デンバー・ブロンコス

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デンバー・ブロンコス
1960年創設
永久欠番 7, 18, 44
所属地区
  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
西地区(1970-現在)
  • AFL(1960-1969)
西地区(1960-1969)
ホームタウン
  • 本拠地

デンバー(コロラド州)

  • スタジアム

Invesco Field at Mile High.jpg
スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイ

チームデザイン
  • チームカラー

     ブロンコズネイヴィブルー
     オレンジ
    

  • チームロゴ

精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬)

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (2回)

スーパーボウル:1997、1998

  • カンファレンス・チャンピオン (6回)

AFC:1977、1986、1987、1989、1997、1998

  • 地区優勝 (11回)

AFC西地区:1977、1978、1984、1986、1987、1989、1991、1996、1998、2005、2011

  • ワイルドカード (7回)

1979、1983、1993、1997、2000、2003、2004

球団組織
オーナー: パット・ボーレン
GM: ジム・グッドマン(役割のみ肩書きは持っていない。)
ヘッドコーチ: ジョン・フォックス

デンバー・ブロンコス (Denver Broncos) は、コロラド州デンバーに本拠地を置くNFLチームである。AFC西地区所属。愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。AFL時代にはプレーオフ出場経験がないが、1970年のNFLとAFLの統合の後、AFC西地区で優勝10回、スーパーボウルには6度出場しており、ミネソタ・バイキングスバッファロー・ビルズと同様に最初の4回は敗れたが第32回スーパーボウルで初優勝を果たし、翌シーズンの第33回スーパーボウルも優勝している。

目次

歴史 [編集]

1982年まで [編集]

1959年8月14日、マイナーリーグのオーナーであるボブ・ハウサムによってチームは創設され1960年のAFL開幕から新興リーグの一員として参加した[1]。ハウサムは当初、デンバーにNFLのエクスパンションチームを設立しようとしたが、シカゴ・ベアーズジョージ・ハラスオーナーらNFLのオーナーの承認を得ることができなかった[2][3]。1960年、ファンによる投票でブロンコスという愛称が決定された[4]

マイル・ハイ・スタジアム

チームはデンバー・ベアーズの本拠地だったベアーズ・スタジアム(後にマイル・ハイ・スタジアムと改称)を本拠地としてAFLのオリジナルメンバーとなった。ヘッドコーチにはフランク・フィルコック、エースQBにはフランク・トリプカがなった。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた[5]がチームは4勝9敗1分で最初のシーズンを終えた。シーズン終了後ハウサムオーナーはチームをサンアントニオシンジケートに売ろうとしたが1961年5月、ジェラルド・フィップスカル・クンツら投資家グループがチームを購入した[6]

1961年シーズンを3勝11敗で終えるとチームはフィルコックスに代えてジャック・フォークナーを新ヘッドコーチとした。1962年シーズンはAFL時代を通して最高成績である7勝7敗で終えたがその後5シーズンチームは10敗以上を喫した。その間チームは4人のヘッドコーチ、6人の先発QBを起用する迷走ぶりであった[7]

1964年シーズン5試合を経過したところでフォークナーからマック・スピーディにヘッドコーチが交代しチームは2勝11敗1分に終わった。1965年シーズンは4勝10敗[8]、1966年シーズン、ヒューストン・オイラーズとの開幕戦に7-45と大敗、この試合でチームはファーストダウン更新わずか1回、パスで-7ヤード、トータルで26ヤードしかゲインすることができずに7-45で敗れた[9] 。2試合が経過したところでスピーディヘッドコーチは辞任、レイ・マラヴェシが残りゲームの指揮を執りチームは4勝10敗でシーズンを終えた[10]

1965年にオーナーの一部にチームをアトランタに移転させようとする動きがあったがアラン・フィップス、ジェラルド・フィップスが彼らの経営権、ベアーズ・スタジアムを買取りチームはデンバーに留まることになった。

1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7とAFLに所属するチームとして最初にNFLのチーム相手に勝利をあげた.[11]。AFLでの10年間の成績は39勝97敗4分とリーグ最低でありAFLのオリジナルチーム中、唯一タイトルマッチに出場を果たせなかった[12]。アメリカのプロフットボールチームとして最初にアフリカ系アメリカ人のプレースキッカーであるジーン・ミンゴを起用した[12]WRライオネル・テイラーはシーズン100キャッチを記録した。またアフリカ系アメリカ人QBのマーリン・ブリスコウが入団した。チームの移転騒動があった翌シーズンのシーズンチケットはおよそ3倍の売り上げを記録した[13]

チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。

チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[14]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[15]

レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年オレンジ・クラッシュ・ディフェンス、その年加入したベテランQBクレイグ・モートンとオレンジクラッシュディフェンスと呼ばれた守備の活躍で、プレーオフに初出場を果たし、第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた[16]

1979年9月23日のシアトル・シーホークス戦では10-34とリードされたところから、ノリス・ウィーズをリリーフしたクレイグ・モートンがハーベン・モーゼスリックアップチャーチ]にTDパスを通し、最後はロブ・ライトルが1ヤードのTDランをあげるなど、27点を連取して37-34で勝利した。この試合が、現在までのところ、ブロンコスの最多得点差からの逆転勝利となっている[17]

1981年エドガー・カイザー・ジュニアがジェラルド・フィップスから3000万ドルでチームを買収した[18]

エルウェイ時代 [編集]

1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[19]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた[20]

1984年にカイザーオーナーからパット・ボウレンにチームの所有権の60.8%を売却した。後にカイザーはボウレンに対して法廷闘争を行ったが敗訴している[18]

エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場(プレーヤーとしては最多記録)させたが、最初の3回は全て敗れてチームはミネソタ・バイキングスに続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チーム目となった。エースQBのエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲も深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームはエルウェイを選びリーブスはチームを去ることとなった。

1986年、チームは11勝5敗でAFC西地区優勝を果たし、プレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズをオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃でザ・ドライブとして知られる98ヤードの同点ドライブでオーバータイムに持ち込んだ。ニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れた。

ストライキで短縮された1987年シーズン、AFCトップの10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージを獲得、プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破り、クリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3とリードしたが、反撃を許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした。第4Q終盤に同点TDを狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点でファンブルを誘発し、38-33で逃げ切った。第22回スーパーボウルでは第1Qに10-0とリードしたが、第2Qに35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズに敗れた。

1988年は8勝8敗に終わりプレーオフを逃したが、1989年、開幕から12試合で10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウルに選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った。第24回スーパーボウルではジョー・モンタナスーパーボウル記録となる5TDパス[21]、合計8TDを許し、10-55で敗れた。55失点、45点差での負けはそれぞれスーパーボウルワースト記録となった。

1991年シーズン、ヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインドで迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウンに追い込まれたものの、残り16秒での逆転FGにより26-24で勝利、AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズと対戦した。この試合でディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイの投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードのリターンTDを許し、7-10で敗れた。

1992年シーズン終了後、4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった。1994年シーズン終了後、フィリップスは解任され、1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任した。

RBテレル・デービスがチームに加入した後、チームは1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージを獲得したがプレーオフ初戦でチーム創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズに苦杯をなめさせられた[22]

1997年チームはワイルドカードでプレーオフに出場、ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り、史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウルで前年優勝のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。下馬評はブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズを破り初優勝を果たした[23]。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走り、スーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。

1998年もプレーオフでマイアミ・ドルフィンズを38-3、ニューヨーク・ジェッツを23-10で破り、2年連続スーパーボウル出場を果たし、長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズとの対戦した。第33回スーパーボウルでは34-19で勝利し、スーパーボウル連覇を達成した。38歳のエルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

1999年から2009年 [編集]

エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。

2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた[24]2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった[24]

スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変え[24]その後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった[25]

2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレンベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった[26]

2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化[27]、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした[28]。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した[29][30]

2010年以降 [編集]

2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りティム・ティーボウを1巡目で指名した[31]。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されて[30]エリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった[32]。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった[33][34]

2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代[35]、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ[36]、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした[37]。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが[38]、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた[39]

2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。

シーズンごとの成績 [編集]

