参稼報酬調停

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参稼報酬調停(さんかほうしゅうちょうてい)とは、選手と所属球団が、所属連盟に対して参稼報酬の調停を申請する制度である。

ここで言う「参稼報酬」とは年俸のことであり、一般には年俸調停(ねんぽうちょうてい)と言われる。

日本プロ野球[編集]

日本プロ野球では、日本プロフェッショナル野球協約に定める内容に従い、NPBが定める条件を満たした選手及び球団が参稼報酬調停を所属連盟会長に申請した場合、調停を行う。

申請条件[編集]

  • 次年度の選手契約締結のために契約保留された選手、またはその選手を契約保留した球団は、次年度の契約条件の中で参稼報酬額に関して合意に達しなかった場合、コミッショナーに対して参稼報酬調停を申請することができる。(94条)

概要[編集]

  • コミッショナーが参稼報酬調停申請を受理した場合、直ちに参稼報酬調停委員会を構成しなければならない。(95条)
  • 参稼報酬調停委員会は、選手本人、当該球団の役職員一名からそれぞれ希望参稼報酬額及びその根拠を聞き、聴取し、調停を行う。また、この時点で球団と選手は参稼報酬額欄のみを白紙とした統一契約書を所属リーグ連盟に提出しなければならない。つまり、この時点で参稼報酬額は未定ながらも次年度の選手契約は締結される。(96条)
  • 参稼報酬委員会は調停を受理した日から30日以内に調停を終結し、決定した参稼報酬額を参稼報酬委員長が統一契約書に記入し、当該連盟に提出する。(96条)

備考[編集]

  • この調停で決まった金額で、もし選手が尚不満などを持って契約しなかったら、その選手は任意引退扱いとなる(外国人選手を除く)。任意引退のため、他球団との選手契約には最終所属球団との許可が必要となる。一方、球団側も調停の結果決まった金額を変更することはできない[1]
  • 選手の参稼報酬額は非公開である(契約更改のニュースで流される金額はあくまで推定であり、100%正しいわけではない)が、調停にかけた場合は、その選手の実際の前年度参稼報酬額が公表されることとなる。

実情[編集]

選手の権利とされる年俸調停だが、年俸調停を申請する選手は非常に少なく、制度が導入されて40年以上経過した時点で調停に至ったのはわずか7選手しかおらず、球団提示額より上積みを勝ち取った選手は3選手しかいない。さらに、調停後に契約した選手は、これが要因・遠因となったかは不明にせよ、その後3年以内に戦力外通告やトレード、あるいはFA権を行使しての移籍により退団している。

  • 1996年オフに石井浩郎近鉄)が野球協約制限を超える50%ダウンの年俸提示をしたため、年俸調停を申請。日本野球機構からの要請を受け、いったん契約した後に巨人へトレード移籍した。
  • 2001年の下柳剛日本ハム)の際には、球団側は一度は1億3,900万円を提示したにもかかわらず、年俸調停に持ち込む場合は1億3,750万円を提示するとして、提示額を引き下げてしまった[2]。調停の申請が選手の権利であることから、この引き下げには批判が出た[2]
  • 2007年オフにG.G.佐藤西武)が球団との5度目の交渉決裂から年俸調停を申請したが、パ・リーグ小池唯夫会長は西武球団とG.G.佐藤から申請された年俸調停を受理せず、もう一度両者で話し合いを行うよう指示した。これは「参稼報酬は両者が話し合って決めるのが大原則」という小池会長の考えによる。
  • 2010年オフに柴原洋ソフトバンク)は野球協約の定める減額制限(1億円超は40%)を超えた約60%ダウンとなる5000万円の提示された際に、制限の7200万円を希望し、年俸調停を申請した。球団は選手の同意を得たとしていたが、コミッショナーは「制限を超える減額についての同意があるのかが不明」として受理せず、双方に話し合いを求めた。その後、双方が折れて契約した。
  • 従来は、実際は調停委員を構成するコミッショナー及び連盟会長の任命権限は各球団にあるため、選手側が勝利する可能性は限りなく低かった。しかし、2009年に野球協約が改正され、調停委員会がコミッショナーから独立した[3]。改正によって「中立機関」となった最初のケースである西武の涌井秀章の場合、調停委員会のメンバーは2人の弁護士と、前巨人監督で元選手の堀内恒夫の3名となった[3]

