松岡弘

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松岡 弘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県倉敷市
生年月日 1947年7月26日(64歳)
身長
体重
186cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト5位
初出場 1968年10月1日
最終出場 1985年10月23日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督・コーチ歴

松岡 弘(まつおか ひろむ、1947年7月26日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手投手)。

ヤクルト(前身含む)一筋の選手で初優勝・日本一に貢献した大エースであった。

目次

[編集] 来歴

[編集] 現役時代

岡山県立倉敷商業高等学校三菱重工水島を経て、1967年ドラフト5位でサンケイアトムズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の指名を受けるも、4位までの選手の入団が決まったことを理由に契約見送りとなる[1]。これに奮起して三菱重工水島で快投を重ね、サンケイ側も頭を下げたことから1968年8月に入団。1969年から先発ローテーションに定着し、1971年にプロ入り初の2桁勝利(14勝)、1973年は21勝を挙げる。

1978年は16勝を挙げ、球団史上初のリーグ優勝、日本一に貢献。阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、勝ち試合4試合全てで登板した。同年、沢村賞を受賞。

1980年最優秀防御率(2.35)のタイトルを獲得。

1983年のシーズン終了時点で通算190勝であり、200勝達成・名球会入りまであとわずか(同年まで13年連続シーズン9勝以上を挙げていた)だったが、同年オフに首を痛め、1984年から1985年の2年間はわずか1勝に終わり、あと9勝及ばずに1985年限りでの現役引退となった。

[編集] 引退後

1986年から1989年までヤクルトのコーチを務めた後、1990年からテレビ東京ニッポン放送1999年からテレビ朝日野球解説者

その後再び、かつての同僚である若松勉監督のもと、2003年から2005年までヤクルト二軍投手コーチを務める。

2006年から2008年まで、東京都あきる野市社会人野球クラブチーム西多摩倶楽部の監督を務めた。

2009年5月、翌年度より発足する三重スリーアローズの監督に就任することが発表された。2010年の最初のシーズンの指揮を執ったが、7月30日付で「心労が重なり体調不良」を理由に休養[2]8月6日付で退団した[3]

2010年11月、茨城県古河市にある管理釣り場「三和新池」のリニューアルに伴い支配人に就任[4]

[編集] 人物

甥の松岡大吾も、ヤクルトに所属した元プロ野球選手。

実家は釣具店を営んでいたことから現役時代から釣りが趣味。三和新池の支配人になったのも釣り好きが高じてのもので、ベラ釣りが一番のお気に入りだという。

高校の先輩に星野仙一がいるほか、平松政次とは学校・チームが一緒になったことは無かったが、同じ岡山県出身で同学年で投手同士、すなわち岡山時代からプロ球界に至るまでの長年のライバルであり友人でもある。

映画『慕情』の主題歌「Love is A Many-Splendid Thing」を原語で歌える(出典:「オレが許さん!」、豊田泰光)。また、ヤクルトスワローズ球団歌「とびだせヤクルトスワローズ」でも、その歌を披露している。

現役時代の背番号17はエースナンバーとして、後に川崎憲次郎川島亮に受け継がれている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1968 サンケイ
アトムズ
ヤクルト
2 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 15 2.1 4 0 3 0 1 0 0 0 6 6 23.14 3.00
1969 43 23 2 0 0 8 10 -- -- .444 707 168.0 142 24 60 2 13 110 4 0 84 69 3.70 1.20
1970 45 19 2 2 0 4 12 -- -- .250 625 145.1 159 13 52 3 3 62 3 1 77 68 4.21 1.45
1971 48 37 14 4 3 14 15 -- -- .483 1143 281.2 240 23 84 13 8 122 1 1 95 79 2.52 1.15
1972 46 36 18 3 2 17 18 -- -- .486 1231 300.0 271 28 97 9 4 140 3 0 120 103 3.09 1.23
1973 48 25 14 2 2 21 18 -- -- .538 1203 295.0 223 18 115 17 10 218 4 0 83 73 2.23 1.15
1974 39 30 15 4 1 17 15 1 -- .531 1042 257.1 202 27 95 4 7 168 2 1 96 80 2.80 1.15
1975 41 18 5 1 0 13 9 6 -- .591 804 201.2 143 15 67 9 3 168 0 0 57 52 2.32 1.04
1976 42 30 16 3 2 17 13 4 -- .567 935 222.0 208 18 85 6 5 170 0 0 91 82 3.32 1.32
1977 47 24 4 1 0 9 10 7 -- .474 809 188.0 182 23 78 4 6 138 3 1 93 86 4.12 1.38
1978 43 29 11 4 0 16 11 2 -- .593 873 199.1 191 21 96 5 5 119 5 0 92 83 3.75 1.44
1979 50 17 4 1 0 9 11 13 -- .450 762 181.2 182 21 52 2 6 139 1 1 92 80 3.96 1.29
1980 29 17 9 4 1 13 6 1 -- .684 646 157.0 145 10 47 4 2 92 3 2 47 41 2.35 1.22
1981 36 25 7 0 1 12 7 4 -- .632 822 194.1 191 29 67 5 8 133 5 1 84 81 3.75 1.33
1982 34 21 5 1 2 9 13 3 -- .409 706 168.0 153 18 54 7 4 101 1 1 74 62 3.32 1.23
1983 35 29 7 0 2 11 14 0 -- .440 803 191.1 179 23 67 3 1 92 4 1 90 87 4.09 1.29
1984 24 13 1 0 0 1 5 0 -- .167 343 72.2 101 12 34 3 3 29 3 0 54 53 6.56 1.86
1985 8 4 0 0 0 0 2 0 -- .000 76 14.1 23 3 10 0 0 7 2 0 15 15 9.42 2.30
通算:18年 660 398 134 30 16 191 190 41 -- .501 13545 3240.0 2939 326 1163 96 89 2008 44 10 1350 1200 3.33 1.27
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • サンケイ(サンケイスワローズ)は、1969年にアトムズに、1970年にヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団名を変更

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 25 (1968年)
  • 17 (1969年 - 1985年)
  • 71 (1986年 - 1989年)
  • 78 (2003年 - 2005年)

[編集] 関連情報

[編集]

[編集] 出演番組

[編集] 脚注

  1. ^ ベースボール・マガジン社「わが愛しのスワローズ1950-2011」より、松岡本人談
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ 【人生第二幕】あのヤクルト大エースが釣り場を経営!! 191勝松岡弘さん”. ZAKZAK (2011年2月16日). 2011年6月9日閲覧。

[編集] 関連項目

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