鳥人間コンテスト選手権大会
| 鳥人間コンテスト選手権大会 JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY |
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第30回鳥人間コンテスト選手権大会の様子 2006年(平成18年)
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| ジャンル | スポーツ |
| 放送時間 | 毎年8月最終週 19:00 - 20:54(114分) |
| 放送期間 | 1977年8月7日 - 2008年9月15日 2010年9月24日 - 現在(35回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | 讀賣テレビ放送(大会主催) |
| 出演者 | 司会者・リポーターを参照 |
| 音声 | ステレオ放送 |
| 字幕 | 文字多重放送 |
| データ放送 | 番組連動データ放送 |
| エンディング | 歴代イメージソングを参照 |
| 外部リンク | 公式サイト |
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特記事項: 第1回のみ2週にわたって放送。 放送時間は第35回(2012年)現在。 2012年現在の正式タイトルは『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト選手権大会(西暦)』 |
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『鳥人間コンテスト選手権大会』(とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、英称:JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)は、読売テレビ(ytv)主催による人力飛行機の滞空距離及び飛行時間を競う競技会である。
目次 |
概要 [編集]
参加団体や関係者からはしばしば省略して「鳥コン」とも呼ばれる。
1977年に滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。その模様は、読売テレビ制作・日本テレビ系列で全国ネットの特別番組として放送されている。
初期のテレビ放送では、タイトルの頭に「飛べ、栄光の大空へ!」というキャッチコピーが付けられていた。ちなみに、2012年に開かれた第35回大会のキャッチコピーは、「飛ばなきゃならないワケがある!」である。
当初は、『びっくり日本新記録』内での1競技として、同番組で第1・2回を放送。第3回から単独番組となった。なお第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」(とりにんげんコンテストにほんたいかい)、第2 - 4回は「鳥人間コンテスト世界大会」(とりにんげんコンテストせかいたいかい)というタイトルだった。なお、「鳥人間」は讀賣テレビ放送株式会社の登録商標(商標登録番号第4776282号)である。また、第21回以降の放送では、大会イメージソングを年替わりで設定している(後述)。
1997年には台風9号が会場付近を直撃したため、史上初めて大会を中止。2009年は、天候以外の事情(読売テレビの広告収入の赤字、地デジの設備投資などに伴う全社的な経費削減、安全性の向上を目的とした人力飛行機離陸用仮設プラットフォームの設計変更など)を理由に、大会の全面休止に踏み切った。しかし、大会の再開を望む意見が全国の出場希望者から読売テレビへ多数寄せられたことから、2010年7月24日・25日の両日に再び開催された[1]。
参加チームについては、大会の規模が大きくなるにつれて、個人参加から大学のクラブ・サークル単位による参加が主流になっている。学生時代にパイロットやスタッフとして当大会へ参加した社会人が、「鳥人間OB」として独自にチームを結成したり、出身校や他チームにノウハウや経験を伝えたりすることも多い。近年の放送では、日本以外の国から参加するチーム[2]や、著名人が番組・所属事務所単位で挑戦するチームにも焦点を当てている。
ちなみに、2010年には岩谷産業が創業80周年記念で特別協賛スポンサーとして参加したため、『Iwataniスペシャル 第33回鳥人間コンテスト選手権大会』(イワタニスペシャル だい33かいとりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい)というタイトルで実施した。2011年以降も、岩谷産業が特別協賛スポンサーを務めているため、『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト(西暦)』(イワタニスペシャル とりにんげんコンテスト)として開催されている。また、2010年以降の大会では、社内で結成した「Iwananiクリーンエネルギーチーム」が他の出場者と同じ条件で滑空機部門に参加している。
ルール [編集]
大会のルールは毎回少しずつ改定されており、毎年公式ルールブックが発行される。主な規定には発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などがある。初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。ちなみに、第1回最初の挑戦者の飛行記録は、2m2cmであった[3]。
大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。
