ディオン・サンダース

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ディオン・サンダース

Deion Sanders  No. 21 , 37

Deion Sanders.jpg
コーナーバック
 リターナー・ワイドレシーバー
生年月日:1967年8月9日(45歳)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国フロリダ州フォートマイヤーズ
身長:6' 1" =約185.4cm 体重:198 lb =約89.8kg
NFLデビュー
1989年アトランタ・ファルコンズ
経歴
大学フロリダ州立大学
NFLドラフト1989年 / 1巡目(全体の5番目)
 所属チーム:
  • アトランタ・ファルコンズ(1989年-1993年)
  • サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(1994年)
  • ダラス・カウボーイズ(1995年-1999年)
  • ワシントン・レッドスキンズ(2000年)
  • ボルチモア・レイブンズ(2004年)
通算成績
(2004年までの成績)
通算タックル     513回
インターセプト     53回
通算サック     1回
NFL.comよりの成績
受賞歴・記録
  • NFL最優秀守備選手1回:1994年
  • プロボウル選出8回:1992年-1994年、1996年-2000年
  • スーパーボウル優勝2回:第29回第30回
  • 1990年代オール・ディケイド・チーム
  • ジム・ソープ賞 (1988)
NFL殿堂入り
ディオン・サンダース
Deion Sanders
Deion Sanders Braves 1993.jpg
アトランタ・ブレーブス時代のサンダース
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 フロリダ州フォートマイヤーズ
生年月日 1967年8月9日(45歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1989年5月31日
最終出場 2001年7月14日
経歴(括弧内は在籍年)

ディオン・サンダースDeion Luwynn Sanders, 1967年8月9日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州フォートマイヤーズ出身のアメリカンフットボール(主にコーナーバック、リターナー)及びプロ野球選手外野手、左投げ左打ち)。

NFLMLBの同時出場を果たしたマルチアスリート。現在はスポーツ・コメンテーターを務めるほか、アリーナフットボールオースティン・ラングラーズのオーナーを務める。2011年、プロフットボール殿堂入りした。

ニックネームは「ネオン・ディオン」(Neon Deion)又は「プライム・タイム」(Prime Time)。プレーも言動も派手であり、ファッションも普段から派手なスーツと宝石を身につけていることで知られた(ニックネームであるネオン・ディオンはそこに由来している)。

目次

人物・来歴 [編集]

北フォートマイヤーズ高ではアメフト・野球に加えバスケットでも活躍し、3つのスポーツでフロリダ州の賞を受賞している。卒業時に野球のカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト指名を受けるが、この時には入団を拒否している。

フロリダ州立大学に進学し、こちらではアメフト・野球の他に陸上競技(短距離)選手としても試合に出場した経験を持つ。 アメフトでは1987年1988年の2年連続全米大学選抜チームに選出され、1988年にはジム・ソープ賞(1986年に創設された優秀なコーナーバックに与えられる賞、原則として各年度で全米1名)を受賞した。

1989年5月31日にヤンキースでメジャー昇格。この際にはすぐにマイナーリーグに降格。この年6月のNFLドラフトでアトランタ・ファルコンズから一巡目(全米5位)で指名されるが、入団交渉は難航し、その間に再びヤンキースに昇格し、まずまずの活躍を見せるが、8月末にファルコンズとの契約が合意に達し、すぐにキャンプに参加。開幕戦でタッチダウンを記録し、「同じ週にMLBでホームランを打ち、NFLでタッチダウンを記録した最初の(2010年時点で唯一の)選手」となった。

その後も、NFL、MLBの両スポーツで現役選手を続けた。9月には両方のシーズンが重なるが、原則としてNFL優先であった。(もう一人の兼業選手ボー・ジャクソンはMLB優先であった。)

また、野球では1991年1992年とワールドシリーズに出場(いずれも敗退)し、アメフトでは1995年1996年スーパーボウルに出場(いずれも勝利)し、「ワールドシリーズとスーパーボウルの両方に出場した最初の(2010年時点で唯一の)選手」にもなっている。

派手なファッションを好み、言動も派手で、チーム批判やチームメイトとの論争も多く、チーム内ではトラブルメーカーの一面があり、それも影響して両方のスポーツでチームを転々とすることともなる。

以下、MLBでは1997年まで(途中引退時期あり)現役を務め、NFLに専念するが2000年で(一時)引退すると、翌2001年には1年だけMLBに現役復帰。そして、NFLでも2005年に1シーズンだけ現役に復帰した。 (以下、それぞれの種目での詳細は各項目を参照)

1991年、MLBではアトランタ・ブレーブスに移籍し、故障者が続出した中でプレイオフ・ワールドシリーズを戦うチーム事情にあってヘリコプターをチャーターしての同時二刀流に挑戦した。

