奥野史子

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獲得メダル
シンクロナイズドスイミング
オリンピック
1992 ソロ
1992 デュエット

奥野 史子(おくの ふみこ、本名:朝原 史子(あさはら ふみこ)1972年4月14日 - )は、日本のスポーツコメンテーター、元シンクロナイズドスイミング選手。大阪体育大学客員教授。関西テレビ放送番組審議委員。

[編集] 略歴・人物

京都府京都市出身。京都市立龍池小学校、京都市立城巽中学校、四天王寺高校同志社大学商学部卒業、同志社大学大学院修了。

小学校1年生のときに京都踏水会(京都市)でシンクロを始め、中学から井村雅代が代表を務める井村シンクロクラブで指導を受けた。大阪の四天王寺高校に推薦入学。高校時代はシンクロが正式種目となった初めての国体に出場して優勝。日本代表としても活躍し、1989年W杯パリ大会ではチームで銅メダル獲得。その後は、同志社大学へ進学。1991年世界選手権パース大会でチーム銅メダル、W杯ボン大会でソロ銅メダル・デュエット銀メダルを獲得。1992年、大学2年の時にバルセロナオリンピックに出場しソロで3位、高山亜樹と組んだデュエットでも3位と2つの銅メダルを獲得。

1993年W杯ローザンヌ大会ではチームで銅メダルを獲得。しかしロシアの台頭で、ソロとデュエットでメダルを逃し、失意のどん底に落ちるが一念発起する。

1994年世界選手権ローマ大会のソロ種目で、それまでのシンクロの常識を覆す女の情念や怒りを表現した「笑わないシンクロ」、「夜叉の舞」をフリールーティンにて披露する。世界選手権ソロ史上初の芸術点オール満点を記録し、日本人初の銀メダルを獲得。現在でも日本シンクロ界で語り継がれる伝説の演技となった。デュエットでも銀メダル、チームでも銅メダルを獲得。同年の広島アジア大会ではソロ・デュエットで共に金メダルを獲得。

1995年1月、腰痛悪化などの理由により現役を引退。その後はスポーツキャスターとして活躍。同年4月から放送された関西テレビ「週刊田尾スポ!」で初のレギュラー番組に出演、「フーちゃん」の愛称で関西圏で人気を得る。2000年2002年にはアメリカ・ラスベガスのシルク・ドゥ・ソレイユの水中ショー「O(オー)」に日本人として初めて出演。

2002年、同志社大学時代から付き合っていた陸上競技選手(短距離)の朝原宣治と結婚。2003年4月に第一子となる女児を、2006年7月に第二子となる男児を出産。交際のきっかけは体育会系の学生が皆ジーンズ姿で授業を受けているのに対し、一人だけスーツ姿で授業を受けていた朝原に好感を持ち始めてからだという。

2008年北京オリンピックでは、夫の朝原が400mリレー走で日本男子代表のアンカーを務め3位となり念願のメダル獲得。妻の史子は長女と一緒に現地の陸上競技場で生観戦していたが、夫婦揃って五輪のメダルを獲得できた喜びのあまり涙を流した。

夫婦揃って関西地方出身の五輪メダリストである。夫がメダリストとなった2008年には11月22日の「いい夫婦の日」に「パートナー・オブ・ザ・イヤー2008」の表彰を受けるなど全国的にも知られる夫婦であるが、奥野が引退以来関西を中心にレギュラー番組や連載を多く受け持っていたこともあって、関西では特に抜群の好感度を持つカップルとしてお茶の間に人気が高い。

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