ピッツバーグ・スティーラーズ

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ピッツバーグ・スティーラーズ
Pittsburgh Steelers
1933年創設
永久欠番 70, 75
所属地区
  • NFL(1933-現在)
  • AFC(1970-現在)
北地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
  • 東カンファレンス(1953-1969)
世紀地区(1967-1969)
地区分け無し(1953-1966)
  • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
  • 東地区(1933-1949)
ホームタウン
  • 本拠地

ペンシルベニア州ピッツバーグ

  • スタジアム

SteelersWarmUp.JPG
ハインツ・フィールド
スリー・リバース・スタジアム(1968-2000)

チームデザイン
  • チームカラー

    
    

  • チームロゴ

ピッツバーグの鉄鋼業協会のマークを元にしたもの[1]

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (6回)

スーパーボウル: 1974、1975、1978、1979、2005、2008

  • カンファレンス・チャンピオン (8回)

AFC:1974、1975、1978、1979、1995、2005、2008、2010

  • 地区優勝 (20回)

AFC中地区:1972、1974、1975、1976、1977、1978、1979、1983、1984、1992、1994、1995、1996、1997、2001
AFC北地区:2002、2004、2007、2008、2010

  • ワイルドカード (9回)

1947、1973、1982、1989、1993、1998、1999、2005、2011

球団組織
オーナー: ダン・ルーニー
GM: ケビン・コルバート
ヘッドコーチ: マイク・トムリン

ピッツバーグ・スティーラーズ(Pittsburgh Steelers)はNFLに加盟し、ペンシルベニア州ピッツバーグに本拠を置くNFLチーム。AFC北地区に所属している。1970年にNFLとAFLが統合した際AFCに組み入れられた旧NFLの3チーム(他の2チームはクリーブランド・ブラウンズボルチモア・コルツ)のうちの1つである。愛称の由来はピッツバーグはかつて鉄鋼業が盛んだった事から“鉄の男達”から。スーパーボウル制覇6回は、全NFLチーム中最多であり、2度の連覇を達成した唯一のチームである。

QB テリー・ブラッドショー、RB フランコ・ハリス、WR リン・スワンの攻撃陣(1975年の公式戦では、ハリスとロッキー・ブライヤーの2人が1000ヤード・ランを記録)に加え、DT ミーン・ジョー・グリーン、MLB ジャック・ランバート、OLB ジャック・ハム、DB メル・ブラント等による強力なディフェンス陣は「スティール・カーテン」と呼ばれ相手チームに恐れられた[2]

歴史[編集]

チーム創設から1968年まで[編集]

NFLに現存するチームでは5番目に古い歴史を持っている(アリゾナ・カージナルスグリーンベイ・パッカーズシカゴ・ベアーズニューヨーク・ジャイアンツ)。チームは1933年7月8日にアート・ルーニーによって設立された。設立当初はMLBピッツバーグ・パイレーツと同一名でNFLのイースタン・ディビジョンに所属した。1940年にチームはスティーラーズと改称した。1942年にチームは7勝4敗と初めて勝ち越し、ルーキーのビル・ダドリーはリーディングラッシャーとなった。翌1943年にダドリーや他の多くの選手が第二次世界大戦に従軍したため1943年にはフィラデルフィア・イーグルスと1944年にはシカゴ・カージナルスと共同チームを形成した。1946年にジャック・サザーランドがヘッドコーチとなり復帰したダドリーがラッシング、インターセプト、パントリターンでリーグトップの成績を残しMVPに選ばれる活躍を見せた。1947年には8勝4敗でディビジョンタイトルを獲得しプレーオフに初出場したがフィラデルフィア・イーグルスに0-21で敗れた[3]

サザーランドの次にヘッドコーチとなったジョン・ミケロセンは1948年から1951年の4シーズンで20勝26敗2分の成績に終わり、1952年にはジョー・バック(1935年から1936年にもヘッドコーチ)がヘッドコーチに復帰した。1954年にバックが健康上の理由で辞任し後任にはアシスタントコーチのウォルト・キスリング(1939年から1944年にもヘッドコーチ)が就任した[3]

1957年から1964年までの8シーズンはバディ・パーカーがヘッドコーチを務めた。この間の負け越しは3シーズンだけで1962年には9勝5敗でプレーオフに出場したがデトロイト・ライオンズに10-17で敗れた。

チャック・ノルの時代[編集]

