ヤマハ発動機

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ヤマハ発動機株式会社
Yamaha Motor Co.,Ltd.
ヤマハ発動機のロゴ
YAMAHA-Hatsudoki.jpg
ヤマハ発動機本社(静岡県磐田市
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7272
略称 ヤマ発
ヤマハ発(銘柄略称)
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:438-8501
静岡県磐田市新貝2500
設立 1955年昭和30年)7月1日
業種 輸送用機器
事業内容 自動二輪車自動車エンジン船舶エンジンなど
代表者 柳弘之(代表取締役社長)
資本金 483億4200万円
発行済株式総数 3億4978万4784株
売上高 連結:1兆2076億7500万円
(2012年12月期)
営業利益 連結:185億9800万円
(2012年12月期)
純利益 連結:74億8900万円
(2012年12月期)
純資産 連結:3865億1500万円
(2013年9月30日現在)
総資産 連結:1兆592億3000万円
(2013年9月30日現在)
従業員数 連結:5万3958名
(2012年12月31日現在)
決算期 12月31日
主要株主 ヤマハ(株) 12.19%
ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー 9.66%
日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 3.58%
2012年12月31日現在)
関係する人物 長谷川武彦
外部リンク http://www.yamaha-motor.co.jp/
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ヤマハ発動機株式会社(ヤマハはつどうき、YAMAHA MOTOR CO., LTD. )は、静岡県磐田市に本社を置く、主にオートバイを中心とした輸送用機器を製造するメーカーである。

会社概要[編集]

飛行機プロペラなどの軍需生産のための製造設備の平和利用を目的とし、日本楽器製造(現ヤマハ)社内でのオートバイ生産を開始、1955年昭和30年)7月1日に日本楽器製造から分離されるかたちで、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも細部の違いがある。わかりやすいのは"M"の字で、真ん中の谷の部分がベースラインまで完全に下がっているのがヤマハ発動機、下げ切らず浮いているのがヤマハ(楽器)である。微妙な違いとしては、各文字のアルファベットの形が完全に左右対称なのがヤマハ発動機、ごく微妙に左右非対称なのがヤマハである。音叉マークは、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたのがヤマハ発動機、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているのがヤマハである。これにより、どちらが参入している分野か知らなくても、どちらの製品かを見分けることが可能である。

2005年度(平成17年度)の決算ではヤマハとの比較でヤマハ発動機の売上高が倍以上の数字となっている。こうした時価総額の関係およびヤマハが持分法適用会社としていることから、間接的買収の対象となりやすい状況にあった。このため2007年(平成19年)5月にヤマハがヤマハ発動機の株式を売却することにより、ヤマハの持分法適用対象から外れるとともに、ヤマハ発動機がヤマハの株式を5%取得することになり、2011年(平成23年)3月現在5.33%を保有し筆頭株主となっている。

一般によく知られているオートバイスクーターなどの自動二輪車部門だけでなく、ボート、船外機、漁船、ヨット、マリンジェットなどのマリン製品、スノーモビル、バギーなどのレジャービークル、電動自転車、電動スクーターなどのEV、産業ロボット、表面実装機などの産業機器、ヒロボーとの共同開発による農業用無線操縦ヘリコプター「RMAX」、さらには除雪機、発電機、プール設備など様々な製品を展開している。

自動車関連では、従来よりエンジン供給を行ってきたトヨタ自動車の他にも、販路をフォードグループへ拡大。フォード・PUMAなどに搭載された。2005年(平成17年)からヤマハ製のV8 4.4Lエンジンを搭載したボルボXC90が発売された。また、パフォーマンスダンパーと呼ばれる車体性能向上装置や相互連携ショックアブソーバシステムなどを開発している。自社ブランドによる自動車事業への参入も何度か検討され、1992年発表のOX99-11では実際に発売寸前まで事業が進められたこともある。2013年11月には試作車「MOTIV」の公開とともに自動車事業への参入の意向が改めて示された[1]

またヤマハ発動機サッカー部は、サッカーJリーグジュビロ磐田の母体となった(ジュビロ磐田の住所はヤマハ発動機株式会社本社住所に同じ)。

社員による人力飛行機チーム「チーム・エアロセプシー」が存在し、過去に『鳥人間コンテスト選手権大会』(読売テレビ)で彦根市から琵琶湖西岸まで到達する記録を残した。現在は鳥人間コンテストへの参加こそ行っていないがチーム自体は存続しており、2013年には人力飛行機による飛行距離の世界記録へ挑戦する予定がある[2]

また、2008年(平成20年)の中華人民共和国四川大地震における支援活動の功績により、2010年(平成22年)に紺綬褒章を授与されている[3]

