秋山豊寛
| 秋山 豊寛 | |
|---|---|
| 国籍 | 日本 |
| 誕生 | 1942年6月22日(69歳) |
| 他の職業 | 元・TBS社員、ジャーナリスト |
| 宇宙滞在期間 | 7日21時間54分 |
| ミッション | ソユーズTM-11, ソユーズTM-10 |
| 記章 | |
秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、元TBS(東京放送[1])社員。初めて商業宇宙飛行を利用した民間人であり、宇宙空間で宇宙を報道した最初のジャーナリストであり初めて宇宙に行った日本人でもある。“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体である宇宙探検家協会(ASE)の初の日本人会員である。
目次 |
[編集] 人物・来歴
東京都出身。攻玉社高校、国際基督教大学卒業後、1966年にTBSへ入社。報道に配属され、ラジオの構成番組を担当。1967年からイギリスのBBCへ出向。帰国後は外信部に配属され、1977年からは政治部の外務省記者に。ディレクターとして『JNN報道特集』を2年半担当。1984年から1988年までTBSのワシントン支局長を経て、外信部のデスクの役職を歴任した。
[編集] 日本人初宇宙へ
1989年にTBSが、日本人のミール訪問に関する協定をソビエト連邦の宇宙総局と調印。TBS社内の98人の応募者の中から、同年9月に同僚の菊地涼子とともにTBSの2人の宇宙飛行士候補に選抜された。1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受ける。TBSが調印した1989年時点では毛利衛のスペースシャトルでの飛行が日本人初になるはずであった。ところが1986年のシャトルの事故で毛利の飛行が遅れたために、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より宇宙船ソユーズTM-11搭乗の秋山が、初めて宇宙へ行った日本人宇宙飛行士となり、同時に世界で初めて宇宙に行ったジャーナリスト(TBSのいう“宇宙特派員”)ともなった。TBSによる一連の番組は、「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」と題し、テレビ・ラジオ双方で連日放送した。打ち上げ、帰還時は長時間にわたる特別番組を放送し、全て生放送で模様を伝えた(打ち上げ時の視聴率は36%)。ソユーズTM-11が周回軌道にのった後、生中継で東京のスタジオからの呼びかけに対して、「これ、本番ですか?」という第一声を発したことはよく知られている。なお、帰還後に上梓した著書の中で、第一声は「宇宙は混沌としています」と発しようと考えていたが、実は宇宙は混沌とはしておらず、生中継に備えてツープ(ソ連宇宙飛行管制センター)と交信中に割り込んできた形となった東京からの呼びかけに思わず反応した「これ、本番ですか?」は、もっとも放送人らしい第一声だったのではないだろうか、と振り返っている。
翌日、宇宙ステーションミールとドッキングすると、乗組員兼ジャーナリストとして「日常」生活をリポートした。宇宙実験では、日本から持ち込んだカエルを無重力環境に置くとどうなるか、扇子で扇いで移動できるかといったことや、自らが被験者となり睡眠実験などの試みがなされた。宇宙から見た北海道を「おいしそうな昆布にみえます」とも言った。滞在中はひどい宇宙酔いに悩まされた(同乗したロシアの宇宙飛行士は、「あんなに吐く人間は見たことがない」と述べている(「ドラゴンフライ」より))。8日間の宇宙生活を終え、同年12月10日に、先にミールとドッキングしていたソユーズTM-10でカザフスタンのアルカリクに無事着陸。帰還した直後、マイクを向けられた秋山は「お酒が飲みたい。タバコが吸いたい」と話した。
[編集] 地球帰還後とTBS退職後
帰還後は報道総局次長などを歴任したほか、「クイズダービー」の解答者、「ブロードキャスター」のコメンテーター、「筑紫哲也NEWS23」で筑紫哲也休暇時に代役でキャスターを務めていたが、1995年に退職。宇宙飛行士だったということから、次第に会社での居場所がなくなっていったことを退社した理由の1つに挙げている。宇宙に行ったことで、「お金や権力や名声などといったものがあまりにもちっぽけでそういったものに興味がわかなくなった」ことも理由とされている。 2003年4月~2004年3月まで山陽放送で報道番組「どんぶらこ」のメインキャスターを務めた。 1995年からは福島県で無農薬農業に従事するかたわら、「宇宙飛行士」の肩書きで環境についての講演や本の執筆活動をこなしている。なお、現在も旧ソ連認定の宇宙飛行士の資格は有効であるため[2]、『元宇宙飛行士』と紹介されるのは誤りである。2003年に日本で初めて開催されたASE主催の第18回世界宇宙飛行士会議に「宇宙飛行士、ジャーナリスト」の肩書きで実行委員会委員[3]として参加している。