出場許可の下りた機体には、審査の合格を示す「OK」[4]のステッカーを配布。このステッカーを貼った機体のみ、大会へ出場できる。
- 失格・措置
- 危険な飛行と審査員が判断した場合や勧告無視の場合、折り返し地点で折り返しを行わなかった場合(後述)、プラットフォームから競技者およびその補助者が転落(競技者が2人の場合はどちらかが転落)した場合は飛行距離に関係なく失格となる。
- 機体がプラットフォームへ到達し、離陸態勢に入る直前に、不運にも致命的な不具合が生じた場合は、審判長が競技者およびその補助者に勧告し、納得させた上で機体を湖上に落とす措置を指示することができる。この場合、勧告を受けたチームは棄権として記録される。
- プラットフォームを離陸後、何らかのアクシデントでパイロット(競技者)が機体から転落した際は、その転落地点が公式記録となる(機体がその先まで飛行しても、その距離は記録されない)。
- スタート直後の墜落や測定に支障の生じた場合は、記録は測定不能となる。この場合は会場の電光掲示板には「0m」と表示され、場内アナウンスでは「測定不能」と放送される。
- 折り返しルール
- 従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル・航空研究会のMöwe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。
- この際の経緯は以下の通りである。
- まず東北大(この年3位)が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。
- 本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。
- 本人たちは琵琶湖大橋の下を潜ろうとしていたが、着水させるよう勧告が出た。
- 本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水
- 琵琶湖大橋超えを行った場合や勧告無視の場合は、本来は規則違反で失格となる。
- その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。
- このように明らかに問題のある進路設定になったため、翌第28回(2004年)からはルールが変更され18kmで折り返しするというルールが制定された。18kmを超えると大音響のサイレンが鳴り折り返しが可能になる(これにより往復で36kmが最長記録として出せるが、スタートで再度折り返しできるかは不明。第32回(2008年)の大会ではスタートで折り返しを行わず着水した)。
- なおこれは折り返しを義務付けるものではなく、従来通り琵琶湖大橋や琵琶湖北端に向かうことも可能である。この場合の記録は、単純にプラットフォームからの距離となる。当然、大橋越え(潜り)や地上飛行は失格となるため手前で飛行を打ち切らなければならないので折り返した場合より最長記録は短くなる。しかし気象条件などにより折り返しはリスクが高い可能性もあり、参加者の判断が勝敗を左右することになる。
- また折り返しルール制定時は「25km地点で折り返すことで、50km飛行も可能」という趣旨の発表もあったが運営側はこれ以後触れておらず、その後も「25km折り返し」ルールが存在するかどうかは不明である。
- 賞金・優勝賞品
- 大会の各部門を通しての賞金は優勝チームに100万円。2位・30万円、3位・20万円が贈られる。[5]
- これに優勝チームには賞金100万円に加え、副賞として海外旅行が贈られたが、2010年からは賞金・海外旅行に加え、スポンサーの岩谷産業から岩谷商品が贈られる。
大会の競技部門 [編集]
人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。
- 第1回:競技部門(飛距離を競う)のみ
- 第2 - 9回:競技部門、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
- 第10・11回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー(第11回は中止)
- 第12 - 14回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
- 第15 - 18回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第19・20回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
- 第21 - 23回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
- 第24回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第25 - 27回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
- 第28・29回:滑空機部門(フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
- 第30回 - :滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門
第2回(1978年)に人力プロペラ機がエントリーしたが、コミックエントリーとして扱われた。実際にまともな飛行性能はなかった。その後、飛距離が伸びる人力プロペラ機が出現し、第10回(1986年)に、競技部門は、滑空機部門と人力プロペラ機部門に分けられ、以後、滑空機と人力プロペラ機は一緒に競技することはなくなった。
