大田泰示
| 読売ジャイアンツ #55 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県三次市 |
| 生年月日 | 1990年6月9日(21歳) |
| 身長 体重 |
188cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手、一塁手、外野手 |
| プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2009年6月21日 |
| 年俸 | 950万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
三次高校で投手だった父の影響を受け、福山市立川口小学校1年の時にソフトボールを始める。6年からは軟式野球クラブ「松永ヤンキース」に所属し、三塁手兼投手として活躍。
福山市立城南中学校2年時に秋の県大会で優勝。同チームには上本博紀の弟もおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた[1]。同年に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳から力強い打撃を賞賛され、原の母校である東海大相模高校への進学を決める。
1年春から三塁手としてベンチ入りし、秋には4番に座る。2年秋からは主将を務めた。3年春に遊撃手に転向。スケールの大きい打撃と確実性の高い守備、抜群のリーダーシップやスター性から「タツノリ2世」「神奈川のジーター」[2]の異名をとった。三年次の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では、大会記録となる5本塁打目を放った。また、リリーフ投手として登板し最速147km/hを記録している。しかし、3年連続で夏の甲子園の県予選決勝で敗れ、在学中の全国大会出場は果たせなかった。高校通算本塁打は65本。日米スカウトが見守る中で満塁ホームランを放つなど(高校通算5本の満塁ホームラン)、満塁での強さも光った。
当初は東海大学への進学が濃厚とされていたが、広島県に帰省した際に広島東洋カープ対阪神タイガースを観戦したことで「華やかなプロの世界に挑戦したい」と感じ、締切日にプロ志望届を提出。ドラフト会議では読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの1位指名を受け、巨人が交渉権を獲得し契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約を結び、背番号は松井秀喜のメジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」に決まり、選手寮では松井や坂本勇人らが住んでいた部屋に入居した。
[編集] プロ入り後
2009年、キャンプで中井大介と共に原監督に指導を受け、「懐が深いが、右腕が強すぎる」など指摘を受けると、松井秀喜を模した打撃フォームを考案し、フリー打撃でサク越えを連発、高い対応力を見せた[3]。3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番三塁」としてスタメン出場。フェンス直撃のタイムリー二塁打を放ち、公式戦初打点を記録。4月24日の湘南シーレックス戦にて公式戦初本塁打を記録。さらに、「4番三塁」でスタメン出場した8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2回にダレル・ラズナーからバックスクリーン右へ11号同点ソロ、8回2死1塁の場面で吉崎勝から左中間へ12号2ランとプロに入って初の1試合2本塁打を記録している[4]。2軍では打率.238、17本塁打、56打点を記録している[5]。6月17日に初の1軍昇格、6月21日のロッテ戦で、松本哲也の代打で初打席を迎えたが三球で空振り三振に倒れた。
2010年、2軍では101試合に出場。打率.265 本塁打21 打点70 という本塁打と打点でリーグ2位の記録をするが[6]、1軍では2試合の出場に終わった。10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた[7]。
2011年5月18日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦、プロ初安打は満塁の場面での決勝2点適時打となった[8]。 しかし内野手としての守備の悪さが目立ち、ファーム落ち。以降、2軍では中堅手として出場している。本塁打は6本と大きく減らしたが、盗塁数はイースタン・リーグ2位の28を記録した。
12月28日、来季から外野手登録される事が発表された。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | 巨人 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2010 | 2 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2011 | 12 | 28 | 26 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | .154 | .148 | .192 | .340 | |
| 通算:3年 | 17 | 35 | 33 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | .121 | .118 | .152 | .270 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2009年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(東京ドーム)、9回裏2死2塁で松本哲也の代打として出場
- 初打席:同上、9回裏にブライアン・シコースキーの前に空振り三振
- 初先発出場:2010年6月12日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、8番・一塁手として先発出場
- 初安打・初打点:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、10回表にロムロ・サンチェス から中前決勝2点適時打
[編集] 背番号
- 55 (2009年 - )
[編集] 脚注
- ^ 『野球小僧』、白夜書房、2008年8月号、48-50頁
- ^ 週刊ベースボールの2008/11/05発売号「2008年ドラフト特集」でも大田のタイプとしてジーターの名が記述されている。
- ^ 「HARA-SPIRIT」より「ルーキー大田」
- ^ 2009年8月5日付 日刊スポーツ
- ^ 2009年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2010年度イースタン・リーグ個人打撃成績(規定打席以上) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2010年第17回IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 阿部2発!大田、初安打がV打!巨人、今季初3連勝 スポーツニッポン 2011年5月18日付記事
[編集] 関連項目
- 広島県出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 角晃多(高校時代の同期)
[編集] 外部リンク
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