松本秀夫
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松本 秀夫(まつもと ひでお、1961年7月22日 - )は、ニッポン放送のアナウンサー。スポーツ実況専門の部署であるスポーツ部に所属している。東京都出身。新聞表記はスポーツ中継では「松本秀夫」だが、パーソナリティとしては「松本ひでお」となる。入社5年後に幼馴染の保母と結婚。
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[編集] 来歴
芝中学校・高等学校(生物部所属)、早稲田大学政治経済学部卒業(1年留年)。1985年にニッポン放送入社。元々スポーツアナウンサー志望で、入社時にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の番アナウンサーとしてチームの取材を担当していたのが縁で、松本自身もロッテファンとなった。
1987年8月9日、広島市民球場で行われた広島東洋カープ対横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)戦でプロ野球中継の実況を担当。これが自身の実況デビューとなった。その時の解説者が2007年シーズンを最後に解説者を勇退した森中千香良であり、松本は「森中さんには色々な事を教えて頂きました」と、恩人との思い出を振り返っている(2007年12月19日の『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』など)。日本シリーズの実況デビューも同じ年の1987年(10月29日)であり、異例の実況デビュー年・新人スポーツアナウンサーの大抜擢となった(だが、翌1988年と1989年は日本シリーズは担当していない)。1990年代以降は毎年1戦から2戦は担当しており、第一線で活躍するスポーツアナウンサーとなった。だがその後、ある試合で平凡な遊飛を思わず「大きい!!」と伝えてしまったことが元で、一時期実況担当を外されたこともあった。
しかし独特の絶叫型実況と取材内容の綿密さで人気を博し、現在ではニッポン放送のスポーツ実況のエース格となっている。某試合で当時読売ジャイアンツの松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)が、打った瞬間にそれと分かる特大の本塁打を放った際に発した「行った~!! 何処まで行く~!!」は、名台詞となった。日本プロ野球のみならず、アメリカメジャーリーグベースボールの実況中継も担当、シーズンによってはアメリカで3ヶ月間過ごし、現地から衛星生中継で実況を担当することもある。2008年1月には、まだ国内ではノウハウの少ないハンドボールの実況も担当している。シーズンオフにはナイター時間帯の帯番組『松本ひでおのヨッ!お疲れさん』『ショウアップナイターニュース』『ショウアップナイターストライク!』『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』(現在)などのパーソナリティを担当している。
ニックネームは「ヤギ」。入社当時、ニッポン放送でプロ野球関連のコメンテーターを務めていた当時のパシフィック・リーグ広報部長・伊東一雄(のちのパンチョ伊東)に「君はリチャード・ギアに似ている」と言われ、パンチョからは「リチャード」と呼ばれていた。ところが『鶴光の噂のゴールデンアワー』に出演し、番組内で『ニッポン放送ショウアップナイター』の告知をした際笑福亭鶴光に「自分では誰に似てると思ってる?」と聞かれたのに対し、松本が「リチャード・ギアに似てるといわれます」と答えた途端に鶴光らに爆笑され、「リチャード・ギアに失礼や!お前はヤギや!!」と命名され、さらにアシスタントの田中美和子からも「メエメエ」と呼ばれ、この影響から挙げ句にはリスナーからも「ヤギ」と呼ばれるようになってしまった。しかし松本本人はまんざらでもないようで、ショウアップナイターニュース(→ショウアップナイターストライク!→ショウアップナイターネクスト)の番組用メールアドレスを「yagi@1242.com」としたり、ニッポン放送のWebサイトで著している自身のコラムにも「やぎメール」とタイトルを付けるなどしている。
