久米宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

くめ ひろし
久米 宏
プロフィール
出身地 日本 埼玉県さいたま市浦和区
生年月日 1944年7月14日(65歳)
血液型 A型
最終学歴 早稲田大学第一政治経済学部
所属事務所 オフィス・トゥー・ワン
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1967年 -
ジャンル 報道・バラエティ・音楽
公式サイト 公式ウェブサイト
出演番組・活動
現在 久米宏 ラジオなんですけど
クメピポ! 絶対あいたい1001人
過去 ぴったし カン・カン
ザ・ベストテン
ニュースステーション』など
その他 ドイツ親善大使
  

久米 宏(くめ ひろし、本名:同じ、1944年7月14日 - )は、オフィス・トゥー・ワン所属のフリーアナウンサータレント司会者で、元TBSアナウンサードイツ親善大使も務めている。血液型A型。身長184cm。

目次

[編集] 経歴

  • 1944年7月14日 - 埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)生まれ。戦時中は埼玉県児玉郡疎開。戦後、東京都品川区北品川で幼少時代を過ごす。品川区立城南第二小学校では政治家丹羽雄哉と同級生だった。
  • 1960年 - 武蔵工業大学付属中学校(現東京都市大学付属中学校)卒業。
  • 1963年 - 東京都立大学附属高等学校卒業。高校在学中はアルバイトと勉強に明け暮れる。
  • 1967年 - 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。同期に、宮内鎮雄林美雄青木靖雄川戸恵子がいる。1年後輩の小島一慶は同学年の同僚。アナウンサーを志したいきさつは、自身曰く「学生時代演劇活動[1]に明け暮れていて成績が悪く、一流企業の推薦が取れなかったから」であるという。ただ、この時点ですでにマスコミとりわけアナウンサー職の倍率は高騰しており、「記念受験」程度の志で受かるものではなかった。入社直後、激務と極度のアガリ症から体調を崩し、結核を患った。
  • 1970年4月 - 『パックインミュージック』金曜担当パーソナリティに抜擢されるが病気によりわずか1か月で降板。
  • 1970年5月 - この月からスタートした『永六輔の土曜ワイド』の中継レポーターを務める。
  • 1975年10月 - 『料理天国』レギュラー(〜1980年)、『ぴったし カン・カン』司会として、全国的な人気を得る(〜1984年5月)。
  • 1978年1月 - 『ザ・ベストテン』司会(〜1985年4月)。
  • 同年4月 - 『土曜ワイドラジオTOKYO』パーソナリティー(〜1985年3月)。
  • 1979年6月 - TBSを退社。
  • 1980年4月 - 『おしゃれ』司会(〜1987年3月、日本テレビ)。以降、民放各テレビ局を中心に活躍する。
  • 1983年 - 『がん戦争シリーズ』(1983年〜、テレビ朝日)、『久米宏のTVスクランブル』(1982年〜1985年、日本テレビ)の司会に。
  • 1985年10月7日 - テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタートし、メインキャスターを務める。フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼んだ。
    • この間、引き続き『がん戦争シリーズ』など単発番組の司会は務めるが、ほぼ『ニュースステーション』に専念。
  • 1989年10月10日 - 『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主になる。さらに11月3日、日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本テレビの夕方に放送されていた徳光和夫メインキャスターのニュース番組『NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ』と叫んだ[2]
  • 1990年4月- TBSラジオの特別番組『大沢悠里のそれ行け!ラジオ天国』に出演。パーソナリティの大沢悠里永六輔とラジオをテーマに鼎談を行う。
  • 1994年9月25日 - ほぼ7年ぶりの日本テレビ出演となった『スーパースペシャル'94・久米宏の道徳の時間』の司会を務める(視聴率25.3%)。なお、この道徳の時間はその後、1995年6月に第2弾、1996年2月に第3弾が放送された。視聴率の伸び悩みや日本テレビ側からの第4弾出演依頼を固辞したことなどにより、第3弾で打ち切りになった。
  • 1995年2月- TBSラジオの戦後50年特別番組『久米宏のトークスクランブル』で10年ぶりにパーソナリティーを務める。アシスタントには『ニュースステーション』共演者の小宮悦子を迎え、5時間の生放送を行った。
  • 1996年10月 - 『ニュースステーション』でのインドのルポの中で、インド人がよどみない日本語で話をする映像を見て、「しかし、外人の日本語は片言の方がいいよね」と発言、直後から有道出人の猛烈な抗議を受ける(但し大きな問題として表面化はせず)。またトニー・ラズロが代表をつとめる、一緒企画からも回答願を出されている。2006年12月1日になって、久米本人から有道に対し当発言に対する謝罪のメールがあった[3]
