寺田龍平
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 北海道恵庭市 |
| 生年月日 | 1989年6月20日(23歳) |
| 身長 体重 |
185 cm 76 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1位 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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寺田 龍平(てらだ りゅうへい、1989年6月20日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
目次 |
経歴 [編集]
北海道恵庭市出身。小学2年から野球を始める。中学校時代は札幌広島グロウィングスに所属した。
高校は、道内で有数の進学校である札幌南高に進学。1年秋からベンチ入りし、3年時は地区大会準決勝まで進出したものの、函館工高に0-1で敗戦した。
2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名(佐藤由規の外れ指名)を受け、入団。
プロ入り後は、高校時代に最速145km/hを記録した球速が130km/h台にまで落ち、ファームでも制球難で自滅する試合をたびたび経験。
2010年、シーズン開幕前にブラウン監督(当時)から「ストレートが微妙に動くところがおもしろい」と評価されるが、3年目もシーズンを通じて1軍登板はなし。夏に、サイドスローにフォームを変更した。同年12月、右肩関節唇手術を行なった。オフには、初の減俸となる50万円ダウンの600万円で契約更改した。
2011年も一軍登板は無く、二軍でも2試合の登板に終わった。同年10月9日に戦力外通告を受け[1]、同日に自身のTwitterで引退を表明した[2]。その後は一般企業に勤務している。
プレースタイル [編集]
最速145km/hのストレートと変化量の大きなスライダーが武器。
人物 [編集]
- 指名を受けた当日は球技大会に参加していたため、ジャージに半ズボン姿であった。本人は「3、4巡目ならいいな」と考えていたため、まさかの1位指名に驚きを隠せないでいた。また、この年に1位指名された11人の高校生選手の中では唯一、甲子園出場の経験がない。
- 入団初年度発行のファン・ブックのプロフィールには、「頭脳的ピッチングで将来のエース候補」と紹介された。
- 球場外野フェンス沿いをランニングしているとき、若手選手間で「どれだけの距離を走らされるのか」と話題になると、答えを三角関数で暗算しようとした。
- 2008年の球団納会ゴルフ大会では、石田隆司に次ぐ161を記録し、ブービー賞を獲得した(石田のスコアは162)。
- 1年目の契約更改の席で、通信大学したいからと寮のネット回線の改善を要求。その後、2009年4月に早稲田大学人間科学部 eスクール(通信課程)入学。環境学専攻。「野球で成績を残し、かつ大学で得た知識を使ってプロ野球と環境活動を結びたいと考えています。地球のために自分ができることをやりたいと思った末の決断です」とブログで心情を吐露。
詳細情報 [編集]
背番号 [編集]
- 43 (2008年 - 2011年)
登場曲 [編集]
- 『小さな恋のうた』MONGOL800(2008年 - 2011年)
脚注 [編集]
- ^ “来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月9日). 2011年10月9日閲覧。
- ^ [1]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 寺田龍平ブログ - オフィシャルブログ(2011年3月まで)
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