前述の通り、入社時にロッテ番を担当したのが縁で千葉ロッテファンとなった松本だが、その最たるハイライトは2005年のパ・リーグプレーオフ・第2ステージ(福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ)の第5戦(ヤフードーム)だった。2勝2敗で迎えたこの試合、千葉ロッテは3-2で福岡ソフトバンクを下し、1974年以来実に31年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。最後の打者・川崎宗則が左飛に倒れた瞬間、松本は「ロッテ優勝~!!」と感極まって号泣しながら声を張り上げた。この「号泣実況」は千葉ロッテファンはじめ多くのリスナーに感動を与え、多大な反響を呼んだ。しかし、ロッテが日本一にまで駆け上がった同年の日本シリーズは実況を担当しなかった[1]。ところで、この一件について本人は「プロとして恥ずかしいことをしてしまった」と後悔しているようで、事ある毎に当時の録音が流されると「いや、ホンット勘弁して下さい」と滅入ってしまうこともしばしば。また実況アナウンサーの先輩でもある元ニッポン放送の深澤弘は「こんなの実況じゃねえな(笑)」と一蹴した。この「号泣実況」、今となっては共演者やスタッフ、リスナーにとっては笑いのネタとなってしまっており、ニッポン放送の携帯サイトでも配信された。
現在はニッポン放送の野球中継のエースとなり、担当試合の殆どは同局のメインカードで、裏送り中継に登場することは皆無に等しい。2008年6月29日に東海ラジオ向けの横浜ベイスターズ×中日ドラゴンズ戦を担当する予定があったが、雨天中止になってしまった。
2008年の北京オリンピックに、ジャパンコンソーシアムラジオアナウンススタッフの1人として参加。女子サッカー[2]、女子バドミントン、ソフトボール、野球などの種目を実況。野球では日本戦のほか、決勝のキューバ対韓国戦の実況を担当。さらにはディレクター業務を行ったが女子サッカーでは2ゴール挙げた選手にハットトリックと間違って実況者に伝えてしまったり、野球の決勝では球審の判定に憤慨してしまい感情を込めた実況をし聴取者から放送していたNHKにクレームが入っていたことや隣の放送ブースから注意を受けたことを告白している。
上述のオリンピックにおけるサッカー実況を行ったことでJリーグ RADIO他競技場のリポーターを務めることになり2008年のJリーグ最終節・東京ヴェルディ(以下・東京V)×川崎フロンターレ(以下・川崎)のリポーターを担当、東京Vは負ければJ2降格の可能性が川崎は勝てば優勝の可能性を残した一戦で他競技場の経過と照らし合わせ勝ち点を計算していたときに中継メイン会場の札幌から呼びかけられた後、経過を伝えメモ用紙に目を移した瞬間に川崎がゴールを上げるというシーンに遭遇、誰がゴールしたか伝えられず後日の『やぎメール』に「私のサッカー実況はJ2降格です」と反省しきりだった。
1987年デビューから実況時、徹底的に日本シリーズ担当時の実況はセ・リーグびいきを続けており、パ・リーグ球団優勝担当時はすぐには「おめでとう」とは言わず、セ・リーグ球団優勝担当時にはすぐに「おめでとう」と言う癖がある(ただし、2005年の千葉ロッテ優勝時除く)。
[編集] 人物
- ヨイショ癖がある。ニッポン放送ショウアップナイターではシーズン中に何度か、読売ジャイアンツオーナーの滝鼻卓雄を特別ゲストに迎えることがあるが、某日、滝鼻を前に「背番号『1242』、『TAKUO』のネーム刺繍が入ったジャイアンツのユニフォーム(24000円)を買いました」と発言したことがある。ただしヨイショであるらしく、真偽の程は不明である。
- 祖父が魚河岸で仕事をしていたことがあり、本人自身も中学・高校生時代は生物部の「魚班」に所属[3]。そのためか釣りが趣味で、『ショウアップナイターストライク!』の番組内に、自分の釣りのコーナーを持っている。その他魚・釣りがらみのエピソードでは、『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』のレポーターを務めていた当時、ブラジル・アマゾンの大ナマズが放し飼いになったプールで泳いだことがあったり[3]、また釣りに行った時に急に便意を催し、海に飛び込んで処理しようとしたが、携帯電話を持ったまま飛び込んでしまったために携帯が水没したということもあった[4]。
