KEIRINグランプリ
| 概要 | |
|---|---|
| 開催時期 | 12月30日 |
| 開催地域 | 持ち回り |
| 愛称 | グランプリ |
| 分野 | 競輪 |
| カテゴリー | GP |
| 形態 | 一発勝負 |
| 主催者 | 持ち回り |
| 歴史 | |
| 初回開催年 | 1985年 |
| 開催回数 | 27回(2011年) |
| 初代優勝者 | 中野浩一 |
| 最多優勝者 | 井上茂徳、山田裕仁(3回) |
| 直近優勝者 | 山口幸二(2011年) |
KEIRINグランプリ(けいりんグランプリ)とは毎年12月30日に開催される競輪のGP競走(レース)である(但し1989年は労使交渉の決裂から開催中止、1990年はテレビ中継の関係で12月29日に開催)。
目次 |
[編集] 概要
本大会は通常のトーナメント方式ではなく、9人による1レースのみの一発勝負であり、優勝賞金は競艇の賞金王決定戦の優勝賞金と並び1億円[1]である。ただし、予選(トライアルレース)を行う競艇の賞金王決定戦とは異なり、真の一発勝負のレースである点が一番のポイントであり、切羽詰った史上最高・史上最大・史上最強の「1億円頂上決戦」が見られるのが魅力である。
2001年に競輪のグレード制が導入されてからは、GIよりも格の高いグレードとして『GP』が用意されるなど、競輪における最上位のレースと位置付けられており、その年の「真の競輪実力日本一決定戦」ともとる事ができる[2]。
2007年までは各種公営競技を代表する年末のビッグレース(中山大障害・有馬記念・東京大賞典・賞金王決定戦競走・スーパースター王座決定戦・KEIRINグランプリ)の中でも最後に行われてきたことから、その年の「ギャンブル総決算」の意味合いを持つレースとして位置づけられてきた[3]。2008年からは大晦日にスーパースター王座決定戦が行われていることから、「公営競技界最後の大一番」とは言わなくなった。
正賞として経済産業大臣賞、NHK杯、主催者市長(管理者)賞、主催者議会議長賞、全国競輪施行者協議会会長賞、JKA会長賞、自転車競技会全国協議会会長賞、日本競輪選手会理事長賞、全国競輪場施設協会会長賞、日本自転車競技会会長賞などが優勝者に授与される。
[編集] レース
2825m(400mバンク7周)で行われる。殆どのレースでは1625mないし2025m(競輪場により周長が異なるため微差あり)で行われるため、競輪における全レース中で最も周回が多いレースとなっている。
[編集] 賞金
1着賞金は第1回(1985年)が1000万円であったが、以後少しずつ増額され第13回(1997年)から7000万円となり、第20回(2004年)からは賞金王決定戦競走に合わせて1億円に増額されて現在に至っている。なお、この優勝賞金の1億円(ドルに直すと現在のレートで約80万ドル)は競艇の賞金王決定戦と共に1レースの優勝額としては世界最高額としてギネスブックに認定されている。
各着順における賞金額は、以下の通り(第27回。副賞含む)。
| 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1億円 | 2000万円 | 1200万円 | 800万円 | 660万円 | 570万円 | 540万円 | 520万円 | 500万円 |
[編集] 開催場
開催場は固定ではなく、各競輪場による持ち回りである。ただビッグレースであり1万人以上もの大量の観客が訪れるため、実質は立川競輪場をメインとした南関東(競輪での地区区分では関東及び南関東地区)の競輪場のみの開催に限られている。現在までに開催実績があるのは立川競輪場・平塚競輪場・京王閣競輪場の3場のみである。
競輪では「1競輪場で1年1グレード(GIII以上)レースのみ」が前提のため、従来は立川競輪場での開催を基本としながら、立川で日本選手権競輪など他のGIレースが開催される年のみ平塚競輪場にて開催された。ただ2003年以降現状では、京王閣 → 立川 → 平塚の順で3年周期にて開催されており、GIII(記念競輪)の開催も可能となっている。
かつては関東以外での開催も検討され、1988年では一度は甲子園競輪場での開催が決まったが、警備面など諸問題がクリアできず結局立ち消えとなった。
[編集] 出場資格