1969年1月27日にチャック・ノルが37歳でヘッドコーチに就任すると、ドラフトで後にプロフットボール殿堂入りする選手を多く獲得した。彼が1969年にドラフトで最初に指名したのはDTのミーン・ジョー・グリーンだった。1969年は1勝13敗に終わったがそれによって1970年のドラフト全体1位指名権を得たチームはテリー・ブラッドショーを指名した。その年の3巡ではCBのメル・ブラント1971年にはジャック・ハム、1972年にはRBのフランコ・ハリスを獲得した[3]

1970年にはチームにとって大きな出来事が2つあった。1つはAFLとの統合によって、AFC中地区に所属することになったこと、もう1つは本拠地をスリー・リバース・スタジアムに移転したことである。1972年には11勝3敗で地区優勝を果たし、地元で行われたオークランド・レイダーズとのプレーオフでは、試合終了直前にハリスが行った「イマーキュレート・レセプション」と呼ばれる伝説的プレイ(詳細後述)により逆転勝利を収める(最終スコア13-7)。しかしAFC優勝戦ではパーフェクトシーズンを達成したマイアミ・ドルフィンズに17-21で敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった[3]

1973年には10勝4敗でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがオークランド・レイダーズに14-33で敗れた。

1974年から1979年までチームは6年連続地区優勝を果たした。1974年のプレーオフではバッファロー・ビルズを32-14、オークランド・レイダーズを24-13で破り第9回スーパーボウルに出場した。スティール・カーテンと呼ばれたディフェンスがミネソタ・バイキングスの攻撃を完全に封じ16-6でスーパーボウル初制覇を果たした。1975年には11連勝を含み12勝2敗でシーズンを終え、プレーオフではボルチモア・コルツを28-10、オークランド・レイダーズを16-10で破り第10回スーパーボウルダラス・カウボーイズを21-17で破りスーパーボウル史上、グリーンベイ・パッカーズ、マイアミ・ドルフィンズに次いで連覇を達成した3チーム目となった。

1976年は開幕から1勝4敗と苦しんだがその後9連勝して10勝4敗でシーズンを終えた。ボルチモア・コルツを40-14で破ったがフランコ・ハリス、ロッキー・ブライアーが負傷欠場したオークランド・レイダーズ戦を7-24で落とした。この年のレギュラーシーズン、リン・スワン脳震盪を起こしたプレーについてレイダーズのジョージ・アトキンソンを訴えた[4][5]1977年は9勝5敗で終えプレーオフ1回戦でデンバー・ブロンコスに21-34で敗れた。

1978年にはNFLトップの14勝2敗でシーズンを終え、デンバー・ブロンコスを33-10、ヒューストン・オイラーズ戦では9回のターンオーバーを奪い34-5で勝利[6]第13回スーパーボウルでダラス・カウボーイズを35-31で破りスーパーボウルを3回優勝した最初のチームとなった。1979年には12勝4敗でシーズンを終え、プレーオフではマイアミ・ドルフィンズに34-14、ヒューストン・オイラーズを27-13で、ロサンゼルス・ラムズとの第14回スーパーボウルでは試合終盤まで相手QBヴィンス・フェラガモの活躍でリードを許したがジョン・ストールワースへの2本のTDパスで逆転31-19で勝利、4回目のスーパーボウルを制した。現在のところ、スーパーボウル連覇を2度達成した唯一のチームとなっている[3]

1980年は9勝7敗、1981年は8勝8敗でプレーオフ出場を逃した。ストライキでシーズンが短縮された1982年は6勝3敗でプレーオフに出場したがサンディエゴ・チャージャーズに28-31で敗れた。この試合の後、スリー・リバース・スタジアムでは10シーズンの間、プレーオフから遠ざかることとなった。1983年は10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではロサンゼルス・レイダーズに10-38で敗れた。1984年も2年連続地区優勝を果たしデンバー・ブロンコスを24-17で破りAFCチャンピオンシップゲームに進出したがこの年シーズンタッチダウンパス記録を更新したダン・マリーノのマイアミ・ドルフィンズに28-45で敗れた[3]

