ジョン・エルウェイ

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ジョン・エルウェイ

John Elway  No. 7

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ジョン・エルウェイ
クォーターバック
生年月日:1960年6月28日(54歳)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州ポートエンジェルス
身長:6' 3" =約190.5cm 体重:215 lb =約97.5kg
NFLデビュー
1983年デンバー・ブロンコス
経歴
大学スタンフォード大学
NFLドラフト1983年 / 1巡目(全体の1番目)
 所属チーム:
通算成績
(1998年までの成績)
TD-INT     300-226
通算パス獲得ヤード     51,475
QBレイティング     79.9
通算ラン獲得ヤード     3,407
TDラン     33回
NFL.comよりの成績
受賞歴・記録
  • プロボウル選出9回(1986年、1987年、1989年、1991年、1993年、1994年、1996年-1998年)
  • オールプロ選出5回(1986年、1987年、1993年、1996年、1997年)
  • 最優秀選手1回(1987年)
  • 1990年代オールディケイドチーム
  • 第33回スーパーボウルMVP
  • UPIAFC最優秀攻撃選手(1987年、1993年)
  • デンバー・ブロンコスリングオブフェイム
  • デンバー・ブロンコス永久欠番(7)
  • コロラド州スポーツ殿堂
  • ウォルター・キャンプ・マン・オブ・ザ・イヤー(2008年)
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

ジョン・エルウェイ(John Albert Elway, Jr., 1960年6月28日 - )はワシントン州ポートエンジェルス出身の元アメリカンフットボール選手。NFLデンバー・ブロンコスの選手。ポジションはQB。多くのカレッジフットボール・プロフットボールの記録を有している。

スーパーボウルで5度の先発を務めたのは彼とトム・ブレイディの2人だけである。最高のQBの一人として評されることもある。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

フットボールのコーチだったジャック・エルウェイの息子として生まれ、その後モンタナ州ミズーラ、ワシントン州のプルマンなどを経て、16歳の時に南カリフォルニアに引っ越した。高校時代は通算5,711パッシングヤード、49タッチダウンパスを記録し、全米の60以上の大学から奨学金の申し出があった。(高校卒業時にMLBカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト指名されている。)

父がコーチをしていたスタンフォード大学に進学し、1979年から1982年までの4年間で774回のパスを成功させ、9,349パッシングヤード、77TDパスを記録した。また野球でも活躍し、49試合で打率.361、9本塁打、50打点を記録。日米大学野球では4番打者として来日した。(ただし不振のため、終盤にはジェームス・パチョレックに4番を譲る)。彼の大学時代最後となったカリフォルニア大学との試合は残り4秒でスタンフォード大学が1点リードしていたが続くキックオフリターンでカリフォルニア大学が5回のラテラルパスを駆使しリターンタッチダウンをあげて逆転勝利した。

彼の在学中チームは20勝23敗でありボウルゲーム出場は果たせなかったものの大学時代に774本のパスを成功させ9,349ヤード、77タッチダウンの成績を残した。1982年には全米トップの24タッチダウンをあげた。卒業時に彼はスタンフォード大学及びパシフィック・テン・カンファレンスのほとんどのパス記録を更新した。1980年、1982年にはオールアメリカンに選抜されハイズマン賞の投票でも1982年に2位となった。2000年にカレッジフットボール殿堂に選ばれた。

NFL[編集]

1983年のNFLドラフトで、ボルチモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)から全体1位で指名された。しかし当時どん底だったコルツへ行くことを拒んだ彼はトレードを希望し、トレードされなければフットボールを辞めヤンキースで野球をやると駄々をこねたため(1981年のMLBドラフト2巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名されてマイナーリーグでプレーしたことがあった[1][2]。)、コルツオーナーのロバート・アーセイデンバー・ブロンコスの控えQBのマーク・ヘルマンと同じくドラフト1巡全体4位で指名されたOLのクリス・ヒントンの2選手及び翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えに同年5月2日にトレードを行った[2]

1983年のデビュー戦の相手はピッツバーグ・スティーラーズであった。この試合で彼は後に殿堂入りしたジャック・ランバートにサックされた。同じく後にプロフットボール殿堂入りしたジャック・ハムににらまれた際に逃げ出したくなったという[3]。この試合で彼はパス8回中1回成功、1インターセプトに終わったがリリーフのスティーブ・ディバーグの活躍で試合には勝利した[3]

