テコンドー

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テコンドー
WTF テコンドーのスパーリング競技
WTF テコンドーのスパーリング競技
発生国 大韓民国の旗 大韓民国
主要技術 打撃技 (蹴り技)
オリンピック競技 有り (2000年 - )
  
テコンドー
各種表記
ハングル 태권도
漢字 跆拳道
片仮名
(現地語読み仮名)
テックォンド
英語表記: Taekwondo, Taekwon-Do
  

テコンドー(跆拳道)とは、格闘技スポーツ武道の一種で、韓国国技。多彩な蹴り技が特徴。「跆拳道」の「跆」は、踏む・跳ぶ・蹴る等の足技、「拳」は突く、叩く、受ける等の手技、「道」は武道を意味する。

目次

[編集] 概説

テコンドーは世界で最も競技人口が多い格闘技のひとつである[1]。その要因は、テコンドーが戦闘技術護身スポーツエクササイズ瞑想哲学と、いくつかの領域において多様な開発がおこなわれた格闘技であることによる。テコンドーは韓国の軍隊でのトレーニングでも用いられている[2]。テコンドーのスパーリング競技は、2000年よりオリンピックの正式競技種目となっている。

正式には、テコンドーには2つの主要な系統がある。ひとつは夏季オリンピックスパーリング競技で見られる、韓国国技院を起点とし、世界テコンドー連盟 (WTF) により統括されている系統、もうひとつは国際テコンドー連盟 (ITF) の系統である[3]

[編集] 歴史

1955年4月11日、「テコンドー」という名称が、崔泓熙(チェ・ホンヒ) が日本留学中に学んだ松涛館空手と、韓国の古武術テッキョンの要素を取り入れて開発してきた格闘技に対して正式に命名された[4]

[編集] 「テコンドー」命名以前

李承晩大統領時代、日韓併合時に日本から朝鮮半島へ伝わった空手は「カラテドー(空手道の日本語読み)」、「コンスドー(空手道の韓国語読み)」、「タンスドー(唐手道の韓国語読み)」、「拳法」など、様々な名称で普及していた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。

  • 青涛館(1944年 - )
    初代館長は李元国 (イ・ウォングク)。日本留学中に松武館の盧秉直とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。朝鮮戦争勃発時、軍の召集を拒み日本へ密航した。青涛館の分館として4つの道場が派生。
  • 吾道館
館長は崔泓熙(チェ・ホンヒ)陸軍少将。軍隊内でその教義を広め、民間道場とは一線を画していた。「蒼軒流空手」と称したこともあるが、李承晩大統領と接し、1955年から「テコンドー」の名称を使い始める。ベトナム戦争時は657名のテコンドー師範を同地に派遣した。
  • 国武館
  • 正道館
  • 青龍館
  • 松武館 (1946年 - )
    館長は盧秉直 (ノ・ピョンジク) 。日本留学中に青涛館の李元国とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。後に大韓テコンドー協会の第5代会長に就任。
  • 朝鮮研武館空手道部 / 智道館 (1946年 - 1967年)
    館長は田祥燮 (チョン・サンソプ)。 柔道道場内に発生。後年、智道館に改称。
  • YMCA拳法部 / 彰武館 (1946年 - )
    館長は尹炳仁 (ユン・ピョンイン) 。後に智道館と親交を深める。後年、彰武館に改称。この分館として講徳院、韓武館等がある。
  • 武徳館
    館長は黄琦(ファン・ギ)。鉄道局内のクラブとして発生。「唐手道(タンスドー)」あるいは「手搏道(スバクドー)」の名で普及。黄琦は、南満州中国武術を学んだとしている。

