ニューオーリンズ・セインツ

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ニューオーリンズ・セインツ
The New Orleans Saints
1967年創設
永久欠番 31, 51, 57, 81
所属地区
  • NFL(1967-現在)
  • NFC(1970-現在)
南地区(2002-現在)
西地区(1970-2001)
  • 東カンファレンス
首都地区(1969)
世紀地区(1968)
首都地区(1967)
ホームタウン
  • 本拠地

ルイジアナ州ニューオーリンズ

  • スタジアム

Louisiana superdome 2004.jpg
メルセデス・ベンツ・スーパードーム
テューレーンスタジアム (1967年-1974年)

チームデザイン
  • チームカラー

    
     オールドゴールド
    

  • チームロゴ

フルー・ド・リフランス国王の紋章)。ルイジアナ州がかつてフランス植民地だったことにちなむ。また、ニューオーリンズ市の紋章でもある。
New Orleans Saints.svg

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (1回)

スーパーボウル: 2009(XLIV)

  • カンファレンス・チャンピオン (1回)

NFC: 2009

  • 地区優勝 (4回)

NFC西地区: 1991, 2000
NFC南地区: 2006, 2009

  • ワイルドカード (3回)

1987,1990,1992

球団組織
オーナー: トム・ベンソン
GM: ミッキー・ルーミス
ヘッドコーチ: ショーン・ペイトン

ニューオーリンズ・セインツ(The New Orleans Saints)は、はルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLのチームである。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。

1967年にエクスパンションチームとして加入した。1970年のNFLとAFLの統合後、NFC西地区に所属した。チームは創設以来長期低迷し、1978年まで12年連続負け越し、1979年、1983年と8勝8敗になったが勝ち越したシーズンは1987年までなかった。1987年から1992年までに4回プレーオフに進出したがプレーオフでの勝ち星はなかった。この間1991年に初めて地区優勝を果たした。2000年シーズン、プレーオフ5回目の出場で前年のスーパーボウルチャンピオンのセントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげた。2006年にはNFCチャンピオンシップゲームに進出したがシカゴ・ベアーズに14-39で敗れスーパーボウル出場を逃した。2009年のNFCチャンピオンシップでミネソタ・バイキングスに勝ち初のスーパーボウル進出を果たした。 1967年から1974年まではチュレーン・スタジアム、1975年からメルセデス・ベンツ・スーパードームを本拠地としている[1]

2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ・4試合)とアラモドームテキサス州サンアントニオ・3試合)、ジャイアンツ・スタジアムニュージャージー州イーストラザフォード・1試合)を使用して、公式戦を行った。スタジアムの改修には1億8500万ドルがかけられて2006年から再びスーパードームを本拠地とした。チーム設立が承認された11月1日諸聖人の日であることから愛称はセインツとつけられた。

トランペッターアル・ハート(パートオーナーでもあった。)はジャズ曲『聖者が街にやってくる』("When The Saints Go Marchin' In")をオフィシャルソングとした。

歴史[編集]

1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。

1967年シーズンロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。

1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は1999年にジェイソン・イーラムがタイ記録を達成したが未だに破られていない。

1980年チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した[2]。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した[3][4]

1985年にチームは現在のオーナーであるトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスGMに、ジム・E・モーラ(現シアトル・シーホークスヘッドコーチのジム・L・モーラは彼の息子である。)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリングリッキー・ジャクソンサム・ミルズヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場、1991年には初の地区優勝も果たした。ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。

1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ第20回スーパーボウル優勝経験がある。)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、リッキー・ウィリアムスを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。

2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった。)。2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったがそこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗でありラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れ惜しくもプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。

2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイU2Wake Me Up When September EndsThe Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。

2007年開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。

2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。

2009年4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した[5]

2009年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった[6]。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした[7]

2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた[8]

2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた[9]。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが[10]、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに32-36で敗れた[11]。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった[12]

成績[編集]

