英智
| 中日ドラゴンズ コーチ #97 | |
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現役時代
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岐阜県羽島市 |
| 生年月日 | 1976年5月9日(37歳) |
| 身長 体重 |
182 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1998年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 2001年9月13日 |
| 最終出場 | 2012年10月22日 |
| 年俸 | 3,200万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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英智(ひでのり、1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出身[1]の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。1999年から2012年まで中日ドラゴンズでプレーし、2013年より二軍外野守備・走塁コーチを務める。
本名・旧登録名は「蔵本 英智」[1][2][3](くらもと ひでのり[4][5])。愛称は「ひでのり」、「クラ」、「クララ」など。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
岐阜県立岐阜商業高等学校では控え投手からセンターのレギュラーとなる。その後名城大学に進み、3番・センターとして活躍。また、投手も兼任。1998年、愛知大学野球リーグで春・秋季ベストナイン外野手に選ばれた。
トヨタ自動車から入社内定を得ていたものの[6]、1998年のドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。
プロ入り後 [編集]
1999年、2000年は一軍出場なしに終わった。入団当初から俊足強肩が高く評価され、山田久志が監督だった時代には投手と外野手の兼任案が出たこともある。しかし、バッティングに課題があり、なかなか一軍に定着できなかった。
2004年から登録名を「英智」に変更した。この年から監督に就任した落合博満が掲げた「オレ流野球」の一つ「一芸に秀でた選手が必要」を象徴する選手として、開幕から一軍の代走及び守備固めとして活躍。6月27日の対阪神戦では、葛城育郎の放った犠飛となる打球を、好返球で三塁走者の桧山進次郎を刺し、勝利に貢献。守備での活躍でお立ち台に立つという珍しい経験をした。また、このプレイが英智を知らしめるきっかけにもなった。徐々に出場機会が増え、福留孝介が8月にアテネオリンピック出場のため欠場、更に9月に死球による骨折で戦列を離れると、右翼手のレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を獲得した。レフト・英智、センター・アレックス、ライト・福留と組んだ堅守で一躍有名となった。
2005年は走塁中に肩を強打して負傷した影響もあり、打率1割にも満たない打撃不振に陥った。また代走専門選手として活躍していた澤井道久がシーズン後半から登録を抹消されたため、やむを得ず代走で起用され守備位置の関係で途中交代させられるなど、起用法が一定しなかった。8月5日の対横浜戦では、1点を追う最終回、1死満塁のチャンスに三塁走者の英智は、立浪和義の浅い右飛に迷うことなく本塁に突入。ヘッドスライディングで捕手の相川亮二のタッチをかいくぐって同点のホームインをもたらし、その後の福留の逆転満塁本塁打に繋げた。試合後、落合は「英智はプロだ」と語り、賛辞を惜しまなかった。
2006年は落合が「秋にあれだけ振ったんだからな。一番練習してる奴が打つ」と話すように、人一倍の練習量で打撃の弱さを見事に克服し成績が向上。5月3日の対横浜戦では、8回裏の満塁の場面で2点決勝適時打を放ちお立ち台へ。その時に、「代えられると思ったけど、曲が流れても監督が出てこないんで、僕かと思って打席に立った」「去年などの僕であれば、間違いなく代えられていた」などと発言し、場内は笑い声が起こっていた。翌5月4日も満塁から2点適時打を放ち二日続けてのお立ち台へ。「今日は監督を見ずに打席に立てました」と発言した。5月10日、対日本ハム戦で、延長11回表、岡島秀樹の暴投で二塁から悠々ホームインする走塁を見せた(しかも、その時本人は変化球を投げるだろうと予想を立てており、見事的中させた)。5月には3回のヒーローインタビューを経験。6月には自身4年ぶりとなる本塁打を放った。8月11日の対阪神戦、得意としている下柳剛から2点適時打を放ち、お立ち台に上がる。「下柳さんはいつもタイミングが合う」という発言をし、さらに「僕は川上(憲伸)さんみたいにスーパーサイヤ人じゃないので、ナメック星人程度に頑張ります」とドラゴンボールに例えて発言した。8月12日の対阪神戦、2回裏2死で二塁走者の英智は、荒木雅博の右前安打で、前進守備だったにもかかわらず三塁を回り、3m超のロングヘッドスライディングでホームイン。落合監督を「あれで(本塁に)帰って来られるんだから凄い。ああいうプレーを見せられるのがプロだ」と唸らせた。