[編集] 「テコンドー」命名

  • 1950年 - 朝鮮戦争が勃発。臨時政府のあった釜山で「大韓空手道協会」が創立される。1ヶ月後、武徳館館長の黄琦が離脱。続いてその1ヶ月後、青涛館館長の孫徳成(ソン・トクソン)も離脱する。
  • 1953年 - 黄琦が「大韓唐手道協会」を独自に発足。
  • 1954年12月 - 崔泓熙、自らが開発してきた武道の名称をテッキョンの名を模した「テコンドー」に決定。
  • 1955年4月11日 - 崔泓熙が名称制定委員会を召集、テコンドーの名称が李承晩大統領によって公式に認定される。
  • 1959年9月3日 - 崔泓熙が大韓空手道協会を「大韓テコンドー協会」に改称する。
  • 1960年 - 李承晩大統領が経済政策に失敗し、4·19革命で国外に追われる。黄琦、大韓唐手道協会を「大韓手搏道会」へと改称、大韓民国文教部体育会で登録を果たす。
  • 1961年 - 崔泓熙の後輩にあたる朴正煕らによって引き起こされた5·16軍事クーデター後、政権が朴正煕が率いる国家再建最高会議に掌握される。新政権樹立後、以前の文教部登録などが無効となり、国家再建最高会議が団体の文教部への再登録を求めたことから再び統一名称問題が持ち上がる。
  • 1961年9月 - 名称統合会議が開催され、テコンドーの「跆 (テ)」と空手の「手 (ス)」を繋ぎ、「跆手道(テスドー)」という名称に決定した。これに伴い、組織名は「大韓テスドー協会」に改称される。
  • 1962年 - 黄琦、智道館の尹快炳 (ユン・ケビョン) を伴い、大韓テスドー協会から正式に脱退。崔泓熙、軍職を解かれマレーシア初代韓国大使に任命される。
  • 1964年 - 韓国に帰国した崔泓熙は大韓テスドー協会の会長に就任。再度テコンドーの名を復活させる活動を開始。
  • 1965年3月18日 - 崔泓熙、統合宣言式を開催し「大韓テコンドー協会」を主張。式には黄琦も参加したが統合の無効を主張、独自に「大韓手搏道会」を活動させる。
  • 1965年8月5日 -大韓テスドー協会、「大韓テコンドー協会」に改称される。

[編集] 団体の分裂

再び会長職についた崔泓熙も、1年あまりで会長職を退陣し、新たに創立された国際テコンドー連盟 (ITF) の総裁に就任。一方、大韓テコンドー協会は韓国国技を担う位置付けを獲得していった。こうしてテコンドーは2つの組織によって広められていくことになる。

  • 1966年 - 崔泓熙、大韓テコンドー協会会長を理事らによる不信任によって退陣。第5代会長に松武館館長の盧秉直 (ノ・ピョンジク) が就任。同年、韓国、アメリカ、西ドイツ、イタリアなど9カ国の組織の承認を得て、国際テコンドー連盟(ITF)が創設される。式典はソウルの朝鮮ホテルで行われた。
  • 1967年 - 朴正煕大統領の意思の下、大統領警護室補佐官の金容彩が大韓テコンドー協会の第6代会長に就任。
  • 1968年 - 大韓手搏道会がソウルで第1回世界大会を開催。
  • 1971年 - 朴正煕大統領により、テコンドーが国技の揮毫を受ける。
  • 1973年 - 世界テコンドー本部総本部道場国技院が開館。同年、 崔泓熙がカナダへ亡命、その際ITF本部をトロントへと変更し、これを受けて韓国が独自に世界テコンドー連盟 (WTF)を設立する。

[編集] オリンピック競技化

オリンピックでのテコンドーのマーク

[編集] オリンピック競技としてのテコンドー

2000年シドニーオリンピックでWTFテコンドーが正式競技種目として採用された際に、競技開催上の変更・制約が適用された。

  • 階級の集約。本来、WTFテコンドーには男女共に8階級存在するが、4階級に集約された。
  • 国ごとの出場枠の設定。1ヶ国の代表選手数は男女共に2名、最大4名までに制約された。その結果、韓国がメダルを独占していた状況から転じて、多彩な国々がメダルを獲得することとなった。オリンピックでこのように国ごとの出場枠が設定されている競技はテコンドーのみである。

[編集] 近年

  • 2002年 - 崔泓熙没 (享年84歳)。没後、ITFが3つの後継グループに分裂。

[編集] 特徴

柔軟性を高めるストレッチは、テコンドーの稽古における重要な一面

テコンドーは、空手功夫といった格闘技に通じる蹴り技が重視されていることでよく知られている。蹴り技が重視されている理由は、脚は身体における最も長くかつ強い武器であり、蹴りは相手からの反撃を受けることなく強力な打撃を与えられる潜在性を秘めているためである。

格闘技としてのテコンドーは、老若男女問わず支持を得ている。身体的には、テコンドーは強さ、スピード、バランス感覚、柔軟性、スタミナを高める。精神面・肉体面双方の鍛錬を融合した成果を示すものの一例として、身体的な技術面の熟練と、力への集中力の双方を必要とする試割を挙げることができる。