NFC南地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2013 CAR(2d) 12 4 0 NO(6d) 11 5 0 ATL 4 12 0 TB 4 12 0
2012 ATL(1c) 13 3 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0 TB 7 9 0
2011 NO(3d) 13 3 0 ATL(5w) 10 6 0 CAR 6 10 0 TB 4 12 0
2010 ATL(1d) 13 3 0 NO(5w) 11 5 0 TB 10 6 0 CAR 2 14 0
2009 NO(1v) 13 3 0 ATL 9 7 0 CAR 8 8 0 TB 3 13 0
2008 CAR(2d) 12 4 0 ATL(5w) 11 5 0 TB 9 7 0 NO 8 8 0
2007 TB(4w) 9 7 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0 ATL 4 12 0
2006 NO(2c) 10 6 0 CAR 8 8 0 ATL 7 9 0 TB 4 12 0
2005 TB(3w) 11 5 0 CAR(5c) 11 5 0 ATL 8 8 0 NO 3 13 0
2004 ATL(2c) 11 5 0 NO 8 8 0 CAR 7 9 0 TB 5 11 0
2003 CAR(3s) 11 5 0 NO 8 8 0 TB 7 9 0 ATL 5 11 0
2002 TB(2v) 12 4 0 ATL(6d) 9 6 1 NO 9 7 0 CAR 7 9 0

NFC西地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 StL(1s) 14 2 0 SF(5w) 12 4 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 CAR 1 15 0
2000 NO(3d) 10 6 0 StL(6w) 10 6 0 CAR 7 9 0 SF 6 10 0 ATL 4 12 0
1999 StL(1v) 13 3 0 CAR 8 8 0 ATL 5 11 0 SF 4 12 0 NO 3 13 0
1998 ATL(2s) 14 2 0 SF(4d) 12 4 0 NO 6 10 0 CAR 4 12 0 StL 4 12 0
1997 SF(1c) 13 3 0 CAR 7 9 0 ATL 7 9 0 NO 6 10 0 StL 5 11 0
1996 CAR(2c) 12 4 0 SF(4d) 12 4 0 StL 6 10 0 ATL 3 13 0 NO 3 13 0
1995 SF(2d) 11 5 0 ATL(6w) 9 7 0 StL 7 9 0 CAR 7 9 0 NO 7 9 0
1994 SF(1v) 13 3 0 NO 7 9 0 ATL 7 9 0 RAM 4 12 0
1993 SF(2c) 10 6 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 RAM 5 11 0
1992 SF(1c) 14 2 0 NO(4w) 12 4 0 ATL 6 10 0 RAM 6 10 0
1991 NO(3w) 11 5 0 ATL(6d) 10 6 0 SF 10 6 0 RAM 3 13 0
1990 SF(1c) 14 2 0 NO(6w) 8 8 0 RAM 5 11 0 ATL 5 11 0
1989 SF(1v) 14 2 0 RAM(5c) 11 5 0 NO 9 7 0 ATL 3 13 0
1988 SF(2v) 10 6 0 RAM(5w) 10 6 0 NO 10 6 0 ATL 5 11 0
1987 SF(1d) 13 2 0 NO(4w) 12 3 0 RAM 6 9 0 ATL 3 12 0
1986 SF(3d) 10 5 1 RAM(5w) 10 6 0 ATL 7 8 1 NO 7 9 0
1985 RAM(2c) 11 5 0 SF(5w) 10 6 0 NO 5 11 0 ATL 4 12 0
1984 SF(1v) 15 1 0 RAM(4w) 10 6 0 NO 7 9 0 ATL 4 12 0
1983 SF(2c) 10 6 0 RAM(5d) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 7 9 0
1982 ATL(5w) 5 4 0 NO 4 5 0 SF 3 6 0 RAM 2 7 0
1981 SF(1v) 13 3 0 ATL 7 9 0 LA 6 10 0 NO 4 12 0
1980 ATL(1d) 12 4 0 LA(5w) 11 5 0 SF 6 10 0 NO 1 15 0
1979 LA(3s) 9 7 0 NO 8 8 0 ATL 6 10 0 SF 2 14 0
1978 LA(1c) 12 4 0 ATL(4d) 9 7 0 NO 7 9 0 SF 2 14 0
1977 LA(2d) 10 4 0 ATL 7 7 0 SF 5 9 0 NO 3 11 0
1976 LA(3c) 10 3 1 SF 8 6 0 ATL 4 10 0 NO 4 10 0 SEA 2 12 0
1975 LA(2c) 12 2 0 SF 5 9 0 ATL 4 10 0 NO 2 12 0
1974 LA(c) 10 4 0 SF 6 8 0 NO 5 9 0 ATL 3 11 0
1973 LA(d) 12 2 0 ATL 9 5 0 SF 5 9 0 NO 5 9 0
1972 SF(d) 8 5 1 ATL 7 7 0 LA 6 7 1 NO 2 11 1
1971 SF(c) 9 5 0 LA 8 5 1 ATL 7 6 1 NO 4 8 2
1970 SF(c) 10 3 1 LA 9 4 1 ATL 4 8 2 NO 2 11 1

