バド・ブラック

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バド・ブラック
Bud Black
サンディエゴ・パドレス 監督 #20
Budblack2.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンマテオ
生年月日 1957年6月30日(57歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
188 lb =約85.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手(現役時代)
プロ入り 1979年 ドラフト17巡目
初出場 1981年9月5日
最終出場 1995年7月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

バド・ブラックHarry Ralston "Bud" Black , 1957年6月30日 - )はMLBサンディエゴ・パドレスの監督(第16代目)。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンマテオ出身。現役時代はカンザスシティ・ロイヤルズなどに所属した投手。左投げ左打ち。選手としては1985年にロイヤルズワールドシリーズ優勝に、投手コーチとしては2002年にアナハイム・エンゼルスワールドシリーズ優勝に貢献した。

現役時代は多彩な変化球で打者を翻弄する投球スタイルであった[1]

過去40年間で現役時代に100勝以上あげた投手出身の監督は、ボブ・レモン(通算207勝)、ラリー・ダーカー(通算139勝)に次ぐ3人目である[2]

少年達が野球をプレー中に怪我をしないための、正しい投球法を教える活動にも参加している[3][4]

経歴[編集]

南カリフォルニアで育ったブラックはワシントン州ローワー・コロンビア州立短大在学中の1977年1月、サンフランシスコ・ジャイアンツから1次ドラフトで3巡目で指名されるが契約はせず、さらに6月の2次ドラフトでニューヨーク・メッツから2巡目で指名された時にも契約はしなかった。結局、故郷カリフォルニアのサンディエゴ州立大学編入後の1979年にシアトル・マリナーズから17巡目で指名され入団、プロとしてのキャリアをスタートさせる。

マイナー~マリナーズ[編集]

1979年A級、アドバンストA級で19試合に登板、先発は2試合と中継ぎでの起用が主であった。1980年はアドバンストAで32試合に登板、この年も先発は5試合であった。1981年AA級で22試合に登板、先発・中継ぎ・クローザーと様々な起用をされた。9月5日セプテンバー・コールアップでメジャーに初昇格するが、敗戦処理で2試合に登板しただけであった。

ロイヤルズ[編集]

1982年3月2日、前年10月に行ったトレードの後日交換選手としてカンザスシティ・ロイヤルズに移籍する。開幕はメジャーでむかえたが、敗戦処理で1イニング投げた後AAA級に降格。しかしそこで4試合に先発し、防御率2.48、3完投、1完封の好成績で4月18日に昇格。先発・中継ぎで22試合に登板した。1983年は開幕当初はAAA級であったが、5月25日に昇格後は先発ローテーションを守り初の2ケタ勝利をあげる。1984年は自己最多となる17勝をあげ、エースとして活躍、チームのア・リーグ西地区優勝に貢献した。先発陣の中では防御率、勝ち星、投球回、奪三振でチーム1位であった[1]1985年は15敗と負けが先行してしまったが、チームはア・リーグ西地区連続優勝。リーグチャンピオンシップシリーズでは3試合に登板し、防御率1.69とトロント・ブルージェイズを完璧におさえ、チームは4勝3敗でリーグ優勝を果たす。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは2試合に登板し、防御率5.06と結果は残せなかったが、チームは4勝3敗で勝利し1969年の球団創設以来初のワールドシリーズ制覇となった。1986年は開幕から先発で打ち込まれたことと、ダン・クイゼンベリーの不調などもあり、中継ぎ・抑えでの登板が主となった。1987年は先発・中継ぎ、1988年は中継ぎで投げていたが、6月3日パット・タブラーとのトレードクリーブランド・インディアンスに移籍する。

インディアンス~ブルージェイズ[編集]

インディアンス移籍後も先発・中継ぎで投げていたが、防御率は5点台と低調な成績に終わった。1989年は1985年以来、久々に1年間を先発で過ごし2ケタ勝利をあげ、イニングもチーム最多と活躍した。1990年はシーズン終盤の9月16日トロント・ブルージェイズに3選手との交換でトレードされる。チームはボストン・レッドソックスを猛追していたが、2ゲーム差で優勝をのがした。

ジャイアンツ~インディアンス[編集]

1990年のシーズン終了後はフリーエージェントとなっていたが、11月9日サンフランシスコ・ジャイアンツと4年総額1,000万ドルで契約した。だがこの契約には34歳という高齢や、それまでの通算成績が9年間で83勝82敗と平凡なものであること、ずっとローテーションを守れてもいなかったことで高額すぎるとの批判も多かった[5][6]。批判を払拭するかのように1991年1992年は2ケタ勝利をあげ面目は保ったが、その後は1993年から1994年にかけての怪我に悩まされ、登板機会は激減した。ジャイアンツとの4年契約が切れた後はフリーエージェントとなっていたが、1995年4月25日にインディアンスと契約する。ここでも調子は戻らず7月14日に解雇され引退した。

指導者[編集]

インディアンス~エンゼルス[編集]

1996年1997年1999年はインディアンスのGM特別補佐として働き、1998年はインディアンス傘下のAAA級バッファローでピッチングコーチをしていた[7]11月24日アナハイム・エンゼルスの投手コーチに就任、2000年からメジャーでのコーチキャリアがスタートした。ジョン・ラッキーアービン・サンタナジェレッド・ウィーバーブレンダン・ドネリースコット・シールズフランシスコ・ロドリゲスらを育て上げ、2006年までの7年間で5回リーグ5位以内に入り、2002年にはワールドシリーズ制覇をなしとげた投手陣を育成した手腕は、大いに評価された[7]

パドレス監督[編集]