後述するように、その年のグランプリ開催日においてS級に所属し、かつその年のGIで優勝した選手および獲得賞金額の上位選手である。ただ例外的に、当年における世界選手権自転車競技大会や夏季オリンピックでの自転車トラックレース競技個人種目成績優秀者(メダリスト)にも出場資格が与えられることがある。
[編集] 出場特典
- 優勝者は、翌年のKEIRINグランプリ直前までの1年間、出場する全てのレースで1番枠に固定される特典が与えられる(第18回より制定)。
- 出場者全員が翌年のKEIRINグランプリ直前までS級S班在籍となり、また翌年の全GIレースにおいても優先出走資格が与えられる。
- 「グランプリ・チャンピオンユニフォーム」(優勝者)・「グランプリユニフォーム」(優勝者以外)を、翌年の朝日新聞社杯競輪祭まで着用することができる。
[編集] 沿革
設立当時のレース名は「KEIRINグランプリ'●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る)であったが、2000年には「KEIRINグランプリ2000」というレース名で開催、2001年から2009年までは「KEIRINグランプリ●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る。1999年以前と異なり年を表す数の前に「'」が入らない)、2010年以降はそのまま西暦4桁を入れた「KEIRINグランプリ●●●●」というレース名で呼称されている。
- 西暦年の読み方は、2000年までは日本語(例「KEIRINグランプリ99」=きゅうじゅうきゅう)であったが、2001年から2009年までは英語(例「KEIRINグランプリ09」=ゼロナイン)に変更されていた。2010年以降はそのまま日本語で「KEIRINグランプリ2010」=「にせんじゅう」などとしている。
[編集] KEIRINグランプリ誕生の経緯
1981年に事実上史上初めて競輪の売り上げが対前年比割れとなり、その後も4年連続して対前年比割れが続いた事を踏まえ、売り上げ減少防止のためのカンフル剤の意味で1985年に当時5番目の特別競輪として全日本選抜競輪を創設、同年8月に開催を行った。だが全日本選抜競輪の売り上げは芳しくなく、1985年度の上半期(4月 - 9月の売り上げ状況からみて5年連続の売り上げ減少は避けて通れない情勢となっていた。そこで当時の監督省である通商産業省の車両課長だった西川禎一が、「中央競馬の有馬記念に匹敵するグランプリレースを競輪でも行えないものか?」と発案したのが当レースであった[4]。
しかしながら、最初から1レースのみの一発勝負で決するレースという形にしようとは考えていなかった。当時は特別競輪ならば6日間、記念競輪ならば3日間のトーナメント戦形式だった事を踏まえ、東日本の競輪場と西日本の競輪場で各々1レースずつ予選を行い、そこから勝ち上がった選手を再度頂上決戦というべきレースに出場させるという案がまずは浮上した。
だが有馬記念は1レースのみで王者を決するものであり、またそうした方が盛り上がるのではないかという案が通産省内でも多勢を占める事になったため、同年10月頃、集客が多く見込める首都圏の競輪場で1回限りの開催という形で大筋の話はまとまった。しかし急な決定につき開催地に手を上げる競輪場がなかなか現れなかったため、通産省は多くの観客を収容できるスタンドを持つ立川競輪場に開催地のターゲットを絞って交渉を重ねた結果、立川競輪場を主催する立川市と合意に達した事から同年の競輪祭終了後、同年の特別競輪優勝者5名、同世界自転車選手権優勝者1名、競走得点上位者3名の計9名により同年12月30日、立川競輪場にて予選なしの一発勝負の形式によるKEIRINグランプリを開催するというプレスリリースを行った事で、漸く当レースの全貌が明らかになった。
しかしながら急な決定という事もあってか場外発売を引き受ける競輪場は殆どなく、せいぜい10場程度しかなかった(とりわけ、中部以西の競輪場は殆ど引き受けるところがなかった)。また、地上波テレビ中継についても開催直前まで難航し、何とか当時特別競輪決勝戦の中継を担当していたテレビ東京に引き受けてもらう事で決着した。