NFL東カンファレンス・首都地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 DAL(c) 11 2 1 WAS 7 5 2 NO 5 9 0 PHI 4 9 1

NFL東カンファレンス・世紀地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1968 CLE(n) 10 4 0 StL 9 4 1 NO 4 9 1 PIT 2 11 1

NFL東カンファレンス・首都地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1967 DAL(n) 9 5 0 PHI 6 7 1 WAS 5 6 3 NO 3 11 0

主な選手[編集]

永久欠番[編集]

プロフットボール殿堂入り[編集]

  • ダグ・アトキンス DE 1967-1969
  • アール・キャンベル RB 1984-1985
  • ジム・フィンクス GM 1986-1993
  • リッキー・ジャクソン LB 1981-1993
  • ハンク・ストラム HC 1976-1977
  • ジム・テイラー FB 1967
  • マイク・ディトカ HC 1997-1999(殿堂入りした理由は1961年から1972年までシカゴ・ベアーズの選手としての実績)
  • トム・フィアーズ HC 1967-1970(殿堂入りした理由は1948年から1956年までの選手としての実績)
  • ウィリーローフ OT

歴代ヘッドコーチ[編集]

マイク・ディトカ

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ The Louisiana Superdome
  2. ^ SB44ウラネタ セインツ編④(完)”. 生沢浩のNFLレポート Inside Blitz (2010年2月27日). 2010年5月22日閲覧。
  3. ^ The Best Ever? (pg 2)”. profootballhof.com. 2008年3月13日閲覧。
  4. ^ VHS 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN4-16-911614-3
  5. ^ セインツ、ニューオリンズに2025年まで残留へ 自治体と合意 NFL JAPAN 2009年5月1日
  6. ^ 【CC】セインツ競り勝ち、初のスーパーボウル進出”. NFL JAPAN (2010年1月25日). 2012年1月20日閲覧。
  7. ^ セインツ、悲願のスーパーボウル初優勝!”. NFL JAPAN (2010年2月8日). 2012年1月20日閲覧。
  8. ^ シーホークス、攻撃陣大爆発で王者撃破の番狂わせ”. NFL JAPAN (2011年1月9日). 2012年1月20日閲覧。
  9. ^ ブレイディ、ブリーズの両QB選出 月間MVP攻撃部門”. NFL JAPAN (2012年1月6日). 2012年1月20日閲覧。
  10. ^ QBブリーズ躍動、攻撃爆発のセインツが逆転勝利”. NFL JAPAN (2012年1月8日). 2012年1月20日閲覧。
  11. ^ 残り9秒で決勝TD、49ersがセインツ撃破”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月20日閲覧。
  12. ^ セインツ、新DCはスパヌオーロ前ラムズHCに”. NFL JAPAN (2012年1月20日). 2012年1月20日閲覧。

外部リンク[編集]