Note: 勝 = 勝, 敗 = 敗, 分 = 引分

シーズン 最終順位 プレーオフ
1960 4 9 1 AFL西地区4位
1961 3 11 0 AFL西地区3位
1962 7 7 0 AFL西地区2位
1963 2 11 1 AFL西地区4位
1964 2 11 1 AFL西地区4位
1965 4 10 0 AFL西地区4位
1966 4 10 0 AFL西地区4位
1967 3 11 0 AFL西地区4位
1968 5 9 0 AFL西地区4位
1969 5 8 1 AFL西地区4位
NFLに加入
1970 5 8 1 AFC西地区4位
1971 4 9 1 AFC西地区4位
1972 5 9 0 AFC西地区3位
1973 7 5 2 AFC西地区3位
1974 7 6 1 AFC西地区2位
1975 6 8 0 AFC西地区2位
1976 9 5 0 AFC西地区2位
1977 12 2 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 34-21(ピッツバーグ・スティーラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 20-17(オークランド・レイダーズ
第12回スーパーボウル敗退 10-27(ダラス・カウボーイズ
1978 10 6 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗退 10-33 (ピッツバーグ・スティーラーズ
1979 10 6 0 AFC西地区2位 ワイルドカード・プレーオフ敗退 7-13(ヒューストン・オイラーズ
1980 8 8 0 AFC西地区4位
1981 10 6 0 AFC西地区2位
1982 2 7 0 AFC12位[40]
1983 9 7 0 AFC西地区3位 ディビジョナル・プレーオフ敗退 7-31 (シアトル・シーホークス
1984 13 3 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗退 17-24 (ピッツバーグ・スティーラーズ
1985 11 5 0 AFC西地区2位
1986 11 5 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 22-17(ニューイングランド・ペイトリオッツ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 23-20(クリーブランド・ブラウンズ
第21回スーパーボウル敗退 20-39(ニューヨーク・ジャイアンツ
1987 10 4 1 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 34-10(ヒューストン・オイラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 38-33(クリーブランド・ブラウンズ
第22回スーパーボウル敗退 20-39(ニューヨーク・ジャイアンツ
1988 8 8 0 AFC西地区2位
1989 11 5 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 24-23 (ピッツバーグ・スティーラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 37-21(クリーブランド・ブラウンズ
第24回スーパーボウル敗退 10-55(サンフランシスコ・フォーティナイナーズ
1990 5 11 0 AFC西地区5位
1991 13 3 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 26-24 (ヒューストン・オイラーズ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム敗退 7-10(バッファロー・ビルズ
1992 8 8 0 AFC西地区3位
1993 9 7 0 AFC西地区3位 ワイルドカード敗退 24-42 (マイアミ・ドルフィンズ)
1994 7 9 0 AFC西地区4位
1995 8 8 0 AFC西地区3位
1996 13 3 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗退 (ジャクソンビル・ジャガーズ)
1997 12 4 0 AFC西地区2位 ワイルドカード勝利 42-17 (ジャクソンビル・ジャガーズ
ディビジョナル・プレーオフ勝利 14-10 (カンザスシティ・チーフス
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 24-21(ピッツバーグ・スティーラーズ
第32回スーパーボウル優勝 31-24(グリーンベイ・パッカーズ
1998 14 2 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 38-3 (マイアミ・ドルフィンズ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム勝利 23-10(ニューヨーク・ジェッツ
第33回スーパーボウル優勝 34-19(アトランタ・ファルコンズ
1999 6 10 0 AFC西地区5位
2000 11 5 0 AFC西地区2位 ワイルドカード敗退 3-21 (ボルチモア・レイブンズ)
2001 8 8 0 AFC西地区3位
2002 9 7 0 AFC西地区2位
2003 10 6 0 AFC西地区2位 ワイルドカード敗退 10-41 (インディアナポリス・コルツ)
2004 10 6 0 AFC西地区2位 ワイルドカード敗退 24-49 (インディアナポリス・コルツ)
2005 13 3 0 AFC西地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 27-13(ニューイングランド・ペイトリオッツ
カンファレンス・チャンピオンシップゲーム敗退 17-34(ピッツバーグ・スティーラーズ
2006 9 7 0 AFC西地区3位
2007 7 9 0 AFC西地区2位
2008 8 8 0 AFC西地区2位
2009 8 8 0 AFC西地区2位
2010 4 12 0 AFC西地区4位
2011 8 8 0 AFC西地区優勝 ワイルドカード勝利 29-23 ピッツバーグ・スティーラーズ
ディビジョナル・プレーオフ敗退 10-45 ニューイングランド・ペイトリオッツ
Totals 399 368 10 (1960-2011, レギュラーシーズン)
18 16 0 (1960-2011, プレーオフ)
417 384 10 (1960-2011, プレーオフを含んだ全てのゲーム)

ホームスタジアムでの応援 [編集]

1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。

主な選手 [編集]

