ベニート・サンティアゴ

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ベニート・サンティアゴ
Benito Santiago
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区ポンセ
生年月日 1965年3月9日(49歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1982年 アマチュア・フリーエージェントとしてサンディエゴ・パドレスと契約
初出場 1986年9月14日
最終出場 2005年4月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ベニート・サンティアゴBenito Santiago Rivera , 1965年3月9日 - )は、MLBで活躍した元野球選手。ポジションは、捕手。右投右打。プエルトリコポンセ出身。

経歴[編集]

1982年に17歳でサンディエゴ・パドレスと契約。 4年間のマイナーでのプレイを経て、1986年9月14日にメジャーデビュー。 17試合に出場したが、翌1987年に新人王資格を残す。チームはそのオフに正捕手テリー・ケネディを放出し、サンティアゴを起用。期待に応えて、1987年にはメジャーの新人記録となる34試合連続安打を記録し、シーズン通算で.300、18本塁打、79打点、21盗塁の活躍で、満票でナ・リーグ新人王に選出された。

座ったまま二塁に投げる強肩ぶりで、この年も100盗塁を記録したビンス・コールマンを3回刺したり、ティム・レインズの盗塁を球速が遅いカーブでも刺す等、活躍を見せた。 1988年にはゴールドグラブ賞を初受賞し、以後3年連続で受賞。この年の秋にはメジャーリーグオールスターの一員として日米野球で来日。1989年にはオールスター初出場を果たし、以後4年連続で出場。

1993年には新球団フロリダ・マーリンズに移籍。4月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、チーム第1号本塁打を放つ。その後は、故障もあったりで度々移籍を繰り返したが、活躍を続ける。フィラデルフィア・フィリーズ時代の1996年には自己最多の30本塁打を打つ。また、同年グレッグ・マダックス(当時ブレーブス)から満塁本塁打を放ったが、これはマダックスがメジャー11シーズン目にして初めて公式戦で打たれた満塁本塁打であった。

ジャイアンツ時代の2002年にはナ・リーグチャンピオンシップシリーズMVPを獲得。チームをワールドシリーズに導いたが、シリーズではアナハイム・エンゼルスに敗れた。

メジャーでの出場はピッツバーグ・パイレーツでの2005年4月11日が最後となった。2006年にはニューヨーク・メッツとマイナー契約したが、メジャー昇格はできなかった。2007年以後はどのチームとも契約していない。現時点で正式な引退発表はしていないが、メジャーの公式記録サイトでは現役選手として扱われておらず、事実上の引退状態にある。

捕手としての1917試合出場はMLB歴代10位(2013年終了時点)。捕手以外に一塁手としてのプレー経験がある(25試合)。

薬物疑惑[編集]

2003年には連邦捜査官によってアナボリックステロイドを使用した選手の1人として名前が浮上した。2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書でもステロイドを使用した選手の一人として名前が挙げられた。報告書によると、『ゲーム・オブ・シャドウズ』の著者は2003年に尿検査サンプルを収集するためにサンティアゴに近づいた際に、サンティアゴはパニックになってクラブハウスから逃げたと書いている。また、調査時にジャイアンツのクラブハウス係員が2003年終わりにサンティアゴのロッカーを掃除中に注射器のパッケージを発見していた事が明かされた[1]

栄養補助食品会社であるバルコ(BALCO)が運動能力向上薬物を違法提供していたとされるバルコ・スキャンダルに関連して、2003年12月に連邦大陪審に召喚されて証言を行っている。サンフランシスコ・クロニクル紙の報道ではバルコ社と関わりがあり、バリー・ボンズの専属トレーナーであるグレッグ・アンダーソンから提供されたクリア(THG)やクリーム(THGとセットで使用)を使用した事を認めたとされている[2]

受賞歴・記録[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1986 SD 17 65 62 10 18 2 0 3 29 6 0 1 0 1 2 0 0 12 0 .290 .308 .468 .776
1987 146 572 546 64 164 33 2 18 255 79 21 12 1 4 16 2 5 112 12 .300 .324 .467 .791
1988 139 527 492 49 122 22 2 10 178 46 15 7 5 5 24 2 1 82 18 .248 .282 .362 .644
1989 129 494 462 50 109 16 3 16 179 62 11 6 3 2 26 6 1 89 9 .236 .277 .387 .664
1990 100 382 344 42 93 8 5 11 144 53 5 5 1 7 27 2 3 55 4 .270 .323 .419 .742
1991 152 614 580 60 155 22 3 17 234 87 8 10 0 7 23 5 4 114 21 .267 .296 .403 .699
1992 106 411 386 37 97 21 0 10 148 42 2 5 0 4 21 1 0 52 14 .251 .287 .383 .670
1993 FLA 139 515 469 49 108 19 6 13 178 50 10 7 0 4 37 2 5 88 9 .230 .291 .380 .671
1994 101 369 337 35 92 14 2 11 143 41 1 2 2 4 25 1 1 57 11 .273 .322 .424 .746
1995 CIN 81 296 266 40 76 20 0 11 129 44 2 2 0 2 24 1 4 48 7 .286 .351 .485 .836
1996 PHI 136 533 481 71 127 21 2 30 242 85 2 0 0 2 49 7 1 104 8 .264 .332 .503 .835
1997 TOR 97 366 341 31 83 10 0 13 132 42 1 0 1 5 17 1 2 80 10 .243 .279 .387 .666
1998 15 30 29 3 9 5 0 0 14 4 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .310 .333 .483 .816
1999 CHC 109 386 350 28 87 18 3 7 132 36 1 1 0 2 32 6 2 71 13 .249 .313 .377 .690
2000 CIN 89 277 252 22 66 11 1 8 103 45 2 2 0 5 19 8 1 45 7 .262 .310 .409 .719
2001 SF 133 515 477 39 125 25 4 6 176 45 5 4 7 6 23 0 2 78 19 .262 .295 .369 .664
2002 126 517 478 56 133 24 5 16 215 74 4 2 3 7 27 8 2 73 19 .278 .315 .450 .765
2003 108 434 401 53 112 21 2 11 170 56 0 1 0 2 29 0 2 69 13 .279 .329 .424 .753
2004 KC 49 189 175 15 48 10 0 6 76 23 1 2 3 1 8 0 2 32 9 .274 .312 .434 .746
2005 PIT 6 23 23 1 6 1 1 0 9 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .261 .261 .391 .652
通算:20年 1978 7515 6951 755 1830 323 41 217 2886 920 91 69 26 70 430 52 38 1270 205 .263 .307 .415 .722
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

  1. ^ Mitchell Report (PDF)” (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. SR134-135. 2013年10月28日閲覧。
  2. ^ What Bonds told BALCO grand jury” (英語). San Francisco Chronicle. 2013年10月28日閲覧。

関連項目[編集]


外部リンク[編集]