森稔

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もり みのる
森 稔
生誕 1934年8月24日
日本の旗 日本 京都
死没 2012年3月8日(満77歳没)
出身校 東京大学
職業 実業家

森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本実業家

森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、実質的には森ビルの創業者とされる[1]。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任した。

人物[編集]

1934年昭和9年)、森泰吉郎の次男として京都府に生まれる。実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた[1]

湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て東京大学教育学部を1959年(昭和34年)卒業、取締役として森ビルに入社。以後、実家近隣の虎ノ門西新橋を中心に「第5森ビル」といった具合に番号をふった「ナンバービル」を数多く建設したが、地権者との長期に渡る交渉など、事業の陣頭指揮を執った[1]

学生時代には、小説家になることを志していた[1]。大学在学中、肋膜炎により1年間の自宅療養が必要となったため、自宅の米穀店を4階建ての賃貸ビルに建て替えるにあたっての工事管理や入居者探しを任され、これが後のビル経営の原点となった[1]。コストや効率性を重視した父・泰吉郎とは対照的に、積極的な事業拡大を打ち出した。一方で父同様に人付き合いを好み、常に周囲に人がいると評される[2]。社団法人不動産協会理事、社団法人経済同友会理事、東京都首都移転問題専門委員などを歴任。

東京過密化の解決策として、都心超高層ビルを増やして空いた土地公園とする事を提唱しており[3]、原則100メートル以上のビルは建設すべきでないとしている弟で森トラスト社長の森章[4]とは対極的であった。

フォーブス世界長者番付では弟の章と違いこれまでランクインしていなかったが、2008年度版において初めて10億ドルの純資産を保有する1,062位の富豪として認められた。

アークヒルズ六本木ヒルズの建設を通して森ビルを全国ブランドに押し上げた森であったが、六本木ヒルズでは2003年平成15年)の開業翌年に回転扉死亡事故が発生、中国での大型プロジェクト「上海環球金融中心」では2008年(平成20年)のビル完成がリーマン・ショックに重なるなど、苦境に立たされた時期もあった[1]

趣味はゴルフリクルート創業者の江副浩正東京大学新聞編集部の後輩で、江副の起業時には第2森ビルの屋上に仮設事務所を作って貸すなど親しい間柄だった[1]

略歴[編集]

家族[編集]

父は森ビル創業者の森泰吉郎、兄は経済学者森敬、弟は森トラスト社長の森章。子供は、妻との間に二女をもうけた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 森ビル会長森氏死去・粘りの交渉で超大型案件 『日本経済新聞』 平成24年3月13日朝刊 企業3面
  2. ^ 日経ビジネス、1993年4月12日号、P.80
  3. ^ 日経ビジネス、1999年3月29日号 P.846
  4. ^ 財界 (雑誌)、2011年9月20日号 P.52
  5. ^ 弊社代表取締役社長 森 稔、英国より名誉大英勲章を受章 (PDF) (森ビル株式会社2003年2月18日付プレスリリース、2012年3月12日閲覧)
  6. ^ 森ビル社長 森 稔:英国より名誉大英勲章KBEを受章
  7. ^ “森稔・森ビル会長死去 六本木ヒルズを手がける”. 朝日新聞. (2012年3月12日). http://www.asahi.com/obituaries/update/0312/TKY201203120174.html 2012年3月12日閲覧。 
  8. ^ 故 森 稔「旭日重光章」受章のお知らせ、森ビル公式サイト、2012年4月11日プレスリリース