森ビル

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森ビル株式会社
Mori Building Company, Limited
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 森ビル
本社所在地 日本の旗 日本
東京都港区六本木六丁目10番1号
六本木ヒルズ森タワー
設立 1959年昭和34年)6月2日
業種 不動産業
事業内容 総合ディベロッパー
代表者

森稔(代表取締役会長)

辻慎吾(代表取締役社長)
資本金 650億円
売上高 2,091億円(2011年3月期連結)
従業員数 1,367名(2011年4月
関係する人物 森泰吉郎(創業者)
外部リンク http://www.mori.co.jp/
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六本木ヒルズ森タワー - 森ビルの本社

森ビル株式会社(もりビル)は、東京都港区を拠点とする都市デベロッパーであり不動産会社である。大型再開発施設であるアークヒルズ六本木ヒルズ、商業施設のラフォーレ原宿表参道ヒルズの運営などで知られる。

多数の関連会社・関連事業を擁した森ビルグループであったが、創業者であった森泰吉郎の死後、跡を継いだ二人の兄弟の不和により森トラストが分離・独立した。

目次

[編集] 概要

本社を六本木ヒルズ森タワー(東京都港区)に置き、市街地再開発事業ならびに各種ビルの企画・開発・設計監理・営業・運営管理を主な事業としている。2003年平成15年)に完成した六本木ヒルズ2006年平成18年)に完成した表参道ヒルズなどは話題となり、一般にも広く知られる。また、日本国外では中国で、上海環球金融中心をはじめとするビルを開発・運営している。

現在の会長は森泰吉郎の次男の森稔。森稔は、信奉するル・コルビュジエの思想に基づいて[1]、港区を中心とした東京都心部での衣・食・住・文化を一まとめとした職住近接型の総合的な街作りを行っている。森ビルは、密集している低層建築物を高層ビル化と地中化により垂直に集積させ、緑地面積と公開空地を確保する再開発手法をとっており、このようにして生み出した都市を「垂直庭園都市(バーティカルガーデンシティ)」と呼称している[2]。森稔の都市や文化に寄せる強い思いは森ビルの経営に大きく反映されており、かつてのセゾングループと企業としての性格の類似性が指摘されている[誰?]

また、市街地再開発に当たっては、自社の社員の手による地上げを行う数少ない大手不動産会社であり(他に住友不動産も自社で地上げする)、地域住民との折衝を辛抱強く重ねて説得する手法を取っている。その一方で、再開発地区の高級志向を批判されることもある[誰?]。また、2004年(平成16年)に起きた六本木ヒルズ森タワーの回転扉事故では森ビル側の管理過失が認定された。

[編集] 沿革

創業者は森泰吉郎1955年昭和30年)に森ビルの前身、森不動産を設立し、自身の出身地である東京・西新橋に翌年4月、「西新橋2森ビル[3]を竣工したのが始まりである。1957年(昭和32年)11月、「西新橋1森ビル[4]」を完成させ、以後、貸ビル業者として、竣工順に番号を付したナンバー・ビル(第○○森ビル)を新橋周辺に順次建設していった。

大規模再開発による事業は、1986年(昭和61年)に完成した赤坂アークヒルズ(アークヒルズ)が最初で、以後は御殿山ヒルズ(当時)、城山ヒルズ(当時)、愛宕山ヒルズ(当時)、元麻布ヒルズと続いた。

[編集] 森トラストの分裂

1993年平成5年)に創業者、森泰吉郎が死去すると、次男の森稔が森ビル、三男の森章がグループ会社である森ビル開発(現・森トラスト)や森ビル観光(現・森観光トラスト)を継いだ。

しかし父の路線を引き継ぎ安定したグループ経営を目指す稔と、ホテルや不動産取得を主として積極的な投資・開発でグループの拡大を目指す章との溝は深まっていった。1999年(平成11年)に森章率いる企業群は森ビルグループからの離脱が決定、本社の移転や出向社員・役員の引き上げを経て、現在は一切資本関係も無い別会社となっている。さらに、2000年(平成12年)以降は森トラストは開発、管理、保有する物件から「森」や「ヒルズ」の文字を外すことが多くなっている。詳細は森トラスト#概要を参照。

[編集] 主な関連企業

[編集] 脚注

  1. ^ 朝日新聞 2008年1月20日
  2. ^ 森稔インタビュー(森ビル公式サイト)
  3. ^ 港区西新橋1-10-8。現存
  4. ^ 港区西新橋1-12-1。2008年頃、解体。現存せず

[編集] 外部リンク

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