小池正晃
| 横浜DeNAベイスターズ #8 | |
|---|---|
中日時代(2009年6月27日、マツダスタジアム)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区 |
| 生年月日 | 1980年5月15日(31歳) |
| 身長 体重 |
183cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト6位 |
| 初出場 | 2001年4月20日 |
| 年俸 | 2,700万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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小池 正晃(こいけ まさあき、1980年5月15日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
愛称は「ゴジ」。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
実家は横浜市保土ケ谷区のお茶屋・丸秀園。横浜市立峯小学校出身、横浜市立宮田中学校3年の1995年中本牧リトルシニア所属で全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップ制覇、横浜高校卒業。1998年、横浜高校で松坂大輔、後藤武敏、小山良男らと共に甲子園春夏連覇達成、かながわ・ゆめ国体でも優勝。主に1番右翼手として活躍。夏の3回戦・星稜戦では先頭打者本塁打を放った。高校通算26本塁打。同年のドラフト会議で地元球団の横浜ベイスターズに6位で指名され、入団。
[編集] 横浜時代
高卒新人時代は一軍に昇格できなかったが横浜スタジアムで開催のフレッシュオールスターゲーム出場した。以後3年間一軍出場はなかった。2001年4月20日に初出場を果たす。9月25日には7番・左翼手で初スタメン出場した。
2002年は主に代打として60試合に出場、同年5月23日の対広島東洋カープ戦でプロ入り初本塁打。プロ入り後は三塁手も兼任しており、序盤はサードでの出場もあったが、終盤には鈴木尚典の離脱で左翼手での出場が増えた。
2003年は、村田修一、古木克明などに弾き出される形で出場機会が9試合と激減。2004年も一軍には上がるものの、試合には出られずにすぐに逆戻りという状態が続いていた。シーズン終了間際の対ヤクルトスワローズ27回戦では、2打席連続本塁打を放った。
2005年は前年オフにタイロン・ウッズが中日ドラゴンズに移籍したことで背番号を44に変更。尊敬するMLBのマイク・キャメロンと同じ番号になり、心機一転を図った。牛島和彦新監督に俊足を生かした広い守備範囲を買われ、6番・中堅手で初の開幕スタメンの座を掴んだが、打撃不振で一時レギュラーから退き、ケビン・ウィット(後に東北楽天ゴールデンイーグルスでもプレー)・内川聖一・古木らが左翼のレギュラーを争った。5月末に2番で起用されると5試合で5本塁打を打ち、そのまま2番・左翼手のレギュラーに定着した。多村仁の離脱時はセンターも守り、自己最多の出場機会を得た。37犠打はセ・リーグトップで、20本塁打を放った長打力も見せ、一躍主力選手となった。
2006年開幕当初は2番・左翼手だったが、打撃不振のためレフトのポジションを吉村裕基に奪われる。多村が負傷で長期離脱すると、中盤以降は2番・中堅手で事実上のレギュラーとして固定されるようになった。自己最多の39犠打で2年連続最多犠打を獲得し、職人ぶりは健在だった。打撃不振のさなか、チームの先頭打者石井琢朗が安打で出塁すると小池が送りバントをするケースが多かった。 シーズン終盤の9月28日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、佐藤充から左手に死球を受け途中退場。病院で検査したところ中指の骨折で全治2か月と診断されたため登録抹消される。2年連続規定打席到達を目前にして無念の離脱となった。
2007年、1番に巨人からトレードで移籍してきた仁志敏久、2番には石井琢朗が入り、センターには多村が寺原隼人との交換トレードでソフトバンクへ移籍した関係で、前年までライトを守っていた金城龍彦が4年ぶりに戻される。大矢明彦監督の下、去年まで内野手の佐伯貴弘や内川が外野手に転向される激しいポジション争いの中、打撃でアピールすることが出来ず、レギュラー定着には至らなかった。6月20日の対ソフトバンク戦(横浜スタジアム)でプロ入り初のサヨナラ本塁打を放った。12月7日に内川聖一と同じ横浜南共済病院にて扁桃腺除去手術を行う。
2008年は内野手にも挑戦することを決め、オープン戦では主に一塁手として起用された。新戦力の加入で外野手争いが激しくなったことや自身の不調もあり、開幕一軍は果たせず、その後も二軍生活が続いた。6月16日に投壊状態であった横浜と森野将彦、李炳圭など主力の外野手が相次いで離脱して不足していた中日との思惑が一致し、石井裕也との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。背番号は石井が付けていた30に決定した。
[編集] 中日時代
しばらくは二軍で調整する予定であったが、離脱中であった井端弘和の代役の2番打者として6月20日に一軍登録。21日、22日に2番・中堅手で出場し、22日には移籍後初のお立ち台に登っている。7月6日には移籍後初の本塁打をナゴヤドームで放っている。中日移籍後は堅実な守備力を買われ、一軍に定着。スタメン起用も多かった。シーズン終了後、ウッズの退団もあり、背番号を30から横浜時代に移籍するまで着用した44に変更。奇しくも、移籍先で同じ選手の退団による同じ背番号に変更するという珍しい事態となり、変更から1年も経たないうちに元の背番号に戻る形となった。
2009年、初の中日での春季キャンプでは外野手の他、一塁手や三塁手にも挑戦することになり、実際に本来の外野以外に一塁、三塁の位置で落合監督からノックを受けた。オープン戦では外野手の他に一塁手としても出場した。 開幕一軍を果たすも当初は藤井淳志、新人の野本圭らの台頭でスタメンでなく、代打や代走、守備固めとして起用されるケースが多かった。6月頃から相手の先発が左投手の場合は右翼手でスタメン起用されるようになる他、様々な役割を果たし、最終的に3年ぶりに100試合以上出場した。
2010年、個人応援歌ができる。レギュラーシーズンはやや不調気味で、移籍後初となる二軍落ちを経験するなど最終的に54試合の出場にとどまった。
