グリーンベイ・パッカーズ
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| カンファレンス | NFC |
| 地区 | NFC北地区 |
| 創設 | 1919年 |
| スタジアム | ランボー・フィールド W:Lambeau Field |
| 本拠地 | ウィスコンシン州グリーンベイ |
| チームカラー | ダークグリーン、金、白 |
| チームロゴ | ダークグリーンの楕円の中に白で大文字のG、黄色の縁取り |
| ヘッドコーチ | マイク・マッカーシー (2006-) |
| リーグ・チャンピオンシップ (12) NFLチャンピオン: 1929、1930、1931、1936、1939、1944、1961、1962、1965 NFLチャンピオン、スーパーボウル: 1966 (I)、1967(II) スーパーボウル: 1996 (XXXI) |
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| カンファレンス・チャンピオンシップ (8) NFL西: 1960、1961、1962、1965、1966、1967 NFC: 1996、1997 |
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| ディビジョナル・チャンピオンシップ (12) NFL西地区: 1936、1938、1939、1944 NFL中部地区: 1967 NFC中部地区: 1972、1995、1996、1997 NFC北地区: 2002、2003、2004 |
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| ワイルドカード ({{{ワイルドカード回数}}}) {{{ワイルドカード年度}}} |
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グリーンベイ・パッカーズ (Green Bay Packers) は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイに本拠を置く National Football League (NFL) 所属のフットボールチームである。1921年、創立2年目のNFLに加盟した。パッカーズは、現在の同国で唯一、一般市民が100%保有しているプロスポーツチームである。
パッカーズは、NFLチャンピオンシップ獲得回数の最も多いチームである。12回のうち9回はスーパーボウル開始前、2回はスーパーボウルへの過渡期 (AFLチャンピオンとの対戦)、1回は1996年のシーズンに獲得したものである。
- 過去のチーム名: アクメ・パッカーズ
- 過去のスタジアム:
- ヘイジマイスター・パーク (1919-1922)
- ベルビュー・パーク (1923-1924)
- グリーンベイ市民球場 (1925-1956)
- ウィスコンシン州ミルウォーキーとグリーンベイの両方でホームゲームを開催 (1933-1994)
- ボルヒェルト・フィールド (1933-1935)
- ステート・フェア・パーク (1936-1937)
- マーケット・スタジアム (1938-1952)
- ミルウォーキー・カウンティー・スタジアム (1953-1994)
- ヘルメットのデザイン: 黄色の地に、緑の楕円に囲まれた白の "G"
目次 |
[編集] フランチャイズ史
グリーンベイ・パッカーズは、1919年8月11日に創設された。創設者のカーリー・ランボー(選手兼ヘッドコーチ)は、彼の勤めるインディアン・パッキング・カンパニーに、ユニフォーム購入の資金提供を求めた。同社がこのチームを支援していたのは最初のシーズンのみだったが、グリーンベイのフットボールクラブの名称は、今も変わらず「パッカーズ」である。ノートルダム大学出身のランボーは、母校の校歌にちなんで、青と金 (黄) をチームカラーとした。この色は後に、現在の、緑と金 (黄) に変更される。この配色から、「ザ・グリーン・アンド・ゴールド」というチームの愛称が生まれた。
1921年、パッカーズは前年に設立されたプロフェッショナルリーグ(のちのNFL)に加盟したが、同じ年、缶詰会社のスポンサーが手を引いたため財政難によりフランチャイズを失う。ランボーは自ら資金を調達し、再びフランチャイズを得た。1922年から1923年にかけて、ランボーや地元新聞社主アンドリュー・ターンブルをはじめとする5人(通称"ハングリー・ファイブ")が奔走し、グリーンベイ・フットボール・コーポレーションを設立した。こうして、現在も続くパッカーズの基礎が形作られた。