第28回(2004年)から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」と、それがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。
人力ヘリコプター部門についてはプラットフォームから安全な離陸ができない恐れを考慮し、第27回(2003年)をもって廃止された。
人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で34kmの限界点に達した為、第29回(2005年)からは18km地点での折り返しが導入された。当初は前回の第28回(2004年)でのルール変更の予定だったが天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となった。第32回(2008年)大会では36kmの限界点に達した為、第33回大会(2010年)から20km地点での折り返しに変更された。
人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコース(往復コース)をフライトするのに掛かった時間を競うもので、上記の点で人力プロペラ機ディスタンス部門における大会新記録が到底不可能を理由により第30回(2006年)において初めて実施された。第32回(2008年)までは1km地点で折り返すルールだったが、いずれの大会も完走できたのは1チームのみであった。第33回(2010年)より、半分の500m地点での折り返しに変更され、初めて複数のチームが完走した。
司会者・リポーター [編集]
- 司会者
- 桂三枝(現・六代目桂文枝)
- 長嶋一茂
- 堀江しのぶ:第11回(1987年)
- 宇江佐りえ:第12回(1988年)
- 冴木杏奈:第13回(1989年)
- 大沢逸美:第14回(1990年)
- 篠原涼子:第19回(1995年)
- 佐藤藍子:第21回(1997年)
- 山田まりや:第22回(1998年)
- 辺見えみり:第23回(1999年)
- 菊川怜:第24回(2000年)
- 上原多香子・佐藤江梨子:第25回(2001年)
- 今田耕司:第26 - 31回(2002 - 2007年)
- 後藤理沙・山川恵里佳:第26回(2002年)
- 乙葉・藤崎奈々子:第27回(2003年)
- 石川亜沙美:第28回(2004年)
- ユンソナ:第29回(2005年)
- 安めぐみ・長谷川理恵:第30回(2006年)
- 東原亜希:第31回(2007年)
- 東野幸治:第32回 - 34回(2008 - 2011年)
- 藤井隆・加藤夏希:第32回(2008年)
- ココリコ・北川弘美・藤本美貴:第33回(2010年)
- 羽鳥慎一・山里亮太・神戸蘭子・菜々緒・月亭八光:第34回(2011年)
- 東野幸治・羽鳥慎一・遠藤章造・山里亮太・道端アンジェリカ・芹那:第35回(2012年)
- 実況・解説・ナレーター・リポーター
◎:第35回大会時点での担当
- 三浦隆志(読売テレビアナウンサー、実況)◎
- 脇浜紀子(読売テレビアナウンサー、出場チーム紹介・記録アナウンス)◎
- 荻原次晴(ボートリポーター、着水で救助された直後のパイロットへのインタビュアーも兼務)◎
- 鈴木正人(鳥人間コンテストテクニカルアドバイザー、第4回滑空機部門優勝者、解説)◎
- 木村秀政(日本大学名誉教授、解説)
- 森若佐紀子(読売テレビアナウンサー)
- 志生野温夫(フリーアナウンサー、『びっくり日本新記録』時代から長らく実況を担当)
- 中元綾子(出演当時は読売テレビアナウンサー)
- 川田裕美(読売テレビアナウンサー)
- 東昭(東京大学名誉教授、航空機事故調査委員会委員長)
- 野口常夫(航空評論家)
以下のタレントは、第35回大会で出場チームのVTR取材リポートを担当。会場からの放送にも登場した。
歴史 [編集]
- 1977年 第1回を開催(近江八幡市・宮ヶ浜水泳場)、『びっくり日本新記録』内で放送
- 1980年 会場を彦根市・松原水泳場に移す
- 1986年 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離
- 1987年 コミックエントリー部門廃止
- 1988年 強風のため人力プロペラ機部門が中止
- 1989年 人力プロペラ機部門が中止
- 1990年 強風のため滑空機部門が中止
- 1997年 台風直撃のため初の競技全面中止
- 1998年 2日間開催に移行
- 2004年 人力プロペラ機部門が天候不良のため競技不成立(事実上の中止)
- 2009年 経済状況悪化による番組制作見直しのため、競技自体を中止(正式な中止は初の事例)
- 2010年 2年ぶりの開催。この年から岩谷産業が協賛スポンサーに参加
放送日・開催日 [編集]
大会開催(番組収録)は毎回7月下旬から8月上旬にかけて行われ、近年は収録から1~2ヶ月後に大会の模様が放送されている。
| 回数 | 放送日 | 開催日 |
|---|---|---|
| 第1回 | 1977年8月7日、14日[6] | 1977年7月2日 |
| 第2回 | 1978年9月7日 | 1978年7月21日 |
| 第3回 | 1979年9月1日 | 1979年7月20日 |
| 第4回 | 1980年8月9日 | 1980年7月19日 |
| 第5回 | 1981年9月3日 | 1981年8月8日 |
| 第6回 | 1982年9月23日 | 1982年8月7日 |
| 第7回 | 1983年月日 | 1983年8月6日 |
| 第8回 | 1984年月日 | 1984年8月4日 |
| 第9回 | 1985年月日 | 1985年8月3日 |
| 第10回 | 1986年月日 | 1986年8月2日 |
| 第11回 | 1987年月日 | 1987年8月1日 |