2011年はキャンプから二軍スタートとなりそのまま開幕を迎えた。5月28日に今季初の一軍昇格を果たす。2011年6月19日のオリックス戦(ナゴヤドーム)で岸田護からサヨナラホームラン、7月6日の阪神戦では逆転満塁ホームランを打つなど勝負強さに加えてパンチ力も発揮した。トニ・ブランコが離脱した際には一塁手で出場することがあった。日本シリーズ第1戦では、ソフトバンクの馬原孝浩から決勝ソロホームランを放った。オフに出場機会を求めて国内FA権を行使した。
[編集] 横浜復帰
12月19日に古巣である横浜DeNAベイスターズと契約したと発表され、4年ぶりに古巣に復帰した。
[編集] プレースタイル
2005年に20本塁打を記録するなどパンチ力のある打撃が武器。大柄な体格ながら送りバントを得意としており、2005年と2006年はリーグ最多犠打を記録した。
外野守備は安定しており、肩もそれなりに強く、送球も安定している。外野の他に一塁と三塁の守備の練習もしており、中日時代には森野将彦に代わるユーティリティープレイヤーとして期待されていた。また、公式戦でも一塁手で出場を果たしている。
足は決して遅くはないが、盗塁はあまり得意ではなく、通算でも二桁に届かない程度にとどまっている。
打席に入る際、口に青いマウスピースを着用している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 横浜 | 19 | 28 | 24 | 3 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | .292 | .370 | .333 | .704 |
| 2002 | 60 | 114 | 109 | 11 | 28 | 4 | 0 | 2 | 38 | 11 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | 0 | 31 | 0 | .257 | .268 | .349 | .616 | |
| 2003 | 9 | 10 | 10 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .300 | .300 | .400 | .700 | |
| 2004 | 9 | 16 | 14 | 4 | 5 | 2 | 0 | 2 | 13 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | .357 | .438 | .929 | 1.366 | |
| 2005 | 129 | 492 | 404 | 66 | 98 | 16 | 0 | 20 | 174 | 53 | 0 | 1 | 37 | 5 | 42 | 0 | 4 | 95 | 9 | .243 | .316 | .431 | .747 | |
| 2006 | 112 | 417 | 352 | 45 | 94 | 23 | 2 | 7 | 142 | 33 | 3 | 2 | 39 | 3 | 15 | 0 | 8 | 79 | 4 | .267 | .310 | .403 | .713 | |
| 2007 | 83 | 126 | 112 | 14 | 26 | 7 | 0 | 2 | 39 | 7 | 0 | 2 | 5 | 0 | 9 | 0 | 0 | 16 | 2 | .232 | .289 | .348 | .637 | |
| 2008 | 中日 | 59 | 161 | 141 | 15 | 32 | 8 | 0 | 4 | 52 | 15 | 1 | 1 | 6 | 1 | 10 | 0 | 3 | 34 | 4 | .227 | .290 | .369 | .659 |
| 2009 | 101 | 201 | 174 | 20 | 40 | 6 | 0 | 7 | 67 | 18 | 1 | 1 | 11 | 0 | 13 | 0 | 3 | 42 | 4 | .230 | .295 | .385 | .680 | |
| 2010 | 54 | 99 | 84 | 3 | 17 | 2 | 1 | 1 | 24 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | 5 | 2 | 4 | 20 | 2 | .202 | .280 | .286 | .565 | |
| 2011 | 73 | 150 | 127 | 12 | 34 | 8 | 1 | 5 | 59 | 21 | 0 | 0 | 8 | 0 | 12 | 2 | 3 | 32 | 6 | .268 | .345 | .465 | .810 | |
| 通算:11年 | 708 | 1814 | 1551 | 193 | 384 | 78 | 4 | 50 | 620 | 167 | 6 | 9 | 115 | 10 | 113 | 5 | 25 | 360 | 32 | .248 | .307 | .400 | .707 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場:2001年4月20日、対読売ジャイアンツ4回戦(横浜スタジアム)、9回裏に代打として出場
- 初打席・初安打:同上、9回裏に岡島秀樹から内野安打
- 初先発出場:2001年9月25日、対阪神タイガース25回戦(横浜スタジアム)、7番・左翼手として先発出場
- 初本塁打・初打点:2002年5月23日、対広島東洋カープ8回戦(横浜スタジアム)、8回裏にリゴ・ベルトランから代打左越ソロ
- 初盗塁:2002年9月15日、対ヤクルトスワローズ25回戦(横浜スタジアム)、6回裏に二盗(投手:藤井秀悟、捕手:古田敦也)
- その他の記録
- 最多犠打:2005年(37犠打)・2006年(39犠打)
- 横浜球団通算6000本塁打:2005年6月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(横浜スタジアム)、1回裏に山村宏樹から左越同点ソロ
[編集] 背番号
- 56 (1999年 - 2004年)
- 44 (2005年 - 2008年途中、2009年 - 2011年)
- 30 (2008年途中 - 2008年)
- 8 (2012年 - )
[編集] 登場曲
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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