デンバー・ブロンコス

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デンバー・ブロンコス
1960年創設
永久欠番 7, 18, 44
所属地区
  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
西地区(1970-現在)
  • AFL(1960-1969)
西地区(1960-1969)
ホームタウン
  • 本拠地

デンバー(コロラド州)

  • スタジアム

Invesco Field at Mile High.jpg
スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイ

チームデザイン
  • チームカラー

     ブロンコズネイヴィブルー
     オレンジ
    

  • チームロゴ

精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬)

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (2回)

スーパーボウル:1997、1998

  • カンファレンス・チャンピオン (7回)

AFC:1977、1986、1987、1989、1997、1998、2013

  • 地区優勝 (13回)

AFC西地区:1977、1978、1984、1986、1987、1989、1991、1996、1998、2005、2011、2012、2013

  • ワイルドカード (7回)

1979、1983、1993、1997、2000、2003、2004

球団組織
オーナー: パット・ボーレン
GM: ジム・グッドマン(役割のみ肩書きは持っていない。)
ヘッドコーチ: ジョン・フォックス

デンバー・ブロンコス (Denver Broncos) は、コロラド州デンバーに本拠地を置くNFLチームである。AFC西地区所属。愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。AFL時代にはプレーオフ出場経験がないが、1970年のNFLとAFLの統合の後、AFC西地区で優勝10回、スーパーボウルには6度出場しており、ミネソタ・バイキングスバッファロー・ビルズと同様に最初の4回は敗れたが第32回スーパーボウルで初優勝を果たし、翌シーズンの第33回スーパーボウルも優勝している。

歴史[編集]

1982年まで[編集]

1959年8月14日、マイナーリーグのオーナーであるボブ・ハウサムによってチームは創設され1960年のAFL開幕から新興リーグの一員として参加した[1]。ハウサムは当初、デンバーにNFLのエクスパンションチームを設立しようとしたが、シカゴ・ベアーズジョージ・ハラスオーナーらNFLのオーナーの承認を得ることができなかった[2][3]。1960年、ファンによる投票でブロンコスという愛称が決定された[4]

マイル・ハイ・スタジアム

チームはデンバー・ベアーズの本拠地だったベアーズ・スタジアム(後にマイル・ハイ・スタジアムと改称)を本拠地としてAFLのオリジナルメンバーとなった。ヘッドコーチにはフランク・フィルコック、エースQBにはフランク・トリプカがなった。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた[5]がチームは4勝9敗1分で最初のシーズンを終えた。シーズン終了後ハウサムオーナーはチームをサンアントニオシンジケートに売ろうとしたが1961年5月、ジェラルド・フィップスカル・クンツら投資家グループがチームを購入した[6]

1961年シーズンを3勝11敗で終えるとチームはフィルコックスに代えてジャック・フォークナーを新ヘッドコーチとした。1962年シーズンはAFL時代を通して最高成績である7勝7敗で終えたがその後5シーズンチームは10敗以上を喫した。その間チームは4人のヘッドコーチ、6人の先発QBを起用する迷走ぶりであった[7]

1964年シーズン5試合を経過したところでフォークナーからマック・スピーディにヘッドコーチが交代しチームは2勝11敗1分に終わった。1965年シーズンは4勝10敗[8]、1966年シーズン、ヒューストン・オイラーズとの開幕戦に7-45と大敗、この試合でチームはファーストダウン更新わずか1回、パスで-7ヤード、トータルで26ヤードしかゲインすることができずに7-45で敗れた[9] 。2試合が経過したところでスピーディヘッドコーチは辞任、レイ・マラヴェシが残りゲームの指揮を執りチームは4勝10敗でシーズンを終えた[10]

1965年にオーナーの一部にチームをアトランタに移転させようとする動きがあったがアラン・フィップス、ジェラルド・フィップスが彼らの経営権、ベアーズ・スタジアムを買取りチームはデンバーに留まることになった。