後述のように、アメフトでは一流選手であったが、野球選手としては打力不足であった。

また、1994年12月26日にはラップのシングル、アルバムを発売。また、MCハマーのプロモーションビデオにも出演している。

現役時代にはナイキペプシ・コーラバーガーキングピザハットアメリカン・エクスプレス等多数のCMに出演した。そのナイキからは「ダイヤモンドターフ」という名のシグネチャーモデルのシューズが発売されていたが、シンボルはNFLとMLBの『両刀使い』から取った、野球のホームベースとアメフトのゴールポストを組み合わせたものであった。また、1997年の自殺未遂(後述)の後、キリスト再降臨者になっている。

2011年2月5日プロフットボール殿堂入りが決まった[1]

アメリカンフットボール選手として [編集]

先述のように1989年のドラフトでアトランタ・ファルコンズから一巡目(全米5位)で指名され入団。コーナーバック(以下CB)、キックオフリターナー(KR)、パントリターナー(PR)、時折ワイドレシーバー(WR)として活躍した。1992年(2月)に初のプロボウル出場を果たす[2]。1992年にはキックオフ・リターンで1,067ヤード、平均26.7ヤード、2リターンタッチダウンを記録(いずれもリーグ1位)し、1993年にはキャリア最高の7インターセプトを記録。1993年1994年にもプロボウルに出場している。ただし、本拠地ジョージア・ドームに不満を漏らすなど、野球だけでなくアメフトでも問題児ともなった。

ただし、実力の方は高く相手QBがサンダースの居るサイドにはパスを投げにくくなり、インターセプトの数はそれほど伸びなくなったが、1992年のプロボウルでは、ジム・ケリーからスティーブ・タスカーにサンダースと反対サイドに投げられたパスを見事にインターセプトした。

背番号「21」は、アメフトにおいてはディオン・サンダースの背番号というイメージが強かった(野球でも一時背番号21をつけていた)。 1994年にはサンフランシスコ・フォーティナイナーズに移籍し、前年まで在籍していたファルコンズ戦で、ジョージア・ドームでインターセプト・タッチダウンを記録するなど活躍し、チームを第29回スーパーボウル制覇に導く活躍をあげ、自身も最優秀守備選手に選出された。しかし、WRジェリー・ライスとの確執もあり、1年限りで移籍することとなる。なお、この年にはプロボウルの出場を辞退している。

数チームによる争奪戦の末、1995年9月9日に、ダラス・カウボーイズと7年総額3500万ドル、プラス契約金約1300万ドル[3]で契約。この時点でNFLの守備選手として最高給選手となった。この時点でアメフト専念を発表(のち撤回)。後年、オークランド・レイダーズの方がサラリーの提示額は高かったが、親友であるWRマイケル・アービンが居ること、スーパーボウル制覇を狙えるチームという理由でカウボーイズを選んだと語った。この1995年シーズンにも自身2度目のスーパーボウル(開催は1996年)制覇を成し遂げた。スーパーボウルではWRとしても47ヤードのレシーブを記録し、(現時点で)史上唯一の「スーパーボウルでパスレシーブとパスインターセプトの両方を記録した選手」となっている。カウボーイズには結局5シーズン在籍し、全てのシーズンでプロボウル出場を果たしたが、先述の1996年を最後にスーパーボウル出場はならなかった。自身も悩み、1997年には未遂に終わったが自殺を試みている。

カウボーイズとの契約を2年残して2000年ワシントン・レッドスキンズに移籍し、1年限りで引退し、野球に専念した(こちらは2001年限りで引退)。その後、2004年ボルチモア・レイブンズと年俸150万ドルで契約し現役復帰。本来の背番号「21」ではなく、当時の年齢「37」を背番号に選ぶ。10月24日バッファロー・ビルズ戦では自身9度目のインターセプト・タッチダウンを記録したほか、5インターセプトを記録するが、結局1年限りで再度の引退となった。

大学とNFLの両方でブレット・ファーヴのパスをインターセプトした唯一の選手でもある。

1990年代のオール・ディケイド・チームにも選出されている。そして、先述の通り2011年にプロフットボール殿堂入りが決まり、同時に選出されたマーシャル・フォークらと喜びを分かち合った。

メジャーリーガーとして [編集]

