毛利衛

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毛利 衛
宇宙飛行士
国籍 日本の旗 日本
誕生 1948年1月29日(66歳)
日本の旗 日本 北海道余市町
他の職業 技術者
宇宙滞在期間 19日4時間9分
選抜試験 1985 NASDA Group
ミッション STS-47, STS-99
記章 Sts-47-patch.pngSts-99-patch.png

毛利 衛(もうり まもる、1948年(昭和23年)1月29日 - )は、北海道出身の宇宙飛行士宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、日本科学未来館館長、財団法人日本宇宙少年団団長、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授。

来歴・人物[編集]

1992年(平成4年)9月12日から9月20日までスペースシャトルエンデバーペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗し、秋山豊寛に次ぐ二人目の日本人宇宙飛行士となった(正確には当時の毛利は搭乗科学技術者)。また、日本国籍保有者として初めてスペースシャトル計画に加わった宇宙飛行士である。帰還直後、テレビカメラの前で「宇宙からは国境線は見えなかった」とコメントした。

2000年(平成12年)2月12日から2月23日には、2度目の宇宙飛行に参加。ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)として、レーダーによる地球の地形の精密な観測(SRTM)を行った。これ以降、現在まで宇宙飛行歴はない。

2004年(平成16年)5月15日に行われたタウンミーティングにおいて、習熟度別授業に対して肯定的な意見を述べた[1]

専門は真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験。化学者でもある。

結婚し、子が3人いる。

幼い頃はカマキリ水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになった経験を持つ。航空事故に遭遇したこともあるが、死ぬのは怖くないという。

オーストラリア南オーストラリア州フリンダース大学での留学生寮生活の経験から、対人コミュニケーションの重要性を認識し、アメリカ航空宇宙局(NASA)では技術者たちだけではなく、事務員たちとも親しく接していた。事務員たちの心証が良かったことが評価され、搭乗運用技術者に選抜されたことに繋がったという[2]

略歴[編集]

社会的活動[編集]

著書[編集]

  • 『毛利衛、ふわっと宇宙へ』 朝日新聞社、1992年、ISBN 4-02-256528-4
  • 『宇宙実験レポート from U.S.A. スペースシャトルエンデバーの旅』 講談社、1992年、ISBN 4-06-206121-X
  • 『地球星の詩』 朝日新聞社、1995年、ISBN 4-02-258585-4
  • 『宇宙の風 50歳からの再挑戦』 朝日新聞社、1998年、ISBN 4-02-261247-9
  • 『宇宙からの贈りもの』 岩波書店、2001年、ISBN 4-00-430739-2
  • 『未来をひらく最先端科学技術(全6巻セット)』 岩崎書店、2004年、ISBN 4-26-510318-9
  • 『夢が現実に!ロボット新時代(第1巻~第4巻)』 学習研究社、2005年、ISBN 4-05-152282-2
  • 『モマの火星探検記』 講談社、2009年、ISBN 4-06-378701-6

趣味[編集]

スキーテニス野球卓球アイススケートスキューバダイビングスカッシュエアロビクスフィットネス、またアマチュア無線技士の資格を持つ。

出演[編集]

CM[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]