若田光一
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| 宇宙飛行士 | |
|---|---|
| 国籍 | 日本 |
| 誕生 | 1963年8月1日(45歳) 埼玉県大宮市 (現さいたま市北区) |
| 前職 | 技術者 |
| 宇宙滞在期間 | 21日19時間44分 |
| セレクション | 1992 NASA Group |
| ミッション | STS-72, STS-92, STS-119 第18次/19次/20次ISS長期滞在 |
| 記章 |
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若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、1963年8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。 これまでに3度、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭乗して宇宙飛行ミッションを行った。埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身、九州大学卒。工学博士。
目次 |
[編集] 来歴
スペースシャトル就役当初、NASAはスペースシャトル自体の運用を行うミッションスペシャリスト(MS)資格を外国人に認めておらず、日本人宇宙飛行士は日本の搭載機材のみを操作するペイロードスペシャリスト(PS)に限定されていた。しかし、宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙科学研究所(ISAS)が共同開発した宇宙実験・観測フリーフライヤー(SFU)をスペースシャトルで回収することになり、NASAも外国人にミッションスペシャリストの門戸を開放したため、日本人ミッションスペシャリストを養成して自ら回収操作を行うことが計画された。
このような経緯から宇宙飛行士に採用されたのが、若田である。宇宙空間に浮遊するSFUの回収を行うためには、スペースシャトルに搭載されているロボットアームの繊細な操作が必要であったが、若田はこの技術を修得し、STS-72ミッションでSFU回収に成功した。
さらに、国際宇宙ステーション(ISS)建設においても、ロボットアーム操作の腕を買われることになる。STS-92ミッションは、宇宙ステーションの各モジュールをドッキングするために多用される共通結合機構(CBM)を初めて宇宙で使用するという、その後の計画の成否を握る重要ミッションであった。NASAはこの重要な任務に若田を起用し、ドッキングを成功させた。[1]2003年のコロンビア号空中分解事故以降は、ロボットアームで船体の損傷をチェックするセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)の開発に関わった。
若田は2009年3月16日にSTS-119ミッションにて、日本人宇宙飛行士としては初のISS長期滞在ミッションを行っている。同年6月の予定の、帰路の便となるSTS-127は、日本のきぼう船外実験部と船外補給部を搭載しており、ロボットアームを使用した作業が多数予定されている。ただし、若田の作業分担は未発表である。
[編集] 人物
- 九州大学在学中には、鳥人間コンテストに出場した。1996年の番組冒頭では、出場時や宇宙飛行の映像が紹介された。
- 趣味は野球、テニス、スキー、飛行機の操縦、ハンググライダー。ドイツ人の妻との間に1男がある。
[編集] 履歴
- 1982年3月 埼玉県立浦和高等学校卒業
- 1987年3月 九州大学工学部航空工学科卒業。
- 1989年3月 九州大学大学院工学研究科応用力学専攻修士課程修了。日本航空入社。同社整備訓練部所属。
- 1992年4月 旧・NASDAによりミッションスペシャリスト候補に選出。
- 1994年12月 NASAよりSTS-72のミッションスペシャリストに任命。
- 1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに日本人初のミッションスペシャリストとして宇宙へ。
- 2000年10月 スペースシャトル・ディスカバリー号により2度目の宇宙へ。国際宇宙ステーション(ISS)組立ミッション「STS-92」にミッションスペシャリストとして参加。
- 2004年 九州大学大学院工学研究科で博士号(工学)を取得。
- 2009年3月 スペースシャトル・ディスカバリー号による「STS-119」ミッションにより3度目の宇宙へ。日本国民初のISS長期滞在を開始。
[編集] 脚注
- ^ ドッキングしたZトラスやユニティも含め、全てアメリカの開発品を使用した組立ミッションであり、日本は直接関与していない。このようなミッションにあえて日本人宇宙飛行士を起用したのは異例である。STS-92の模様は、IMAX映画で観ることができ、若田のコメントも聞くことができる。日本語吹き替え版では若田自身が日本語で吹き替えているが、日本語音声はDVD未収録。