ダン・リーブスヘッドコーチの采配のもとチームは力をつけ、4年目の1986年シーズンAFCチャンピオンシップゲームクリーブランド・ブラウンズを破り第21回スーパーボウルに出場しニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。チームは10-7とリードし敵陣1ヤードまで攻め込んだが続く3プレーで5ヤードの後退、FGも失敗し追加点の好機を逃した。彼は自陣エンドゾーンでサックされセイフティにより10-9と追い上げられ後半ジャイアンツが30点をあげ20対39で敗れた。彼自身はパスで304ヤード、1タッチダウン、1インターセプト、ランではチームトップの27ヤードを走り1タッチダウンをあげた。

1987年には最優秀選手に選ばれる活躍を見せAFCチャンピオンシップゲームで再びブラウンズを破り2年連続スーパーボウル出場を果たした。ワシントン・レッドスキンズとの第22回スーパーボウルは第1Q開始わずか1分57秒でリッキー・ナティールへの56ヤードのタッチダウンパスなどで10-0とリードしたが第2Qダグ・ウィリアムスに率いられたレッドスキンズのオフェンスが後にザ・クォーターと呼ばれるようになる猛攻を見せて35点をあげた。QBとしてスーパーボウルで初めてパスキャッチを記録したもののレッドスキンズの強力なディフェンスの前にパス38本中14本成功、257ヤード、1タッチダウン、3インターセプトの成績に終わった。

その2年後の1990年に行なわれた第24回スーパーボウルにはサンフランシスコ49ersに10対55というスーパーボウル史上最多失点と最大点差の記録を残して敗退。4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたがいずれも敗れ、エルウェイは「スーパーボウルで勝てないQB」と呼ばれるようになった。

1992年1月4日に行われたヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは1点リードされ残り時間2分7秒で自陣2ヤードからの攻撃で第4ダウンに2度追い込まれながらも最後28ヤードのFGにつなげるオフェンスを見せた[4]バッファロー・ビルズとのAFCチャンピオンシップゲームはロースコアの争いとなったが7-10で敗れた。この年まで7年連続で3,000ヤード以上を投げた[5]。しかしダン・リーブスヘッドコーチとの確執も次第に噂されるようになり、1992年シーズン終了後、リーブスヘッドコーチはニューヨーク・ジャイアンツに移籍。ウェイド・フィリップスが後任ヘッドコーチとなった1993年に彼は4,030ヤードを投げて25タッチダウン、QBレイティング92.8の成績を残して復活を果たした。

1996年シーズンにはレギュラーシーズン13勝3敗の最高勝率を挙げたもののプレーオフであっさり敗退。37歳という年齢もありこのまま引退かと思われたが、現役を続行。1997年シーズン開幕前のアメリカンボウルでメキシコに行ったが上腕二頭筋を痛めた。手術は行わず19日後にチームに復帰しチームは第32回スーパーボウルに出場。彼はパス22本中11本の成功、タッチダウン0回、インターセプト1回の成績だったが前年のチャンピオングリーンベイ・パッカーズを31対24で破り、NFL15年目・4度目の出場でようやく勝利を手にした。この試合第3Q第3ダウン残り5ヤード、敵陣8ヤードの場面で彼がボールを持って相手ディフェンスに頭から突っ込んでファーストダウンを獲得、テレル・デービスのタッチダウンにつなげた[6]

1998年シーズン第33回スーパーボウルではパスで336ヤードを投げアトランタ・ファルコンズを34対19で破り連覇を達成。38歳7ヶ月というスーパーボウル史上最高齢タッチダウンを記録するなどの活躍でスーパーボウルMVPに選ばれた。

1999年5月2日に引退を発表、NFL16年のキャリアをブロンコスで全うした。同年9月13日に背番号7がブロンコスの永久欠番になった。2004年8月8日にプロフットボール殿堂入り。通算148勝82敗1分けという成績はQBとしては最多勝だったがその記録はブレット・ファーヴに破られた。プロボウルにはQBとしては最多タイの9回出場(デンバー・ブロンコスの選手としても最多)した。

左からリン・スワン、ロジャー・クレイグ、ロジャー・グッデルコミッショナー、エルウェイ、デービッド・ペトレイアス

2009年2月1日に行われた第43回スーパーボウルではリン・スワンロジャー・クレイグらと共にコイントスを行った。

記録[編集]