そして主催者の立川市及び日本競輪選手会も盛り上がりを懸念し、公営競技としては当時初めてグランプリに出場する9選手がレース当日、立川競輪場の正門前に集まってファンをお出迎えするというサービスを行う事になった。だがそうした懸念は杞憂となり、立川競輪場は39019人のファンで埋め尽くされ、加えて売り上げも当時としては画期的とも言える、当レースだけで10億円を超えたのであった。
更にグランプリの売り上げがモノをいったのか、1985年の競輪の売り上げは5年ぶりに前年対比増に転じ、以後1991年まで対前年比増を続けることになる。そして当レースの創設は他競技にも影響を与え、競艇では1986年から賞金王決定戦が、またオートレースは1987年からスーパースター王座決定戦という、それぞれの競技のグランドチャンピオン決定戦を誕生させるに至るわけである。
[編集] 出場選手選抜方法
KEIRINグランプリの出場選手(通称:グランプリレーサー)は、以下の優先順位に従って正選手9名・補欠1名が選抜される。
- 1.当年におけるGI競走優勝者
- 2.当年に夏季オリンピックが開催された場合は、その夏季オリンピックにおけるトラックレース競技個人種目メダリスト
- 3.当年の世界選手権自転車競技大会トラックレース競技個人種目優勝者など選考委員から特別に認められた選手
- 4.当年1月 - 競輪祭最終日における獲得賞金上位者[5]
- 獲得賞金が同額の場合は、当年1月 - 10月における平均競走得点上位者を優先
但し、グランプリ開催当日の時点でS級に在籍していることが条件で、同年中のGI競走に優勝してもグランプリ当日の時点でA級に降格されている場合はグランプリへの出場資格を失う[6]。
[編集] 過去の開催場・優勝者・優勝賞金・入場者・売上額
| 回数 | 開催日 | 開催場 | 優勝者 | 優勝賞金(副賞込み・万円) | 入場者(本場・人) | 売上額(万円) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 1985年12月30日 | 立川競輪場 | 中野浩一 | 1,000 | 39,019 | 120,577 |
| 第2回 | 1986年12月30日 | 井上茂徳 | 1,500 | 40,371 | 284,953 | |
| 第3回 | 1987年12月30日 | 平塚競輪場 | 滝澤正光 | 1,700 | 37,782 | 406,653 |
| 第4回 | 1988年12月30日 | 立川競輪場 | 井上茂徳 | 1,700 | 38,480 | 577,382 |
| 第5回 | 1989年12月30日 | ※中止 | - | - | - | |
| 第6回 | 1990年12月29日 | 坂本勉 | 2,500 | 36,483 | 585,734 | |
| 第7回 | 1991年12月30日 | 鈴木誠 | 3,000 | 42,528 | 664,564 | |
| 第8回 | 1992年12月30日 | 平塚競輪場 | 吉岡稔真 | 3,220 | 37,300 | 793,756 |
| 第9回 | 1993年12月30日 | 立川競輪場 | 滝澤正光 | 3,560 | 38,588 | 826,129 |
| 第10回 | 1994年12月30日 | 井上茂徳 | 3,560 | 35,768 | 901,217 | |
| 第11回 | 1995年12月30日 | 吉岡稔真 | 5,060 | 40,621 | 816,077 | |
| 第12回 | 1996年12月30日 | 小橋正義 | 6,000 | 39,793 | 1,064,770 | |
| 第13回 | 1997年12月30日 | 山田裕仁 | 7,000 | 35,065 | 989,259 | |
| 第14回 | 1998年12月30日 | 山口幸二 | 7,000 | 38,071 | 980,189 | |
| 第15回 | 1999年12月30日 | 太田真一 | 7,000 | 35,531 | 913,783 | |
| 第16回 | 2000年12月30日 | 児玉広志 | 7,000 | 34,358 | 856,746 | |
| 第17回 | 2001年12月30日 | 平塚競輪場 | 伏見俊昭 | 7,000 | 34,173 | 829,995 |
