パブロ・オズーナ

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パブロ・オズーナ
Pablo Ozuna
PABLO OZUNA BATTING.JPG
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ドミニカ共和国 サントドミンゴ
生年月日 1974年8月25日(38歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 1996年
初出場 2000年4月23日
経歴(括弧内は在籍年)

パブロ・オズーナ(Pablo Jose Ozuna、1974年8月25日 - )は、フィラデルフィア・フィリーズ傘下所属の外野手ユーティリティープレイヤー。右投右打。ドミニカ共和国サントドミンゴ出身。

ポジションは主に外野手で、他にセカンドショートサードファーストでのプレー経験がある。

目次

経歴[編集]

プロ入り二年目の1998年セントルイス・カージナルス傘下のマイナーリーグ(A級)で133試合打率.357 ・ 出塁率.400 ・ OPS.894 ・ 62盗塁の好成績を収め、ベースボール・アメリカ誌のマイナー代表チームとミッドウェスト・リーグのトップ・プロスペクトに選出され、MVPにも輝くなど、MLBへの足がかりを掴む。同年12月14日フロリダ・マーリンズと3対1のトレードが成立し(カージナルス側はアーマンド・アルマンザブレイデン・ルーパーの両投手とオズーナ、マーリンズ側はエドガー・レンテリア)、マーリンズへ移籍。

2000年にマーリンズからメジャーデビュー。わずか14試合の出場ながら、打率.333をマーク。翌年以降の期待を抱かせた。

2001年は前年の2倍以上の34試合に出場し、打率.277をマーク。

2003年コロラド・ロッキーズへ移籍。わずか17試合・打率.200に終わった。

2004年はメジャーリーグでのプレー機会はなかったが、2005年シカゴ・ホワイトソックスに移籍すると、複数のポジションをこなすユーティリティー代走・右の代打として、チームの世界一に貢献。当時、腰に故障を抱えていたジョー・クリーディやメジャー1年目だった井口資仁らの休養日の代役として、ウィリー・ハリスティモ・ペレスらと共に大きな役目を担った。そして、主に控えでの出場ながら、自己最多の14盗塁をマーク。

2006年アレックス・シントロンロブ・マコーヴィアクらと共にユーティリティーとしてプレーし、自己最多の79試合に出場し、打率.328・メジャー初本塁打を含む2本塁打をマークした。また、レフトの守備で、ショーン・ケーシーを一塁でアウトにしてレフトゴロを記録した。

2009年1月15日フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約。同年6月11日、禁止薬物に陽性反応を示し、50試合の出場停止処分が下る。

選手としての特徴[編集]

1999年当時は、「選球眼が甘く四球を選べないものの、コンタクトに優れ、スピードとクイックネス(初動の速さ)を兼ね備えた優れた走者で遊撃守備も上手い」と評され、「(前年オフに)マーリンズがレンテリアを放出してまでトレードに応じたのは、オズーナを欲したからだ」と言われたほど将来を嘱望されていた[1]

参考資料[編集]

  1. ^ 谷口輝世子 「Future Impact ― 未来を約束された7人のルーキー」 『月刊スラッガー No.13 , 1999年5月号』 日本スポーツ企画出版社、51-55頁。

外部リンク[編集]