1985年には7勝9敗と14年ぶりに負け越し、1986年には6勝10敗に終わった。ストライキで短縮された1987年は最後の2試合を落とし8勝7敗でプレーオフを逃した。1988年にはここ19シーズンで最悪の5勝11敗に終わり、1989年は開幕2試合を0-51、10-41と大差で敗れたが若いチームはここから持ち直し9勝7敗でシーズンを終え、ワイルドカードプレーオフで26-23とヒューストン・オイラーズを破り、デンバー・ブロンコスとのディビジョナル・プレーオフは23-24とわずか1点差の好ゲームを演じた。1990年には9勝7敗でAFC中地区3チームが並んだが地区内成績が2勝4敗だったチームはプレーオフ出場を逃した。1991年を7勝9敗で終えた後、23シーズンに渡ってヘッドコーチを務めたチャック・ノルが辞任を発表し後任にはビル・カウアーが就任することとなった。

ビル・カウアーの時代[編集]

熱血漢のビル・カウアーの下でチームは彼が就任してから6年連続でプレーオフに進出した。この記録は過去にはポール・ブラウンクリーブランド・ブラウンズ時代に達成しただけであった。カウアーがヘッドコーチを務めた15年間でチームは10回プレーオフに進出、Blitzburghと呼ばれたブリッツを多用した守備を武器に第30回スーパーボウルに出場したがダラス・カウボーイズに敗れた。

2004年シーズン守備でNFL1位。攻撃はラン中心で組み立てられ、新人QBのベン・ロスリスバーガーは数々の新人記録を打ち立てたがスーパーボウル出場を逃した。RBジェローム・ベティスはこの年で引退を決意していたがロスリスバーガーは自分がスーパーボウルに連れて行くのでもう1年プレーしてほしいとベティスに頼んだ。

2005年シーズンでは、チームはAFC第6シードながらプレーオフに出場、インディアナポリス・コルツ戦ではシーズン中ほとんどファンブルしたことのないベティスが試合終盤にファンブルし、相手に攻撃権が渡り大ピンチとなったがコルツのミスに助けられるなど勝ち上がり、第6シードのチームとしては初めてスーパーボウルに出場を果たした。第40回スーパーボウルではシアトル・シーホークスを破り26年ぶりに5度目となるスーパーボウル優勝を果たした。ベティスは故郷デトロイトで行われたこの試合で現役を引退した。

カウアーは2006年シーズン終了後、翌2007年1月7日に家族との時間を大切にしたいと辞任した。

マイク・トムリンの時代[編集]

後任のヘッドコーチはアート・ルーニー2世ダン・ルーニー、GMのトニー・トルバートの3人の話し合いで数人の候補に絞られた[7]。オフェンスコーディネーターのケン・ウィゼンハント[8]、オフェンスラインコーチのラス・グリム、元オフェンスコーディネーターのチャン・ゲイリーミネソタ・バイキングスのディフェンスコーディネーターのマイク・トムリンシカゴ・ベアーズのディフェンスコーディネーターのロン・リベラである。1月22日にマイク・トムリンが新ヘッドコーチに選ばれたことがチームから発表された。彼はスティーラーズの歴史上初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチであった。

2008年度の第43回スーパーボウルでは残り35秒からサントニオ・ホームズへの逆転タッチダウンでアリゾナ・カージナルスを27-23で破り史上最多6度目の優勝を飾った。

スーパーボウル連覇を狙った2009年トロイ・ポラマルの負傷などでチームはプレーオフ出場を逃した。この年ロスリスバーガーが脳震盪を起こした次の試合で欠場したがその際ハインズ・ウォードは不満をもらした。

2010年、エースQBのロスリスバーガーがNFLの行動規範に反する行いをしたとして、開幕から6試合[9](その後ロジャー・グッデルコミッショナーにより4試合に減らされた。)出場停止になることが決定された。そのため、チームはかつて控えQBを務めたバイロン・レフトウィッチと契約したが、故障のために欠場することになり、QBはデニス・ディクソン、チャーリー・バッチの2人でロスリスバーガーが復帰するまで開幕から3連勝し[10]、3勝1敗で乗り切った。チームは12勝4敗でAFC第2シードでシーズンを終えた。ディビジョナルプレーオフでは31-24でボルチモア・レイブンズに勝利。AFCチャンピオンシップゲームでは、AFC第6シードながら第1シードのニューイングランド・ペイトリオッツを破ったニューヨーク・ジェッツと対戦して24-19で勝利し、第45回スーパーボウル出場を果たしたがグリーンベイ・パッカーズに25-31で敗れた[11]