2006年オフにはアスレチックスジャイアンツパドレスの監督候補として名が挙がっていたが、11月8日にパドレスの6人の候補者の中から選ばれ監督に就任することが発表された[8]。サンディエゴ州立大時代のチームメイト、殿堂入りの名選手でありパドレスの英雄でもあるトニー・グウィンも、この決定に歓迎するコメントを寄せた[8][9]

監督1年目として迎えた2007年のシーズンは最後まで混戦であったが、最終的には首位のダイヤモンドバックスと1.5ゲーム差のナ・リーグ西地区3位でシーズンを終えた。しかしチーム打率がリーグ16チーム中15位の.251という貧打の中、チーム防御率は1位の3.70、前年防御率4点台と不振であったジェイク・ピービーを復調させサイ・ヤング賞を受賞させるなど、1年目としては合格点を与えられる結果を残した。

2010年シーズンには一部では最下位に終わると予想していたが、投手陣と守備陣が大健闘し、久々の地区優勝もあると思われていたが終盤に失速し、サンフランシスコ・ジャイアンツに追い抜かれ2位に終わるも、最後まで守り抜く野球が評価され、この年の最優秀監督賞を受賞した。

年度別投手成績[編集]


















































W
H
I
P
1981 SEA 0 0 0.00 2 0 0 0 0 -- -- 1.0 2 0 0 0 3 0 1 0 0 0.00 5.00
1982 KC 4 6 4.59 22 14 0 0 0 -- .400 88.1 92 48 45 10 34 3 4 7 40 4.08 1.43
1983 10 7 3.79 24 24 3 0 0 -- .588 161.1 159 75 68 19 43 2 4 0 58 3.24 1.25
1984 17 12 3.12 35 35 8 1 0 -- .586 257.0 226 99 89 22 64 4 2 2 140 4.90 1.13
1985 10 15 4.33 33 33 5 2 0 -- .400 205.2 216 111 99 17 59 8 9 1 122 5.34 1.34
1986 5 10 3.20 56 4 0 0 9 -- .333 121.0 100 49 43 14 43 7 2 2 68 5.06 1.18
1987 8 6 3.61 29 18 0 0 1 1 .571 122.1 126 63 49 16 35 5 6 0 61 4.49 1.32
1988 KC 2 1 4.91 17 0 0 0 0 3 .667 22.0 23 12 12 2 11 4 5 4 19 7.77 1.39
CLE 2 3 5.03 16 7 0 0 1 2 .400 59.0 59 35 33 6 23 0 0 2 44 6.71 1.55
4 4 5.00 33 7 0 0 1 5 .500 81.0 82 47 45 8 34 4 5 6 63 7.00 1.43
1989 CLE 12 11 3.36 33 32 6 3 0 0 .522 222.1 213 95 83 14 52 1 13 5 88 3.56 1.19
1990 CLE 11 10 3.53 29 29 5 2 0 0 .524 191.0 171 79 75 17 58 4 6 1 103 4.85 1.20
TOR 2 1 4.02 3 2 0 0 0 0 .667 15.2 10 7 7 2 3 1 0 0 3 1.72 0.83
13 11 3.57 32 31 5 2 0 0 .542 206.2 181 86 82 19 61 5 6 1 106 4.62 1.17
1991 SF 12 16 3.99 34 34 3 3 0 0 .429 214.1 201 104 95 25 71 4 6 6 104 4.37 1.27
1992 10 12 3.97 28 28 2 1 0 0 .455 177.0 178 88 78 23 59 1 3 7 82 4.17 1.34
1993 8 2 3.56 16 16 0 0 0 0 .800 93.2 89 44 37 13 33 2 0 4 45 4.32 1.30
1994 4 2 4.47 10 10 0 0 0 0 .667 54.1 50 31 27 9 16 3 3 1 28 4.64 1.21
1995 CLE 4 2 6.85 11 10 0 0 0 0 .667 47.1 63 42 36 8 16 0 1 1 34 6.47 1.67
通算 15年 121 116 3.84 398 296 32 12 11 6 .511 2053.1 1978 600 876 217 623 49 65 43 1039 4.55 1.27
  • 太字はリーグトップ。

年度別監督成績[編集]

年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考 プレーオフ勝敗
2007 SD NL 西 50 163 89 74 .546 3 / 5
2008 51 162 63 99 .389 5 / 5
2009 52 162 75 87 .463 4 / 5
2010 53 162 90 72 .556 2 / 5
2011 54 162 71 91 .438 5 / 5
2012 55 162 76 86 .469 4 / 5
2013 56 162 76 86 .469 3 / 5
通算:7年 1135 540 595 .476
  • 2013年度シーズン終了時

参考資料[編集]

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  1. ^ a b The Ballplayers - Bud Black”. BaseballLibrary.com. 2008年2月22日閲覧。
  2. ^ ESPN - Elias Says ...”. ESPN.com (2006年11月9日). 2008年2月22日閲覧。
  3. ^ Lewis&Clark Specialty Hospital”. 2008年2月22日閲覧。
  4. ^ Teaching Throwing Mechanics to Youth Players (PDF)”. 2008年2月22日閲覧。
  5. ^ BASEBALL; If Black Gets $3 Million, Gooden Will Get . . .”. New York Times (2000年11月25日). 2008年2月22日閲覧。
  6. ^ Meet Bud Black, the pariah of major league baseball” (2000年11月27日). 2008年2月22日閲覧。
  7. ^ a b The Official Site of The San Diego Padres: Team: Manager and Coaches”. 2008年2月22日閲覧。
  8. ^ a b Back in Black: Padres Hire Bud Black”. washingtonpost.com. 2008年2月22日閲覧。
  9. ^ Black to manage Padres”. The Japan Times Online (2006年11月10日). 2008年2月22日閲覧。

外部リンク[編集]