1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7とAFLに所属するチームとして最初にNFLのチーム相手に勝利をあげた.[11]。AFLでの10年間の成績は39勝97敗4分とリーグ最低でありAFLのオリジナルチーム中、唯一タイトルマッチに出場を果たせなかった[12]。アメリカのプロフットボールチームとして最初にアフリカ系アメリカ人のプレースキッカーであるジーン・ミンゴを起用した[12]WRライオネル・テイラーはシーズン100キャッチを記録した。またアフリカ系アメリカ人QBのマーリン・ブリスコウが入団した。チームの移転騒動があった翌シーズンのシーズンチケットはおよそ3倍の売り上げを記録した[13]

チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。

チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[14]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[15]

レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年オレンジ・クラッシュ・ディフェンス、その年加入したベテランQBクレイグ・モートンとオレンジクラッシュディフェンスと呼ばれた守備の活躍で、プレーオフに初出場を果たし、第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた[16]

1979年9月23日のシアトル・シーホークス戦では10-34とリードされたところから、ノリス・ウィーズをリリーフしたクレイグ・モートンがハーベン・モーゼスリックアップチャーチにTDパスを通し、最後はロブ・ライトルが1ヤードのTDランをあげるなど、27点を連取して37-34で勝利した。この試合が、現在までのところ、ブロンコスの最多得点差からの逆転勝利となっている[17]

1981年エドガー・カイザー・ジュニアがジェラルド・フィップスから3000万ドルでチームを買収した[18]

エルウェイ時代[編集]

1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[19]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた[20]

1984年にカイザーオーナーからパット・ボウレンにチームの所有権の60.8%を売却した。後にカイザーはボウレンに対して法廷闘争を行ったが敗訴している[18]

エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場(プレーヤーとしては最多記録)させたが、最初の3回は全て敗れてチームはミネソタ・バイキングスに続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チーム目となった。エースQBのエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲も深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームはエルウェイを選びリーブスはチームを去ることとなった。

1986年、チームは11勝5敗でAFC西地区優勝を果たし、プレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズをオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃でザ・ドライブとして知られる98ヤードの同点ドライブでオーバータイムに持ち込んだ。ニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れた。

ストライキで短縮された1987年シーズン、AFCトップの10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージを獲得、プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破り、クリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3とリードしたが、反撃を許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした。第4Q終盤に同点TDを狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点でファンブルを誘発し、38-33で逃げ切った。第22回スーパーボウルでは第1Qに10-0とリードしたが、第2Qに35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズに敗れた。

1988年は8勝8敗に終わりプレーオフを逃したが、1989年、開幕から12試合で10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウルに選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った。第24回スーパーボウルではジョー・モンタナスーパーボウル記録となる5TDパス[21]、合計8TDを許し、10-55で敗れた。55失点、45点差での負けはそれぞれスーパーボウルワースト記録となった。

1991年シーズン、ヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインドで迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウンに追い込まれたものの、残り16秒での逆転FGにより26-24で勝利、AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズと対戦した。この試合でディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイの投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードのリターンTDを許し、7-10で敗れた。

1992年シーズン終了後、4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった。1994年シーズン終了後、フィリップスは解任され、1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任した。

RBテレル・デービスがチームに加入した後、チームは1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージを獲得したがプレーオフ初戦でチーム創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズに苦杯をなめさせられた[22][23]

1997年チームはワイルドカードでプレーオフに出場、ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り、史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウルで前年優勝のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。下馬評はブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズを破り初優勝を果たした[24]。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走り、スーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。

1998年もプレーオフでマイアミ・ドルフィンズを38-3、ニューヨーク・ジェッツを23-10で破り、2年連続スーパーボウル出場を果たし、長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズとの対戦した。第33回スーパーボウルでは34-19で勝利し、スーパーボウル連覇を達成した。38歳のエルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

1999年から2009年[編集]

エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。

2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた[25]2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった[25]

スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変え[25]その後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった[26]

2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレンベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった[27]

2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化[28]、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした[29]。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した[30][31]

2010年以降[編集]

