森岡良介
| 東京ヤクルトスワローズ #68 | |
|---|---|
横浜スタジアムにて(2011年10月15日)
|
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市 |
| 生年月日 | 1984年7月15日(27歳) |
| 身長 体重 |
172cm 72kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 遊撃手、二塁手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2003年(平成15年)8月6日 |
| 年俸 | 1,700万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年(昭和59年)7月15日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
1998年(平成10年)、中学2年の夏に甲子園球場で明徳義塾vs横浜をスタンド観戦。明徳義塾の戦いぶりに感銘をうけ「このチームで甲子園に行きたい」と決意し、入学。入学後は1年生よりレギュラーで甲子園に4度出場、出場した全13試合で安打を記録した。
主将として3番・遊撃で出場した第84回全国高等学校野球選手権大会で、明徳義塾の初優勝に貢献。決勝戦ではリードしたまま最終回を迎え、2死になった所で感極まって試合中にも関わらず号泣したが、この光景が映像として残存しており、この年の熱闘甲子園のラストに使用された。春の甲子園では、2005年大学・社会人ドラフトで希望入団枠で入団した吉見一起と初戦で対戦した。
2002年のドラフトで中日ドラゴンズから1巡目指名されて入団。立浪和義の後継者として期待されての入団だった。
[編集] プロ入り後
2003年8月6日の対広島戦で代打出場し、プロ初打席に左越えの二塁打を放つ。8月7日には8番遊撃で初スタメンも経験。2004年フレッシュオールスターゲーム出場、ファーム日本選手権制覇に貢献。
2006年5月から6月に、正二塁手だった荒木雅博の故障中にスタメンで出場し、無失策だった。
2007年4月22日、後に所属する東京ヤクルトスワローズとの試合で代打出場し、館山昌平からプロ初本塁打を放つ。4月24日の対広島戦に代走として出場した際、エンドランを阻止されタイミングは完全にアウトだったにも関わらず、スライディングにブレーキをかけて松本高明の足狙いのタッチを避け、松本がもたつく間に松本のグラブをまたいでベースを踏みセーフになるという前代未聞のプレーになった。本人は「タイミングを見計らって、意図して急ブレーキをかけた」と語っている。ウエスタンリーグでは打率.316・6本塁打・42打点で、三部門でチームトップの成績を残し、最高出塁率のタイトルも獲得したが、岩崎達郎らの台頭もあって徐々に出場機会が減少した。
2008年オフに戦力外通告を受ける。1回目の12球団合同トライアウトを受験し、ヤクルトが獲得を発表(同年トライアウト合格者第1号)。12月2日に自由契約公示。12月4日に福岡ソフトバンクホークスから移籍した吉本亮、オリックス・バファローズから育成選手で契約した田中祐貴とともに入団発表を行い、背番号は68に決まった。
2009年、内野のポジションを守れる器用さと俊足が認められ、7年目にして初の開幕一軍入りを果たした。9月8日には第1打席で移籍後初本塁打を放った。10月9日の対阪神戦で中盤から二塁手として出場すると、鳥谷敬の痛烈な安打を全身で止めて内野安打に抑え、2塁走者の生還を防ぎ、その後の得点を防いだ。このプレーについて後日、宮本慎也は「あの守備が非常に大きかった。あそこが抜けていたら(あの試合は)負けていたかもしれない(2009年ファン感謝デーより)」と言っており、チームの3位争いにとって非常に大きな好守備となった。
2010年は、なかなか一軍での出場機会はなかったが、イースタンリーグでは首位打者を獲得。守備率もトップであった。シーズン終盤、二軍での成績が認められ一軍に昇格。打率3割ちょうどの田中浩康に代わり先発出場した。
2011年には、5月26日のオリックス・バファローズ戦で初のヒーローインタビューも経験した。川端慎吾、川島慶三、荒木貴裕と遊撃手のレギュラー・控えが次々と離脱したため、10月29日からの読売ジャイアンツとのクライマックスシリーズ・ファーストステージでは全3戦に先発出場。3戦全てで安打を打ち、特に第3戦では7回裏に貴重な追加点となる適時打を放つなど、見事に穴を埋めて見せた。試合後にはお立ち台に上がったが、「9年目の森岡ですけど、お立ち台、2回目で~す!」「(タイムリーを打った瞬間は)おしっこ漏れそうでした~!」と絶叫、満員の神宮球場のファンを沸かせた。 このシーズンは自己最多となる52試合に出場し、安打数も自己最多の22本を記録した。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 中日 | 3 | 7 | 7 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .286 | .286 | .429 | .714 |
| 2004 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2005 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2006 | 17 | 31 | 26 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | .192 | .250 | .231 | .481 | |
| 2007 | 11 | 11 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | .111 | .200 | .444 | .644 | |
| 2008 | 5 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .200 | .000 | .200 | |
| 2009 | ヤクルト | 35 | 47 | 43 | 3 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 14 | 3 | .209 | .261 | .302 | .563 |
| 2010 | 21 | 56 | 43 | 6 | 11 | 3 | 0 | 0 | 14 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 1 | 8 | 0 | .256 | .333 | .326 | .659 | |
| 2011 | 52 | 97 | 86 | 6 | 22 | 2 | 0 | 0 | 24 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 1 | 20 | 1 | .256 | .326 | .279 | .605 | |
| 通算:9年 | 147 | 256 | 220 | 23 | 50 | 8 | 0 | 2 | 64 | 15 | 1 | 1 | 15 | 0 | 18 | 1 | 3 | 55 | 5 | .227 | .295 | .291 | .586 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2003年8月6日、対広島東洋カープ19回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に岩瀬仁紀の代打として出場
- 初打席・初安打:同上、8回裏にデービッド・ランドクィストから左中間へ二塁打
- 初先発出場:2003年8月7日、対広島東洋カープ20回戦(ナゴヤドーム)、7番・遊撃手として先発出場
- 初打点:2006年5月14日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に青山浩二から右前適時打
- 初本塁打:2007年4月22日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、8回表に館山昌平から代打右越ソロ
- 初盗塁:2007年4月24日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:林昌樹、捕手:倉義和)
[編集] 背番号
- 8 (2003年)
- 45 (2004年 - 2008年)
- 68 (2009年 - )
[編集] 関連項目
|
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||