2011年、ボルチモア・レイブンズと同じ12勝4敗をあげたが、直接対決で2敗したためワイルドカードでのプレーオフ出場となった[12]。最終週に負傷したRBメンデンホールが欠場[13]、この年チーム最多タックルをあげたライアン・クラーク鎌状赤血球形質の症状がかつて高地であるデンバーで悪化したことがあるため欠場した[14]デンバー・ブロンコスとのワイルドカードプレーオフで、オーバータイムの末、23-29で敗れた[15]。シーズン終了後、オフェンスコーディネーターのブルース・アリアンが引退を表明した[16]

2013年11月28日のボルチモア・レイブンズ戦でジャコビー・ジョーンズのキックオフリターン中にマイク・トムリンヘッドコーチがフィールド上に侵入し、ジョーンズの進路妨害をした疑いにより、10万ドルの罰金処分を受けた[17]。最終週プレーオフ進出を争うサンディエゴ・チャージャーズが残り8秒にイリーガル・フォーメーション

イマーキュレート・レセプション(Immaculate Reception)[編集]

1972年12月23日のAFCプレーオフ、対レイダーズ戦。スティーラーズは残り22秒時点で6対7でリードを許している状況。自陣40ヤードからの攻撃、残り10ヤード、既に4thダウンという瀬戸際に追い込まれていた。

ボールを受けたQBのテリー・ブラッドショーは、自陣29ヤード地点から、敵陣35ヤード地点にいたHBのジョン・フッカにパス。しかしフッカはレイダーズのセーフティであるジャック・テイタムと接触してパスを取りそこね、ボールはテイタムの体に触れてスティーラーズ陣側に跳ね返った。そのボールを、フランコ・ハリスが地面まであとわずかの地点でキャッチ、相手陣に向けて疾走する。パス不成功が成立したと思って一瞬動きを止めていたレイダーズ選手は追いつくことができず、ハリスはそのままタッチダウンを奪った。

試合はその後、スティーラーズがTFPも決め終了。13対7により、スティーラーズがAFC優勝戦へ駒を進めた。

このプレイはのちに、無原罪の御宿り(Immaculate Conception=清浄なる受胎)に引っ掛け、「イマーキュレート・レセプション」(Immaculate Reception=清浄なるパスキャッチ)と呼ばれるようになった。絶体絶命の場面からの大逆転を実現したこのプレイは、チーム史上のみならず、NFLの歴史においても屈指の奇跡的プレイとして現在でも語り継がれている。

応援[編集]

応援は熱狂的で、テリブルタオル(Terrible Towel)という黄色のタオルを振り回すことで有名。このテリブルタオルは、地元ラジオ局のスティーラーズ専門アナウンサー、Myron Cope(2005年に引退)の発案で作られた。1975年のプレイオフにおける対ボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)戦で初めて行われ、以降スティーラーズの象徴的な応援となっている。

テリブルタオルを振って応援するスティーラーズファン

ライバル[編集]

同地区のライバル、クリーブランド・ブラウンズ、ボルチモア・レイブンズ、シンシナティ・ベンガルズに加えてこれまでポストシーズンの対戦を繰り返しているニューイングランド・ペイトリオッツ、オークランド・レイダーズ、テネシー・タイタンズ、ダラス・カウボーイズなどが挙げられる。また現在のスケジュールでは4シーズンに1回しか対戦しないがフィラデルフィア・イーグルスとはプレシーズンゲームで毎年のように対戦している。

クリーブランド・ブラウンズ[編集]

1950年からの対戦成績は最初の40試合の勝敗では9勝31敗であったが2008年終了時点での対戦成績は57勝55敗とスティーラーズがリードしている。1999年にブラウンズが再結成された後の対戦成績では17勝3敗と圧倒しており現在10連勝中である。また1970年から1985年までの16年間はスティーラーズの全勝でスリー・リバース・スタジアムでの対戦はスティーラーズの24勝5敗となっている。ビル・カウアーはスティーラーズのヘッドコーチに就任する前、ブラウンズでスペシャルチームコーチ、ディフェンスバックコーチを務めている。

ボルチモア・レイブンズ[編集]

1996年からの対戦成績は16勝10敗でスティーラーズがリードしている。両チームとも強力なディフェンスで知られている。2001年、ハインツ・フィールドを本拠地にしてから初のホームでの敗戦がレイブンズ相手の試合であった。このシーズンプレーオフで対戦し、前年のスーパーボウルチャンピオンのレイブンズを27-10で破った。2008年のAFCチャンピオンシップゲームでも対戦しスティーラーズが勝利している。