2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りティム・ティーボウを1巡目で指名した[32]。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されて[31]エリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった[33]。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった[34][35]

2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代[36]、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ[37]、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした[38]。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが[39]、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた[40]

2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。

成績[編集]

AFC西地区(4地区制)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2013 DEN(1s) 13 3 0 KC(5w) 11 5 0 SD(6d) 9 7 0 OAK 4 12 0
2012 DEN(1d) 13 3 0 SD 7 9 0 OAK 4 12 0 KC 2 14 0
2011 DEN(4d) 8 8 0 SD 8 8 0 OAK 8 8 0 KC 7 9 0
2010 KC(4w) 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 8 8 0 DEN 4 12 0
2009 SD(2d) 13 3 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 4 12 0
2008 SD(4d) 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 2 14 0
2007 SD(3c) 11 5 0 DEN 7 9 0 KC 4 12 0 OAK 4 12 0
2006 SD(1d) 14 2 0 KC(6w) 9 7 0 DEN 9 7 0 OAK 2 14 0
2005 DEN(2c) 13 3 0 KC 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 4 12 0
2004 SD(4w) 12 4 0 DEN(6w) 10 6 0 KC 7 9 0 OAK 5 11 0
2003 KC(2d) 13 3 0 DEN(6w) 10 6 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
2002 OAK(1s) 11 5 0 DEN 9 7 0 SD 8 8 0 KC 8 8 0

AFC西地区(3地区制)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 OAK(3d) 10 6 0 SEA 9 7 0 DEN 8 8 0 KC 6 10 0 SD 5 11 0
2000 OAK(2c) 12 4 0 DEN(5w) 11 5 0 KC 7 9 0 SEA 6 10 0 SD 1 15 0
1999 SEA(3w) 9 7 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 6 10 0
1998 DEN(1v) 14 2 0 OAK 8 8 0 SEA 8 8 0 KC 7 9 0 SD 5 11 0
1997 KC(1d) 13 3 0 DEN(4v) 12 4 0 SEA 8 8 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
1996 DEN(1d) 13 3 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 OAK 7 9 0 SEA 7 9 0
1995 KC(1d) 13 3 0 SD(4w) 9 7 0 SEA 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 8 8 0
1994 SD(2s) 11 5 0 KC(6w) 9 7 0 RAI 9 7 0 DEN 7 9 0 SEA 6 10 0
1993 KC(3c) 11 5 0 RAI(4d) 10 6 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 8 8 0 SEA 6 10 0
1992 SD(3d) 11 5 0 KC(6w) 10 6 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SEA 2 14 0
1991 DEN(2c) 12 4 0 KC(4d) 10 6 0 RAI(5w) 9 7 0 SEA 7 9 0 SD 4 12 0
1990 RAI(2c) 12 4 0 KC(5w) 11 5 0 SEA 9 7 0 SD 6 10 0 DEN 5 11 0
1989 DEN(1s) 11 5 0 KC 8 7 1 RAI 8 8 0 SEA 7 9 0 SD 6 10 0
1988 SEA(3d) 9 7 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SD 6 10 0 KC 4 11 1
1987 DEN(1s) 10 4 1 SEA(5w) 9 6 0 SD 8 7 0 RAI 5 10 0 KC 4 11 0
1986 DEN(2s) 11 5 0 KC(5w) 10 6 0 SEA 10 6 0 RAI 8 8 0 SD 4 12 0
1985 RAI(1d) 12 4 0 DEN 11 5 0 SEA 8 8 0 SD 8 8 0 KC 6 10 0
1984 DEN(2d) 13 3 0 SEA(4d) 12 4 0 RAI(5w) 11 5 0 KC 8 8 0 SD 7 9 0
1983 RAI(1v) 12 4 0 SEA(4c) 9 7 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 6 10 0 KC 6 10 0
1982 RAI(1d) 8 1 0 SD(5d) 6 3 0 SEA 4 5 0 KC 3 6 0 DEN 2 7 0
1981 SD(3c) 10 6 0 DEN 10 6 0 KC 9 7 0 OAK 7 9 0 SEA 6 10 0
1980 SD(1c) 11 5 0 OAK(4v) 11 5 0 KC 8 8 0 DEN 8 8 0 SEA 4 12 0
1979 SD(1d) 12 4 0 DEN(5w) 10 6 0 SEA 9 7 0 OAK 9 7 0 KC 7 9 0
1978 DEN(3d) 10 6 0 OAK 9 7 0 SEA 9 7 0 SD 9 7 0 KC 4 12 0
1977 DEN(1s) 12 2 0 OAK(4c) 11 3 0 SD 7 7 0 SEA 5 9 0 KC 2 12 0
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0
1975 OAK(2c) 11 3 0 DEN 6 8 0 KC 5 9 0 SD 2 12 0
1974 OAK(c) 12 2 0 DEN 7 6 1 KC 5 9 0 SD 5 9 0
1973 OAK(c) 9 4 1 KC 7 5 2 DEN 7 5 2 SD 2 11 1
1972 OAK(d) 10 3 0 KC 8 6 0 DEN 5 9 0 SD 4 9 1
1971 KC(d) 10 3 1 OAK 8 4 2 SD 6 8 0 DEN 4 9 1
1970 OAK(c) 8 4 2 KC 7 5 2 SD 5 6 3 DEN 5 8 1