  • 1999年2月1日 - 『ニュースステーション』のダイオキシン問題に関する特集で埼玉県所沢市の葉物(実際には煎茶)から多く検出されたと伝えた。これにより、埼玉県所沢市産のホウレンソウなど野菜の価格が風評被害により暴落[4]。その後、2004年6月16日にテレビ朝日が農家側に謝罪して1000万円で和解している。
  • 同年10月 - 気力・体力の問題により『ニュースステーション』を降板[5]
  • 2000年1月4日 - 『NEWSSTATION』に復帰。ヒゲ姿で登場した。写真入りで「久米ヒゲ復帰」などの見出しが新聞各紙を飾った。番組はリニューアルされ、ロゴがカタカナ表記から英字表記に改められる。
  • 2004年3月26日 - 『NEWSSTATION』の放送最終日。エンディングでは、「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲んで締めくくり、60歳を目前にして18年半のメインキャスター生活にピリオドを打つ。番組の終了の際、他局でも「ニュースステーション終了」が取り上げられたり、裏番組である『筑紫哲也 NEWS23』の筑紫哲也が番組内でコメントするなど、反響が大きかった。
  • 同年9月20日 - 半年間の休養後、ニッポン放送1日ジャック『久米宏と1日まるごと有楽町放送局』で復帰。
  • 2005年4月13日 - フジテレビの『トリビアの泉』にて、久米の応募したトリビアが採用される。「目標は、1人15へぇ出してくれるとして、トータル75へぇはいきたい」と宣言したが、結果は30へぇに留まった。なお「銀の脳」を獲得している。トリビアの内容は「ルイ・ヴィトンではロゴ入りの箸を作ったことがある」だった。なお、このトリビアは2度目の投稿であり、最初に投稿した時の肩書きは「ニュースステーションキャスター」で、採用されたトリビアでは「“元”ニュースステーションキャスター」だった[6]
  • 同年4月17日 - 日本テレビの日曜20時枠で、1年ぶりのテレビ復帰となるレギュラー番組『A』が鳴り物入りでスタートするものの、低視聴率に伴い6月19日にわずか1クール(実際には2か月)で打ち切り。久米のキャリアを傷つけかねない結果となった。
  • 同年9月11日 - TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、スペシャルアンカーとして参加し、『筑紫哲也 NEWS23』の筑紫哲也と1991年のプロ野球日本シリーズにゲストに出演して以来、実に14年ぶりの共演となった。視聴率は、関東で15.6%、関西で18.2%と民放トップとなった。
  • 同年12月 - USENの動画配信サイト「GyaO」で、レギュラー番組『久米宏のCAR TOUCH!!』がスタート。久米本人が長年やりたかった番組とのことで、企画構成司会の3役をこなしている。
  • 2006年6月 - 自らドイツへ行って、サッカーワールドカップの取材を行う。この模様は自身のウェブサイトから見ることができる。
  • 同年8月、21年ぶりに、古巣のTBSの番組に復帰することを発表。10月開始のラジオ番組『久米宏 ラジオなんですけど』でパーソナリティを務める。同じ時間帯に久米がTBSに入社した年と同じ1967年に文化放送に入社したみのもんたの番組があり、さらにニッポン放送が同じ時間帯に小倉智昭をパーソナリティに起用。三つ巴の戦いとなった。番組開始初めての聴取率調査(2006年10月)では、同時間帯トップとなった。
  • 2007年5月 - 『久米宏 ラジオなんですけど』の功績が認められ第44回ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を受賞する。
  • 同年7月23日 - 週1回4週にわたって、『報道ステーション』の裏番組『テージセー 〜1461日の記憶〜』(日本テレビ)に出演した。
  • 同年12月10日17日フジテレビ系列ドラマガリレオ』に、自身29年ぶりのドラマ出演を果たした。フジの鈴木吉弘プロデューサーによると、久米の起用は福山雅治に相談している中で生まれたという。木島(久米)は湯川(福山)が尊敬し、天才と認める数少ない学者。鈴木が「誰がいいかな」と尋ねると、福山はしばし考えた後、「久米さん」と答えた。「予想外の名前でしたが、久米さんの理知的でスマート、かつユーモアのセンスあふれるところなどが木島のイメージにぴったり」と答え、出演交渉に入った。当初は「無謀」と思ったという久米だが、結果的に出演を受けた理由を「断ち切れない好奇心のため」と説明した。その時の演技力は「ラジオなんですけど」で、小島慶子に「ガリレオの最終回とその前の回に出てた人名前なんでしたっけ?」と皮肉られると、それまで饒舌だったのに対し、言われた途端に一瞬ではあるが、噤んでしまった。それ位自分の中では酷評だったようだ。
  • 2008年6月1日 - 『久米宏・経済スペシャル “新ニッポン人”現わる!』(テレビ東京)に出演。これにより、民放全局制覇を果たした(VTR出演としては前出の「久米宏と1日まるごと有楽町放送局」が放送された週の「ワールドビジネスサテライト」で特集した企業のVTRで映っていた。)[7]
  • 2008年10月22日 -『久米宏のテレビってヤツは!?』放送開始。