過去に調停が妥結した事例[編集]

  • 表の年は、当年シーズン終了から翌年シーズン開始までの期間、すなわちシーズンオフを意味しており、調停が行われた年ではない。
  • 太字は球団提示額より上積みの金額。
選手 球団 年俸 その後
選手希望額 球団提示額 調停額
1973年 レオン・マックファーデン 阪神 900万円 600万円 600万円 任意引退
1991年 落合博満 中日 2億7000万円 2億2000万円 2億2000万円 契約→2年後にFA移籍
1992年 高木豊 横浜 1億0263万円 9330万円 9840万円 契約→翌年に戦力外通告
1996年 野村貴仁 オリックス 6500万円 3900万円 3900万円 契約→翌年にトレード
1998年 アルフォンソ・ソリアーノ 広島 2145万円 585万円 585万円 任意引退→MLB移籍
2000年 下柳剛 日本ハム 1億5000万円 1億3750万円 1億4000万円 契約→2年後にトレード
2010年 涌井秀章 西武 2億7000万円 2億2000万円 2億5300万円 契約→3年後にFA移籍

調停理由・評価[編集]

  • 1993年の高木豊選手の際には、2年前の落合博満選手の際との理由の違いに批判が出た[4]。落合の際は下位球団の経営安定の必要性を強調して球団提示額どおりとなったが、高木の際には「弱い責任はチームにもある」「上位球団でも下位球団でも契約金額に不均衡が生じないように努めること」といった理由が挙げられ、球団提示額より500万円以上増額の結果となったためである[4]

メジャーリーグベースボール[編集]

メジャーリーグベースボール(以下MLB)では、「FA(フリーエージェント)権を持たない、MLB在籍期間6年未満の選手」に対する待遇救済制度として1973年に始まった。英語ではSalary Arbitrationと言う。年俸調停を申請する選手は多い年には100人以上にも上る。ただし申請しても、実際に調停委員会開催にまで持ち込まれるケースは年間数人程度で、その前に球団側・選手側お互いが主張の中間点で妥結し、単年契約あるいは複数年契約を結ぶ場合がほとんどである。これは後述されているように調停委員会では球団あるいは選手どちらか一方の主張全てを採用し、折衷案をとることが無いためである。

日本人メジャーリーガーとしては大家友和ミルウォーキー・ブルワーズ在籍時の2005年オフに調停申請している。

申請条件[編集]

メジャーリーグ在籍期間(MLS = Major League Service)が3年間に達した選手は年俸調停権を得る。MLSの年数はレギュラーシーズン中、その選手がアクティブ・ロースター故障者リスト登録中期間や各種出場停止期間も含む)に登録されていた日数をもとに算出され、172日間でMLS1年(1.000)となる。つまり3年分に相当する516日間(MLS=3.000)アクティブ・ロースターに登録されれば調停権を得られる。

また例外として、MLSが2年以上3年未満で且つ前年シーズンのアクティブ・ロースター登録日数が86日以上である全選手のうち、選手成績(データ分析会社エライアスによるランキング)が上位22%以内の選手も調停権を得ることができる。この例外条項は『スーパー2』と呼ばれる。

調停権を得て以降、FA権を得るまでは毎シーズンオフに選手・球団側ともにその選手の契約年俸に対して調停申請を行うことができる。なお、MLSが6年(アクティブ・ロースター登録日数が通算1032日間)に達した選手がFA権を得る。

概要[編集]

MLBの年俸調停制度では、球団側と選手側が各々の希望年俸額を予め提示し、MLBとMLB選手会が合意のうえで選定した中立的な第三者の調停委員会によって採決が下される。採決は日本のように折衷案などを採ることはなく、球団側または選手側どちらか一方の主張を完全採用する形になる。また契約年数は必ず単年となる。

脚注[編集]

  1. ^ 2008年1月9日の朝日新聞朝刊19面
  2. ^ a b 2001年2月1日の朝日新聞朝刊18面
  3. ^ a b 2011年1月29日の朝日新聞朝刊23面
  4. ^ a b 1993年2月18日の朝日新聞朝刊21面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]