、ジム・ケリーからスティーブ・タスカーにサンダースと反対サイドに投げられたパスを見事にインターセプトした。
背番号「21」は、アメフトにおいてはディオン・サンダースの背番号というイメージが強かった(野球でも一時背番号21をつけていた)。 1994年にはサンフランシスコ・フォーティナイナーズに移籍し、前年まで在籍していたファルコンズ戦で、ジョージア・ドームでインターセプト・タッチダウンを記録するなど活躍し、チームを第29回スーパーボウル制覇に導く活躍をあげ、自身も最優秀守備選手に選出された。しかし、WRジェリー・ライスとの確執もあり、1年限りで移籍することとなる。なお、この年にはプロボウルの出場を辞退している。
数チームによる争奪戦の末、1995年9月9日に、ダラス・カウボーイズと7年総額3500万ドル、プラス契約金約1300万ドル[3]で契約。この時点でNFLの守備選手として最高給選手となった。この時点でアメフト専念を発表(のち撤回)。後年、オークランド・レイダーズの方がサラリーの提示額は高かったが、親友であるWRマイケル・アービンが居ること、スーパーボウル制覇を狙えるチームという理由でカウボーイズを選んだと語った。この1995年シーズンにも自身2度目のスーパーボウル(開催は1996年)制覇を成し遂げた。スーパーボウルではWRとしても47ヤードのレシーブを記録し、(現時点で)史上唯一の「スーパーボウルでパスレシーブとパスインターセプトの両方を記録した選手」となっている。カウボーイズには結局5シーズン在籍し、全てのシーズンでプロボウル出場を果たしたが、先述の1996年を最後にスーパーボウル出場はならなかった。自身も悩み、1997年には未遂に終わったが自殺を試みている。
カウボーイズとの契約を2年残して2000年にワシントン・レッドスキンズに移籍し、1年限りで引退し、野球に専念した(こちらは2001年限りで引退)。その後、2004年にボルチモア・レイブンズと年俸150万ドルで契約し現役復帰。本来の背番号「21」ではなく、当時の年齢「37」を背番号に選ぶ。10月24日のバッファロー・ビルズ戦では自身9度目のインターセプト・タッチダウンを記録したほか、5インターセプトを記録するが、結局1年限りで再度の引退となった。
大学とNFLの両方でブレット・ファーヴのパスをインターセプトした唯一の選手でもある。
1990年代のオール・ディケイド・チームにも選出されている。そして、先述の通り2011年にプロフットボール殿堂入りが決まり、同時に選出されたマーシャル・フォークらと喜びを分かち合った。
メジャーリーガーとして [編集]
外野手として活躍。元は高校時代の1985年のMLBでカンザスシティ・ロイヤルズから6巡目で指名されたが、契約せずにフロリダ州立大学に進学。 1988年にヤンキースから30巡目に指名されて契約し、1989年5月にメジャーに昇格。当初、背番号18を与えられて感想を聞かれた際に、「俺を満足させる数字は200万だ」(年俸200万ドルの意)と発言し、周囲をあきれさせた。チーム内でも折り合いは悪く、ファルコンズとの契約の際には、「今後ヤンキースに戻る可能性は低い」と言われていたが、翌1990年もヤンキースでプレイする。 アメフトでその能力を遺憾なく発揮していた通り、野球でも守備と足は一流であったが、打力不足もあり、またその派手な言動がチーム内外で顰蹙を買うことも多く、1991年にはアトランタ・ブレーブスに移籍。
この年にはファルコンズの試合(マイアミ・ドルフィンズ戦)に出場した後ヘリコプターで移動してピッツバーグ・パイレーツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズに出場する「同時二刀流」に挑戦。チームはワールドシリーズ出場を果たしミネソタ・ツインズに敗れはしたものも、後年のスーパーボウル出場と合わせて、「ワールドシリーズとスーパーボウルに出場した最初の選手」という称号を得た(現時点でも唯一の選手である)。
1992年には開幕から打撃好調で、前半戦はレギュラーに定着。特に序盤戦活躍し、97試合で打率.304、盗塁26を記録。三塁打14はこの年メジャー全体で1位であった。この年もチームはワールドシリーズ出場を果たす。今度はトロント・ブルージェイズに敗れたが、8安打を放って打率.533を記録。
1994年途中にはシンシナティ・レッズに移籍するが、この年には38盗塁を記録。翌1995年途中にサンフランシスコ・ジャイアンツに再び移籍[4]し、この年も28盗塁を記録するが、9月にNFLカウボーイズと大型契約(先述)を結んだ時点で「NFL専念」を宣言し、一時MLBからは離れる。
しかし前言を撤回して1997年には再びレッズと契約。この年には115試合に出場して、ほぼレギュラーとしての起用で、打率こそ.273に終わったが、自己最多の56盗塁(ナ・リーグ2位、盗塁王はトニー・ウォマック=当時パイレーツで60盗塁)を記録。この時点で30歳であった。 その後再び野球から離れたが、2001年に再度レッズと契約し、32試合に出場したのを最後にメジャーからは退いている。
