田口壮

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田口 壮
So Taguchi
アイオワ・カブス #6
フィラデルフィア・フィリーズ時代(2008年)
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県西宮市
生年月日 1969年7月2日(40歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8cm
170 lb =約77.1kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1992年4月4日
MLB / 2002年6月10日
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2000年
打席に立つ田口(カージナルス時代)

田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、兵庫県西宮市出身のMLBシカゴ・カブス傘下3Aアイオワ・カブスに所属するプロ野球選手外野手)。

妻は元TBSアナウンサー香川恵美子代理人はアラン・ニーロ。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 日本時代

岡山市立平福小学校(クラレ中社宅、町内子供会ソフトボール遊撃手.#6、岡山市子連中央大会.etc優勝)、西宮市立平木中学校、兵庫県立西宮北高等学校関西学院大学を経て、1991年ドラフトオリックス・ブルーウェーブ日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選の結果オリックスに入団。大型内野手(遊撃手)としての入団であった。[1]

プロデビュー戦は1992年の開幕戦のロッテ戦。9番遊撃手で新人開幕戦先発出場(前年のベストナイン遊撃手でオールスターゲームにも出場した小川博文を差し置いての開幕戦先発)であったが、1回裏の守備機会からゴロを裁いた際に一塁手への悪送球になってしまう(記録は一塁手がジャンプで好捕したのでアウト)。

田口のデビュー当時の土井正三監督の厳しい指導からスローイング障害(イップス)、ストレスから突発性難聴に陥り、守備ではエラーを続けた。しかし、「強肩病」とイチローが絶賛していた強肩を生かして1994年に外野手に転向。補殺王、ゴールデングラブ賞等の常連になるほど、好守の外野手として、レギュラーに定着する。イチロー、本西厚博との外野手トリオは、当時球界一の守備力と言われた。

シュアなバッティングと堅実な外野守備でオリックスの1995年1996年シーズンの連覇に貢献。2000年には松坂大輔中村紀洋らとともに、シドニーオリンピック野球日本代表として出場。[2]

[編集] メジャー時代

2001年オフにFA宣言セントルイス・カージナルスに移籍。2003年9月12日ヒューストン・アストロズ戦で、セカンド守備につき、日本人初の内野守備を経験したが、移籍当初はメジャー昇格とマイナー降格を繰り返していた。

3年目の2004年シーズンに開幕メンバーに残り、109試合に出場、チーム新人王となる。カージナルスはワールドシリーズに進出を果たし、自身も第1戦で先発出場して安打を放ったが、ボストン・レッドソックスに4連敗を喫し、チャンピオンリングを獲得することはできなかった。

2006年10月27日ワールドシリーズデトロイト・タイガース戦で8番左翼で先発出場し、7回から右翼に移り、勝利を収めた。右翼の守備についていた田口は、世界一が決まった瞬間フィールドに立っていた初の日本人となった。

2007年シーズンに際して、年俸調停を申請していたが、1月16日に回避。92万5000ドルで1年契約に合意している。

2007年シーズンはリーグトップの代打打率.406を記録(通算32打数12安打)。同年オフ、カージナルスは田口との契約にある来季の選択権を行使しないことを発表、12月24日にフィラデルフィア・フィリーズが田口と年俸100万ドルの1年契約を結んだ。2009年の契約はフィリーズ側に選択権があったが行使されなかった。

2008年は代走・守備固めが多かったが、後半は同じくアストロズから移籍加入したエリック・ブラントレットにそのポジションを奪われた。本塁打もデビューした2002年以来のゼロに終わった。チームは2年連続地区優勝、ワールドシリーズにも進出して28年振りのワールドチャンピオンに輝いたが、田口自身はロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップの1試合に出場のみだった。翌日、戦力外通告を受けた。

2009年1月15日シカゴ・カブスとマイナー契約を結び、春季キャンプに招待選手として参加することになった。オープン戦では打率.263を記録するも3月29日にマイナー通告を受ける。