殿堂入り選手 [編集]

永久欠番 [編集]

歴代ヘッドコーチ [編集]

チアリーダー [編集]

2007年に堀池薫子が日本人として初めてブロンコスのチアリーダーに合格し2008年にも再度オーディションを突破して合格を果たした[41]。2012年には西村樹里がブロンコスのチアリーダーに合格している[42]

脚注 [編集]

[ヘルプ]
  1. ^ http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10
  2. ^ http://denver.rockymountainnews.com/milehigh/1223mile0.shtml
  3. ^ http://www.kcchiefs.com/history/
  4. ^ http://www.profootballhof.com/history/nicknames.jsp
  5. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196009090nwe.htm
  6. ^ Kansas City Chiefs - Dressing up the old AFL
  7. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/
  8. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1965.htm
  9. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196609030oti.htm
  10. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1966.htm
  11. ^ Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
  12. ^ a b Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
  13. ^ http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html
  14. ^ Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  15. ^ Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
  16. ^ 1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  17. ^ Dan Van Wie (2011年11月18日). “The Biggest Comeback in the History of Each NFL Franchise”. bleacherreport.com. 2013年5月22日閲覧。
  18. ^ a b Weston Gentry (2012年1月14日). “Former Denver Broncos owner Edgar Kaiser Jr. dies at 69”. デンバー・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ John Elway Timeline”. Sportingnews.com. 2009年1月12日閲覧。
  20. ^ Denver Broncos”. Football.com. 2009年1月12日閲覧。
  21. ^ 第29回スーパーボウルスティーブ・ヤングが6TDパスを投げて記録を更新している。
  22. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ NFL JAPAN
  23. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第5位:第32回スーパーボウル NFL JAPAN
  24. ^ a b c プラマーが現役引退を発表”. AFP (2007年3月4日). 2012年1月26日閲覧。
  25. ^ ブロンコスのダレント・ウィリアムズが射殺される”. AFP国際ニュース (2007年01月01日 23:52). 2009年1月12日閲覧。
  26. ^ チャージャース、ブロンコス圧倒して大逆転の地区3連覇!”. NFL JAPAN (2008年12月29日). 2011年4月10日閲覧。
  27. ^ マクダニエルスHC、「カトラーはブロンコスのQB」と残留に前向き発言”. NFL JAPAN (2009年3月24日). 2011年4月10日閲覧。
  28. ^ きっかけは新任HC、QBカトラーがベアーズへ移籍”. NFL JAPAN (2011年4月2日). 2011年4月10日閲覧。
  29. ^ 【第17週】チーフスが大勝、同地区ブロンコスに引導渡す”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年4月10日閲覧。
  30. ^ a b 低迷ブロンコス、マクダニエルスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年12月7日). 2011年4月10日閲覧。
  31. ^ 近藤祐司 (2012年1月13日). “ティーボウの活躍を切に願うのはペイトリオッツの新コーチ?【前編】”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  32. ^ ブロンコス、暫定HCにRBコーチのスタデスビル氏が就任”. NFL JAPAN (2010年12月8日). 2011年4月10日閲覧。
  33. ^ ブロンコス、前パンサーズ指揮官のフォックスが新HC就任”. NFL JAPAN (2011年1月14日). 2011年4月10日閲覧。
  34. ^ ブロンコスのフォックス新HCが就任会見”. NFL JAPAN (2011年1月15日). 2011年4月10日閲覧。
  35. ^ 近藤祐司 (2012年1月6日). ““マジック”はどこまで続く? いよいよプレイオフ開幕へ!【前編】”. 2012年1月21日閲覧。
  36. ^ 【第17週プレビュー】ブロンコス地区優勝に因縁のオートンが立ちはだかる”. NFL JAPAN (2011年12月29日). 2012年1月21日閲覧。
  37. ^ ブロンコス敗戦も、05年以来の地区優勝でプレイオフ進出”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  38. ^ ティーボウ大活躍、ブロンコスがOTの死闘を制す”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  39. ^ QBティーボウ、「何が起こるか分からない」と希望捨てず”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  40. ^ ストライキにより短縮されたシーズン
  41. ^ 日本人初のデンバーブロンコス(NFL)チアリーダー 堀池薫子さんオーディション突破 (在デンバー日本総領事館)
  42. ^ NFLチアリーダーとして夢の世界ではばたきます 西村樹里”. 2013年1月14日閲覧。

外部リンク [編集]