トロイ・パーシバル
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| トロイ・パーシバル Troy Percival タンパベイ・レイズ No.40 |
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1969年8月9日(39歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 200 lb =約90.72kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1990年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 1995年4月26日 |
| 年俸 | $3,897,797[1](2008年) |
| 経歴 | |
|
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| ■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 | |
トロイ・パーシバル(Troy Eugene Percival, 1969年8月9日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州出身の野球選手。右投げ右打ち、投手。現在はメジャーリーグ、タンパベイ・レイズに所属している。
目次 |
[編集] 経歴
カリフォルニア大学リバーサイド校から1990年にカリフォルニア・エンゼルスのドラフト6巡目で指名を受け捕手として入団。強肩であったが、メジャー1年目A級での打率は.203だった。ボブ・クリアーとフランク・リーバーガーの2人の巡回コーチから「捕手としてプレーを続けて君のキャリアを無駄にする必要はない。君には凄い強肩があるじゃないか。ピッチャーとしてやってみないか?」と投手転向を勧められた[1]。
捕手に愛着があったがパーシバルは投手に転向し、1991年にA級でリーグ最多の12セーブを記録するなどリリーフとして徐々に実績を積み重ねる[1]。1995年にはメジャーの開幕ロースター入りを果たし、4月26日にメジャーデビューする。この年はリー・スミスへのセットアップ役[1]として62試合に登板し、3勝、3セーブ、防御率1.95、奪三振率11.43という活躍で新人王投票では4位となった。
故障のリー・スミスに代わり1996年は開幕からクローザーに就任。オールスターにも初出場を果たして36セーブを挙げる。1997年は右肩の故障で1か月半故障者リスト入りしたため27セーブに終わったが、翌1998年には自己最多で球団歴代2位となる42セーブを記録。2002年は4勝1敗40セーブ、防御率1.92を記録し、チームはワイルドカードでポストシーズンに進出する。ポストシーズンでは9月18日にデビューしたばかりの新人で、大ブレークしたフランシスコ・ロドリゲスのあとを受け、9試合に登板し失敗なしの7セーブを記録、球団史上初の世界一の瞬間にはマウンド上で雄たけびを上げた。
2004年も33セーブを記録し地区優勝に貢献したものの、ロドリゲスの成長と年俸削減を図るチームの方針からフリーエージェントとなる[要出典]。エンゼルスに在籍していた10年間では、1998年から7年連続30セーブ以上を記録、また通算316セーブは球団記録(2007年末現在)である。
オフには日本球界からも読売ジャイアンツが獲得に乗り出してたが[要出典]、デトロイト・タイガースに入団。パーシバル獲得に失敗した巨人はダン・ミセリと契約した。2005年は開幕から故障に悩まされ、5月9日右腕屈筋裂傷で故障者リスト入りする。6月4日にいったん復帰したものの、7月9日再び故障者リスト入りしてシーズンを終えた。2006年は右前腕の故障が癒えずシーズンを通して故障者リストですごした[2]。
引退を決意した2007年は、エンゼルスの巡回投手コーチに就任し、傘下のマイナーチームで指導をすることとなった[3]。4月2日には1日だけエンゼルスとマイナー契約を結び、アナハイムでの開幕戦でエンゼルスの選手として引退式を行なった[4][5]。ところが子供の野球の練習を手伝っていた際に腕の痛みが消えていることに気づき、母校カリフォルニア大学で練習を始める[6]。 5月18日には現役復帰をめざすと発表し、チームにコーチ契約の解除を申し出た。実に早い引退撤回であった。数チームが注目する中、6月8日にカージナルスとマイナー契約を結び、6月28日には約2年ぶりにメジャー復帰、中継ぎとして34試合に登板し、防御率1.80という好成績を残した。シーズン終了後の11月2日はFAとなり、ミルウォーキー・ブルワーズ、ニューヨーク・ヤンキース、タイガースも興味を示していたが、11月29日にエンゼルス時代のベンチコーチであるジョー・マドンが監督をつとめるタンパベイ・レイズと2年総額800万ドルで契約した。 レイズではリリーフ投手としてだけではなく、若い投手陣のリーダーとしての役割も期待されている[7]。
エンゼルス時代にチームメートであった長谷川滋利とは1997年の入団会見以来の仲で、長谷川にとっては「メジャーリーグにおける師匠のような存在」[8]であるという。
[編集] プレイスタイル
全盛期は100マイル(約161キロ)を超えるストレートに加え、カーブ、チェンジアップが武器であったが、現在の直球のスピードは90~95(約145~153キロ)マイルである[2]。
[編集] 受賞歴・記録
- オールスター出場4回(1996年、1998年、1999年、2001年)
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
勝 利 |
敗 戦 |
防 御 率 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
失 点 |
自 責 点 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
奪 三 振 |
