星孝典
| 埼玉西武ライオンズ #25 | |
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2011年8月30日、こまちスタジアムにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮城県名取市 |
| 生年月日 | 1982年5月4日(29歳) |
| 身長 体重 |
176cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2005年10月4日 |
| 年俸 | 1,400万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(捕手)。宮城県名取市出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
小学校1年生の時に、投手だった兄の影響で捕手として下増田ブラックホークスで野球を初めた。中学3年生の宮城県大会決勝戦では、後藤伸也(後に横浜入団)と対戦し、3連続で相手のスクイズプレーをはずすなどし優勝に貢献した。
仙台育英学園高等学校に入学し、高校3年時の県大会決勝戦で後藤擁する東北高等学校と再度対戦して勝利し、甲子園に出場した。東北学院大学時代には後に西武でチームメイトとなる2学年下の岸孝之とバッテリーを組み、仙台六大学野球連盟の王者・東北福祉大学打倒に燃えた。
[編集] 巨人時代
2004年ドラフト6巡目で巨人入団。球団初の「星」姓の選手となり、「巨人の星」の触れ込みで注目を集めた。以後打席に入るときのBGMは「ゆけゆけ飛雄馬」を使用している。
2005年、二軍で打率.294の活躍で、シーズン終盤に一軍昇格。10月4日に初出場し、翌5日にプロ初安打を放った。2007年、二軍で正捕手として61試合に出場、打率.269を記録した。2008年も前年に続き二軍で58試合に出場、打率.306、7本塁打の好成績を残した。2011年5月9日、捕手が手薄だった埼玉西武ライオンズに金銭トレードで移籍。
[編集] 埼玉西武時代
5月17日に昇格すると終盤の守備固めとして試合に出場し、銀仁朗が人差し指の骨折で戦線を離脱してからはスタメンマスクを任され、プロ初打点もあげた。銀仁朗が復帰して以降は、菊池雄星が先発のときにスタメンマスクを任されている。11月13日、背番号が25に変更されることが発表された[1]。
[編集] 人物
好きな言葉は「堅守賢運」(けんしゅけんうん)。
2007年1月18日、仙台育英高校時代の同級生との結婚を発表。2008年11月18日に長女を授かった。
名取市の実家は2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災し、津波によって祖父母を失った[2]。
ベンチスタート、もしくは途中交代した時など、試合に出場してない時はベンチでノートをつけている。これは西武移籍時に始めたとのこと。
[編集] プレースタイル
強肩と送球の素早さが特徴の捕手。巨人入団時にはテレビ番組で、捕球から2塁到達までのタイムが1.8秒でプロでもトップクラスの数字、と紹介された。また同番組内で遠投は100m程度と本人が発言している。
阿部慎之助の控え捕手候補として實松一成・加藤健と比べた場合、1軍昇格前から2軍ではクリーンナップクラスの打撃をみせていた2人に比べて打撃面が弱み。とはいえ最近はシーズン打率なども向上、結果を残している。ただし2008年シーズン途中に実績のある鶴岡一成が加入したため、競争はさらに激しくなっていた。
西武への移籍の背景には、前年までの正捕手細川亨が移籍し、その穴は二番手捕手だった銀仁朗が正捕手に昇格して埋めたものの、当時二番手捕手であった上本達之は守備面よりも評価されていた打撃面が絶不調に陥っており、若手の岳野竜也や荒川雄太、中田祥多は経験不足、ベテランの野田浩輔や米野智人も故障明けと、銀仁朗の後を任せられる選手がいなかったため、経験もあり守備に定評のある働き盛りの捕手が求められていたこともあった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 巨人 | 2 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 |
| 2006 | 7 | 5 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .400 | .600 | |
| 2009 | 9 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2011 | 西武 | 40 | 73 | 66 | 6 | 16 | 2 | 1 | 0 | 20 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 14 | 3 | .242 | .286 | .303 | .589 |
| 通算:4年 | 58 | 86 | 79 | 6 | 18 | 3 | 1 | 0 | 23 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 17 | 3 | .228 | .265 | .291 | 556 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2005年10月4日、対広島東洋カープ21回戦(東京ドーム)、8番・捕手として先発出場
- 初打席:同上、2回裏に黒田博樹の前に投ゴロ
- 初安打:2005年10月5日、対広島東洋カープ22回戦(東京ドーム)、9回裏にジョン・ベイルから左前安打
- 初打点:2011年8月12日、対オリックス・バファローズ14回戦(京セラドーム大阪)、7回表に中山慎也から左中間へ適時二塁打
- 初盗塁:2011年8月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス14回戦(西武ドーム)、6回裏に二盗(投手:ケルビン・ヒメネス、捕手:嶋基宏)
[編集] 背番号
- 38 (2005年 - 2006年)
- 58 (2007年 - 2011年5月7日)
- 61 (2011年5月8日 - 2011年シーズン終了時)[3]
- 25 (2012年 - )
[編集] 注釈
- ^ “西武、岡本篤ら4選手の背番号を変更”. SANSPO.COM (2011年11月13日). 2011年11月13日閲覧。
- ^ “巨人・星、祖父母の津波被災・死亡確認”. 読売新聞 (2011年3月22日). 2011年4月26日閲覧。
- ^ 西武では2005年から2007年までの2シーズン、ドラフト同期で同姓の星秀和が付けていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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