[編集] 人物

  • TBS在籍時代「まめひろし」(※くめまめな人に引っ掛けたダジャレ)と渾名されたほどの気配りの達人であるが、まめが過ぎるところがあり、何回も休養宣言をして番組を降板した事がある。
  • 久米が入社した年のアナウンサー最終試験は、試験官の前に一台の赤電話が置かれ「赤電話を題材にして自由にしゃべって下さい」という課題だった。他の志望者は「さぁ、いま私の目の前に赤電話が置かれております」「ここから一体どのような人間ドラマが始まるのでしょうか」という実況型だったが、久米は赤電話を前に暫し黙考。十円玉を取り出し、その場から実家に電話をかけた。電話に出た母親と「もしもし母さん? いまTBSで入社試験を受けているんだけど……」と普通に会話をし、そのまま終了した。
  • たけしの日本教育白書』(フジテレビ系、2007年10月27日放送)に出演した際、「テレビ(のレギュラー番組の司会をやるのは)もうやめた」「テレビは疲れる」などといったテレビへの本格復帰に消極的な発言をしている。
  • 『土曜ワイドラジオTOKYO』は前身の『永六輔の土曜ワイド』時代から長年にわたり担当しているが最初にパーソナリティーを務めた永六輔は久米にとって放送業界での師匠格にあたる。
  • 『ニュースステーション』キャスター時代は権力を徹底的に糾弾するため、自民党関係者から様々な圧力を受けたが、スタンスを曲げることはなかった。「僕は、社会党が政権を取ったら、アンチ社会党になりますから。これは間違いないです。共産党が政権取れば、アンチ共産党です。大体マスコミが政権と同じ所に立ったら、滅茶苦茶ですからその国は。なぜ反自民かというと、政権を取っているからです。それ以外には、理由はないですね」[8]と語っているように、自身のスタンスは「反自民」ではなく「反権力・反与党」である旨を表明している。
  • 『ニュースステーション』末期には、イラクへの自衛隊派遣に反対する意見を言い続けた。また、新しい歴史教科書をつくる会が、従来の教科書と比べ、保守主義的な教科書を作成した際は、コメンテーターとして番組に出演していた朝日新聞論説委員とともに「中韓との関係を損ねる」「戦前復古的」「はっきり言った方がいいです、この教科書はイヤだと」などの発言をした。こうした言動から、本人が主張するような「反権力・反与党」ではなく、単なる左翼思想ではないのかという指摘もある。
  • ミャンマー(ビルマ)の軍事政権に批判的で、『ニュースステーション』時代から、同国を「ビルマ」と呼んでいる。
  • 広島東洋カープ福岡ソフトバンクホークスのファン。ホークスがまだ福岡ダイエーホークスであった2000年に、ホークス戦の始球式に出た事もある。そのときの背番号は「9:54」。これは、当時のフライングスタートを開始した『ニュースステーション』の開始時刻9時54分にちなんでいる。なお、始球式に関しては『ニュースステーション』で「久米さん、始球式ですよ!」というコーナーが組まれ、キャッチボールの練習を念入りに行った。
  • 山口百恵(現・三浦百恵)の熱狂的ファンを公言しており、ザ・ベストテン時代は、山口の体に軽くタッチしたり、山口が歌い終わったあと絶叫するなどし、同じく司会者である黒柳徹子にたしなめられるという場面が数多く見受けられた。また、山口の引退コンサートの模様は当時TBSで放送されたが、この番組の司会も久米が務めている。
  • 『ニュースステーション』担当時の口をあけないでのけぞるように爆笑する笑い方は頻繁にモノマネされた。
  • 『ニュースステーション』においては、テレビ朝日が中継する新日本プロレスの話題が取り上げられたことはほとんどない(久米の休養中は取り上げられた)。しかし全日本プロレスジャイアント馬場が登場したことは何度かあった。馬場の死去時は久米自らが「テレビ朝日にはプロレスの映像がたくさんあります」と話し、日本プロレス時代の馬場の試合映像を放送した。
  • ニュースステーション』では、今日のニュース番組としては珍しく一切プロンプターを使用せず全ての原稿を机の上に置いて読み上げる方式を終始一貫して取った。久米は自著で視聴者の側を向いたニュースショー番組にしたかったからそのような方式にしたと記している。
  • 阪神大震災の取材の際、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者で、脳性麻痺の後遺症を抱える男性と偶然知り合い、現在でも交流を続けているが、彼との出会い以来、森永グループの製品を口に出来なくなった。この件については2007年10月27日放送の『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で、特にワンコーナーを設けて詳しく語られた。
  • 上記の『たけしの日本教育白書』はテーマが「責任」であり、久米のコーナーは森永のヒ素ミルク中毒事件に対する責任の取り方を追った物だった。ただ他の出演者が自分自身が負うべき責任やリスクなどついても多く語ったのに対して、久米だけは森永の責任の取り方の紹介に終始し、所沢ダイオキシン訴訟等、自らの報道や言動に対する責任の取り方については全く語らなかった。
  • 『ニュースステーション』担当時は夏休みを一月以上も取っていた。しかしながら久米の休暇中に大災害が起こる事も少なくなく、話題となった事もある。ちなみに今世紀最大の事件とも言えるアメリカ同時多発テロ事件は久米の夏休み中に起こりサブキャスターの渡辺真理が第一報を取り上げた。