- 普段はものすごく腰が低いが酒癖が悪く、酔うと上司・部下を問わず説教をする。佐々木主浩ら共演者を相手に管を巻いたこともある。時には大喧嘩にまで発展することもあり、酔いが冷めた後で平謝りすることが多々ある。『松本ひでおと石川みゆきのヨッ!お疲れさん』では番組開始間もない頃、週末に行われたスタッフとの飲み会の席での酒癖が原因で、翌週月曜日にスタッフから総すかんをくらい、放送中しきりにスタッフに謝っていたことがあった[5]。また、忘れ癖が激しく財布を何度も落としている。最近では北京オリンピックの実況要員として派遣された際、現地北京でも財布を落としたという。
- ショウアップナイターニュースで共演した森永卓郎と松本の二人だけが知っている意味での「ちびっこバッター」という言葉があるらしく、松本曰く、「おお、同志って感じですよね」と森永に語っていた。
- 松村邦洋にものまねされており、高田文夫のラジオビバリー昼ズで公表されている。佐々木主浩に「世界の大魔神!」とヨイショしながらバイトのスタッフに「FAX取って来い!」と怒鳴りつける「裏表のある松本秀夫」という内容。
- ある試合で実況をしていた際、他球場で西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)が勝利した旨の速報が入り、先発の松坂大輔(現ボストン・レッドソックス)がヒーローインタビューで語った内容も併せて伝えられた。ところが、本社からの松坂のコメント原稿は本来「(投球内容が)要所要所で良かった」とすべきところを、どういうわけか「よいしょよいしょで良かった」と誤植した状態で送信されてしまった。これに眼を通した松本は「『よいしょよいしょ』ってこれ、おかしくないですか?」と言ったまま笑いが止まらなくなってしまい、解説の田尾安志にフォローを仰いだことがある。
- 松本ひでおのショウアップナイターストライク!内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」では、早稲田大学在学時に組んでいたバンドを新保友映アナウンサーを加えて再結成して、「マイウエイスター〜もう一度輝こう」をレコーディングした。レコーディングを行った曲は、mf247でダウンロードすることができた。
- 松本ひでおのショウアップナイターネクスト内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」で石川みゆきと「ひでお&みゆき」を結成し、mf247「ウタヲウタウ」プロジェクトに参加、「ウタヲウタウ」昭和歌謡バージョンをレコーディングした。ちなみに、「ウタヲウタウ」プロジェクトには、吉田拓郎のバックバンドだったことでも知られるフォークグループの猫も参加している。また、松本、石川と神田のフォーク酒場・昭和の常連客で昭和バンド結成し、リスナーの作曲した曲に、リスナーからのさまざまなフレーズのアイデアをまとめてつくった「ネクスト」を松本、石川がボーカル、昭和の常連客をバックバンドをしてレコーディングした。ちなみに、「ネクスト」の編曲は昭和の常連客の1人が担当した。
- 鶴光と共演するときは必ずと言っていいほど、謎かけをやれと言われる。例として、2005年2月の聴取率調査週間時に『松本ひでおと森永卓郎のショウアップナイターストライク!』を担当した際、森永と鶴光に「なんのひねりもない」と突っ込まれていた。
- 過去に大阪ドームの巨人主催の試合にて、他局の中継リポーターが松本が実況するニッポン放送の中継のマイクへ、誤って呼びかけられるという珍事を経験した。
- 2007年春、風邪をひいて、広島市民球場での実況担当ができなくなり、胡口和雄が2試合連続で実況した(野球の実況はのどに負担がかかるため、ベテランアナウンサーの2試合連続実況は極めて異例)。このことはニッポン放送ショウアップナイタープロ野球珍プレー大賞でクイズになったが、江本孟紀が答えを言ってしまったため、新たな説を募集し、「手こぎ船で沖へ釣りに出たが、波が高くなり戻れず、その日広島へ向かう予定が間に合わなかった」「広島東洋カープのブラウン監督の抗議によって差し替えられた」「マラソンで広島に向かったため間に合わなかった」が採用された。ちなみに、松本は過去にも喉の不調で実況に穴をあけており、この時は福永一茂が代理実況を務めた。
- 1999年に発売されたゲームソフト「超空間ナイター プロ野球キング2」ではショウアップナイターの制作協力により、実況として声の出演を果たした。