シンシナティ・ベンガルズ[編集]

NFLとAFLが統合された1970年からの対戦成績は47勝30敗でスティーラーズがリードしている。2005年のワイルドカードプレーオフではAFC第6シードのスティーラーズが31-17でベンガルズを破り、ベンガルズQBのカーソン・パーマーはKimo von Oelhoffenのヒットを受けて膝を負傷し退場した。ベンガルズの選手たちは汚いプレーだと非難したがNFLのルールでは正当なルールであり事故と判断されている。2005年、2006年はお互い11勝5敗、8勝8敗で終わり対戦成績も1勝1敗であったがディビジョン内の対戦成績でベンガルズが上位となった。

ニューイングランド・ペイトリオッツ[編集]

1996年、1997年のプレーオフで両者は対戦している。ペイトリオッツにはタイ・ローカーティス・マーティンとピッツバーグ近郊出身の2人の選手が在籍していた。2001年のハインツ・フィールドで行われたAFCチャンピオンシップゲームで番狂わせで敗れた。2004年の第6週で対戦しペイトリオッツの連勝を21で止めたがAFCチャンピオンシップゲームでチームは敗れた。1998年から2007年までの10年間で7回対戦したがその内6回チームは敗れた。2008年フォックスボロ・スタジアムで行われた試合で相手QBのマット・キャセルから5回のターンオーバーを奪って33-10で勝った。通算成績はスティーラーズが14勝10敗とリードしている。

オークランド・レイダーズ[編集]

1970年代からのライバル関係にある。プレーオフでの初対戦となった1972年12月23日の試合ではフランコ・ハリスイマーキュレート・レセプションで13-7と勝利した。翌1973年のプレーオフでは敗れたが1974年、1975年のAFCチャンピオンシップゲームではいずれもレイダーズを降した。1976年のチャンピオンシップゲームでも両者は対戦したがこの試合でリン・スワンジョージ・アトキンソンの激しい当たりで負傷退場し試合はレイダーズの勝利に終わった。チャック・ノルヘッドコーチがこれを厳しく批判したことに対してレイダーズとアトキンソンはノルに対して名誉毀損訴訟を行ったが敗れている。近年はレイダーズが低迷しているためプレーオフでの対戦はない。通算成績は11勝12敗でレイダーズにリードされている。

ダラス・カウボーイズ[編集]

1960年にカウボーイズが創設された際、コットン・ボウルで最初に対戦したのがスティーラーズであった。この試合は35-28でスティーラーズが勝利した。両チームはスーパーボウルで3回対戦しており、最初の2回の対戦(第10回スーパーボウル、第13回スーパーボウル)ではスティーラーズが勝利した。第13回スーパーボウルに出場した選手、コーチの合計20人がプロフットボール殿堂入りを果たしておりこれはこれまでのスーパーボウル最多の人数となっている。1977年にカウボーイズは第12回スーパーボウルを制覇したが11月にスリー・リバース・スタジアムでの対戦ではスティーラーズが28-13で勝利した。ロジャー・ストーバック現役最後のシーズンとなった1979年にも両チームはスリー・リバース・スタジアムで対戦し14-3でスティーラーズが勝利した。1970年代、1980年代合計8回の対戦中6回はスティーラーズが勝利したが1990年代には第30回スーパーボウル[18]での27-17の勝利を含めて4試合ともカウボーイズが勝利した。通算成績は15勝15敗のタイ。

殿堂入り[編集]

(括弧内は殿堂入り年度)

永久欠番[編集]

スーパーボウルMVP[編集]

75周年オールタイムチーム[編集]

2007年にファン投票で75周年を記念したオールタイムチームが決められた[19]

オフェンス
QB - †テリー・ブラッドショー (1970–1983)
RB - ジェローム・ベティス (1996–2005)
RB - ロッキー・ブライアー (1968, 1970–1980)
RB - †フランコ・ハリス (1972–1983)
TE - ベニー・カニンガム (1976–1985)
TE - エルビー・ニッケル (1947–1957)
WR - †ジョン・ストールワース (1974–1987)
WR - †リン・スワン (1974–1982)
WR - ハインズ・ウォード (1998–2011)
OT - ラリー・ブラウン (1971–1984)
OC - ダーモンティ・ドーソン (1988–2000)
OG - アラン・ファニカ (1998–2007)
OT - トーンチ・イルキン (1980–1992)
OT - ジョン・コルブ (1969–1981)
OC - †マイク・ウェブスター (1974–1988)