2007年は李炳圭の加入でシーズン序盤は代打・代走・守備固めでの起用が多かったが、李の低迷や福留の戦線離脱、打撃好調ということもあり、中盤以降はスタメンでの起用が増加。4月19日の対阪神戦では代打逆転適時打を放ち、同じく代打で適時打を放った立浪と共にお立ち台に上がる。カウント2-1と追い込まれてから打ったことに「みんなと一緒でダメだと…。半分ダメっぽいと思いながらも、最後まで諦めないのが僕のベースボールスタイルなんで。かじりついて(食らいついて)いきました」と英智節を披露。そして、立浪と一緒のお立ち台に対して、「今日のお立ち台の写真は後からパネルにしてもらいたい。僕が小学校の頃、ナゴヤ球場で1000円しかお金無いのに1000円のテレホンカードを買ったのが立浪さんなんです。そういう方とお立ち台に立てて、野球やめた時にいい思い出になっていると思います」と、喜びを語っている。4月24日の対広島戦ではサヨナラ犠牲フライを放ったが、これは右翼手天谷宗一郎が一度捕球しながら落としたもので、エラーも記録されている。この日のお立ち台ではインタビュアーでは「皆が英智選手に期待してましたよ!」という問いに対して「僕はその前の谷繁(元信)さんの打席に期待していたので、僕はネクストで、バントが上手いこと決められなくて流れが悪いなと思って、ベルトの穴を締め直して、気合いを入れておきました」と発言。さらに「このお立ち台に立つことで、何を言うか決めていたというのはありませんか?」という問いに対しては「そんな余裕は…終わってからすぐだったので、でも嫁が男は無口な方がいいよって言ってたので、あまり喋らないようにします」と答えた。なおこの試合は、浅尾拓也がプロ初勝利を記録した試合である。6月8日、対西武戦で、9回表に中島裕之の2点本塁打で逆転された後の裏、2死一・二塁の打席で初球を狙いライト線への長打コースで2人のランナーが生還。サヨナラ勝ちでチームは3連敗から脱出することができた。お立ち台で「カブレラさん多分自打球で動けなかったんで、丁度間が浅かったんですけど、抜けて行きました」と発言して笑いを誘った後、「(この日のここまでの)3打席感じよくなかったので、英智のベースボールスタイルである、初球から思い切っていくっていう…」と答えた。ちなみに、ここで打ったヒットは逆転サヨナラ三塁打であり、一塁走者の森野将彦がホームに還る前に三塁に到達している。7月14日、対ヤクルト戦で、同点で迎えた7回裏1死二・三塁で三塁走者は英智。ヤクルト内野陣は補殺を狙った前進守備を敷き、打者タイロン・ウッズは注文通りの二ゴロ。にもかかわらず、英智は二塁手の田中浩康が本塁に投げるのを諦める程の判断の早さで本塁に突入し、勝ち越しのホームインとなった。試合後、英智は「7割は経験、3割はギャンブル。代走要員だった頃の経験が生きている」とコメントしている。8月19日の試合後(この日、ナゴヤドームでの一軍戦初本塁打を放つ)、「ボクには48のベースボールスタイルがある」と語っている。この数は相撲の決まり手(俗に言う「四十八手」)や漫画『キン肉マン』の「48の殺人技」と同じ数である(ただし、このコメントはヒーローインタビュー時ではなく、その後のベンチ裏で記者に答えたものである)。その後もヒーローインタビューなどでは様々な「英智のベースボールスタイル」の種類を語っている。しかし、9月26日の対巨人戦で肉離れを起こし、残りのシーズンを棒に振ってしまう(落合はその後のメンバーのやりくりについて「クラ(英智の愛称)の離脱が一番痛かった」と語っている)。シーズンオフに背番号が57から24へ変更されることが発表された。これは落合が「57ではケガが多いから」という理由からで(彦野利勝の項も参照)、新番号で心機一転を図って欲しいという願いがこめられている。また、5と7の付いていた2005年と2007年はケガをしている。
2008年も代走・守備固めとしての起用が多かったが、交流戦に入ってレギュラーだった森野将彦や李が怪我で離脱したことによってスタメン出場する機会もあった。だが、森野や李が復帰後は二軍落ちも経験するなど77試合に留まった。6月9日の対楽天戦ではこのシーズンより背番号が57から24に変わって初めてのお立ち台だったことから、「57番(の時)より(現在の)24番の姿を多く見せられるように頑張りたいです」と発言。また、対戦相手が田中将大であり、「(田中は)逞しい投手ですけど、何とかやっつけることができました」と語っていた。
2009年は、藤井淳志や新人の野本圭らの台頭もあり、開幕を二軍で迎えたが4月21日に一軍登録され、その日の対阪神戦で6番・ライトで初出場を果たした。
