諸聖人の日

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諸聖人の日しょせいじんのひ)はカトリック教会の祝い日の一つで、全ての聖人殉教者を記念する日。日本では「万聖節」(ばんせいせつ)ともいわれる。諸聖人の日は、名前のとおり全ての聖人の日であって、決して忘れられた聖人のための日ではない。カトリック教会典礼暦では11月1日が諸聖人の日、続く11月2日死者の日となっている。

他方、正教会五旬祭後第1主日を「衆聖人の主日」として祝っているが、これは年ごとに祭日が変化する移動祭日であってしかも5月か6月にあたり、諸聖人の日とは日付が大きく異なる。

[編集] 歴史

英語で諸聖人の日は「オール・ハロウズ(All Hallows)」、「ハロウマス(Hallowmas)」とも表記される。アイルランドケルトの習慣ではこの日の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、キリスト教伝来以前から精霊たちを祭る夜であった。19世紀に移民によってアメリカ合衆国に持ち込まれたこの習慣が「ハロウィン(Halloween)」である。(「ハロウィン」は「ハロウ・イブ」がなまったものである。)

一年のうちのある一日にすべての聖人と殉教者を祝う習慣が始まったのは4世紀ごろであった。もともとこの習慣はアンティオキアで始まったようである。アンティオキアでは聖神降臨のあとの最初の日曜日が諸聖人の祝日となっていた。ヨハネス・クリュソストモス407年の説教の中にも諸聖人の祝日への言及がみられる。

アンティオキアなど東方で行われていたこの習慣が、やがて西欧へも伝わっていく。カトリック教会における諸聖人の祝い日の制定の起源に関してはある有名な説話があるが、これは真実かどうかは不明である。その説話というのは609年5月13日、教皇ボニファシウス4世が異教の神殿であったローマパンテオン聖母マリアと殉教者のためにささげ、それ以来5月13日が聖母と殉教者たちの祝い日となったというものである。5月13日は古代のローマの宗教ではラミュレスといわれるさまよう死者の魂をなだめる日であったため、中世の研究者たちはこのラミュレスの日がキリスト教的に再解釈されて諸聖人の日になったと考えたが、現代ではこの説はあまり受け入れられていない。現代の研究者たちが有力と考えているのは8世紀前半の教皇グレゴリウス3世サン・ピエトロ大聖堂の中に使徒とすべての聖人、殉教者のための小聖堂をつくり、その聖堂の祝別の日が11月1日にうつされたことでやがて11月1日がすべての聖人と殉教者の日となったというものである。

記録によればシャルルマーニュの時代にはすでに11月1日に諸聖人の祝いを行うことが一般化していたことがわかる。835年にはルイ敬虔王の布告によって、フランク王国の中で11月1日が守るべき祝日となっている。ポルトガルフランスではこの日に亡くなった親族のために花をささげる習慣がある。ディアダスブルカスとして知られるポルトガル式のハロウィンは4月30日の夜に行われているが、諸聖人の日との関連はない。ポーランドでは同じ日に、サドゥスキーといってろうそくをもって墓参りをする習慣がある。ポーランドやクロアチア、コロンビア、ペルーなど伝統的にカトリックの多い国では国民の祝日になっている。

宗教改革者たちによって聖人への崇敬が廃止されたあとも、イギリスとカトリック諸国では暦に諸聖人の祝日が残されていたが、プロテスタント諸国では徐々に廃れていった。スウェーデンでは諸聖人の日は死者のために祈る日となることで存続した。

プロテスタントの日本基督教団では11月の第一日曜日は「聖徒の日」とされているが、聖人のためではなく亡くなった信徒たちのために祈る日になっている。

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