| 第12回 | 1988年月日 | 1988年7月30日 |
| 第13回 | 1989年月日 | 1989年7月29日 |
| 第14回 | 1990年月日 | 1990年8月4日 |
| 第15回 | 1991年月日 | 1991年8月3日 |
| 第16回 | 1992年月日 | 1992年8月1日 |
| 第17回 | 1993年月日 | 1993年7月31日 |
| 第18回 | 1994年8月6日 | 1994年7月30日 |
| 第19回 | 1995年8月5日 | 1995年7月29日 |
| 第20回 | 1996年8月3日 | 1996年7月27日 |
| 第21回 | (1997年8月2日) | (1997年7月26日) |
| 第22回 | 1998年9月5日 | 1998年7月31日 - 8月1日 |
| 第23回 | 1999年8月28日 | 1999年7月30日 - 31日 |
| 第24回 | 2000年8月12日 | 2000年7月28日 - 29日 |
| 第25回 | 2001年8月4日 | 2001年7月27日 - 28日 |
| 第26回 | 2002年8月31日 | 2002年7月27日 - 28日 |
| 第27回 | 2003年9月6日 | 2003年7月26日 - 27日 |
| 第28回 | 2004年8月28日 | 2004年7月31日 - 8月1日 |
| 第29回 | 2005年9月19日 | 2005年7月16日 - 17日 |
| 第30回 | 2006年9月22日 | 2006年7月22日 - 23日 |
| 第31回 | 2007年9月6日[7] | 2007年7月28日 - 29日 |
| 第32回 | 2008年9月15日 | 2008年7月26日 - 27日 |
| 2009年は開催中止 | ||
| 第33回 | 2010年9月24日 | 2010年7月24日 - 25日 |
| 第34回 | 2011年8月19日 | 2011年7月30日 - 31日 |
| 第35回 | 2012年8月27日 | 2012年7月28日 - 29日 |
放送日は日本テレビでの放送日を示す。第21回は台風9号直撃のため大会史上初の全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。2009年は開催中止に伴い放送自体が休止になった。
歴代イメージソング [編集]
※がついている曲は開催年と発表された年が異なる楽曲である。
| 年 | 回数 | 曲 | アーティスト |
|---|---|---|---|
| 1996年 | 第20回 | 終わらない夢に | TUBE |
| 1997年 | 第21回 | 大空へ | FIELD OF VIEW |
| 1998年 | 第22回 | 1万メートルの景色 | 小松未歩 |
| 2006年 | 第30回 | 風になって | 森山直太朗 |
| 2007年 | 第31回 | 空はまるで | MONKEY MAJIK |
| 2008年 | 第32回 | 旅人 ※ | ケツメイシ |
| 2010年 | 第33回 | 風のカプセル | GIRL NEXT DOOR |
| 2011年 | 第34回 | Rising Sun | EXILE |
| 2012年 | 第35回 | ブルーバード ※ | いきものがかり |
各大会の優勝者・記録 [編集]
各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。
滑空機部門 [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 1977年7月2日 | 82.44m | 岡良樹(東京ハングライダークラブ) | |
| 第2回 | 1978年7月21日 | 79.78m | 大平英二(ニューウィングス) | |
| 第3回 | 1979年7月20日 | 88.53m | 島根俊夫(日本自作航空機連盟) | |
| 第4回 | 1980年7月19日 | 101.60m | 鈴木正人(日大駿河台航空研究会) | |
| 第5回 | 1981年8月8日 | 95.83m | 菊池守男(車山ハンググライディング) | |
| 第6回 | 1982年8月7日 | 144.00m | 村山智彦(日本大学理工学部航空研究会) | |
| 第7回 | 1983年8月6日 | 162.62m | 岡崎利彦(日本フライングクラブ) | |
| 第8回 | 1984年8月4日 | 163.03m | 楠正彰 | |
| 第9回 | 1985年8月3日 | 290.45m | 石本豪(豊田飛行愛好会) | |
| 第10回 | 1986年8月2日 | 158.38m | 柴野敏彦(POINT ONE MILE) | |
| 第11回 | 1987年8月1日 | 176.71m | 木島明良(茂原市フリーフライト) | |
| 第12回 | 1988年7月30日 | 261.90m | 糸谷浩(西富士友の会) | |
| 第13回 | 1989年7月29日 | 205.10m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
| 第14回 | (1990年8月4日) | 記録なし | 台風の影響による強風のため中止 | |
| 第15回 | 1991年8月3日 | 318.75m | 木島明良(フリーフライト) | |
| 第16回 | 1992年8月1日 | 232.08m | 中村克(チームエアロセプシー) | |
| 第17回 | 1993年7月31日 | 248.31m | 栗野けんじ(東京都立大学人力飛行機研究会) | |