2010年も大島洋平らの若手外野手が増えてきたこともあり、出場機会は限られていたが、代走や守備固め、スタメン起用にも応えている。11月13日、前年の12月より始めた自身のブログにおいて、普段のブログの内容とは異なる不可解な内容が投稿された。「現実逃避したい…」「神様が用意したシナリオを受け入れたくない時もある。だから…がむしゃらに走ります。だんだん涙で地面のデコボコが感知できません」など、自らが抱える悩みや不安、知人・友人への感謝の気持ちを書き記した後、「英智ブログ当分の間…辞めます。勝手にすいません」とブログ休止を発表。これに対し「他球団へトレードされてしまうのでは」とか「日本シリーズで思ったような活躍ができなかったことを嘆いているのでは」等さまざまな憶測が飛び交っていたが、翌14日のブログにおいて、「ご心配をおかけしました・・・(悩み事に関して)皆さんの心配している様な事ではありません。大丈夫です」と説明。元気になったらブログを再開すると約束した。前日のブログの内容、それに対するコメントは削除され、12月8日より再開している。11月29日の契約更改では、その年の打撃成績が.220であったにも関わらず、走塁や守備といった数字に現れない部分を球団に評価されて300万円増となった。しかし喜ぶはずの本人が納得せず、交渉の場で「上がる理由はなんですか?」と聞き返したという[7]。その時に「来シーズンはお立ち台に立ちたい」という決意を述べた。
2011年は若手外野手の台頭で出場機会が減少、守備固めでの出場が主になったため打席に立つ機会も少なく、打率.100であった。8月6日の対横浜戦(ナゴヤドーム)で勝ち越しのスクイズを決めたことでお立ち台に上がり、前年オフの契約更改で述べた決意を達成した。この際、高校野球開幕を意識したのか「高校野球も始まりましたし、英智のベースボールスタイルである高校球児スタイルを用いて、決めさせて頂きました」と語った。
2012年限りで現役引退を発表[8][9]。10月5日のナゴヤドームでのシーズン最終戦の対広島戦に途中出場し、3打席凡退に終わっているが、試合後のセレモニーでは本塁から外野めがけての遠投を見せ、球は約110メートル先の右翼ポールに直撃、スタンドからのアンコールによる二投目ではライトスタンドに放り込んだ[10]。同年のクライマックス・セのファイナルステージ(第6戦)で9回表に代走として現役最後の出場をし、チームとして2012年最後の得点を踏んだ。その得点となる安打を放ったのは、英智を尊敬し慕っていた大島洋平であった。
シーズン終了後、2013年度から中日二軍の外野守備・走塁コーチに就任。登録名は引き続き「英智」となる。
プレースタイル [編集]
プロ野球界で史上屈指の俊足・強肩(ナゴヤドームのホームベースからセンターに向かって遠投してフェンス直撃)で知られる。2002年12月に収録されたプロ野球オールスタースーパーバトル「遠投日本一決定戦」では遠投123mを記録して優勝している[11]。
2004年以降、強肩が警戒され相手チームが進塁を自重する場面が多くなったため、補殺数は少なくなっている。ただし、地面すれすれの飛球を回転しながら捕球したり、フェンスに足を掛けてよじ登りながら捕球したりするなど、持ち前の運動能力の高さを生かしたダイナミックなプレーで守備のスペシャリストとして存在感を見せている。走塁の技術にも磨きがかかり、試合の流れを変える頭脳的な好走塁も多い。2004年の日本シリーズにて平凡なフライを落球しタイムリーエラーを記録した際には、「あいつ(英智)が捕れなきゃ、誰も捕れないよ」と当時の落合監督に言わしめるほど信頼されている。立浪和義は、「守備・走塁要員としてメジャーリーグのスカウトが偵察に来たことがある」と明かしたことがある。
飛球の捕球方法が独特である。通常は縦にグローブを構えるところ、横に寝かせて捕球する。英智いわく、「飛球がぶれたり風で流されたり、またお手玉してしまった場合でも上下左右に動かしやすく対応しやすい」とのことである。これは中日で同僚だった大西崇之から学んだもの。
一方、打撃面では通算打率2割台前半と苦手にしている。早打ちで四球も少なく、出塁率が3割に届かないシーズンも多い。長打力もあまりないが、ここ数年はシーズンに1本は本塁打を記録している。スタメンで起用される際には、1番や2番で起用される他、7番や8番の下位打線を打つことも多い。
チーム屈指の俊足の持ち主で、盗塁も比較的多い。守備固めで起用される際は、先に代走として起用され、そのまま守備固めに入ることが多い。
人物 [編集]
英智の兄2人も県立岐阜商業高校で野球をしており[6]、高校生時代は「蔵本三兄弟の三男」としてプロのスカウトに知られていた[6]。長兄の蔵本雅由は名城大学を経て社会人野球の一光に入り、チーム創設時から長年エースとして活躍した[6]。次兄の蔵本敬充は法政大学野球部でも野球を続け、その後はモデルに転身[6]。英智は「野球は父親の影響で始めたが、スパルタ式の指導が嫌でずっと辞めたかった」と語っており、高校時代、強豪だった母校が甲子園に出場した時を想定し、それを機に辞める予定だったという[6]。しかし、結果は県予選3回戦敗退。そのために辞めるきっかけがなくなってしまい、野球を続けることにしたのだった[6]。
打席登場曲は通常時がTHE HIGH-LOWSの「日曜日よりの使者」、チャンス時が「RCサクセションの雨あがりの夜空に」である。ちなみに、以前はLINDBERGの「BELIEVE IN LOVE」であった(ランナーのいない打席では井上陽水の「Make-up Shadow」)。