ディフェンス
DT - †ミーン・ジョー・グリーン (1969–1981)
DE - L・C・グリーンウッド (1969–1981)
DT - ケイシー・ハンプトン (2001–2012)
DT - †アーニー・スタウトナー (1950–1963)
DE - ドワイト・ホワイト (1971–1980)
LB - †ジャック・ハム (1971–1982)
LB - †ジャック・ランバート (1974–1984)
LB - グレッグ・ロイド (1988–1997)
LB - ジョーイ・ポーター (1999–2006)
LB - アンディ・ラッセル (1963, 1966–1976)
DB - †メル・ブラント (1970–1983)
DB - ジャック・バトラー (1951–1959)
DB - カーネル・レイク (1989–1998)
DB - トロイ・ポラマル (2003–在籍中)
DB - ドニー・シェル (1974–1987)
DB - †ロッド・ウッドソン (1987–1996)
スペシャリスト
K - ゲイリー・アンダーソン (1982-1994)
P - ボビー・ワルデン (1968-1977)

プロフットボール殿堂入り選手

イタリック - キャリアをスティーラーズで終えた選手

歴代ヘッドコーチ[編集]

ビル・カウアー
マイク・トムリン

成績[編集]

AFC北地区(2002年-現在)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2014 PIT(3w) 11 5 0 CIN(5w) 10 5 1 BAL(6d) 10 6 0 CLE 7 9 0
2013 CIN(3w) 11 5 0 PIT 8 8 0 BAL 8 8 0 CLE 4 12 0
2012 BAL(4v) 10 6 0 CIN(6w) 10 6 0 PIT 8 8 0 CLE 5 11 0
2011 BAL(2c) 12 4 0 PIT(5w) 12 4 0 CIN(6w) 9 7 0 CLE 4 12 0
2010 PIT(2s) 12 4 0 BAL(5d) 12 4 0 CLE 5 11 0 CIN 4 12 0
2009 CIN(4w) 10 6 0 BAL(6d) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 5 11 0
2008 PIT(2v) 12 4 0 BAL(6c) 11 5 0 CIN 4 11 1 CLE 4 12 0
2007 PIT(4w) 10 6 0 CLE 10 6 0 CIN 7 9 0 BAL 5 11 0
2006 BAL(2d) 13 3 0 CIN 8 8 0 PIT 8 8 0 CLE 4 12 0
2005 CIN(3w) 11 5 0 PIT(6v) 11 5 0 BAL 6 10 0 CLE 6 10 0
2004 PIT(1c) 15 1 0 BAL 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 4 12 0
2003 BAL(4w) 10 6 0 CIN 8 8 0 PIT 6 10 0 CLE 5 11 0
2002 PIT(3d) 10 5 1 CLE(6w) 9 7 0 BAL 7 9 0 CIN 2 14 0

AFC中地区(1970年-2001年)[編集]