- 鹿島からACLの話題伝えた洗川アナに「WBCで日本-韓国戦で日本が敗戦し、日本国中がショックで落ち込んでいる中ACLって私たちは興味はありませんが、明るい声でレポートできる洗川アナが羨ましいですね」と発言。
[編集] 情報屋ゲンさん
情報屋ゲンさんとは『テリーとうえちゃんのってけラジオ』の番組内で松本が音声を加工して演じていたキャラクター。同番組内で松本によるナイター直前情報のコーナーの後に、野球界の裏情報に詳しい謎の人物という設定で出演した。松本であると公表されていなかったが、リスナーにはバレていた。
しだいに裏情報よりもテリー伊藤や、うえやなぎまさひこによるゲンさんを弄るトークのほうが盛り上がっていった。ゲンさん目撃情報が募集され、それにテリー伊藤の妄想が合わさり様々な後付けの設定が造られた。ついにはリスナーらの手によってゲンさんのイメージソング『愛しき人よ』がつくられ、さらに同番組にゲストとして出演していた冠二郎がこの歌を気に入り、シングルCDとして発売されるに至った。この曲はオリコンのシングルチャート63位に入った。
2005年からの『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』は、ゲンさんに似たコンセプトの「情報屋のヤマさん」なる人物が登場している。
2008年3月25日には『テリー伊藤のってけラジオ』で1回限りの復活をしている。
[編集] 大魔神 佐々木主浩とのエピソード
- 佐々木主浩とは取材を通じて公私共に仲良くなり、佐々木は松本の出演する番組へのお祝いのメッセージをよせたり、電話出演をすることも多い。
- 1997年・1998年オフに、『佐々木主浩のスポーツキング』という番組を2人で担当。
- この間、佐々木から「カツラ疑惑」が取り沙汰された。
- 1998年シーズン開幕前、酒の席で「横浜が優勝する訳ねぇだろ」と発言。この年横浜は優勝しており、シーズンオフに高所恐怖症の松本に対し、八景島シーパラダイスのブルーフォールに乗せる罰ゲームが行われた。
- 2001年4月より3ヶ月強の間、当時シアトル・マリナーズに所属していた佐々木を追いかけるためアメリカに出張していたのだが、この間に様々なエピソードが繰り広げられた。
- 防御率に触れられる事を嫌う佐々木(これは防御率などの数字に関する話をした直後の佐々木は必ず打たれるというジンクスがあるため)に対し、思い切り防御率の話題を振ってしまった。その話をした次の試合で佐々木は大乱調であり、佐々木より「その話はしないでって言ったでしょ!!」と怒られた。
- 佐々木が大好物であり、佐々木の大切な人がわざわざシアトルに持ってきてくれた日本酒「久保田の碧寿」を、佐々木に「これだけは飲まないでくれ」と言われたのを忘れて勝手に全部飲んでしまい、翌日こっ酷く叱られた。
- 局の生ワイド番組でアメリカから電話レポートをするはずが、出番の前に酒を飲み過ぎ泥酔し、放送に出られない状態となり、佐々木が代わりにレポートに出る羽目になった。しかも1回限りではなく、滞在中数回この出来事が繰り返された。
- この年の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』では佐々木がメインパーソナリティ、松本がアシスタントを務めた。
[編集] 東京マラソン
2007年2月18日に行われた東京マラソンに挑戦し、完走。ゴール直後のインタビューで「母から小さいことをコツコツ積み重ねると、大きなことが出来るといわれて・・・」と涙ながらに語った。もとは、2006年11月に行われた笑福亭鶴光との特番での鶴光の罰ゲームだったが、松村邦洋の松本のものまねにより代わりに走ることになった。松本アナはこれ以降マラソンに目覚め、2008年2月17日の東京マラソン2008にも参加し、5時間31分15秒で完走。前年より成績が下がってしまい、松本アナは「練習不足です」と恐縮していた。
[編集] ハンドボール実況を経験
