デトロイト・ライオンズ
| デトロイト・ライオンズ |
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| 1930年創設 | |
| 永久欠番 | 7, 20, 22, 37, 56, 85 |
| 所属地区 | |
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| ホームタウン | |
デトロイト(ミシガン州) |
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| チームデザイン | |
ホノルルブルー |
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| 獲得タイトル | |
NFLチャンピオン:1935、1952、1953、1957 |
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NFLナショナル:1952 |
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NFL西地区:1935 |
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1952、1953、1954、1957、1970、1982、1994、1995、1997、1999、2011 |
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| 球団組織 | |
| オーナー: ウィリー・クレイ・フォード | |
| GM: マーティン・メイヒュー | |
| ヘッドコーチ: ジム・シュワルツ | |
デトロイト・ライオンズ(Detroit Lions )は、アメリカ合衆国のミシガン州デトロイトに本拠地を置くNFLチームである。NFC北地区に所属している。1934年から第二次世界大戦による中断をはさみサンクスギビングデーに長年ゲームを行っている。
目次 |
歴史 [編集]
1929年、オハイオ州ポーツマスを本拠地にポーツマス・スパルタンズとして創設。1年間の独立チームとしての経験を経て1930年にNFL入りを果たした。1932年にはディフェンディングチャンピオンのグリーンベイ・パッカーズに19-0で勝利した。このゲームを通してライオンズは11人の選手しか起用しなかった。シーズンを6勝1敗4分で終えたチームは6勝1敗6分のシカゴ・ベアーズとその年のプレーオフで対戦することとなった。試合が行われたシカゴはブリザードが吹き荒れて試合会場はリグレー・フィールドから屋内競技場であり両エンドゾーン間が80ヤードしかないシカゴ・スタジアムに変更された。この試合は0-9でスパルタンズが敗れた。1934年、スパルタンズはデトロイトのラジオ局のオーナーであるジョージ・リチャーズに売却され本拠地もデトロイトに移転した。リチャーズは新チーム名をデトロイト・ライオンズと名づけた。リチャーズはサンクスギビングデーに試合を行うことを決定しこれは第二次世界大戦中の数シーズンを除き現在もライオンズで引き継がれている。1935年にはQBのダッチ・クラークのもと、チームは初のNFLチャンピオンとなった。
1950年代にはQBボビー・レーンを擁してチームは黄金期を迎えた。チームは1952年、1953年、1957年と3度ともクリーブランド・ブラウンズを破りNFLチャンピオンとなった。またブラウンズに敗れたが1954年にもNFLチャンピオンシップゲームへの出場を果たした。
1957年のプレーオフ、サンフランシスコ・フォーティナイナーズとの試合では第3Qに7-27とリードされたところからQBのトビン・ロートはチームを引っ張り24点をあげて31-27と大逆転を果たした[2]。ライオンズはその後NFLチャンピオンシップゲームでクリーブランド・ブラウンズに59-14と圧勝した。この試合後、1991年シーズンのダラス・カウボーイズとのプレーオフまでライオンズはポストシーズンの勝利から見放されることとなった。
1958年チームは前年のチャンピオンシップゲームで負傷していたボビー・レーンをピッツバーグ・スティーラーズにトレードした。レーンはこれでライオンズがこの先50年優勝することはないだろうと言い残してチームを去った。これはボビー・レーンの呪いと言われている。
チームはその後長期低迷し1960年にプレーオフ出場0回、1970年代もプレーオフ出場はわずか1回であった。
1963年に現オーナーのウィリー・クレイ・フォードによってチームは買収された。彼のチーム買収以降の45シーズンでプレーオフではわずか1勝しかあげることができていない。
1970年、デュエットパートナーのタミ・テレルを亡くしたソウルシンガーのマーヴィン・ゲイがライオンズ入りを目指してトライアウトに参加した。彼はすぐにカットされたがメル・ファー、レン・バーニーら多くの選手と友人となったゲイはバックコーラスに選手たちを起用してWhat's Going Onを1971年リリースした。