同期の福留孝介は「あの人間離れした運動神経は、どんなスポーツをやらせてもうまいだろう」と言っている。また、報道ステーションのナレーションには「野生人」とも言われたことがある。
中日ドラゴンズのマスコットであるドアラと仲が良く、中日ドラゴンズ公式ブログではしばしば彼とドアラが会話している場面の写真が掲載されている。選手では小田幸平、また同期入団の小笠原孝と非常に仲が良い。本人曰く「球場で小田の顔を見るときが一番ほっとする」。小田は英智の引退試合[12]で守備に入る前のキャッチボールの相手を泣きながら引き受け、また最初の遠投の際、右翼ポールに直撃しグラウンド内に跳ね返ってきた球を回収に走っている。
チームにおける自身の立ち位置について、「カレーの中の福神漬けのように、一見美味しそうじゃないけど無いと様にならないタイプになりたい」と『サンデードラゴンズ』の取材で語っている。
『Spoken!』のインタビュー内で、野球論を語ろうとすると数時間かかるほど詳細かつ丁寧になってしまうため、伊集院光から「さわりだけお願いします」とお願いされるほどだった。またこのインタビュー内では、野球の神様(男性)はいると発言しており、一部のプレーは野球の神様が打球が来ることをささやいてくれたので捕れたとも語っている[13]。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | 中日 | 15 | 48 | 45 | 7 | 14 | 1 | 0 | 1 | 18 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 2 | .311 | .354 | .400 | .754 |
| 2002 | 72 | 123 | 115 | 17 | 31 | 5 | 1 | 2 | 44 | 13 | 2 | 2 | 3 | 1 | 4 | 0 | 0 | 28 | 1 | .270 | .292 | .383 | .674 | |
| 2003 | 61 | 36 | 33 | 11 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 2 | 3 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | .273 | .333 | .303 | .636 | |
| 2004 | 107 | 221 | 201 | 33 | 54 | 10 | 2 | 0 | 68 | 19 | 11 | 3 | 4 | 0 | 14 | 0 | 2 | 46 | 5 | .269 | .323 | .338 | .661 | |
| 2005 | 81 | 61 | 52 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 3 | 1 | 3 | 1 | 4 | 0 | 1 | 12 | 1 | .077 | .155 | .077 | .232 | |
| 2006 | 124 | 288 | 256 | 30 | 55 | 8 | 1 | 1 | 68 | 27 | 4 | 3 | 22 | 2 | 5 | 0 | 3 | 49 | 1 | .215 | .237 | .266 | .502 | |
| 2007 | 99 | 219 | 198 | 27 | 55 | 8 | 1 | 4 | 77 | 19 | 8 | 2 | 7 | 1 | 6 | 0 | 7 | 33 | 4 | .278 | .321 | .389 | .710 | |
| 2008 | 77 | 77 | 70 | 10 | 15 | 2 | 1 | 1 | 22 | 7 | 4 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 23 | 3 | .214 | .236 | .314 | .550 | |
| 2009 | 71 | 128 | 121 | 15 | 26 | 2 | 0 | 1 | 31 | 10 | 4 | 1 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 20 | 4 | .215 | .226 | .256 | .482 | |
| 2010 | 68 | 147 | 127 | 15 | 28 | 3 | 1 | 1 | 36 | 9 | 8 | 0 | 10 | 1 | 6 | 0 | 3 | 20 | 3 | .220 | .270 | .283 | .553 | |
| 2011 | 56 | 24 | 20 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | .100 | .182 | .100 | .282 | |
| 通算:11年 | 831 | 1372 | 1238 | 188 | 293 | 40 | 7 | 11 | 380 | 115 | 49 | 16 | 60 | 7 | 51 | 0 | 16 | 251 | 25 | .237 | .274 | .307 | .581 | |