| 第18回 | 2002年12月30日 | 立川競輪場 | 山田裕仁 | 7,000 | 35,030 | 739,456 |
| 第19回 | 2003年12月30日 | 京王閣競輪場 | 7,000 | 25,333 | 700,269 | |
| 第20回 | 2004年12月30日 | 立川競輪場 | 小野俊之 | 10,000 | 29,014 | 648,339 |
| 第21回 | 2005年12月30日 | 平塚競輪場 | 加藤慎平 | 10,000 | 20,619 | 661,921 |
| 第22回 | 2006年12月30日 | 京王閣競輪場 | 有坂直樹 | 10,000 | 25,294 | 630,478 |
| 第23回 | 2007年12月30日 | 立川競輪場 | 伏見俊昭 | 10,000 | 20,201 | 638,341 |
| 第24回 | 2008年12月30日 | 平塚競輪場 | 井上昌己 | 10,000 | 20,154 | 571,300 |
| 第25回 | 2009年12月30日 | 京王閣競輪場 | 海老根恵太 | 10,000 | 19,819 | 529,775 |
| 第26回 | 2010年12月30日 | 立川競輪場 | 村上博幸 | 10,000 | 15,909 | 490,674 |
| 第27回 | 2011年12月30日 | 平塚競輪場 | 山口幸二 | 10,000 | 18,496 | 514,546 |
[編集] エピソード
- 記念すべき第1回は、“ミスター競輪”中野浩一が優勝した。尚、中野はグランドスラムが期待されたが、高松宮記念杯競輪のみタイトルが獲れずにグランドスラムを達成できなかった。
- 第3回では、GI(当時は特別競輪)ノンタイトルながら世界選手権のケイリンで優勝した本田晴美が特例出場。
- 第5回では現在までの時点で唯一中止された大会である。選手会と競技会の賞金増額交渉(労使による賃上げ交渉と似た構造)が決裂し、選手会側が先頭誘導員をあっせんしないストライキを実行したため、S級シリーズを含む開催全てが中止された。このグランプリに出場予定の選手は1990年5月に前橋競輪場で行われた「スーパープロピストレーサー賞」に全員が出場し、波潟和男が優勝した。
- 第6回では、坂本勉が初の逃げ切り優勝を果たす。このレースでは全選手「出渋り」のため2回もスタートがやり直しとなった。(1回目は全員発走機から出ず、2回目は中野浩一、井上茂徳が25mラインを越えたものの他の選手たちはけん制し合い続け、山口健治のグリップバンドが外れたため再スタートとなった。)、3回目のスタート時に「このスタートをもってしてもレース続行不可能と判定された場合はレース不成立とする」という審判員からの事前説明があり、何とかレース不成立を免れた。
- 第7回では、鈴木誠がまくりで快勝。
- 第8回では、当時彗星の如く現れた吉岡稔真が優勝。この賞金と併せ、吉岡は当時公営競技において史上最高となる年間獲得賞金1億9,002万円を稼ぎ出す。
- 第9回では、優勝インタビューで滝澤正光が号泣。「ありがとうございましたぁぁっっ!!」と絶叫し、上半身裸になってウイニングラン。
- 第10回では出口眞浩が同年のオールスター競輪を制覇しながらグランプリ開催当日の時点でS級2班に降格されており、出場資格を得られなかった(当時はグランプリ開催当日の時点でS級1班在籍が出場条件)。
- 第11回では逃げる神山雄一郎を吉岡稔真が捲りで捉え優勝し、場内に「吉岡」コールを巻き起こした。
- 第12回では車券売上額が初めて100億円を突破(106億円)。また、オリンピック銅メダルの十文字貴信が特例出場。レースでは、最終周回2センターから4コーナーにかけて接触事故で6選手もの大量落車が発生。この位置で落車した場合に完走と認められるためには自転車に再乗してゴール線を跨ぐ必要があるものの松本整を始め落車した選手たちの多くがゴール手前30メートル以内の落車の場合には再乗しなくても自転車を担いでゴール線を跨げば完走が認められるということと勘違いをし、自転車を担ぎながらゴール前まで「駆けっこ」をした(途中棄権すると20%減額されることや、完走した選手が3人しかおらず4着賞金が手に入る可能性があったため)。結果的に完走は4人で、小橋正義-神山雄一郎(-後閑信一-吉岡稔真)の組み合わせは万車券となり接触事故を起こしたとされた松本が失格、落車したが自転車に再乗してゴールした吉岡が4着(この判断で吉岡は4着賞金の700万円を獲得、この年の賞金王を獲得している)、児玉が途中棄権、その他自転車を担いでゴールした3人は完走と認められず棄権扱いとされるなど大荒れの結果となった。また、翌日のスポーツ各紙でも「グ乱プリ」などの見出しが躍り一面を飾った。