2011年3月、福島第一原子力発電所事故を受けて群馬県に避難。11月1日、京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。2012年より京都に移住の予定[4]。
[編集] 著書
- 1991年
- 『宇宙特派9日間』 小学館 ISBN 978-4093870610
- 『こちら宇宙特派員! ―宇宙に行ってみた!― 』 毎日新聞社(秋山豊寛 / 菊地涼子) ISBN 978-4620307756
- 『おじさんはとんだ』 汐文社 (秋山豊寛 / 西村達馬) ISBN 978-4811370996
- 『日本人宇宙飛行士公式写真記録集』 小学館(秋山豊寛 / 和田久士) ISBN 978-4096805916
- 1992年
- 『宇宙よ』 文藝春秋 (立花隆 / 秋山豊寛) ISBN 978-4163467108
- 1998年
- 『農人日記 』 新潮社 ISBN 978-4104248018
- 1999年
- 『宇宙と大地 ― 農のある暮らしへ』 岩波書店 ISBN 978-4000001809
- 2007年
- 『鍬と宇宙船』 ランダムハウス講談社 ISBN 978-4270002704
- 2011年
- 『原発難民日記 ―― 怒りの大地から』 岩波書店 ISBN 978-4002708256
[編集] 関連人物
- 菊地涼子 - 秋山の代替要員として一緒に訓練を受けた。打ち上げ前の最終チェックで問題はなかったが、打ち上げ直前に虫垂炎になり、バックアップ要員のいなくなった秋山がかなりのストレスを溜めてしまった、というエピソードがある。幸い手術が成功し、術後の経過も良好だったことから、地上でソユーズとミールに関するコメンテーターの役割を担った。元TBSカメラマン・ディレクター。NIKKEI NET 特集「宇宙に広がるビジネスの夢と可能性」(外部リンク)参照
- 毛利衛 - 1985年、NASAで秋山より先に宇宙飛行士となったが、1986年1月28日のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の影響などにより毛利のフライトスケジュールが大幅に延期となったことから、実際の飛行は秋山の方が先となった。
- 鈴木順 - 1990年、秋山豊寛宇宙特派員打ち上げの実況放送を担当。
- 新堀俊明 - ベトナム戦争終結後のハノイを西側ジャーナリストとして初めて取材したが、このとき秋山も取材班の1人として同行していた。
- 野口聡一 - 2009年12月21日、日本人では秋山に次ぎ2人目の「ソユーズ」に搭乗した宇宙飛行士。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 会社法人としては現在の東京放送ホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ&コミュニケーションズ。TBSの通称は、2009年3月まで東京放送のものであったが、同年4月の東京放送ホールディングスへの改称に伴い、TBSテレビへ引き継がれた。
- ^ 読売こころ塾 第28回 秋山豊寛さん宇宙から見た地球 命の塊
- ^ 第18回世界宇宙飛行士会議 実行委員会メンバーリスト
- ^ 日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り 朝日新聞 2011年12月7日
[編集] 外部リンク
- Spacefacts biography of Toyohiro Akiyama(英語)
- 宇宙情報センター/SPACE INFORMATION CENTER : 秋山豊寛
- キャスト・プラス プロフィール
- 「日本人宇宙飛行士」 「日本宇宙開拓史」より。
- ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん - 大槻英二 - 毎日新聞 - 2011年7月28日
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