| 第18回 | 1994年7月30日 | 329.83m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
| 第19回 | 1995年7月29日 | 274.72m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
| 第20回 | 1996年7月27日 | 300.36m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
| 第21回 | (1997年7月26日) | 中止 | 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止 | |
| 第22回 | 1998年7月31日~8月1日 | 364.08m | 福森啓太(チームハマハマ) | |
| 第23回 | 1999年7月30日~31日 | 345.92m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第24回 | 2000年7月28日~29日 | 256.53m | 雨宮健一(夜鳥の会) | |
| 第25回 | 2001年7月27日~28日 | 417.49m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第26回 | 2002年7月27日~28日 | 414.33m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第27回 | 2003年7月26日~27日 | 420.48m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第28回 | 2004年7月31日 | 173.26m | 阿知波哲史(チームTINKER) | |
| 第29回 | 2005年7月16日 | 370.80m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第30回 | 2006年7月22日 | 258.21m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第31回 | 2007年7月28日 | 483.47m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第32回 | 2008年7月26日 | 377.98m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第33回 | 2010年7月25日 | 421.11m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
| 第34回 | 2011年7月30日 | 314.41m | 河原井悠(上智大学 Flying Turkeys) | |
| 第35回 | 2012年7月28日 | 501.38m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学) | 2年振りの参加で自身の持つ大会記録を更新 |
- タイトル:第28、29回 「滑空機部門オープンクラス」
滑空機部門フォーミュラクラス [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第28回 | 2004年7月31日~8月1日 | 30.79m | 漆山雅史(TEAMフライング朱鷺) | |
| 第29回 | 2005年7月16日 | 50.77m | 谷川英樹(創価大学鳥人間研究会) | |
| 第30回 | 2006年7月22日 | 157.37m | 竹内彰(創価大学鳥人間研究会) | |
| 第31回 | 2007年7月28日 | 151.31m | 瀬戸うらら(Team Ocean Man) | |
| 第32回 | 2008年7月26日 | 140.57m | 石原直人(大阪工業大学体育会航空部) |
人力プロペラ機ディスタンス部門 [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第10回 | 1986年8月2日 | 512.20m | 田中紀彦(Team Aeroscepsy) | |
| 第11回 | 1987年8月1日 | 435.56m | 上田稔(日本大学理工学部航空研究会) | |
| 第12回 | (1988年7月30日) | 記録なし | 午後から強風のため中止 | |
| 第13回 | (1989年7月29日) | 記録なし | 台風の影響による強風のため中止 | |
| 第14回 | 1990年8月4日 | 1810.54m | 小林稔(日本大学理工学部航空研究会) | |
| 第15回 | 1991年8月3日 | 500.20m | 阪本佳久(日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム) |
|
| 第16回 | 1992年8月1日 | 2019.65m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | |
| 第17回 | 1993年7月31日 | 2180.78m | 野呂元紀(日本大学理工学部航空研究会) | |
| 第18回 | 1994年7月30日 | 2371.65m | 宮脇康成(日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム) |
|
| 第19回 | 1995年7月29日 | 8764.00m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | |
| 第20回 | 1996年7月27日 | 9761.56m | 中尾誠(大阪府立大学堺風車の会) | |
| 第21回 | (1997年7月26日) | 中止 | 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止 | |
| 第22回 | 1998年8月1日 | 23688.24m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | 大会初の琵琶湖横断に成功 |
| 第23回 | 1999年7月31日 | 4913.46m | 大倉彰浩(大阪府立大学堺風車の会) | |
| 第24回 | 2000年7月28日 | 7945.85m | 嘉藤伸一(大阪府立大学堺風車の会) | |
| 第25回 | 2001年7月28日 | 3823.70m | 成相健太郎(東京工業大学Meister) | |
| 第26回 | 2002年7月28日 | 6201.74m | 梶原聖太(東京工業大学Meister) | |
| 第27回 | 2003年7月27日 | 34654.10m | 平綿甲斐(日本大学理工学部航空研究会) | 琵琶湖大橋まで到達 |
| 第28回 | 2004年8月1日 | 944.11m[8] | 渡邊峰生(早稲田大学宇宙航空研究会WASA) | 18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立 |
| 第29回 | 2005年7月17日 | 22813.05m | 田中丸真輔(日本大学理工学部航空研究会) | 初の折り返し成功 |
| 第30回 | 2006年7月22日 | 28628.43m | 宮内空野(東北大学Windnauts) | |
| 第31回 | 2007年7月29日 | 3998.51m | 山田洋平(東京工業大学Meister) | |
| 第32回 | 2008年7月27日 | 36000.00m | 西脇渉(東北大学Windnauts) | 初の往復成功[9] |
| 第33回 | 2010年7月25日 | 18556.82m | 宮本翔(東京工業大学Meister) | |
| 第34回 | 2011年7月31日 | 18687.12m | 中村拓磨(東北大学Windnauts) | |
| 第35回 | 2012年7月29日 | 14129.34m | 谷口周平(東北大学Windnauts) |
- タイトル:第10~29回 「人力プロペラ機部門」
人力プロペラ機タイムトライアル部門 [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第30回 | 2006年7月23日 | 7分2秒61 | 中山浩典(チームエアロセプシー) | 30回大会唯一の完走者 |
| 第31回 | 2007年7月28日 | 4分37秒62 | 野口雅弘(大阪府立大学堺・風車の会) | 31回大会唯一の完走者 |
| 第32回 | 2008年7月26日 | 5分10秒00 | 宮本大地(大阪府立大学堺・風車の会) | 32回大会唯一の完走者 |
| 第33回 | 2010年7月24日 | 1分55秒02 | 田村裕貴(Team`F') | 500m折り返し(全長1km)に変更 |
| 第34回 | 2011年7月30日 | 2分8秒63 | 菊地デイル万次郎(ドボン会) | |
| 第35回 | 2012年7月29日 | 2分8秒50 | 池田遼輔(ドボン会) | 折り返しルールの改定後では最高記録 |
レディース部門 [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 |
|---|---|---|---|
| 第10回 | 1986年8月2日 | 92.83m | 上田みゆき(TEAM TONDORUDO) |
| 第11回 | 1987年8月1日 | 94.27m | 相良美幸(TOA鳥人間の会) |
| 第12回 | 1988年7月30日 | 103.80m | 笠原朋子(みたか飛行少女の会) |
| 第13回 | 1989年7月29日 | 225.90m | 宮崎祥代(チームアクティブギャルズ) |
| 第14回 | 1990年8月4日 | 64.41m | 長岡美子(東みたかアドベンチャーグループ) |
| 第19回 | 1995年7月29日 | 189.01m | 鋤柄千穂(九州大学鳥人間チーム) |
| 第20回 | 1996年7月27日 | 264.66m | 吉澤祐子(沿岸驚備隊) |
- タイトル:第10~14回 「女性パイロット部門」
人力ヘリコプター部門 [編集]
| 回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第25回 | 2001年7月27日 | 6秒30 | 上岡健治(東大阪青年会議所トライズ) | 参考競技 |
| 第26回 | 2002年7月27日 | 4秒07 | Rodney Bordallo(東大阪青年会議所トライズ) | |
| 第27回 | 2003年7月26日 | 2秒89 | 西山雅也(ドボン会) |
テレビ放送等 [編集]
これらの模様は読売テレビ制作・日本テレビ系列全国ネットの『木曜スペシャル』→『スーパースペシャル』→『THEスペシャル!』で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も、毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常は読売テレビからとなっているが過去数回、東京の日本テレビから番組VTR送出を行っていたこともある(放送前に読売テレビからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため。『サプライズ』→『SUPER SURPRISE』の木曜日→水曜日の読売テレビ制作放送分も同じ形式で行われており読売テレビからの録画放送映像を一旦、東京・日本テレビの送出マスターに送りここから各局に向けて放送を行っている)。
