太田誠

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太田 誠
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県浜松市
生年月日 1936年5月20日(75歳)
選手情報
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督歴
  • 駒澤大学 (1971 - 2005)

太田 誠(おおた まこと、1936年5月20日 - )は、駒澤大学硬式野球部OB会長。元駒澤大学硬式野球部監督。激戦の東都大学野球連盟リーグで長年駒大野球部を率いて闘った。愛称はオヤジ

目次

[編集] 来歴・人物

1936年静岡県浜松市に生まれる。南部中学校で野球を始め、浜松西高等学校から駒澤大学へ進学する。野球部入部後は東都大学リーグで二度首位打者に輝くなど活躍した。リーグ通算92試合出場、307打数76安打、打率.248、1本塁打、27打点。ベストナイン1度受賞。駒澤大学卒業後は電電東京に入社、8年間社会人野球でプレーした。

その後は電電公社で社業に就いていたが、1971年春から母校駒澤大学硬式野球部監督に就任。以来35年の長きにわたり指揮を執り、その間『駒大三羽ガラス』と呼ばれた中畑清二宮至平田薫の三人をはじめ、数多くの人材をプロ野球に輩出した。1974年全日本大学野球選手権大会優勝。その後も多くの野球大会で覇権を握る。 2005年の監督勇退後、生まれ故郷の静岡を選挙区とする城内実の後援会長に就任しバックアップに奔走、結果、第45回衆議院議員総選挙片山さつきを破り、城内の国政復帰に貢献した。

2012年1月15日、駒大野球部OB会総会が開かれ、横浜DeNAベイスターズ監督に就任した中畑清の後任として、、駒澤大学硬式野球部OB会長に就任。任期は2012年11月下旬まで。

[編集] エピソード

  • 明治大学硬式野球部監督の島岡吉郎とも深い交流があり、その事は自著でも述懐している。
  • 指導した主なプロ野球選手には石毛宏典白井一幸広瀬哲朗新谷博野村謙二郎若田部健一高橋尚成新井貴浩武田久らがいる。
  • 座右の銘は「姿即心、心即姿」である。
  • 1994年秋のドラフト会議で駒大推薦入学が決定していた城島健司を当時の福岡ダイエーホークスが1位指名したことに激怒。「今後絶対にダイエーに駒大の学生を入団させない!」と発言し、問題に(後に和解)。
  • 1997年野村謙二郎がFA権を取得した際、メジャーリーグ球団からオファーがきていたが、電話を使って五時間にわたり説得。広島残留を決めた。
  • 2005年秋季リーグを最後に駒澤大学野球部監督を勇退。35年間の監督生活に幕を降ろした。この間の東都大学リーグでの勝利は前人未到の501勝をあげた。(監督としての生涯戦績は501勝393敗19分け、リーグ優勝22回、全日本大学選手権優勝5回、明治神宮大会優勝4回、2部降格は1季のみ監督通算501勝は全国歴代監督最多

[編集] キャリア・経歴

[編集] 関連項目

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