- 第13回ではそれまで「無冠の帝王」と呼ばれた山田裕仁が初優勝、GIタイトルより先にグランプリを制する。
- 第14回では、初出場山口幸二が優勝。公開練習で優勝した時のガッツポーズの予行演習をファンの前で披露していた山口だったが、まさに予告Vとなった。
- 第15回では、太田真一が逃げ切り優勝。逃げ切りでの優勝は意外にもこれが2回目。
- 第16回では長い写真判定の結果、6回目出場の児玉広志が初優勝。確定後、児玉がバンクに現れガッツポーズを連発、スタンドのファンから「児玉」コールを受けた。
- 第17回では、伏見俊昭が2着の山田裕仁を1/2車身離して堂々の逃げ切り優勝を果たした。
- 第18回大会では競輪祭、日本選手権競輪を連覇した山田裕仁が優勝。年間獲得賞金でも競輪史上最高となる2億4,434万円という金字塔を打ち立てた。
- 第19回ではレース中、伏見俊昭と村上義弘が激しい先行争いした。また、ゴール前は山田裕仁と吉岡稔真のマッチレースで2着の吉岡は思わず手を挙げてしまった。優勝した山田は2年連続年間獲得賞金2億円突破の偉業を達成。さらに、KEIRINグランプリの2連覇という快挙も山田が初めて達成した。
- 第20回から、優勝賞金が1億円に増額。初代1億円獲得者は、GIノンタイトルながらV宣言していた小野俊之であった。
- 第21回では、ゴール前は加藤慎平と後閑信一が並んでゴール。2着の後閑は思わず手を挙げてしまった。加藤は初出場初優勝となり、開放されたバンクの中にいた多くのファンの目の前で祝福を受けた。
- 第22回では北日本の3番手から伸びた有坂直樹がビッグレース初優勝、37歳での優勝はグランプリでの最年長優勝記録となった。またこのレースは吉岡稔真の引退レースとなり、レース後には引退セレモニーが行われた。
- 第23回では、自転車競技ワールドカップシリーズで海外転戦中の伏見俊昭が久々に日本国内での競輪レースに出場。ブランクをモノともせずレースでは最終直線で先頭に立った小嶋敬二をゴール前で交わし、6年ぶりのグランプリ制覇を飾った。なおKEIRINグランプリの歴史上、3番車の優勝は今回が初となった。
- 第24回では、残り2周で北京五輪メダリストの永井清史が飛び出した。その永井の大逃げをアテネ五輪メダリストの井上昌己が最終周回のコーナーで捉えて交わし、平原康多の追撃を振り切ってグランプリ初制覇を飾った。
- 第25回では残り1周で先頭に立った平原康多を、二番手追走の武田豊樹が直線に入って抜き、そのままゴールへ逃げ切りを図ろうとするところへ外から追い込んできた海老根恵太がゴールラインぎりぎりで武田を交わして僅かの差で1着入線。海老根は初出場にして初のグランプリ制覇を飾った。
- 第26回はグランプリ史上初めて村上義弘、博幸が兄弟同時出場を果たした。レースは最後の直線で山崎芳仁が逃げ切ろうとしたところを村上(博)がゴール前で強襲。長い写真判定の末、村上(博)がわずかに差しきりグランプリ初出場で初制覇を果たした。村上(博)の年間獲得賞金は2億3793万8200円となり、8年ぶりに2億円レーサーが誕生。歴代2位の年間獲得賞金となった。
- 第27回は『東日本大震災被災地支援競走』として施行。レースは最終直線で山口幸二に競りかけようとした長塚智広が落車、その間隙を縫って抜け出した山口と武田豊樹の競り合いとなり、3/4車身差で山口が1着となり、1998年以来13年ぶり2度目にして、かつ43歳5ヶ月での史上最年長グランプリ制覇を達成した。
[編集] 開催場における特色
[編集] 立川競輪場
1985年から開催されたKEIRINグランプリ発祥の地であり、通算16回開催。第1回の開催において4万弱の来場者を集めたほどの集客力があることから、最もグランプリの開催地というイメージが強い。なお過去から立川で他の特別競輪が開催される時のみ京王閣または平塚での開催が行われていたが、近年はその原則が崩れている。