なお2007年に3年ぶりとなる単発番組枠(『モクスペ』)が木曜19時 - 20時54分に再設されることになり同じ読売テレビが番組制作されている『ベストヒット歌謡祭』と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行されたが、2008年は19時台が読売テレビ制作枠(『月曜19時アニメアワー』、後の『アニメ☆7』)にあたる月曜日(9月15日)に放送された。2010年は再び金曜日(9月24日)に移動したが、2012年は2008年以来4年ぶりに月曜日で放送されることになった(月曜20時台が日本テレビ系同時ネット枠となるテレビ宮崎でも同時ネット)。また2007年から地上デジタル放送ではデータ放送も実施した。 2008年以降からは従来の通常番組のスポンサーから特別セールスに変更され、2010年では岩谷産業が特別協賛社になったことに伴い岩谷産業をメインとした複数スポンサーとなった。
また2007年は地上波の放送のほかCS放送の日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)で第27回(2003年)、第29回(2005年)、 第30回(2006年)の模様も再放送された。
また2003年に阪神が首位だったことで読売テレビはローカルでの阪神戦を放送し、後日改めて放送された(読売テレビ以外の系列局(テレビ宮崎を除く)は「裏送り」の形で通常通り放送された)。
2006年にはイメージテーマソングに森山直太朗の『風になって』を起用し、第30回を記念して『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年10月6日に発売された。
放送の間には飛行機が残って飛行士だけフライト台から転落してしまう、風にあおられたプロペラ飛行機が180度旋回して順番待ちの飛行機に衝突して壊してしまうなどハプニングも多々あった(これらの飛行士はいずれも失格となった)。
クロスネット局の福井放送・テレビ大分・テレビ宮崎へのネットの有無は、放送される曜日の枠やスポンサーセールス等の関係上年度により異なる。2012年には、放送日が月曜日に当たったため、以上3局にも同時ネットで放送された。
著名人の参加 [編集]
宇宙飛行士の若田光一が第11 - 13回(1987 - 1989年)に九州大学チームの一員として参加したほか、以下の芸能人もパイロットとして出場している。
- 森脇健児:第19・20回(1995 - 1996年)・第23回(1999年) - 第21回(1997年)もエントリー
- 羽田惠理香:第20回(1996年)
- 荻原次晴:第23・24回(1999 - 2000年)
- 中田ボタン:第26回(2002年)
- なかやまきんに君:第27回(2003年)
- ペナルティのワッキー(脇田寧人):第28回(2004年)
- 杉浦太陽:第29回(2005年)
- 徳山昌守:第31回(2007年) - 元ボクシング世界王者(初の格闘技選手パイロット)
- 宮根誠司:第32回(2008年)・第33回(2010年)- 自身が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』(讀賣テレビ)の美術スタッフが製作した機体で滑空機部門に出場。大木祥資がアドバイザーを務めた。
- 間寛平:第34・35回(2011 - 2012年)- 第34回の人力プロペラ機部門へ初出場。第35回では、吉本興業の創業100周年記念を兼ねて出場した「チーム吉本百周年」のパイロットとして、滑空機部門へ出場。
- 石井寛子・明珍裕子(いずれもガールズケイリン選手):第35回(2012年)- 人力飛行機ディスタンス部門に2人乗り飛行機で出場を続ける芝浦工大との合同チーム「芝浦工大+ガールズケイリン」のパイロットとして特別に参加。初参加ながら、女性パイロットとしては大会史上最長の飛行距離(840.90m)で同部門の3位に入った。
その他には、著名なレーシングカーデザイナーでもある由良拓也の子息もパイロットで参加している。また、第35回の「チーム吉本百周年」では、間の後輩に当たる漫才コンビ(ウーマンラッシュアワー、ジャルジャル、かまいたち、スマイル、天竺鼠、銀シャリ、藤崎マーケット、スーパーマラドーナ)が機体の製作に携わった。
関連商品 [編集]
- 鳥人間コンテスト30th ANNIVERSARY(DVDボックス) 2006年発売
- DVD3枚組および大会規定などを掲載のブックレット付属
2009年開催中止の余波 [編集]
読売テレビの広告収入の赤字及び設備投資による資金活用の見直しによって2009年の開催がキャンセルされてしまったが、正式なプレスリリース発表後にエントリーを予定していたチームや長年大会を応援してきたファンや視聴者から多数の問い合わせや応援の声、抗議などが読売テレビに寄せられた。中には寄付金を募るから開催して欲しいという声が寄せられた他、毎年参加して記録を更新しているチームがライバル同士という垣根を越えて連絡を取り合うといった事例が報告されている。これらの声に応える為、読売テレビ及び鳥人間コンテスト実行委員会は2010年の開催を決定した。
なお鳥人間コンテスト選手権大会は毎年、彦根市の夏期の一大イベントの1つとなっていることから彦根市では2009年の開催中止を受けて「バードマン・サマー2009」が開催され、鳥人間検定、大会の歴史をたどるパネル展示、紙飛行機づくり教室などの催しが行われた[10]。