内村賢介

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内村 賢介
横浜DeNAベイスターズ #23
20130818 Uchimura kensuke, infielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2013年8月18日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都大田区
生年月日 1986年3月17日(28歳)
身長
体重
163 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手遊撃手外野手
プロ入り 2007年 育成ドラフト1巡目
初出場 2008年8月3日
年俸 3,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内村 賢介(うちむら けんすけ、1986年3月17日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手内野手外野手)。

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

小学1年で野球を始めるが、小兵のためにチームの主力にはなれず4番を打った経験はいまだに無い。中学時代は硬式野球チーム・大田シニアに所属、1年間投手を務めたことはあった。中学生活最後の夏の全国大会予選は、直前の中学校の運動会の練習で右腕を骨折してしまい試合に出られなかった。走力や守備力を生かした守りを売りに、進学した山梨学院大付でも1年夏からベンチ入りして、秋には背番号6で内野を守った。高校の同期には明石健志がいたが、甲子園出場は無かった。高校通算本塁打は1本だったと語っている。それでも、中学3年生の時に離婚した母親を楽にさせたい一心でプロへの願望は高かった[1]

テストで合格し加入したJFE西日本時代は社会人野球日本選手権大会で優勝を経験しているが、自身の出場機会は少なかった。出番を得るためにスイッチヒッターへ転向するなど試行錯誤を繰り返したが、これが裏目に出て迷路に落ち込み、実力が発揮できなくなってしまった。社会人3年目には無断で抜け出し、街中を彷徨う中、携帯電話で母親に泣きながら「辞める」と話した。会社は引き止めたが退社し、2か月間フリーターで過ごした[1]

BCリーグ時代[編集]

JFE西日本を辞めて、東京に戻って中学時代所属していた硬式野球チーム・大田シニア監督の阿部一之に「やめて帰ってきました」と報告してから数日後、阿部から「来年から始まる北信越BCリーグっていうのあるから、トライアウト受けてみろ!」と勧められて、2007年から始まるBCリーグの存在を知り、石川ミリオンスターズのテストを受けて合格した。ここで監督の金森栄治から右打席に絞った打撃の指導を受け、才能が開花した。遊撃手のレギュラー、リードオフマンとして活躍する。打率.271、31盗塁の成績でリーグの初代盗塁王となった[1]

2007年のドラフト会議東北楽天ゴールデンイーグルスから育成選手として1位指名を受けた。金森からは「もう1年チームにとどまり、正規のドラフトを待ってはどうか」とアドバイスされたが、挑戦してみたい気持ちを優先し入団を決意、BCリーグ出身初のNPB所属選手となった[1]

楽天時代[編集]

2008年
開幕から二軍で結果を残し、7月23日に支配下選手として登録され、背番号は育成時代の「121」から「98」に変更となった[2]。監督の野村克也は俊足を生かすためスイッチヒッターへ再転向させ、さらに赤星憲広にも使わせた重い「つちのこバット」で内野安打を稼ぐ打法を指示した[1]8月3日に一軍戦初出場。一軍に登録されてからはレギュラーの高須洋介の怪我による離脱もあって「2番・二塁手」として積極的に起用された。47試合に出場し、打率.289、9盗塁を記録。
楽天時代(2012年)
2009年
背番号を「0」に変更し、シーズン50盗塁を目標に掲げた。春季キャンプでは、それまで使っていた重いバットから少し細くて軽いものに代え、強い打球を放つことと次につなぐバッティングをすることを課題に挙げていた。開幕一軍のメンバーに選ばれ、4月16日のロッテ戦ではリック・ショートの代走として出場し、その回の守りで小学生以来となる外野レフト)の守備についた。5月13日の日本ハム戦の4回に嶋基宏の犠打で1死後、聖澤諒のセーフティスクイズを内野手がエラーした後にスクイズを決めたため、プロ野球タイ記録となるチーム1イニング3犠打を記録した。しかし、その後の打撃面で結果を残せず6月9日に登録抹消された。
2010年
粘り強い打撃を生かして準レギュラーに定着。守備でも二遊間以外にたびたび外野手として起用されレフトやセンターを守り、出場機会を増やした。終盤には安打を量産し、規定打席不足ながら打率.304を記録した。
2011年 - 2012年
新しく監督に就任した星野仙一の目指す機動力野球[3]のもと、シーズン当初は主に代走・守備固め要員として起用されたが、同年に入団し正三塁手として起用された岩村明憲の不調から、正二塁手であった高須洋介が三塁手として起用されるようになったことに伴ってシーズン中盤以降は「2番・二塁手」として定着。9月24日のソフトバンク戦では、プロ初本塁打をランニングホームランで記録した[注釈 1]。自己最多の123試合に出場し、打率.271、31盗塁と飛躍のシーズンとなった。シーズン終了後、背番号を「6」に変更。
2012年も開幕直後は正二塁手として出場するが、打撃不振に陥り、次第に二塁手として銀次がスタメンで出場する試合が増えていった。

DeNA時代[編集]

2012年
6月24日に横浜DeNAベイスターズ藤田一也とのトレードが発表された。背番号は藤田が着用していた「23」に決定。移籍後は正二塁手の石川雄洋が怪我をしたことも重なり、二塁手のレギュラーを獲得。また、途中加入にもかかわらず、チーム2位となる18盗塁を記録した。一方で、打撃面ではシーズンを通しての打率が.215、移籍後のみでも.237と精彩を欠いた。
2013年
前年の正二塁手であった石川が遊撃手に再転向し、内村が2番・二塁として開幕からスタメン出場を続けていたが、次第に打撃不振に陥った。6月9日のオリックス戦から、それまで懲罰降格していた石川が一軍復帰すると同時に二塁手に転向し、その日以降は石川が1番・二塁に定着した。弾き出されるように内村のポジションが奪われてしまい、石川が8月に故障離脱した際も二遊間双方を守れる山崎憲晴がスタメン出場し、事実上の代走要員となってしまった。89試合の出場に留まり、打率も前年を下回る.206に終わった。

