石本努

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石本 努
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県諫早市小川町
生年月日 (1973-02-04) 1973年2月4日(51歳)
身長
体重
180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1995年9月28日
最終出場 2005年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石本 努(いしもと つとむ、1973年2月4日 - )は、長崎県諫早市小川町出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打(入団時は右打。その後両打を経て現役中盤からは左打)。現在は、北海道日本ハムファイターズスカウトを務めている。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

別府大学付属高校(現:明豊高校)時代は、100メートル10秒7という俊足の内野手二塁手)で3番を打っていた[1]。3年の夏の大会は3回戦敗退[1]。高校通算131盗塁[1]

1990年のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。

プロ入り後[編集]

プロ入り後もファームでは内野がメインだったが、後に俊足を買われて外野手に転向した。

1992年イースタン・リーグの試合中に右頬を陥没骨折

1995年に一軍初出場を果たす。

1997年には脱臼を繰り返していた右肩を手術。その影響で右腕が肩から上に上がらなくなったため、肩の手術後は弱肩になった(一塁から二塁へのタッチアップをされたこともある)。しかしこの2度の大怪我を克服し、以後は持ち前の柔らかいバッティングと走力を生かした広い守備範囲でスターティングメンバーに名を連ねることが多くなった。

1999年6月8日から同7月2日にかけて、16試合連続安打を記録した。ビッグバン打線2000年には開幕戦先発出場も果たしている。

2004年に起こったプロ野球再編問題から発展した日本初のプロ野球ストライキ明けの初戦となった9月20日の対福岡ダイエーホークス戦(札幌ドーム)試合前に「一昨日、昨日と試合できなくてゴメンJoy」と称し、5名の同僚外野手で『秘密戦隊ゴレンジャー』のかぶりもの(仮面)を被ってシートノックを受けるというパフォーマンスを披露した(アカレンジャー:森本稀哲、アオレンジャー:島田一輝、キレンジャー:新庄剛志、モモレンジャー:石本、ミドレンジャー:坪井智哉[2]

2005年9月19日の対西武ライオンズ戦(札幌ドーム)でも新庄、森本、稲葉篤紀小谷野栄一との5名で同じデザインのかぶりもの(新庄の顔を模った仮面で「SHINJO5」と命名)を被り、ユニフォームも全員で「背番号:1、背ネーム:SHINJO」のものを着用して試合前シートノックを受けている[3]。2005年は若手の台頭などで出番が減少していき、オフに戦力外通告を受けてそのまま現役を引退。

引退後[編集]

チームのスカウトを務めている[4]

2007年交流戦ではスコアラーとしてベンチ入りし、データを駆使してチームの初優勝に大きく貢献した。

エピソード[編集]

誤情報[編集]

日本スポーツ出版社2000プロ野球12球団全選手百科名鑑では、寸評として、「昨年は6月から7月にかけて16試合連続安打」という真実の情報の後に、「オールスターにも出場した」[5]と、虚偽の情報が掲載されていた(この年はフレッシュオールスターにも出場していない[6]ので、それとの混同ということではない)。さらに、その後2005年の引退まで、同誌名鑑では石本の欄にオールスター出場歴が記録されていた。

応援歌[編集]

日本ハム応援団による彼の応援歌には、曲中で足を踏みならしながら歌うというギミックが用いられていた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1995 日本ハム 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1996 24 69 64 12 18 2 2 1 27 4 7 3 2 0 3 0 0 11 0 .281 .313 .422 .735
1998 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1999 84 295 260 28 79 5 5 2 100 20 13 9 12 1 22 0 0 51 3 .304 .357 .385 .742
2000 69 167 147 29 33 3 2 0 40 5 9 5 7 1 12 0 0 24 0 .224 .281 .272 .553
2001 51 143 122 18 30 2 1 0 34 3 9 3 9 1 10 0 1 30 0 .246 .306 .279 .585
2002 35 116 100 14 24 2 2 2 36 6 10 3 10 0 4 0 2 25 0 .240 .283 .360 .643
2003 99 351 308 45 76 12 1 0 90 20 20 6 10 0 33 0 0 63 2 .247 .320 .292 .612
2004 90 230 204 27 59 4 1 1 68 11 10 3 8 1 17 1 0 39 4 .289 .342 .333 .676
2005 56 76 70 11 15 1 2 0 20 4 4 0 2 0 3 0 1 20 0 .214 .257 .286 .542
通算:10年 512 1448 1276 184 334 31 16 6 415 73 83 33 60 4 104 1 4 263 9 .262 .318 .325 .644

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37(1991年 - 2005年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、46ページ
  2. ^ 勝敗を分けた延長戦 日本ハム - 劇的サヨナラが一転、球界史上初の珍事nikkansports.com、2016年9月20日閲覧。 ※記事の本文の方では述べられているように、当試合は9回で終了している。
  3. ^ 前代未聞!? 「新庄劇場」の数々新庄カウントダウン プロ野球 : nikkansports.com、2016年9月20日閲覧。
  4. ^ “日本ハム、矢野謙次氏のスカウト転身発表 鉄腕が駐米スカウト、大量17人の人事異動”. Full-Count: p. 2. (2023年1月4日). https://full-count.jp/2023/01/04/post1324077/2/ 2023年1月4日閲覧。 
  5. ^ 2000プロ野球12球団全選手百科名鑑184頁
  6. ^ 2000プロ野球12球団全選手百科名鑑228頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]