1970年のプレーオフ、ダラス・カウボーイズ戦はディフェンス勝負の末、0-5で敗れた。1971年から1978年までは地区2位か3位の平凡な成績が続き、1979年には2勝14敗に終わった。この間、1974年11月18日のサンクスギビングデーの試合を最後にチームはタイガー・スタジアムを離れてポンティアック・シルバードームに移った。
リーグ最低成績に終わったため獲得したドラフト全体1位指名権でQBのビリー・シムズを獲得、1982年、1983年には連続してプレーオフ出場を果たした。しかし1984年にシムズがひざを負傷して引退を余儀なくされるとチーム成績は下降し負け越しシーズンが続いた。1989年にバリー・サンダースが入団しシーズンリーディングラッシャーにあと10ヤードの活躍を見せた。1991年シーズン中、オフェンスラインのマイク・アトリーが試合中負傷し半身不随となったがこれによりチームの団結力が高まり、1983年以来のNFC中地区優勝を果たした。プレーオフでダラス・カウボーイズに快勝したがNFCチャンピオンシップゲームでシーズン開幕戦敵地で0-45と完封負けを喫した相手、ワシントン・レッドスキンズに10-41で敗れ、初のスーパーボウル出場を逃している。1990年代にはRBバリー・サンダースの活躍で6度のプレーオフ進出を果たした。
しかし、2001年に元NFL選手マット・ミレン(Matt Millen)がCEO(事実上のGM)に就任してから成績は下降し始めた。2001年から2003年にかけてロードゲーム24連敗を記録。ドラフト上位指名権を得るものの2002年全体3番目に指名したQBジョーイ・ハリントンなど[3]、失敗を繰り返し、ファンから「Fire Millen」をスローガンに解任運動が起こるほどだった。2008年シーズン、開幕から3連敗を喫し、ミレンは解任された。在任中の通算成績は31勝84敗だった。
2008年はその後も連敗を続け、史上初のシーズン16戦全敗を記録した。シーズン14試合制だった1976年に新規参入チームのタンパベイ・バッカニアーズが全敗を記録しているが、16試合制になってからの全敗はライオンズが初めてだった。シーズン終了後、ロッド・マリネリは解任されテネシー・タイタンズのディフェンスコーディネーター、ジム・シュワルツが新ヘッドコーチ、スコット・リネハンがオフェンスコーディネーター、ガンサー・カニンガムがディフェンスコーディネーターとなった。
2009年のドラフト全体1位指名権を得たチームはQBのマシュー・スタッフォードを指名6年7800万ドル(当時NFL史上最高の4170万ドルの保障つき)の契約を結んだ。当初はベテランQBダンテ・カルペッパーの控えとして経験を積ませるのではという見方が有力であったが開幕直前にスタッフォードがエースQBに指名された[4]。開幕からニューオーリンズ・セインツ、ミネソタ・バイキングスに連敗したが、9月27日、ワシントン・レッドスキンズを19-14で破りチームの連敗を19で止めた。その後シーズン未勝利のセントルイス・ラムズに敗れるなど、連敗を続け、第11週のクリーブランド・ブラウンズ戦で試合終了と同時に逆転TDが決まり38-37で2勝目をあげた[5]のみで2勝14敗でシーズンを終えた。
2010年には全体ドラフト2位でエンダムカン・スーを獲得した[6]。開幕戦のシカゴ・ベアーズ戦でカルビン・ジョンソンがタッチダウンしたかに見えたプレーが判定によりボールを確保していないと判断されパス不成功に終わり、14-19で敗れた[7]。グリーンベイでの試合では1991年以来となる勝利が転がりかけたが終了間際にタッチダウンを奪われて負けた。しかし第14週の地元でのパッカーズ戦では2005年以来となる勝利をあげた。この年スタッフォードは故障がちでドリュー・スタントン、ショーン・ヒルの出場機会が多くなった。チームは6勝10敗でシーズンを終えた。この年スーは最優秀新人守備選手に選ばれた[8]。
2011年、第2週のカンザスシティ・チーフス戦ではチーム記録の48得点(それまでの記録は1995年の45点)をあげるなど、開幕からスタッフォードとジョンソンとのホットラインなどの活躍で、1956年以来となる5連勝を果たした[9]。その後は、RBジャービッド・ベストが脳震盪によりシーズン絶望[10]、スーが相手選手をふみつけて2試合出場停止になるなどし、7試合中5試合で敗れたが[11]、第16週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に勝利し1999年以来となるプレーオフ出場を果たした[12][13]。
歴代成績 [編集]
「:en:Category:Detroit Lions seasons」を参照
歴代ヘッドコーチ [編集]
- ハル・グリフィン(1930年)
- ジョージ "Potsy" クラーク(1931年 - 1936年)
- アール "ダッチ" クラーク(1937年 - 1938年)