- 2011年度シーズン終了時
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | 15 | 24 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2002 | 64 | 63 | 3 | 1 | 1 | .985 |
| 2003 | 23 | 16 | 0 | 1 | 0 | .941 |
| 2004 | 102 | 124 | 6 | 0 | 2 | 1.000 |
| 2005 | 72 | 50 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2006 | 120 | 154 | 3 | 1 | 1 | .994 |
| 2007 | 86 | 102 | 6 | 1 | 1 | .991 |
| 2008 | 69 | 39 | 1 | 1 | 1 | .976 |
| 2009 | 71 | 82 | 0 | 1 | 0 | .988 |
| 2010 | 64 | 75 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2011 | 50 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 通算 | 736 | 749 | 20 | 6 | 6 | .992 |
- 2011年度シーズン終了時
表彰 [編集]
- ゴールデングラブ賞:1回 (2004年)
- JA全農Go・Go賞 好捕賞:4回 (2004年 - 2006年、2008年)
記録 [編集]
- 初出場:2001年9月13日、対広島東洋カープ23回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に井上一樹の代走で出場
- 初先発出場:2001年9月20日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)、7番・中堅手で先発出場
- 初安打:2001年9月24日、対阪神タイガース26回戦(阪神甲子園球場)、2回表にグレッグ・ハンセルから中前安打
- 初打点:2001年9月29日、対阪神タイガース27回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に伊達昌司から右翼線適時二塁打
- 初本塁打:2001年10月5日、対広島東洋カープ27回戦(広島市民球場)、9回表に黒田博樹から左中間へ2ラン
- 初盗塁:2002年6月27日、対広島東洋カープ13回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:玉木重雄、捕手:西山秀二)
背番号 [編集]
- 57 (1999年 - 2007年)
- 24 (2008年 - 2012年)
- 97 (2013年 - )
登録名 [編集]
- 蔵本 英智(くらもと ひでのり)(1999年 - 2003年)
- 英智(ひでのり)(2004年 - )
脚注 [編集]
- ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2013』(2013年、廣済堂出版発行。コード:ISBN 4331802213)P43「英智」
- ^ 中日、平井らと契約せず 英智は引退 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ) 2012年10月2日付
- ^ 『2013年プロ野球選手写真名鑑』(2013年、日刊スポーツ出版社発行。コード:ISBN 4817255307)P27「英智」
- ^ 個人年度別成績 【英智(蔵本英智) (中日ドラゴンズ)】 - 日本野球機構公式サイト
- ^ 『2013スポニチプロ野球選手名鑑』(2013年、毎日新聞社発売・スポーツニッポン新聞社発行。コード:ISBN 4620794031)P26「英智」
- ^ a b c d e f g 週刊ベースボール2012年6月11日号 P48
- ^ 中日新聞2010年11月30日朝刊より
- ^ 英智選手が引退中日球団公式サイト
- ^ 【中日】英智引退「すばらしいシナリオ」 日刊スポーツ 2012年10月2日閲覧
- ^ 英智惜別レーザー!ホームベースから右翼ポール直撃!スポーツニッポン2012年10月6日閲覧
- ^ DRAGONS TOPICS 【2003年12月07日(日)】
- ^ 小笠原も同年で引退を決めており、英智と同じ試合でセレモニーが行われた。
- ^ 『Spoken!』2012年11月25日放送分より。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 公式ブログ
- 中日からのドラフト指名当時のプロフィール - 中日ドラゴンズ公式サイト内
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