プレースタイル[編集]

第4Qからのカムバックが47回とNFL史上最多(逆転勝利はジョニー・ユナイタスと並んで歴代3位タイの34回)である[9]ことから、ジョン・“ミラクル”・エルウェイと呼ばれた。中でも1987年1月11日に敵地クリーブランド・スタジアムで行なわれたプレーオフのクリーブランド・ブラウンズ戦では第4Q残り5分2秒、自陣2ヤード地点から始まった攻撃ドライブで98ヤードを前進し、残り37秒で同点タッチダウンをあげ試合はオーバータイムの末、23-20でチームに勝利をもたらした。

豪腕パサーであり、彼のパスを受けたレシーバーが手の平を怪我したこともあった[10]

私生活[編集]

アリーナ・フットボール・リーグのコロラド・クラッシュの共同オーナーに2002年就任した。2007年にはリーグのチェアマンに選ばれた。

長年、逆流性食道炎に悩まされていることを2003年に公にした[11]

2007年に2K Sports から発売されたAll-Pro Football 2K8のカバーをバリー・サンダースジェリー・ライスと共に務めた。

2008年10月にレーシック手術を受けた[12]

共和党支持者でありコロラド州知事ウェイン・アラードの支持者となっている[13]

父親のジャックは2001年に心臓発作で亡くなった。また彼と双子のヤナは2002年に肺がんで42歳の若さで亡くなっている。 スタンフォード大学の水泳チームにいた女性と結婚し4人の子供を儲けたが2003年に離婚している[14]

彼の息子のジャックはアリゾナ州立大学のQBでありデニス・エリクソン(ジョン・エルウェイの父の下で1979年から1981年にサンノゼ州立大学でオフェンスコーディネーターを務めた。)の指導を受けている[15]。2005年に元ロサンゼルス・レイダーズのRB、マーカス・アレンが主催したセレブゴルフトーナメントで知り合った元オークランド・レイダーズチアリーダーのペイジ・グリーンと2008年9月にイタリアで挙式した.[14]

脚注[編集]

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  1. ^ 生島淳 (2009年3月11日). “「負け組」から「勝ち組」へ、波乱万丈のジョン・エルウェイ”. NFL JAPAN. 2012年7月3日閲覧。
  2. ^ a b CNN/SI John Elway: Master of the Drive - Class of '83 shared place in history”. スポーツ・イラストレイテッド (1999年4月25日). 2010年4月9日閲覧。
  3. ^ a b 生沢浩. “ドラフト1位指名QBのデビュー戦”. 生沢浩のNFLレポート Inside Blitz. 2010年5月22日閲覧。
  4. ^ Michael Martinez (1992年1月5日). “PRO FOOTBALL; Elway's Drive II Kicks Out Oilers”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年7月3日閲覧。
  5. ^ http://www.denverbroncos.com/page.php?id=834 Broncos Official Website, Ring of Fame page
  6. ^ John Elway goes airborne against the Pack”. San Diego News Network (2010年2月3日). 2010年4月9日閲覧。
  7. ^ "Super Bowl Records: Individual Passing", NFL.com
  8. ^ "Super Bowl Leaders", Pro-Football-Reference.com
  9. ^ Guest Post: Quarterbacks and fourth quarter comebacks, Part I”. pro-football-reference.com (2009年8月6日). 2010年4月9日閲覧。
  10. ^ RG3が強肩証明、レシーバーのグローブ破壊”. NFL JAPAN (2012年6月9日). 2012年6月27日閲覧。
  11. ^ Elways says heartburn is hard to swallow
  12. ^ John Elway LASIK John Elway's Icon LASIK endorsement
  13. ^ Parker, Penny (2008年9月26日). “John Elway engaged to former Raiders cheerleader”. Rocky Mountain News. 2009年1月25日閲覧。
  14. ^ a b John Elway to marry ex-Raiders cheerleader”. デンバー・ポスト (2008年9月26日). 2010年4月9日閲覧。
  15. ^ kdvr.com - Jack Elway Signs Letter of Intent with ASU - 6 Feb 2008

関連項目[編集]

  1. ^ Michael Wilbon (2006年1月23日). “Big Ben, Already Like Clockwork”. ワシントン・ポスト. 2010年4月9日閲覧。

外部リンク[編集]