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 BAL 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0
1994 PIT(1c) 12 4 0 CLE(4d) 11 5 0 CIN 3 13 0 HOU 2 14 0
1993 HOU(2d) 12 4 0 PIT(6w) 9 7 0 CLE 7 9 0 CIN 3 13 0
1992 PIT(1d) 11 5 0 HOU(5w) 10 6 0 CLE 7 9 0 CIN 5 11 0
1991 HOU(3d) 11 5 0 PIT 7 9 0 CLE 6 10 0 CIN 3 13 0
1990 CIN(3d) 9 7 0 HOU(6w) 9 7 0 PIT 9 7 0 CLE 3 13 0
1989 CLE(2c) 9 6 1 HOU(4w) 9 7 0 PIT(5d) 9 7 0 CIN 8 8 0
1988 CIN(1s) 12 4 0 CLE(4w) 10 6 0 HOU(5d) 10 6 0 PIT 5 11 0
1987 CLE(2c) 10 5 0 HOU(4d) 9 6 0 PIT 8 7 0 CIN 4 11 0
1986 CLE(1c) 12 4 0 CIN 10 6 0 PIT 6 10 0 HOU 5 11 0
1985 CLE(3d) 8 8 0 CIN 7 9 0 PIT 7 9 0 HOU 5 11 0
1984 PIT(3c) 9 7 0 CIN 8 8 0 CLE 5 11 0 HOU 3 13 0
1983 PIT(3d) 10 6 0 CLE 9 7 0 CIN 7 9 0 HOU 2 14 0
1982 CIN(3w) 7 2 0 PIT(4w) 6 3 0 CLE(8w) 4 5 0 HOU 1 8 0
1981 CIN(1s) 12 4 0 PIT 8 8 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0
1980 CLE(2d) 11 5 0 HOU(5w) 11 5 0 PIT 9 7 0 CIN 6 10 0
1979 PIT(2v) 12 4 0 HOU(4c) 11 5 0 CLE 9 7 0 CIN 4 12 0
1978 PIT(1v) 14 2 0 HOU(5c) 10 6 0 CLE 8 8 0 CIN 4 12 0
1977 PIT(3d) 9 5 0 CIN 8 6 0 HOU 8 6 0 CLE 6 8 0
1976 PIT(3c) 10 4 0 CIN 10 4 0 CLE 9 5 0 HOU 5 9 0
1975 PIT(1v) 12 2 0 CIN(4d) 11 3 0 HOU 10 4 0 CLE 3 11 0
1974 PIT(v) 10 3 1 HOU 7 7 0 CIN 7 7 0 CLE 4 10 0
1973 CIN(d) 10 4 0 PIT(d) 10 4 0 CLE 7 5 2 HOU 1 13 0
1972 PIT(c) 11 3 0 CLE(d) 10 4 0 CIN 8 6 0 HOU 1 13 0
1971 CLE(d) 9 5 0 PIT 6 8 0 HOU 4 9 1 CIN 4 10 0
1970 CIN(d) 8 6 0 CLE 7 7 0 PIT 5 9 0 HOU 3 10 1

NFL東カンファレンス・世紀地区(1967年-1969年)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 CLE(n) 10 3 1 NY 6 8 0 StL 4 9 1 PIT 1 13 0
1968 CLE(n) 10 4 0 StL 9 4 1 NO 4 9 1 PIT 2 11 1
1967 CLE(c) 9 5 0 NY 7 7 0 StL 6 7 1 PIT 4 9 1

NFL東カンファレンス(1953年-1966年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1
1960 PHI(v) 10 2 0 CLE 8 3 1 NY 6 4 2 StL 6 5 1 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2
1959 NY(n) 10 2 0 CLE 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2 CHC 2 10 0
1958 NY(n) 9 3 0 CLE 9 3 0 PIT 7 4 1 WAS 4 7 1 CHC 2 9 1 PHI 2 9 1
1957 CLE(n) 9 2 1 NY 7 5 0 PIT 6 6 0 WAS 5 6 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1956 NY(v) 8 3 1 CHC 7 5 0 WAS 6 6 0 CLE 5 7 0 PIT 5 7 0 PHI 3 8 1
1955 CLE(v) 9 2 1 WAS 8 4 0 NY 6 5 1 CHC 4 7 1 PHI 4 7 1 PIT 4 8 0
1954 CLE(v) 9 3 0 PHI 7 4 1 NY 7 5 0 PIT 5 7 0 WAS 3 9 0 CHC 2 10 0
1953 CLE(n) 11 1 0 PHI 7 4 1 WAS 6 5 1 PIT 6 6 0 NY 3 9 0 CHC 1 10 1

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 CLE(n) 8 4 0 NY 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 7 0 CHC 4 8 0 WAS 4 8 0
1951 CLE(n) 11 1 0 NYG 9 2 1 WAS 5 7 0 PIT 4 7 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1950 CLE(v) 10 2 x NYG 10 2 x PHI 6 6 x PIT 6 6 x CHC 5 7 x WAS 3 9 x

NFL東地区(1945年-1949年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1949 PHI(v) 11 1 0 PIT 6 5 1 NYG 6 6 0 WAS 4 7 1 NYB 1 10 1
1948 PHI(v) 9 2 1 WAS 7 5 0 NY 4 8 0 PIT 4 8 0 BOS 3 9 0
1947 PHI(n) 8 4 0 PIT 8 4 0 BOS 4 7 1 WAS 4 8 0 NY 2 8 2
1946 NY(n) 7 3 1 PHI 6 5 0 WAS 5 5 1 PIT 5 5 1 BOS 2 8 1
1945 WAS(n) 8 2 0 PHI 7 3 0 NY 3 6 1 BOS 3 6 1 PIT 2 8 0