- エルマー "ガス" ヘンダーソン(1939年)
- ジョージ "Potsy" クラーク(1940年)
- ビル・エドワーズ(1941年 - 1942年)
- John Karcis(1942年)
- チャールズ "ガス" ドレイス(1943年 - 1947年)
- ボー・マクミリン(1948年 - 1950年)
- バディ・パーカー(1951年 - 1956年)
- ジョージ・ウィルソン(1957年 - 1964年)
- ハリー・ギルマー(1965年 - 1966年)
- ジョー・シュミット(1967年 - 1972年)
- ドン・マクファーティ(1973年)
- リック・フォーザノ(1974年 - 1976年)
- トミー・ハドスペス(1976年 - 1977年)
- モンテ・クラーク(1978年 - 1984年)
- ダリル・ロジャース(1985年 - 1988年)
- ウェイン・フォンテス(1988年 - 1996年)
- ボビー・ロス(1997年 - 2000年)
- ゲイリー・モーラ(2000年)
- マーティ・モーヒンウェグ(2001年 - 2002年)
- スティーブ・マリウーチ(2003年 - 2005年)
- ディック・ジャーロン(2005年)
- ロッド・マリネリ(2006年 - 2008年)
- ジム・シュワルツ (2009年-)
主な所属選手 [編集]
永久欠番 [編集]
- 7 ダッチ・クラーク(RB、1934年 - 1938年)
- 20 バリー・サンダース(RB、1989年 - 1998年)
- 22 ボビー・レーン(QB、1950年 - 1958年)
- 37 ドーク・ウォーカー(RB、1950年 - 1955年)
- 56 ジョー・シュミット(LB、1953年 - 1965年)
- 85 チャック・ヒューズ(WR、1970年 - 1971年)
脚注 [編集]
- ^ 1935年から1937年はネビン・フィールド、1938年から1960年はブリッグス・スタジアムと呼ばれた。
- ^ ビデオ 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN4-16-911614-3
- ^ “QBスタッフォード指名は? 過去の失敗に悩むライオンズ”. NFL JAPAN (2009年3月22日). 2011年8月28日閲覧。
- ^ “全体1位QBスタッフォード、ライオンズの開幕QBに抜てき”. NFL JAPAN (2009年9月8日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ライオンズQBスタッフォード、最優秀新人賞に初選出”. NFL JAPAN (2009年11月28日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ライオンズ、全体2位指名DTスーと5年契約で合意”. NFL JAPAN (2010年8月4日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “2010年シーズン、大きな影響を与えた5試合”. NFL JAPAN (2011年2月23日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ ビッグ・カルーチ (2011年6月25日). “2011年シーズン、サプライズが期待できる5チーム”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。
- ^ “大観衆が5連勝を後押し、ライオンズQBも「しびれた」”. NFL JAPAN (2011年10月11日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “脳振とう回復せず、ライオンズRBベストが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年11月26日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “【第14週プレビュー】背水ライオンズ、取りこぼし厳禁の一戦”. NFL JAPAN (2011年12月8日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ライオンズ快勝、99年以来のプレイオフ進出決定”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “「ベテランのために」若手が奮起、歓喜に沸くライオンズ”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
外部リンク [編集]
- Detroit Lions (英語)
- NFL JAPANプロフィール (日本語)
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