[編集] 年度別打撃成績

年度



























O
P
S
1992年 オリックス 6 47 123 12 33 10 0 1 46 7 5 9 0 8 1 26 1 .268 .318 .374 .692
1993年 31 83 12 23 7 1 0 32 5 3 4 0 3 0 12 2 .277 .302 .386 .688
1994年 108 329 55 101 17 1 6 138 43 10 5 4 23 3 62 6 .307 .354 .419 .773
1995年 130 495 76 122 24 2 9 177 61 14 25 7 43 4 80 7 .246 .308 .358 .666
1996年 128 509 74 142 24 1 7 189 44 10 23 4 29 4 61 15 .279 .321 .371 .692
1997年 135 572 92 168 32 4 10 238 56 7 16 3 49 3 74 4 .294 .351 .416 .767
1998年 132 497 85 135 26 2 9 192 41 8 23 2 48 3 68 13 .272 .338 .386 .724
1999年 133 524 77 141 21 1 9 191 56 11 14 1 29 1 91 9 .269 .308 .365 .673
2000年 129 509 77 142 26 3 8 198 49 9 11 0 55 3 80 12 .279 .353 .389 .742
2001年 134 453 70 127 21 6 8 184 42 6 26 1 43 1 88 7 .280 .343 .406 .749
2002年 STL 99 19 15 4 6 0 0 0 6 2 1 2 0 2 0 1 0 .400 .471 .400 .871
2003年 43 54 9 14 3 1 3 28 13 0 1 0 4 0 11 2 .259 .310 .519 .829
2004年 109 179 26 52 10 2 3 75 25 6 10 3 12 2 23 6 .291 .337 .419 .756
2005年 143 396 45 114 21 2 8 163 53 11 2 4 20 2 62 11 .288 .322 .412 .734
2006年 134 316 46 84 19 1 2 111 31 11 9 2 32 2 48 9 .266 .335 .351 .686
2007年 130 307 48 89 15 0 3 113 30 7 3 1 23 6 32 10 .290 .350 .368 .718
2008年 PHI 88 91 18 20 5 1 0 27 9 3 4 0 8 0 14 2 .220 .283 .297 .580
NPB通算(10年) 1107 4094 630 1134 208 21 67 1585 404 83 156 22 330 23 642 76 .277 .333 .387 .720
MLB通算(6年) 578 1267 178 359 68 6 19 496 154 36 27 10 93 12 177 38 .283 .336 .391 .727
日米通算(16年) 1685 5361 808 1493 276 27 86 2081 558 119 183 32 423 35 819 114 .278 .334 .388 .722

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] 日本プロ野球

  • ベストナイン:1回(1996年)
  • ゴールデングラブ賞:5回(1995年 - 1997年、2000年、2001年)
  • 月間MVP:1回(1998年9月)
  • オールスターゲーム出場:4回(1995年 - 1997年、2001年)

[編集] メジャーリーグ

[編集] エピソード

ファンにサインをする田口
(2007年)
  • 野球以外の活動としては、自身のwebサイトで公開中の日記を編集した「何苦楚(なにくそ)日記」(主婦の友社、2004年)を執筆。webサイトの日記は文章構成がプロ並の出来と評判が高い。カージナルスの傘下チームで活動していたころは「日記しか書けないマイナーリーガー」と言われていたが、近年では「日記も書けるメジャーリーガー」と呼ばれるようになった。
  • アメリカに移って1年半が過ぎた2003年の秋にイエス・キリストを信じ、クリスチャンになった。「自分の心に響きました。理解でき、実感することができました。これが本物だってわかったんです…妻との関係や、人生が困難に陥った時に助けてくれるのはイエス・キリストだと、今では思ってます」と語った。カージナルスにはジョン・ロドリゲスブレイデン・ルーパーアルバート・プホルスなど信仰心の厚さで知られる選手もいる。田口は、「プホルスはとても優しくしてくれますね。彼は、言語を理解できないつらさをわかってくれるし、信仰の手本となるクリスチャンでもある。みんなとても親切にしてくれますね」とコメントしている。
  • カージナルス内では古参の部類に入るほど長く在籍していたため、地元人気が高い選手だったが、球団ホームページの彼のプロフィールにある出身大学名は「Kansai Gakuin, Osaka」(※「かんせいがくいん(英語表記・Kwansei Gakuin)」は兵庫県の大学)のままで全く訂正されずじまいだった。2008年にはフィリーズ、09年にはカブスでのキャリアをスタートさせたものの、やはり直っていない。[1]
  • 低反発マットレス「 トゥルースリーパー プレミアム」を愛用。同製品のCMにも出演し、遠征先のホテルにも持参していると語っている。
  • 日本では通算67本の本塁打を記録しており、このうち満塁本塁打は6本あり、11.1本に1本の割合は通算満塁本塁打が6本以上の選手の中では歴代1位である。メジャー移籍後は通算得点圏打率.337、通算満塁打率.500と、打数は少ないながらチャンス面で高打率を残している(いずれも2007年シーズン終了時点)。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 1991年のドラフト会議に際しては、平田勝男の後継遊撃手を求めていた阪神タイガースが指名・獲得を望んでいた。これに対して田口は記者会見で「阪神に行きたくない10カ条」なる文書を読み上げたりした(後に撤回)。これは田口の意思というより、阪神球団と疎遠だった関西学院大学野球部及び学校当局が、田口を行かせたくないために言わせたものだといわれるが、当時の野球部監督により叱責をうけ、田口も「野球以外の事で怒られたのは初めてだった」と語っている[要出典](監督の叱責については当時の「週刊ベースボール」に記載)。
  2. ^ 3位決定戦で韓国に敗れ4位に終わる。
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