沿革[編集]

主要な製品[編集]

主要製品のうち、汎用エンジン、発電機、レーシングカート、乗用ゴルフカートについては、関連企業のヤマハモーターパワープロダクツに生産・販売が移管されている。

モータースポーツ[編集]

二輪[編集]

1955年(昭和30年)に日本国内レースである富士登山レース浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝するなど、創業直後から積極的にモータースポーツに参加し成功を収めている。

二輪ロードレース競技においては他のメーカーと鎬を削る状態となっており、特にロードレース世界選手権ではドゥカティホンダと激しいトップ争いを繰り広げている。2004年からはホンダから移籍したバレンティーノ・ロッシがエースとなり、MotoGPクラスで2年連続シリーズチャンピオンとなっている。また2005年(平成17年)はMotoGPクラスにおいてライダー(ロッシ)、チーム(ゴロワーズ・ヤマハ)、コンストラクターの三冠を達成した。

またオフロードにおいても、ダカール・ラリー1990年代ステファン・ペテランセルを擁し幾度の優勝を遂げたが、ペテランセルの四輪転向後は目立った成績は挙げていない。

四輪[編集]

4輪モータースポーツにもエンジンコンストラクターとして参戦経験がある。

1985年(昭和60年)には全日本F2選手権V6エンジンのOX66で参戦した。吸気バルブ3本、排気バルブ2本を備えた5バルブシステムを採用する[4]1987年全日本F3000選手権にV8エンジンのOX77を投入したが、OX66に引き続いて5バルブを採用した(中身はコスワースDFVを5バルブ化したエンジンのため「コスワース・ヤマハ」と呼ばれた)。鈴木亜久里らがドライブするマシンに搭載されて活躍したが、1988年から全日本F3000で5バルブが禁止されることもあり[4]、その翌年の1989年(平成元年)からF1にもエンジン供給の形で参戦した(詳細は後述)。

レーシングカートについても、1974年(昭和49年)に「ヤマハSLカートクラブ」(現在のSLカートスポーツ機構)を設立して、マシン(フレーム)及びエンジンの供給・レース開催の両面で積極的に活動を行っている。なおカート関連業務については、現在は関連会社のヤマハモーターパワープロダクツが担当している。

F1[編集]

1989年(平成元年)にV8エンジンのOX88をザクスピードへ供給し、亜久里とともにF1に参入した。当初の予定では。コスワースDFRのシリンダーブロックを使用した5バルブエンジンを開発・供給する予定であったが、コスワースとの折り合いがつかず急遽エンジンを製造することになった[5]。そのためか、エンジンの信頼性に欠け予備予選通過もままならぬ有様で、一時撤退を余儀なくされる。

1990年(平成2年)は1年を丸々エンジン開発に充て、翌1991年(平成3年)にブラバムへ5バルブV12エンジンのOX99を供給し復活を果たす。その甲斐あって後半戦に2度の入賞を記録。

1992年(平成4年)はジョーダンへOX99を供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。またシーズン途中からジャッドと提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカーOX99-11を発表するものの、市販の実現には至らなかった。

1993年(平成5年)には開発済みだった新しいV12を諦め、ジャッドのV10エンジン(ジャッドGV)をベースにV10エンジンのOX10を開発、片山右京所属のティレルに供給した。エンジン回転数の増加に伴い、ニューマチックバルブを採用した[6]。シーズン当初はそれほどの成績が出せなかったが、1993年の最終スペックのGスペックでは他のワークスエンジンにも見劣りしない程になっていた。

1994年(平成6年)OX10を継続開発し、OX10Bとして投入。右京が予選5位を2回記録した上に、ドイツGPではマシントラブルで停止するまで2位を走行し、チームメイトのマーク・ブランデルスペインGPで3位表彰台を獲得、その他にも度々上位を走行するなどトップチームに肉薄する性能を発揮したが、シーズン後半にはエンジンのパフォーマンスアップを重視した為、エンジンの信頼性をやや落とす結果になった。最終スペックはKスペック。

1995年(平成7年)には、エンジンレギュレーションが3.5Lから3.0Lへ変更された事に合わせボア・ストロークともに見直したOX10Cを開発。シーズン序盤こそ度々快走を見せるが、他のエンジンに比べて絶対的なパワーが不足していた事とシャーシ側のパフォーマンス不足も合わせ満足行く戦績は残せなかった。

1996年(平成8年)には、当時のF1エンジンとしては革新的なサイズと重量のOX11Aを開発するも、剛性不足の為エンジンに捻れや揺れが発生し、エンジンのパワー不足と信頼性不足に悩み、思ったような成績が残せなかった要因となったが、それが判明したのはヤマハがF1活動を終了した後だった。