[編集] 現在の出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] テレビ

TBS
フジテレビ
テレビ朝日
日本テレビ
テレビ東京
  • 久米宏・経済スペシャル “新ニッポン人”現わる!

パソコンテレビGyaO

[編集] ラジオ

TBS
ニッポン放送
J-WAVE
  • Jam the WORLD(2003年12月19日にニュースステーションの年末スペシャルとコラボレーションを行い、同番組に出演)

[編集] 参考文献

[編集] 関連人物

[編集] TBS時代

[編集] ザ・ベストテン関係

  • 山口百恵(ザ・ベストテンで共演。久米は山口の熱狂的なファンでもある)
  • 黒柳徹子(ザ・ベストテンで共演。その後、『ニュースステーション』にユニセフ親善大使として数多く出演)
  • 中森明菜(ザ・ベストテンで共演。山口百恵同様、久米がその才能を評価している)

[編集] ニュースステーション関係

  • 小宮悦子(ニュースステーションで共演)
  • 渡辺真理(TBSの後輩であり、彼女の退社後にニュースステーションで共演)
  • 小林一喜(ニュースステーションで共演)
  • 若林正人(ニュースステーションで共演)

[編集] その他

  • 永六輔(土曜ワイドで共演。久米の放送界における「師匠」ともいえる人物)
  • 芳村真理(料理天国で共演。最終回の打ち上げパーティーにも久米は当時参加している)
  • 萩本欽一(ぴったしカン・カンで共演)
  • 坂上二郎(ぴったしカン・カンで共演)
  • 横山やすし(TVスクランブルで共演) 
  • みのもんた(久米のライバル的存在としてよく引き合いに出される。元文化放送アナウンサー)
  • 筑紫哲也(Nステのライバル番組であった「筑紫哲也NEWS23」のメインキャスター。久米と同様、平日最終版のニュース番組の概念を大きく変革させた人物)
  • 肥後克広(久米宏のモノマネの草分け)
  • 小島慶子(久米宏ラジオなんですけどでのパートナー)
  • 福山雅治(ドラマ『ガリレオ』で共演)
  • 平野レミ(ミュージック・キャラバンで共演)

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ このときの部の仲間に長塚京三田中真紀子がいる。
  2. ^ この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。さらに、当時リクルート事件などで頻用されていた『ケジメ』という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で『ケジメ』という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として久米宏の名前が表記された。
  3. ^ http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200612210282.html
  4. ^ ニュースステーション#所沢ダイオキシン訴訟
  5. ^ 自身のウェブサイト・著書ではこの期間を「無職」としている。テレビ朝日は「休暇」としていた。
  6. ^ 最初の投稿時、採用される日を待っているうちに『ニュースステーション』が終わってしまっていた。
  7. ^ 『久米宏・経済スペシャル“新ニッポン人”現わる!』放送決定!テレビ東京公式サイト内の「新着情報プラス」より)
  8. ^アサヒ芸能1992年5月14日号でのインタビューより

[編集] 外部リンク

先代:
(なし)
ザ・ベストテン司会者
初代
1978 - 1985
黒柳徹子久米宏
次代:
黒柳徹子(・パートナー輪番制)
→黒柳徹子・小西博之
他の言語