- 2008年1月30日に国立代々木競技場で行われる男子ハンドボールアジア予選をラジオ初となる中継の実況アナを担当することが、22日に発表された。ラジオでハンドボールの試合実況放送という前例がないため、29日の女子の試合を担当する洗川雄司アナとともに、資料ビデオなどをかき集めて猛特訓をしていた。また、その特訓している模様が2008年1月25日のフジテレビスーパーニュースで報道された。実況特訓では、27日に毎年ハンドボールの試合実況を担当している、tvkの吉井祥博アナ(訓練までの様子をつづった日記にはYアナと記載されていた)や熊本放送の本田史郎アナウンサーが来て(本田はRKK内HP自身のページ内の写真に松本のサポート役のような形で写真に写っている)洗川アナとともに講義を受けるなど、ハンドボールの実況・実際にハンドボールをしたことがある人物をよぶなどの特訓も行っていたようだ。
[編集] 現在の担当番組
[編集] 野球シーズンオフ時
- 松本ひでおのショウアップナイターGO!GO!(2008年9月29日〜2009年3月27日)
[編集] 野球シーズン時
- ニッポン放送ショウアップナイター(実況)
- 松本ひでおと長谷川滋利のやっぱり、野球は面白い!(パーソナリティ)
- 菊正宗 ほろよいイブニングトーク
- テリーとたい平のってけラジオ(「ショウアップナイター一番ノリ!」のコーナー出演)
[編集] 過去の担当番組
- 日曜競馬ニッポン(実況)
- 森若香織のオールナイトニッポン(「熱狂!!勝手に走れオラシラン」のコーナー出演)
- 高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団内・陳平の一発逆転珍道場(アシスタント)
- テリーとうえちゃんのってけラジオ(「情報屋ゲンさん」のコーナー電話出演)
- 笑福亭鶴光の噂のゴールデンアワー(ニュース担当)
- 松本ひでおの噂の美女対談
- 石井一久のプロ野球バンザイ(アシスタント)
- 以下はシーズンオフ時
- 佐々木主浩のスポーツキング(アシスタント)
- ヨッ!お疲れさん
- クオーク松本ひでおの美女対談(ヨッ!お疲れさんに内包されていた。インタビュアー)
- ショウアップナイターニュース
- ショウアップナイターストライク!
- 松本ひでおのショウアップナイターストライク!
- 松本ひでおのショウアップナイターネクスト!
[編集] 関連人物
- ニッポン放送・フジテレビ・関西テレビ野球解説者。東北楽天ゴールデンイーグルス前監督。松本と釣り仲間
- 千葉ロッテマリーンズ内野手。松本と釣り仲間
- TBS野球解説者。元横浜ベイスターズ、元シアトル・マリナーズ投手
- 元東京ヤクルトスワローズ、現埼玉西武ライオンズ投手。番組で何度も共演し、仲もいい
- 石川みゆき(元ニッポン放送、現在フリーアナウンサー)
- 笑福亭鶴光
- 高田文夫
- テリー伊藤
- 森若香織
- 高嶋ひでたけ(元ニッポン放送、現在フリーアナウンサー)
- 深澤弘(元ニッポン放送、現在フリーアナウンサー)
- 田中美和子
- 野末陳平
- 森中千香良
- ニッポン放送元野球解説者。デビュー実況日の野球解説者で、野球について松本アナウンサー本人にさまざまことを教えてくれた恩人
以下はニッポン放送アナウンサー
[編集] 外部リンク
- ニッポン放送・アナウンサープロフィール・松本秀夫
- ニッポン放送・アナウンサープロフィール・松本秀夫2
- 松本秀夫のやぎメール
- ニッポン放送・松本ひでおのやぎメール(2007年3月までの過去ログ)
- ひでおのハンドボール奮闘実況紀
[編集] 脚注
- ^ この号泣が「冷静さを欠いた」と査定されために、ロッテが日本一を決める可能性がある第4戦以降の実況担当から外されてしまったとも言われるが、松本は後日「リーグ優勝決定後福岡の街で騒ぎすぎて喉を潰し、第1戦の実況を胡口和雄アナに交代してもらった」と釈明している。
- ^ 松本が本格的なサッカー実況を担当するのはJリーグ発足前以来のこと(Jリーグ草創期も資料用録音を担当)。
- ^ a b 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)より
- ^ オールナイトニッポン40周年記念! 笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエストより
- ^ 番組が始まっても、松本は総すかんの原因が分からず、CMに入ってから理由を教えられ、以後恐縮しながら放送中にもかかわらずしきりにスタッフに謝っていた。この事件は、ニッポン放送の各ワイド番組の中でも、しばらくの間笑い話として話題にのぼっていた。
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