NFL西地区(合同チーム、1944年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0

NFL東地区(合同チーム、1943年)[編集]

優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1943 WAS(n) 6 3 1 NY 6 3 1 Phil-Pitt 5 4 1 BK 2 8 0

NFL東地区(1933年-1942年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1942 WAS(v) 10 1 0 PIT 7 4 0 NY 5 5 1 BK 3 8 0 PHI 2 9 0
1941 NY(n) 8 3 0 BK 7 4 0 WAS 6 5 0 PHI 2 8 1 PIT 1 9 1
1940 WAS(n) 9 2 0 NY 8 3 0 BK 6 4 1 PIT 2 7 2 PHI 1 10 0
1939 NY(n) 9 1 1 WAS 8 2 1 BK 4 6 1 PHI 1 9 1 PIT 1 9 1
1938 NY(v) 8 2 1 WAS 6 3 2 BK 4 4 3 PHI 5 6 0 PIT 2 9 0
1937 WAS(v) 8 3 0 NY 6 3 2 PIT 4 7 0 BK 3 7 1 PHI 2 8 1
1936 BOS(n) 7 5 0 PIT 6 6 0 NY 5 6 1 BK 3 8 1 PHI 1 11 0
1935 NY(n) 9 3 0 BK 5 6 1 PIT 4 8 0 BOS 2 8 1 PHI 2 9 0
1934 NY(v) 8 5 0 BOS 6 6 0 BK 4 7 0 PHI 4 7 0 PIT 2 10 0
1933 NY(n) 11 3 0 BK 5 4 1 BOS 5 5 2 PHI 3 5 1 PIT 3 6 2

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ヘルメットの右側にのみロゴが入っている
  2. ^ 印象に残る守備陣のニックネームTOP6”. NFL JAPAN (2012年5月17日). 2012年5月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Steelers History
  4. ^ An Old Raider’s Old-School Values”. ニューヨーク・タイムズ (2009年12月7日). 2010年5月7日閲覧。
  5. ^ A Walk On The Sordid Side”. スポーツ・イラストレイテッド (1977年8月1日). 2010年5月7日閲覧。
  6. ^ Steelers Utilize Nine Turnovers In 34-5 Victory”. Sarasota Herald-Tribune (1979年1月8日). 2010年12月25日閲覧。
  7. ^ Official site of the Pittsburgh Steelers
  8. ^ アリゾナ・カージナルスのヘッドコーチに就任し第43回スーパーボウルでスティーラーズと対戦した。
  9. ^ 暴行騒動の“ビックベン”、6試合の出場停止処分に”. NFL JAPAN (2010年4月22日). 2012年1月18日閲覧。
  10. ^ 3連勝スティーラーズ、第4週もバッチが先発QB継続”. NFL JAPAN (2010年9月29日). 2012年1月18日閲覧。
  11. ^ パッカーズ、14年ぶりスーパーボウル制覇!”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2012年1月18日閲覧。
  12. ^ スティーラーズ鉄壁守備で勝利も、エースRB負傷退場”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ スティーラーズに痛手、RBメンデンホールがプレイオフ欠場”. NFL JAPAN (2012年1月3日). 2012年1月18日閲覧。
  14. ^ スティーラーズHC、Sクラークのブロンコス戦欠場を決断”. NFL JAPAN (2012年1月4日). 2012年1月18日閲覧。
  15. ^ ティーボウ大活躍、ブロンコスがOTの死闘を制す”. NFL JAPAN (2012年1月9日). 2012年1月18日閲覧。
  16. ^ スティーラーズ、オフェンスコーディネーターが引退”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。
  17. ^ リターン妨害によりスティーラーズHCに罰金処分 来季ドラフト指名権に影響も”. NFL JAPAN (2013年12月5日). 2014年4月5日閲覧。
  18. ^ スティーラーズのQBニール・オドネルのパスを2回インターセプトしたラリー・ブラウンがMVPを獲得した。
  19. ^ Official site of the Pittsburgh Steelers - Article
  20. ^ Steelers hire league's first full-time female athletic trainer スポーツイラストレイテッド 2008年7月25日
  21. ^ http://www.nfljapan.com/headlines/23065.html スティーラーズの選手たちが「バットマン」に出演]

外部リンク[編集]