道場や教室によって異なるが、テコンドーを学ぶ者たちは、以下のようなことをすべて、あるいは部分的に体験することを期待できる。

  • テコンドーの技術と体系の学習
  • ストレッチなどの有酸素運動
  • 護身術 (「ホシンスル (護身術)」と呼ばれる)
  • 型 (WTF では「プンセ (品勢)」、ITF では「トゥル (型)」と呼ばれる)
  • スパーリング (WTF では「キョルギ (競技)」、ITF では「マッソギ (組手)」と呼ばれる)。3歩・2歩・1歩の約束組手および自由形式のスパーリング、マススパーリング、等
  • リラクゼーションと瞑想
  • パワーブレイキング (力量を重視した試割。WTF では「キョッパ (撃破)」、ITF では「ウィリョ (威力)」と呼ばれる)
  • スピードブレイキング (速度を重視した試割)。端を緩く持った状態で板を割るため、特にスピードに集中する必要がある
  • スペシャルテクニック。高さ・距離、または障害物を設けて、その先にある板を跳んで割る、など
  • 昇級・昇段審査
  • 精神的・倫理的な鍛錬、正義、礼儀、敬意、自信に対する視点の養成

[編集] 団体

テコンドーの主要団体として、ITFと、WTF の 2 つがあり、異なるシステム (級位・段位等) とスタイル (技、型、試合ルール等) を持っている。また、特に欧米ではいずれかにルーツを持ちながら独自に派生した団体や教室も数多く存在している。

[編集] ITF

国際テコンドー連盟 (International Taekwon-Do Federation) は、1966年3月22日に9ヶ国の承認を受けて韓国ソウルで発足。初代総裁は崔泓熙ライトコンタクト制のルールで、下段攻撃は禁止されているが顔面への拳攻撃は許容されている。防具は手足のみに着用し、ベースとなった空手により近い。

1974年10月、ITF第1回世界大会開催 (カナダモントリオール) 。以後、2009年まで16回の世界大会を開催。

2002年、初代総裁の崔泓熙没後、ITFはトラン・クァン派、張雄 (チャン・ウン) 派、崔重華 (チェ・ジュンファ) 派の3派に分裂。最終的にトラン・クァン派が従来のITFを公式に継承する連盟として承認された。

[編集] WTF

WTF 公式防具 (胴部、上腕、脛部用)

世界テコンドー連盟 (World Taekwondo Federation) は、1973年5月28日韓国国技院でおこなわれた設立会議を以って設立。下段攻撃 (ローキック等) や顔面への拳攻撃禁止の制約を持つ限定フルコンタクト制のルールだが、防具は手足のみならず頭部、胴部にも着用する等安全性が考慮され、よりスポーツ性が高い。「足のボクシング」とも形容される[5]

オリンピック正式種目になっているのはスパーリング競技 (キョルギ) のみだが、世界選手権では (プムセ; 品勢)、試割 (キョッパ; 撃破) 等の種目もおこなわれている。

[編集] 日本における主要団体

日本での主な団体として、WTF の全日本テコンドー協会 (AJTA)、ITF 3 団体、日本の ITF から派生・独自に発展した 日本テコンドー協会 (JTA) が存在する。

[編集] WTF

  • 1999年 - 日本の主力WTF団体間の吸収合併がおこなわれるなど、主要な団体間での協力体制が樹立された。
  • 2004年 - 日本の主力WTF団体が 2 勢力に分裂。
  • 2006年 - 日本のWTF団体の統合が進む。

[編集] ITF

  • 1982年 - パク・チョンテによりITFテコンドーの日本への普及が開始。
  • 1983年7月4日 - ITF より認可を受け、日本国際テコンドー協会 (ITF-JAPAN) が設立。
  • 2001年 - ITF-JAPAN から日本テコンドー協会 (JTA) が派生・独立。「フルコンタクト・テコンドー」を掲げ、独自に発展した。
  • 2004年 - ITFが3つに分裂したことを受けて、日本のITFも3つに分裂。

[編集] 主な選手

[編集] WTF

[編集] ITF

  • 稲守朋子
    卵巣癌に侵されながらも、世界大会のシニア団体女子トゥルで優勝を飾った日本の選手。

[編集]

テコンドーには空手と同様に「」がある。ITFの型は「トゥル」、WTFの型は「プムセ (品勢)」と呼ばれる。

[編集] ITF

ITFには24の型 (トゥル) があり、その名称は、朝鮮半島の歴史や神話の人物に因んだものとなっている。サイン・ウエーブと呼ばれる、移動時に上下に波打つ独特の動作が特徴。

  • 9級~1級 - 天地、檀君、島山、元曉、栗谷、重根、退渓、花郎、忠武
  • 初段から - 廣開、圃隠、階伯、義菴、忠壮、主体、三一、庚信、崔瑩、淵蓋、乙支、文武、西山、世宗、統一

