河端龍

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河端 龍
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府城陽市
生年月日 (1976-11-10) 1976年11月10日(47歳)
身長
体重
174 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト5位
初出場 1999年4月28日
最終出場 2008年10月12日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

河端 龍(かわばた りゅう、1976年11月10日[1] - )は、京都府城陽市[2]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

西城陽高ではエースとして1994年夏の第76回全国選手権に出場[2]。1回戦の対大垣商業戦で完投するも、7失点(自責点4)で敗退。

龍谷大学時代は、先発投手として活躍。1995年、1年生にして頭角を現し、新人賞を受賞している。その後も1997年春と1998年春の2度のMVPの他、3度の最優秀投手賞受賞、ベストナイン3回など、エースとして大活躍[2]大学選手権では3年時初戦先発勝利、4年時は初戦完投から全試合先発し準々決勝では亜大を完封してベスト4。大学通算28勝9敗、防御率1.62。

1998年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから5位指名を受け[1]、同じ龍谷大学の本郷宏樹(4位指名)と共に入団。

プロ入り後[編集]

1999年4月28日の対読売ジャイアンツ2回戦(大阪ドーム)で、ルーキーながら一軍初登板を果たす。この試合で二岡智宏から初の奪三振を記録している。

2000年シーズンは右肘の故障により、手術リハビリにあてた1年となった。

2001年シーズンに復活すると、中継ぎに定着してチームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。6月24日に中継ぎで初勝利。

2002年シーズン以降も、チームに欠かせないセットアッパーとして頼れる存在であった。

2005年5月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦には、ローテーションの谷間の先発を任される。プロ入り後初の先発ながら、6回無失点で見事に勝利をあげている。

2006年シーズンは開幕前に右肘の手術を受け、そのリハビリにより、一軍二軍共に登板することはできなかった。

2007年シーズンは二軍スタート。リハビリをしながら9月にファームに復帰し、3試合を無失点に抑える。

2008年10月1日、現役引退を表明。10月12日神宮球場でのレギュラーシーズン最終戦(横浜ベイスターズ戦)で3年ぶりに一軍登板を果たし、斉藤俊雄を三振で抑え、10年間の現役生活を終える。試合終了後に引退セレモニーが行われた。

引退後[編集]

2009年1月よりチーム付広報に就任[1]

ヤクルトジュニアチームのコーチも務め[1]、2018年には侍ジャパンU12代表コーチを務めた[3]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 ヤクルト 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 84 19.0 16 5 11 0 2 17 1 0 11 11 5.21 1.42
2001 41 0 0 0 0 3 2 0 -- .600 178 45.0 39 4 11 1 0 35 0 0 16 16 3.20 1.11
2002 43 0 0 0 0 3 3 0 -- .500 197 46.2 46 3 13 4 2 41 2 0 15 14 2.70 1.26
2003 37 0 0 0 0 2 3 0 -- .400 183 41.1 44 1 16 3 1 37 1 0 20 16 3.48 1.45
2004 61 0 0 0 0 3 1 0 -- .750 246 58.2 53 8 19 1 0 51 6 0 25 24 3.68 1.23
2005 34 1 0 0 0 2 5 0 6 .286 191 44.1 49 4 11 1 1 36 0 0 20 17 3.45 1.35
2008 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
通算:7年 231 1 0 0 0 13 14 0 6 .481 1080 255.1 247 25 81 10 6 218 10 0 107 98 3.45 1.28

記録[編集]

背番号[編集]

  • 30 (1999年 - 2000年)
  • 60 (2001年)
  • 26 (2002年 - 2007年)
  • 70 (2008年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]