1997年(平成9年)にはアロウズにOX11Aを供給。ハンガリーGPではデイモン・ヒルの手によって、ラスト1周までトップを快走したが、2位に終わり初優勝はならなかった。アロウズ(当時代表であったトム・ウォーキンショウ)側は1998年に自身が買収したハートエンジンにヤマハのバッヂを付けて出場する事をヤマハ側に提案[7]するが、ヤマハ側はこれを拒否しアロウズとは決別。他の供給先を探すが、既に供給先に空きはなく、結局この年限りヤマハとしてのF1活動は終了した。

チーム シャシー 搭載エンジン 出走数 優勝回数 獲得ポイント
1989年 ザクスピード-ヤマハ ザクスピード・891 OX88 16 0 0
1991年 ブラバム-ヤマハ ブラバム・BT59Y
ブラバム・BT60Y
OX99 16 0 3
1992年 ジョーダン-ヤマハ ジョーダン・192 OX99 16 0 1
1993年 ティレル-ヤマハ ティレル・020C
ティレル・021
OX10A 16 0 0
1994年 ティレル-ヤマハ ティレル・022 OX10B 16 0 13
1995年 ティレル-ヤマハ ティレル・023 OX10C 17 0 5
1996年 ティレル-ヤマハ ティレル・024 OX11A 16 0 5
1997年 アロウズ-ヤマハ アロウズ・A18 OX11A 17 0 9

サーキット[編集]

1975年(昭和50年)、宮城県村田町にテストコースを建設した。これが現在の「スポーツランドSUGO」となっている。スーパーバイク世界選手権モトクロス世界選手権の開催実績があり、また全日本格式の選手権レースが開催されている。 1990年(平成2年)のF1休止中には、エンジンテスト[8]の舞台となった。

事件等[編集]

軍事転用可能な無人ヘリコプターの不正輸出事件[編集]

2005年(平成17年)12月に軍事転用可能な無人ヘリコプター「RMAX Type II G」の改良型「L181」を、中華人民共和国の航空写真撮影会社である「北京必威易創基科技有限公司 (BVE) 」に不正輸出しようとしたとして、外為法違反容疑でヤマハ発動機は2006年(平成18年)1月に刑事告発を受けた。2007年(平成19年)2月静岡県警福岡県警合同捜査本部は同容疑及び外国貿易法違反の容疑で同社スカイ事業部の社員3名を逮捕した。

また、BVE社はヤマハ発動機側に「人民解放軍が2、3年後までに同型の無人ヘリ約100機の購入を希望している」と伝えていたことが明らかとなっている。この購入の希望は、2004年(平成16年)6月に北京であった両社の商談中に打診された物で、出席したヤマハ発動機社員がメモとして残していた。BVE側は、輸入した無人ヘリを軍関係の他の会社を経由して人民解放軍に流す仕組みをヤマハ発動機側に明かしていた。

なお、警察の捜査の結果、BVE側とのメールのやりとりが削除されていることが明らかとなっている。違法性を認識していたヤマハ発動機側が証拠隠滅を図った可能性もあるとみて、容疑者を追及していたが、2007年(平成19年)3月17日付 読売新聞によれば、輸出が業務の一環だったことも考慮され、元執行役員ら3人については起訴猶予となった。また、違法行為が業務上のものであり、かつ、逮捕された社員に対する監督責任も認めていたため、法人としての同社は略式起訴された。

また、警察の捜査が行われる以前の2006年(平成18年)12月22日に、名古屋税関から「無許可の疑いがある輸出申告があった」との通報を受けた経済産業省もこの件について調査していたが、同日中に同事業部が提出した関係書類は納品書1枚だけで、要求した書類がそろうのに数日かかるなど、対応に不審な点が多かった。

関連会社[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ヤマハ発、自動車事業に参入 2人乗り試作車「MOTIV」を披露 - MSN産経ニュース・2013年11月20日
  2. ^ 日本チーム、人力飛行の世界記録に挑戦 - WIRED・2012年12月20日
  3. ^ 「紺綬褒章」受章のお知らせ ヤマハ発動機広報発表資料 2010年4月2日付
  4. ^ a b Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房2011年、p.115。ISBN 9784779612398
  5. ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房2011年、pp.115 - 116。ISBN 9784779612398
  6. ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房2011年、p.121。ISBN 9784779612398
  7. ^ ヤマハ製エンジンの供給は不要であるが、スポンサーとしてチーム運営資金の出資を要求した。
  8. ^ テストは、F3000のシャシーをF1レギュレーションに合わせてモディファイし、全日本F3000選手権に参戦する片山右京を起用して1年間継続された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]