AFL西地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0
1967 OAK(s) 13 3 0 KC 9 5 0 SD 8 5 1 DEN 3 11 0
1966 KC(s) 11 2 0 OAK 8 5 1 SD 7 6 1 DEN 4 10 0
1965 SD(a) 9 2 3 OAK 8 5 1 KC 7 5 2 DEN 4 10 0
1964 SD(a) 8 5 1 KC 7 7 0 OAK 5 7 2 DEN 2 11 1
1963 SD(v) 11 3 0 OAK 10 4 0 KC 5 7 2 DEN 2 11 1
1962 DAL(v) 11 3 0 DEN 7 7 0 SD 4 10 0 OAK 1 13 0
1961 SD(a) 12 2 0 DAL 6 8 0 DEN 3 11 0 OAK 2 12 0
1960 LA(a) 10 4 0 DAL 8 6 0 OAK 6 8 0 DEN 4 9 1

ホームスタジアムでの応援[編集]

1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。

主な選手[編集]

殿堂入り選手[編集]

永久欠番[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

チアリーダー[編集]

2007年に堀池薫子が日本人として初めてブロンコスのチアリーダーに合格し2008年にも再度オーディションを突破して合格を果たした[42]。2012年には西村樹里がブロンコスのチアリーダーに合格している[43]

脚注[編集]

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  1. ^ http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10
  2. ^ http://denver.rockymountainnews.com/milehigh/1223mile0.shtml
  3. ^ http://www.kcchiefs.com/history/
  4. ^ http://www.profootballhof.com/history/nicknames.jsp
  5. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196009090nwe.htm
  6. ^ Kansas City Chiefs - Dressing up the old AFL
  7. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/
  8. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1965.htm
  9. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196609030oti.htm
  10. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1966.htm
  11. ^ Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
  12. ^ a b Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
  13. ^ http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html
  14. ^ Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  15. ^ Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
  16. ^ 1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  17. ^ Dan Van Wie (2011年11月18日). “The Biggest Comeback in the History of Each NFL Franchise”. bleacherreport.com. 2013年5月22日閲覧。
  18. ^ a b Weston Gentry (2012年1月14日). “Former Denver Broncos owner Edgar Kaiser Jr. dies at 69”. デンバー・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ John Elway Timeline”. Sportingnews.com. 2009年1月12日閲覧。
  20. ^ Denver Broncos”. Football.com. 2009年1月12日閲覧。
  21. ^ 第29回スーパーボウルスティーブ・ヤングが6TDパスを投げて記録を更新している。
  22. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ NFL JAPAN
  23. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Ambush At Mile High”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  24. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第5位:第32回スーパーボウル NFL JAPAN
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外部リンク[編集]