[編集] 京王閣競輪場
2003年からKEIRINグランプリの開催場に加わり、通算3回開催。集客力は立川に並ぶ程であり、比較的新しい観戦スタンドのチケット人気は高い。2009年の開催では、平塚と同じように表彰式の一般開放を行った(但し、バンク内にファンが出向く平塚とは異なり、フェンスそばのスタンドに設営した特設表彰台に選手が出向く形とした)。
[編集] 平塚競輪場
1987年からKEIRINグランプリを開催しており、通算5回開催。都心から離れていることから集客力では劣るが、イベントなどの開催で盛り上げを図っており、2005年の開催からは以下のセレモニーが実施されている。
- 表彰式の一般開放
- レース終了後、バンクとスタンドを隔てるフェンスを取り払ってバンクを一般開放して表彰式を行い、ファンは表彰台手前まで近づいて優勝者を祝福できるようにした。
- レース終了後、選手との懇親会を実施
- グランプリ当日、特別観覧席入場者の中から抽選で選ばれた数十名程度をレース終了後の懇親会(立食式のパーティ)に招待した。当選者は表彰式終了後、選手宿舎内の食堂にて1時間程度、グランプリ出場選手との懇親会を楽しんだ(なお2005年の場合、実際に出席したのは加藤慎平、小嶋敬二、後閑信一のみ)。
[編集] 実況中継
- テレビ(地上波)
- 2007年までテレビ東京系列と一部の地方局で放送されていた[7]が、2008年からは日本テレビ製作BS日テレとテレビ神奈川をキーとして日本テレビ系列および独立UHF局系列で放送されている(一部地域除く)。
- テレビ(BS)
- NHK・BS1にて中継されている[8]。NHKで中継される唯一の競輪のレース(さらに言えば中央競馬以外の公営競技で唯一放送されているレースでもある)。
- BS日テレでは、BS1と重ならない時間帯で放送を行っている。
- テレビ(CS)
- SPEEDチャンネルの他、立川競輪場で開催の場合はEXエンタテイメントでも放送される。
- ラジオ
- アール・エフ・ラジオ日本が実況中継を担当し、主なJRN系列局(東海・近畿地区はKBS京都等の独立局)にネットしている(過去にはTBSラジオがキーステーションとなっていた時期もある)。
[編集] 特記事項
- 開催時の特別観覧席は、はがき・開催競輪場・インターネットでの抽選などによる発売となる。ただし第21回(平塚競輪場)と第22回(京王閣競輪場)のメインスタンド席は先着順にて販売された。
- 過去に4番車、6番車、8番車(いわゆるヨーロッパ)が1回ずつ優勝しているがいずれも岐阜所属の選手が優勝している。
[編集] 脚注
- ^ 実際は本賞金が9500万円で、副賞の500万円と合わせて1億円としている。
- ^ 但し競輪界の名誉としては、格式や歴史を考慮しても「春の日本一決定戦」ダービーとする説も根強い他、GPグレードはこのレースのみなので、GIもGPとほぼ同等の最高権威とみなす事も出来る。
- ^ ちなみに2002年のキャッチフレーズは「全てのギャンブラーに捧げるワンモアチャンス」であった。
- ^ 参考文献:立川競輪場発行フリーペーパー「とらいふぇくた」
- ^ 第18回(2002年)のみGI決勝での着順によるポイント制が採用されたが、既権利者がポイントを大量獲得したため制度が成り立たたくなったことから、結局その年限りで廃止された。
- ^ かつては当時最上位であったS級1班在籍が条件であり、開催当日でS級2班以下であれば出場資格を失っていたが、現在は緩和されている。
- ^ エンディングはベートーヴェンの第九が必ず流れた。
- ^ 2006年までは衛星ハイビジョンでも中継されていた。
[編集] 今後の開催予定
- 第28回(KEIRINグランプリ2012=仮称) - 2012年12月30日 京王閣競輪場
[編集] 関連項目
- 寺内大吉記念杯競輪
- 有馬記念(中央競馬の年末総決算レース)
- 賞金王決定戦競走(競艇の年末総決算レース)
- スーパースター王座決定戦(オートレースの年末総決算レース)
- 東京大賞典(地方競馬の年末総決算レース)
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