選手としての特徴[編集]

内村のスイング
(2013年3月17日、横浜スタジアム)
二塁守備に就く内村(2011年)

身長は163cmで、2012年時点で12球団中最も背の低い選手である[1]

入団当初は右打ちであったが、2008年の一軍昇格直後に、監督の野村克也の提案でスイッチヒッターに転向し、2010年までの通算の対左打率.243に対して対右打率.294と右投手を得意とする。

しかし、2013年8月20日には三浦大輔代打として阪神の右投手、ランディ・メッセンジャーと対戦したが、右打席に入った。この頃から、内村自身は右打ちだけでやりたいという意思があった。ただ、9月半ば以降はまた左打席にも立つようになった。

50メートル走5.7秒、一塁到達3.8秒の俊足を武器とし[5]、2008年には打った安打のうち半分が内野安打を記録するなど内野安打が多く[1]、2010年までの内野安打率は32パーセントを誇る。

守備ではスピードを生かした二塁守備を持ち味とし、2010年には守備イニングが300イニング程であったがレンジファクターは6点台を記録した[6]。一方で遊撃守備では失策の多さが目立つ。外野手として起用されることもある。

人物[編集]

人柄は穏和で、アマチュア時代からの行きつけの飲食店の主人は、週刊ベースボール誌のインタビューにおいて「どこにでもいるような普通の好青年だから、テレビで本当に(プロ野球選手として)試合していて、何とも言えない気持ちだった」とコメントしている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 楽天 47 177 152 21 44 5 0 0 49 13 9 3 15 1 6 0 3 21 2 .289 .327 .322 .649
2009 62 85 68 14 11 2 0 0 13 5 10 2 7 0 10 0 0 14 2 .162 .269 .191 .460
2010 111 270 230 43 70 5 2 0 79 12 10 7 14 2 23 0 1 32 3 .304 .367 .343 .710
2011 123 390 321 37 87 5 3 1 101 30 31 10 42 1 23 0 3 53 5 .271 .325 .315 .640
2012 55 131 113 10 19 1 1 0 22 12 8 1 11 0 6 0 1 23 0 .168 .217 .195 .412
DeNA 77 289 236 30 56 6 0 0 62 18 18 4 21 1 31 0 0 40 4 .237 .325 .263 .588
'12計 132 420 349 40 75 7 1 0 84 30 26 5 32 1 37 0 1 63 4 .215 .291 .241 .532
2013 89 269 223 33 46 3 1 0 51 6 12 8 22 2 20 0 2 43 2 .206 .275 .229 .504
通算:6年 564 1611 1343 188 333 27 7 1 377 96 98 35 132 7 119 0 10 226 18 .248 .312 .281 .593
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 39 73 91 2 14 .988 - 9 10 7 2 2 .895 -
2009 37 52 81 5 17 .964 - 7 10 9 0 0 1.000 2 0 0 0 0 -
2010 69 89 114 0 24 1.000 - 31 36 86 7 21 .946 11 9 1 0 1 1.000
2011 111 213 279 5 49 .990 1 0 0 0 0 - 9 7 23 2 3 .938 -
2012 120 248 317 7 54 .988 - 8 3 16 0 2 1.000 3 1 0 0 0 1.000
2013 65 144 174 0 28 1.000 - 2 0 1 1 1 .500 6 4 0 0 0 1.000
通算 441 819 1056 19 186 .990 1 0 0 0 0 - 66 66 142 12 29 .945 22 14 1 0 1 1.000
  • 2013年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

その他の記録
  • プロ初本塁打がランニング本塁打:同上 ※2リーグ制以後5人目

独立リーグ時代の成績[編集]













































O
P
S
2007 石川 72 280 56 76 9 2 0 30 28 41 9 7 3 31 13 10 79 .271 .378 .318 .696
通算:1年 72 280 56 76 9 2 0 30 28 41 9 7 3 31 13 10 79 .271 .378 .318 .696

背番号[編集]

  • 121 (2008年 - 同年途中)
  • 98 (2008年途中 - 同年終了)
  • 0 (2009年 - 2011年)
  • 6 (2012年 - 同年途中)
  • 23 (2012年途中 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 左翼線際に上がった飛球を左翼手の内川聖一が後逸し、外野フェンスまで到達した打球を処理する間に一気に本塁を陥れたものであった。内村はヒーローインタビューで「ラッキーだった。自分らしいホームラン」とコメントした[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「チャレンジ精神 内村賢介」『週刊ベースボール』2009年6月22日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20444-6/22、35-39頁。
  2. ^ 内村賢介選手 支配下登録について」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2008年7月23日)、2011年11月20日閲覧。
  3. ^ 星野イズム「機動力野球」早くも全開」 デイリースポーツ(2011年2月12日)、2011年11月20日閲覧。
  4. ^ 2011/09/24(土)vs 福岡ソフトバンクホークス」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2011年9月24日)、2011年11月20日閲覧。
  5. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、231頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  6. ^ 守備「選手別」二塁手データ」 SMR Baseball Lab、2011年11月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]