牧谷宇佐美

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牧谷 宇佐美
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市
生年月日 1980年5月1日(31歳)
身長
体重
188cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手投手
プロ入り 1998年 ドラフト2位
初出場 2008年6月23日
最終出場 2008年7月1日
経歴(括弧内は在籍年)

牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、男性、1980年5月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

小学校4年生の時に野球を始める。小学校6年生時には軟式野球ながら全国大会への出場経験もある。中学時代は砲丸投げなど陸上部の活動も行っており、球団公式HPによると、2年時には旭川市の砲丸投げの記録を樹立している。

旭川実業3年夏には、140km/h台の直球を投じる速球派として注目されるも、地区予選で旭川北高校に惜敗している。甲子園出場はならなかった。

1998年度ドラフト2位でヤクルトスワローズに指名され、入団する。投手としても20勝以上を記録しているが、当時から俊足強肩で知られ、高校通算18本塁打をマークしていることから、野手としての評価も高かった。

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの1999年投手として登録され、ファーム2年間で計11試合に登板するも、通算1勝2敗防御率14.03と結果を残すことが出来ず、翌2000年も一軍登板も果たせなかった。

2001年にプロ入り前から評価の高かった身体能力を見込まれ、二軍監督の小川淳司と話し合った末に、投手から野手に転向する。転向直後は確実性に苦しみ、2割前後の打率で推移することも多かったが、2004年以降は二軍で打率2割8分前後の成績は安定して残すようになった。2004年の二軍の試合において、2試合連続のサヨナラ打を記録し、注目を集めた。

2005年は、オープン戦において、初めて一軍の試合に出場。しかし、3打数安打と結果を出すことが出来なかった。イースタン・リーグでは打率.287、2本塁打、6盗塁を記録した。

2006年、二軍で打率.286、6本塁打、7盗塁の好成績を記録した。一軍の公式戦出場はならなかったが、徐々に信頼度は高まっており、一軍の練習に呼ばれる機会も増えている。

2007年も一軍出場はなかった。しかし二軍ではイ・リーグ最多の95試合に出場し、96安打で同リーグ最多安打を獲得した。打率.279、自己最多の9本塁打、10盗塁、51打点(同リーグ2位)の成績を残し、主力打者として活躍した。真面目な性格と練習熱心さから、目立った実績は無いにも関わらず、二軍首脳陣から大成を期待する旨をコメントされている。

2008年は開幕を二軍で迎えたものの好調を維持し、6月22日宮出隆自の抹消に伴い、自身初の一軍登録を受けた。翌6月23日、対オリックス戦7回1死満塁の場面で、代打で10年目にしてついに一軍初出場を果たした。チャンスでの登場だったが、惜しくも空振り三振に倒れた。その後7月1日の対巨人戦にも代打で出場したが、結果を出すことが出来ず7月3日に登録を抹消された。イ・リーグではその後も前年同様主軸として活躍したが、リーグ最多の12併殺を記録するなど、再登録には至らなかった。

2009年10月1日に戦力外通告を受け、現役を引退。日本ハム球団職員に転身した。

2010年からは、日本ハムのベースボールアカデミーの講師となる予定。

[編集] プレースタイル

を痛めて投手をやめた訳ではないため、外野手としては平均以上の肩力を誇る。遠投110m。

大柄な体格ながら、脚力もある。本塁から一塁までは、右打者としては俊足の部類となる4.03秒。

打撃はパンチ力は十二分に備えているが、その確実性が課題となっていた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 ヤクルト 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

[編集] 背番号

  • 46 (1999年 - 2001年)
  • 64 (2002年 - 2009年)

[編集] 関連項目

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