パッカーズは、現在のアメリカのプロスポーツチーム中唯一の、取締役会を持つ公有企業である。プロスポーツチームは、1 個人か、パートナーシップ、または企業体が「チームオーナー」として所有しているのが普通である。また通常、NFLのチームを維持できるのは、人口が数百万を超える都市に限られる。しかし、パッカーズには長年にわたってウィスコンシン州全体に熱心な支持者がいる。パッカーズが住民数10万余のグリーンベイを離れたことがないのは、このためだと考えられている。実際、数十年の間、ミルウォーキーでもホームゲームを開催していた。パッカーズが全ホームゲームをグリーンベイで戦うようになったのは、1995年のことである。
1923年の 'グリーンベイ・フットボール・コーポレーション定款' で、パッカーズのフランチャイズが売却されることになった場合は、米国在郷軍人会のサリバン・ウォーレン・ポストに、"正規兵士記念碑" 建設のため、すべての債務を清算したあとの残金を寄贈するものと定められた。この規定が設けられたのは、このクラブがグリーンベイで存続し続けることと、このクラブは株主の金銭的利益のためにあるものではないことを顕示するためであった。1997年11月の年次会議の株主投票で、受取人がサリバン・ウォーレン・ポストからグリーンベイ・パッカーズ・ファウンデーションへと変更された。1950年、パッカーズは、チーム運営資金調達のために再び株式を発行した。1956年には、新しいスタジアム (のちのランボー・フィールド) の建設が承認された。
1997年末と1998年の始めごろにも、株式発行が行われた。このときの増資額は2400万ドルを超え、105,989人が新たに株主となった。この資金は、ランボー・フィールドの再整備プロジェクトに投入された。1998年3月16日までの17週間で、1株あたり200ドルで120,010株が発行された。2005年6月8日からは、111,921人の株主 (合計4,749,925株を保有) に、フランチャイズ所有者としての権利が与えられている。株式は議決権付きであるが、償還価格は最低限であり、配当はなく、株価が上がることもなく、株式を保有していてもシーズンチケットの権利は得られない。特定の個人がクラブを掌握することのないよう、1人が保有できる株式は20万株までに限られている。会社運営のため、株主の投票で取締役会が選出される。この取締役会により、経営委員会 (役員) が選出される。この委員会は、社長、副社長、会計、秘書の各1名ずつと、株主代表の3名の計7名で構成される。このうち報酬が支払われるのは社長のみで、その他の役職は無給である。
パッカーズのリーグチャンピオンシップ獲得回数 (12回。うち3回がスーパーボウル) は、NFLチーム中最多である。リーグ3連覇を成し遂げた唯一のチームでもあり、1929年から1931年と、1965年から1967年の2度にわたってこの記録を打ち立てた。
1960年代のグリーンベイ・パッカーズは、NFL史に残る圧倒的な強さを誇った。ヴィンス・ロンバルディーは、前年最下位だったパッカーズのヘッドコーチに就任するやチームを立て直し、7年間で5回のリーグ制覇に導いた。同チームは第1回と第2回のスーパーボウルを制した。1970年にロンバルディーが死去すると、スーパーボウル優勝トロフィーは彼の功績を称えて「ヴィンス・ロンバルディー・トロフィー」と名づけられ、今に至っている。
パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールドでの試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(65,000人以上)。現在、シーズンチケット入手までの待ち時間は、およそ35年である。このため、ファンがシーズンチケットの相続人を遺言で指名することも珍しくない。
また、マンデー・ナイト・フットボールのTV放映で最も全米の人気が高いのも、パッカーズの試合である。
パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味) である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。
[編集] 戦歴
- 2007-2008