外野手として活躍。元は高校時代の1985年MLBカンザスシティ・ロイヤルズから6巡目で指名されたが、契約せずにフロリダ州立大学に進学。 1988年にヤンキースから30巡目に指名されて契約し、1989年5月にメジャーに昇格。当初、背番号18を与えられて感想を聞かれた際に、「俺を満足させる数字は200万だ」(年俸200万ドルの意)と発言し、周囲をあきれさせた。チーム内でも折り合いは悪く、ファルコンズとの契約の際には、「今後ヤンキースに戻る可能性は低い」と言われていたが、翌1990年もヤンキースでプレイする。 アメフトでその能力を遺憾なく発揮していた通り、野球でも守備と足は一流であったが、打力不足もあり、またその派手な言動がチーム内外で顰蹙を買うことも多く、1991年にはアトランタ・ブレーブスに移籍。

この年にはファルコンズの試合(マイアミ・ドルフィンズ戦)に出場した後ヘリコプターで移動してピッツバーグ・パイレーツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズに出場する「同時二刀流」に挑戦。チームはワールドシリーズ出場を果たしミネソタ・ツインズに敗れはしたものも、後年のスーパーボウル出場と合わせて、「ワールドシリーズとスーパーボウルに出場した最初の選手」という称号を得た(現時点でも唯一の選手である)。

1992年には開幕から打撃好調で、前半戦はレギュラーに定着。特に序盤戦活躍し、97試合で打率.304、盗塁26を記録。三塁打14はこの年メジャー全体で1位であった。この年もチームはワールドシリーズ出場を果たす。今度はトロント・ブルージェイズに敗れたが、8安打を放って打率.533を記録。

1994年途中にはシンシナティ・レッズに移籍するが、この年には38盗塁を記録。翌1995年途中にサンフランシスコ・ジャイアンツに再び移籍[4]し、この年も28盗塁を記録するが、9月にNFLカウボーイズと大型契約(先述)を結んだ時点で「NFL専念」を宣言し、一時MLBからは離れる。

しかし前言を撤回して1997年には再びレッズと契約。この年には115試合に出場して、ほぼレギュラーとしての起用で、打率こそ.273に終わったが、自己最多の56盗塁(ナ・リーグ2位、盗塁王はトニー・ウォマック=当時パイレーツで60盗塁)を記録。この時点で30歳であった。 その後再び野球から離れたが、2001年に再度レッズと契約し、32試合に出場したのを最後にメジャーからは退いている。

NFLでの成績・獲得タイトル等 [編集]

14シーズンの通算成績

  • タッチダウン22回
    • (インターセプトリターン9回、パントリターン6回、キックオフリターン3回、レシーブ3回、ファンブルリカバー1回)…守備+リターンの通算19タッチダウンはNFL史上最多。
  • インターセプト52回(1,331ヤード獲得、平均25.1ヤード)
  • ファンブルリターン4回(15ヤード獲得)
  • キックオフリターン155回(3,523ヤード獲得)
  • パントリターン212回(2,199ヤード獲得)
  • パスレシーブ60回(784ヤード獲得)

獲得タイトル他

  • NFL最優秀守備選手1回(1994年)
  • プロボウル選出8回(1992年、1993年、1994年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年)
  • 1990年代オール・ディケイド・チーム

メジャーリーガーとしての年度別及び通算成績 [編集]

年度 チーム 試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
打点 塁打 四死
三振 盗塁 打率
1989年 NYY 14 47 7 11 2 0 2 7 19 3 8 1 .234
1990年 NYY 57 133 24 21 2 2 3 9 36 13 27 8 .158
1991年 ATL 54 110 16 21 1 2 4 13 38 12 23 11 .191
1992年 ATL 97 303 54 92 6 14 8 28 150 18 52 26 .304
1993年 ATL 95 272 42 75 18 6 6 28 123 16 42 19 .276
1994年 ATL→
CIN
92 375 58 106 17 4 4 28 143 32 63 38 .283
1995年 CIN→
SF
85 343 48 92 11 8 6 28 137 27 60 24 .268
1997年 CIN 115 465 53 127 13 7 5 23 169 34 67 56 .273
2001年 CIN 32 75 6 13 2 0 1 4 18 4 10 3 .173
通算 9年 641 2123 308 558 72 43 39 168 833 159 352 186 .263

脚注 [編集]

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  1. ^ “NFL=サンダース氏が殿堂入り、MLBとの二刀流選手”. ロイター. (2011年2月6日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-19413220110206 2011年2月19日閲覧。 
  2. ^ プロボウルはスーパーボウルの1週間後にシーズンの締めくくりとして開催されるため、1992年のプロボウルは1991年の成績に基づいて選出されたものである。以下もプロボウルの選出年度に関しては開催年度で表記するが、いずれもその前年の活躍に応じて選出されている。
  3. ^ 実際には1299万9999ドル99セントで、1300万ドルに1セント足りない金額であった。
  4. ^ 5対4の交換トレードであったが、レッズからジャイアンツに移籍した選手の中にスコット・サービス(元中日ドラゴンズ)もいた。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]