NFLでの成績・獲得タイトル等 [編集]
14シーズンの通算成績
- タッチダウン22回
- (インターセプトリターン9回、パントリターン6回、キックオフリターン3回、レシーブ3回、ファンブルリカバー1回)…守備+リターンの通算19タッチダウンはNFL史上最多。
- インターセプト52回(1,331ヤード獲得、平均25.1ヤード)
- ファンブルリターン4回(15ヤード獲得)
- キックオフリターン155回(3,523ヤード獲得)
- パントリターン212回(2,199ヤード獲得)
- パスレシーブ60回(784ヤード獲得)
獲得タイトル他
- NFL最優秀守備選手1回(1994年)
- プロボウル選出8回(1992年、1993年、1994年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年)
- 1990年代オール・ディケイド・チーム
メジャーリーガーとしての年度別及び通算成績 [編集]
| 年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
打点 | 塁打 | 四死 球 |
三振 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989年 | NYY | 14 | 47 | 7 | 11 | 2 | 0 | 2 | 7 | 19 | 3 | 8 | 1 | .234 |
| 1990年 | NYY | 57 | 133 | 24 | 21 | 2 | 2 | 3 | 9 | 36 | 13 | 27 | 8 | .158 |
| 1991年 | ATL | 54 | 110 | 16 | 21 | 1 | 2 | 4 | 13 | 38 | 12 | 23 | 11 | .191 |
| 1992年 | ATL | 97 | 303 | 54 | 92 | 6 | 14 | 8 | 28 | 150 | 18 | 52 | 26 | .304 |
| 1993年 | ATL | 95 | 272 | 42 | 75 | 18 | 6 | 6 | 28 | 123 | 16 | 42 | 19 | .276 |
| 1994年 | ATL→ CIN |
92 | 375 | 58 | 106 | 17 | 4 | 4 | 28 | 143 | 32 | 63 | 38 | .283 |
| 1995年 | CIN→ SF |
85 | 343 | 48 | 92 | 11 | 8 | 6 | 28 | 137 | 27 | 60 | 24 | .268 |
| 1997年 | CIN | 115 | 465 | 53 | 127 | 13 | 7 | 5 | 23 | 169 | 34 | 67 | 56 | .273 |
| 2001年 | CIN | 32 | 75 | 6 | 13 | 2 | 0 | 1 | 4 | 18 | 4 | 10 | 3 | .173 |
| 通算 | 9年 | 641 | 2123 | 308 | 558 | 72 | 43 | 39 | 168 | 833 | 159 | 352 | 186 | .263 |
脚注 [編集]
- ^ “NFL=サンダース氏が殿堂入り、MLBとの二刀流選手”. ロイター. (2011年2月6日) 2011年2月19日閲覧。
- ^ プロボウルはスーパーボウルの1週間後にシーズンの締めくくりとして開催されるため、1992年のプロボウルは1991年の成績に基づいて選出されたものである。以下もプロボウルの選出年度に関しては開催年度で表記するが、いずれもその前年の活躍に応じて選出されている。
- ^ 実際には1299万9999ドル99セントで、1300万ドルに1セント足りない金額であった。
- ^ 5対4の交換トレードであったが、レッズからジャイアンツに移籍した選手の中にスコット・サービス(元中日ドラゴンズ)もいた。
関連項目 [編集]
- ボー・ジャクソン - MLBとNFLの兼業選手。
- ブライアン・ジョーダン - MLBとNFLの兼業選手。アトランタ・ファルコンズではサンダースのチームメートだった。
外部リンク [編集]
- 通算成績と情報 NFL, or ESPN, or Pro-Football-Reference, or DatabaseFootball, or CBS Sportsline (英語)
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- ディオン・サンダース - インターネット・ムービー・データベース(英語)