[編集] WTF

WTFの型 (プムセ)には、番号で分けられた「太極 (テグ) 」と、韓国の地名に因んだ名称を持つ「高麗 (コリョ) 」「金剛 (クンガン) 」などがある。

  • 8級~1級 - 太極 1番~8番
  • 初段から - 高麗、金剛、太白、平原、十進、地胎、天権、漢水、一如

[編集] 起源

近代格闘技としてのテコンドーは日本空手が源流と考えられる。創始者である崔泓熙は、松涛館空手を学んでテコンドーを創始したとしており、また、韓国国技院副院長はテコンドーは空手から派生したものであり、蹴りを主眼に置いて競技化したことで空手との差別化を図ったとしている[6] [7]

韓国の古武術テッキョンを起源とする見方もあるが、過去に韓国国技としてのテコンドー普及の名目に誇大宣伝されてきた経緯がある[8]李氏朝鮮時代にはは盛んだったものの、文尊武碑体制化により武は軽視されており[9]、テコンドーの前身となる武道の普及が活性化した1940年代中盤の朝鮮半島に独自の武術が残っていたかは定かではない。

[編集] 地域的な起源・国籍に関する補足

テコンドーの地域的な起源はWTFITFともに韓国である。稀にWTF韓国系、ITF北朝鮮系と紹介されることがあるが、これは誤りである。

  • 創始者崔泓熙韓国籍であり、韓国からカナダに亡命している。彼の故郷は現在の北朝鮮にあたるが、朝鮮戦争以前に来日しており、戦後は韓国軍の高級将校であった。
  • 北朝鮮ではITFテコンドーが広まっているが、伝わった時期は1981年と、ITFの発足から実に15年も後のことである。
    WTFテコンドーは1973年のWTF発足以降、韓国の国技として学校教育から軍隊格闘技に至るまで国を挙げて奨励された。北朝鮮に紹介されることはあまりなかった。
    ITFテコンドーは1981年に北朝鮮に伝えられ、「民族伝統の武術」として軍隊を中心に盛んに奨励された。北朝鮮の大きなイベントの際にマスゲームと共に大規模な演武がおこなわれることもある。
  • 日本ではITFの認可を受けた団体として1983年に日本国際テコンドー協会 (ITF-JAPAN) が発足した。同協会には朝鮮籍の競技者がいるが、彼らは朝鮮半島が分裂する前からの日本在住者およびその子孫にあたる。

[編集] 脚注

  1. ^ Park Yeon Hee; Park Yeon Hwan; & Jon Gerrard (1989). Tae Kwon Do: The Ultimate Reference Guide to the World's Most Popular Martial Art. Checkmark Books. ISBN 978-0816038398. 
  2. ^ Sung Il Oh, What is the "World Taekwondo Federation"?, Korean Military Arts Federation, http://militaryarts.kr/article5.php, “Taekwondo is the basis for the physical fitness program of the Korean army.” 
  3. ^ General Choi Hong Hi”. The Daily Telegraph (London: Telegraph Media Group). (2002-06-26). http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1398386/General-Choi-Hong-Hi.html 2008-07-18 閲覧。 
  4. ^ International Taekwon-Do Federation Taekwon-Do History
  5. ^ 社団法人全日本テコンドー協会, テコンドーという競技, http://www.ajta.gr.jp/taekwondo/index.html 
  6. ^ dongA.com 新東亜 (2004-10-27), 李ゾンウ国技院副院長、「テコンドーの歴史」衝撃告白!, 東亜日報, http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2004/10/27/200410270500063/200410270500063_1.html 2010-02-04 閲覧, “テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。” 
  7. ^ dongA.com 新東亜 (2004-10-27), 李ゾンウ国技院副院長、「テコンドーの歴史」衝撃告白!, 東亜日報, http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2004/10/27/200410270500063/200410270500063_1.html 2010-02-04 閲覧, “空手から派生したテコンドーだが、蹴りを主眼に置いて競技化したことで、型や手動作に重きを置いた空手の陰から脱した” 
  8. ^ dongA.com 新東亜 (2004-10-27), 李ゾンウ国技院副院長、「テコンドーの歴史」衝撃告白!, 東亜日報, http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2004/10/27/200410270500063/200410270500063_1.html 2010-02-04 閲覧, “私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。” 
  9. ^ Dr. Steven D. Capener PhD (1995), Problems in the Identity and Philosophy of Taegwondo and Their Historical Causes, Korean Journal, http://assets.teamusa.org/assets/documents/attached_file/filename/5008/HistoryofTaekwondo.pdf 2010-02-04 閲覧, “during the last half of the Choson dynasty, physical activity, especially of a martial nature, became all object of scorn and a sign of low breeding as seen in the royal court attitude of valuing learning and disregarding martial skill.” 

[編集] 関連記事

[編集] 外部リンク

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