若田光一
| 若田光一 | |
|---|---|
| 宇宙飛行士 | |
| 国籍 | 日本 |
| 誕生 | 1963年8月1日(48歳) 埼玉県大宮市 (現さいたま市北区) |
| 他の職業 | 技術者 |
| 宇宙滞在期間 | 159日10時間49分 |
| 選抜試験 | 1992 NASA Group |
| ミッション | STS-72, STS-92, STS-119 第18次/19次/20次ISS長期滞在, STS-127 |
| 記章 |
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若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、1963年(昭和38年)8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。博士(工学)。
これまでに3度、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭乗して宇宙飛行ミッションを行った。
目次 |
[編集] 略歴
埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身。埼玉県立浦和高等学校卒業。
1989年3月 九州大学大学院を修了、日本航空に入社する。1992年4月 旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出された。
スペースシャトル就役当初、NASAはスペースシャトル自体の運用を行うミッションスペシャリスト(MS)資格を外国人に認めておらず、日本人宇宙飛行士は日本の搭載機材のみを操作するペイロードスペシャリスト(PS)に限定されていた。しかし、宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙科学研究所(ISAS)が共同開発した宇宙実験・観測フリーフライヤー(SFU)をスペースシャトルで回収することになり、NASAも外国人にミッションスペシャリストの門戸を開放したため、日本人ミッションスペシャリストを養成して自ら回収操作を行うことが計画された。
1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに日本人初のMSとして参加。宇宙空間に浮遊するSFUの回収を行うためには、スペースシャトルに搭載されているロボットアームの繊細な操作が必要であったが、若田はこの技術を修得し、このミッションでSFU回収に成功した。
さらに、国際宇宙ステーション(ISS)建設においても、ロボットアーム操作の腕を買われることになる。2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。国際宇宙ステーション(ISS)組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。このSTS-92ミッションは、宇宙ステーションの各モジュールをドッキングするために多用される共通結合機構(CBM)を初めて宇宙で使用するという、その後の計画の成否を握る重要ミッションであった。NASAはこの重要な任務に若田を起用し、ドッキングを成功させた。[1]
2003年のコロンビア号空中分解事故以降は、ロボットアームで船体の損傷をチェックするセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)の開発に関わった。また、2004年に九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得する。
2009年3月16日、STS-119ミッションにて、日本人宇宙飛行士としては初のISS長期滞在ミッションを開始し、同年7月、日本初の有人宇宙施設「きぼう」の最後の構成部分となる船外実験施設を取り付けた。これにより「きぼう」は開発から20年を経て完成した。
同年7月3日、ISSに停泊中のソユーズTMA-14(18S)に搭乗し、ドッキングポートを変更する移動飛行をした。ソユーズ宇宙船に搭乗したのは、秋山豊寛飛行士に次いで日本人2人目となった。
同年7月31日、STS-127によって4カ月半に及ぶ宇宙長期滞在から帰還した。
同年11月25日、日本人初のISS長期滞在の功績が評価され鳩山由紀夫内閣から内閣総理大臣顕彰を授与される。
2010年3月、NASAのISS運用部長に就任[2]。日本人がNASAの管理職に就くのは初めてとなる。
同年4月、JAXAの宇宙飛行士グループ長に就任する。
2011年2月、第38次/第39次ISS長期滞在ミッションへの参加が発表される。第39次長期滞在では日本人初のISSコマンダー(司令官)を務める予定である[3]。
通算の宇宙滞在期間159日10時間46分は、2010年5月15日午後8時6分(JST)に野口聡一が更新するまで日本人最長記録だった。
[編集] 人物
- 趣味は野球、テニス、スキー、飛行機の操縦、ハンググライダー。高校では野球部に所属しており、2001年の全国高等学校野球選手権大会では始球式を務めて120km/h相当の速球でストライク投球をし、観客を沸かせた。2009年4月のプロ野球・巨人vs阪神戦(東京ドーム)ではISSからの「宇宙始球式」も行った。
- 九州大学在学中には、鳥人間コンテストに出場した。1996年の番組冒頭では、出場時や宇宙飛行の映像が紹介された。
- 九州大学のドイツ人留学生だったシュテファニー・フォン・ザクセン・アルテンブルクと結婚し一男がいる[4]。
[編集] 履歴
- 1979年3月 大宮市立宮原中学校卒業
- 1982年3月 埼玉県立浦和高等学校卒業
- 1987年3月 九州大学工学部航空工学科卒業。
- 1989年3月 九州大学大学院工学研究科応用力学専攻修士課程修了。日本航空入社。同社整備訓練部所属。
- 1992年4月 旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出。
- 1994年12月 NASAよりSTS-72のミッションスペシャリストに任命。
- 1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに参加
- 2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。国際宇宙ステーション(ISS)組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。
- 2004年 九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得。
- 2006年7月 フロリダ州海底でのNASA極限環境ミッション運用訓練(en:NEEMO10)にコマンダーとして参加。
- 2009年3月 スペースシャトル・ディスカバリー号による「STS-119」ミッションに参加。日本人宇宙飛行士として初のISS長期滞在を開始。
- 2009年7月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-127」ミッションにて帰還。日本人宇宙飛行士としては最長の宇宙滞在(4カ月半)となった。
- 2009年11月 内閣総理大臣顕彰を授与される。宇宙飛行士の表彰は毛利衛、向井千秋、土井隆雄に次ぎ4人目。
- 2010年3月 NASAのISS運用部長に就任。
- 2010年4月 JAXAの宇宙飛行士グループ長に就任。
- 2011年2月 第38次/第39次ISS長期滞在ミッションへ任命。
[編集] 脚注
- ^ ドッキングしたZ1トラスやユニティも含め、全てアメリカの開発品を使用した組立ミッションであり、日本は直接関与していない。このようなミッションにあえて日本人宇宙飛行士を起用したのは異例である。STS-92の模様は、IMAX映画で観ることができ、若田のコメントも聞くことができる。日本語吹き替え版では若田自身が日本語で吹き替えているが、日本語音声はDVD未収録。
- ^ 若田飛行士のNASA(米国航空宇宙局)/ISS(国際宇宙ステーション)運用ブランチチーフ就任について - JAXA
- ^ JAXA|若田光一宇宙飛行士の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在の決定について
- ^ 読売新聞2009年8月2日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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