マラカイ・キットリッジ
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マラカイ・キットリッジ(Malachi Jeddidah Kittridge,1869年10月12日 - 1928年6月23日)はアメリカ合衆国の元メジャーリーグ選手。ポジションは捕手。右投げ右打ち。打者としては良いといえる成績は残せなかったものの、メジャーリーグ屈指の強肩を持っていたことで知られていた。
1904年、ワシントン・セネタースの選手兼任監督となるが、開幕から17試合で1勝16敗とスタートにつまずき、監督はパトシー・ドノバンに代えられた。その年セネタースが38勝113敗と大きく負け越す要因を作ってしまった。
1906年途中クリーブランド・ナップスにトレードされたが、そこでは5試合にしか出場できず、その年引退。
所属球団 [編集]
- シカゴ・コルツ (1890年 - 1897年)
- ルイビル・カーネルズ (1898年, 1899年)
- ワシントン・セネタース (1899年, 1903年 - 1906年)
- ボストン・ビーンイーターズ (1901年 - 1903年)
- クリーブランド・ナップス (1906年)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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