加藤芳郎
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加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年6月25日 - 2006年1月6日)は、日本の漫画家である。享年82(満80歳没)
目次 |
[編集] 来歴・人物
東京都新宿区に生まれる。病院で働きながら東京都立新宿高等学校定時制を卒業後、都職員(公園緑地課)として働きながら1947年より漫画を書き始めた。「オンボロ人生」「千匹の忍者」「オレはオバケだぞ」など庶民的なユーモアとナンセンスにあふれた作風で人気となる。特に1954年から毎日新聞夕刊で連載された「まっぴら君」などの作品で知られ、2001年6月23日掲載を最後に病気で中断するまで連載47年間、13615回に達し、全国紙では空前の連載記録を樹立。漫画界では横山泰三、萩原賢次と共に戦後派三天才と呼ばれた。
またタレントとして「テレビ3面記事 ウィークエンダー」(日本テレビ)の司会、「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)パーソナリティー、「連想ゲーム」(NHK総合テレビ)の白組·男性軍のキャプテンも務めた。特に「連想ゲーム」では、洒脱な話術と問題の出し方で人気を博した。テレビで最近登場したのはNHK衛星放送の「あの日 昭和20年の記憶」であった。2005年3月から胃ガンのため入退院を繰り返していた。2006年1月6日、東京都新宿区の病院で呼吸不全により80歳で死去。
1981年から1996年の間、日本漫画家協会の理事長・会長を歴任し、同協会の社団法人化に尽力した。1986年、紫綬褒章を受章。1957年、文藝春秋賞、1988年に第36回菊池寛賞を受賞。 1999年「まっぴら君」で日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。
あまり知られていなかったが日本会議会員でもあった。その一方で、府立六中(現在の東京都立新宿高等学校)時代の後輩であった上田耕一郎が参院選に出馬した時には、推薦人として名を連ねた。なお加藤は余興としてチャップリンの形態模写を得意としていた。また、容貌が野口英世に似ているとも言われた。
[編集] その他
1990年に刊行された新潮45誌の12月号で、当時500万部を売っていた「週刊少年ジャンプ」に対し、”500万部売るのが、そんなに偉いのか”といった内容の批判を書いた随筆を掲載した。しかしこの随筆掲載直後に、新潮社の同編集部に対し、「本人も何百万部を売り上げる、大新聞に4コマ漫画を掲載している分際で、他誌のことを言えた身か」などの抗議文が殺到したため、随筆活動はこれ以後一切していない。
[編集] 主な作品
[編集] 漫画
- ほか多数
[編集] 漫画以外の連載企画
- 加藤芳郎の甘辛倶楽部(産経新聞に月1回連載)
[編集] CM
[編集] バラエティ番組
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