エースRBグリーンが移籍。TEやSなど、要補強とされていたポジションにアップグレードと呼べるような補強が見られなかったことにも批判が集中した。特にWRランディ・モスの獲得に失敗したことをQBブレット・ファーヴが批判するなど、不安だらけの開幕を迎える。
だが、いざ開幕してみるとSはアタリ・ビグビーが5INTを挙げる活躍、TEドナリド・リーはパスターゲットとして存在感を発揮し、周囲の心配は杞憂に終わったことを証明してみせた。特にWRはケガから復帰したジェニングス、ルーキーのジョーンズ、出場停止明けのロビンソン、5番手としてマーティンが十分な活躍を見せた。エースWRドナルド・ドライバーの獲得ydsは減少したが、これはWR陣全体がパスターゲットとして機能し、ドライバーだけにマークを絞らせなかった結果である。13勝3敗でNFC第2シードを獲得。カンファレンスチャンピオンシップ敗退。
チーム躍進の立役者としてトンプソンGMが最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。だが、今季を最後にブレット・ファーヴが引退を表明。
[編集] 歴代ヘッドコーチ
| 1921-1949 | カーリー・ランボー | (212-106-21) |
| 1950-1953 | ジーン・ロンザーニ | (14-31-1) |
| 1953 | ヒュー・デボーとレイ 'スクーター' マクリーン | (0-2-0) |
| 1954-1957 | ライル・ブラックボーン | (17-31-0) |
| 1958 | レイ 'スクーター' マクリーン | (1-10-1) |
| 1959-1967 | ヴィンス・ロンバルディー | (98-30-4) |
| 1968-1970 | フィル・ベングストン | (20-21-1) |
| 1971-1974 | ダン・ディバイン | (25-28-4) |
| 1975-1983 | バート・スター | (53-77-3) |
| 1984-1987 | フォレスト・グレッグ | (25-37-1) |
| 1988-1991 | リンディー・インファンテ | (24-40-0) |
| 1992-1998 | マイク・ホルムグレン | (84-42-0) |
| 1999 | レイ・ローズ | (8-8-0) |
| 2000-2005 | マイク・シャーマン | (59-43-0) |
| 2006- | マイク・マッカーシー | (22-12-0)2007-2008シーズン終了時点 |
[編集] 注目選手
[編集] 殿堂入り
- ハーブ・アデリー
- トニー・キャナデオ
- ウィリー・デイビス
- レン・フォード
- フォレスト・グレッグ
- テッド・ヘンドリックス
- アーニー・ハーバー
- クラーク・ヒンケル
- ポール・ホーナング
- カル・ハバード
- ドン・ハトソン
- ヘンリー・ジョーダン
- ウォルト・キースリング
- カーリー・ランボー
- ジェームズ・ロフトン
- ヴィンス・ロンバルディー
- ジョン (ブラッド) マクナリー
- マイク・ミカルスキ
- レイ・ニチキ
- ジム・リンゴ
- バート・スター
- ヤン・ステナルード
- ジム・テイラー
- エムレン・タネル
- レジー・ホワイト
- ウィリー・ウッド
[編集] 永久欠番
- 3 トニー・キャナデオ
- 14 ドン・ハトソン
- 15 バート・スター
- 66 レイ・ニチキ
- 92 レジー・ホワイト (レジー・ホワイトの背番号は実質1999年以降使用されていなかったが、2004年12月26日の不慮の死を追悼し、2005年9月18日の試合のハーフタイムセレモニーで、永久欠番と定められた) [1]
- 4 ブレット・ファーブ
[編集] 重要人物
- ブレット・ファーヴ
- エドガー・ベネット
- ロバート・ブルックス
- リロイ・バトラー
- チャック・セシル
- マーク・チュムラ
- リン・ディッキー
- アントニオ・フリーマン
- ティム・ハリス
- セシル・イズベル
- シーン・ジョーンズ
- ジェリー・クラマー (『Instant Replay』の著者)
- マーク・リー
- ドーシー・レベンズ
- ドン・マコウスキー
- スティーブ・マクマイケル
- ブライス・パウプ
- ユージン・ロビンソン
- スターリング・シャープ
- ダレン・シャーパー
- ジョン・ブロッキントン
- クリス・ジャケ
- ヴィンス・ワークマン
- トニー・ベネット
[編集] 外部リンク
- Green Bay Packers (英語)
- Packer Zone 日本のファンサイト。