奪 三 振 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | CAL | 3 | 2 | 1.95 | 62 | 0 | 0 | 0 | 3 | 29 | .600 | 74 | 37 | 19 | 16 | 6 | 26 | 1 | 2 | 2 | 94 | 11.43 | 0.85 |
| 1996 | 0 | 2 | 2.31 | 62 | 0 | 0 | 0 | 36 | 2 | -- | 74 | 38 | 20 | 19 | 8 | 31 | 2 | 2 | 0 | 100 | 12.16 | 0.93 | |
| 1997 | ANA | 5 | 5 | 3.46 | 55 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | .500 | 52 | 40 | 20 | 20 | 6 | 22 | 4 | 5 | 0 | 72 | 12.46 | 1.19 |
| 1998 | 2 | 7 | 3.65 | 67 | 0 | 0 | 0 | 42 | 0 | .222 | 66.2 | 45 | 31 | 27 | 5 | 37 | 3 | 3 | 0 | 87 | 11.75 | 1.23 | |
| 1999 | 4 | 6 | 3.79 | 60 | 0 | 0 | 0 | 31 | 0 | .400 | 57 | 38 | 24 | 24 | 9 | 22 | 3 | 3 | 0 | 58 | 9.16 | 1.05 | |
| 2000 | 5 | 5 | 4.50 | 54 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 | .500 | 50 | 42 | 27 | 25 | 7 | 30 | 2 | 1 | 0 | 49 | 8.82 | 1.44 | |
| 2001 | 4 | 2 | 2.65 | 57 | 0 | 0 | 0 | 39 | 0 | .667 | 57.2 | 39 | 19 | 17 | 3 | 18 | 2 | 2 | 0 | 71 | 11.08 | 0.99 | |
| 2002 | 4 | 1 | 1.92 | 58 | 0 | 0 | 0 | 40 | 0 | .800 | 56.1 | 38 | 12 | 12 | 5 | 25 | 0 | 5 | 0 | 68 | 10.86 | 1.12 | |
| 2003 | 0 | 5 | 3.47 | 52 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 | -- | 49.1 | 33 | 22 | 19 | 7 | 23 | 3 | 1 | 0 | 48 | 8.76 | 1.14 | |
| 2004 | 2 | 3 | 2.90 | 52 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 | .400 | 49.2 | 43 | 19 | 16 | 7 | 19 | 3 | 2 | 0 | 33 | 5.98 | 1.25 | |
| 2005 | DET | 1 | 3 | 5.76 | 26 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | .250 | 25 | 19 | 16 | 16 | 7 | 11 | 2 | 0 | 0 | 20 | 7.20 | 1.20 |
| 2007 | STL | 3 | 0 | 1.80 | 34 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 40 | 24 | 8 | 8 | 3 | 10 | 0 | 2 | 0 | 36 | 8.10 | 0.85 |
| 通算 | 12年 | 33 | 41 | 3.03 | 639 | 1 | 0 | 0 | 324 | 34 | .446 | 651.2 | 436 | 237 | 219 | 73 | 274 | 25 | 28 | 2 | 736 | 10.17 | 1.09 |
[編集] 脚注
- ^ a b c ]古内義明・ナガオ勝司・大冨真一郎「THE CONSOLATION MATCH ON THE MOUND マウンドにかけた第二の野球人生。/トロイ・パーシバル[エンゼルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、26頁。
- ^ a b "Percival planning comeback". OCRegister.com (2007-11-30). 2008-02-26 閲覧。
- ^ "Notes: Percival returns as instructor". MLB.com (2007-01-19). 2008-02-26 閲覧。
- ^ "Percival officially retires as an Angel". MLB.com (2007-04-02). 2008-02-26 閲覧。
- ^ "Percival says goodbye as Halo". MLB.com (2007-04-02). 2008-02-26 閲覧。
- ^ "Cardinals have two weeks to call up Percival". ESPN.com (2007-06-12). 2008-02-26 閲覧。
- ^ "Rays, reliever Percival sign multi-year deal with incentives". ESPN (2007-11-30). 2008-02-26 閲覧。
- ^ http://sports.yoshimoto.co.jp/shiggy_blog/2007/07/post_c37d.html
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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