ヤマハ発動機
| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 略称 | ヤマ発・ヤマハ発 | ||
| 本社所在地 | 〒438-8501 静岡県磐田市新貝2500 |
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| 設立 | 1955年(昭和30年)7月1日 | ||
| 業種 | 輸送用機器 | ||
| 事業内容 | 自動二輪車・自動車エンジン・船舶エンジンなど | ||
| 代表者 | 柳弘之(代表取締役社長) | ||
| 資本金 | 483億42百万円 | ||
| 売上高 | 連結:1兆1536億円 単独:4018億円 (2009年12月期) |
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| 純資産 | 連結:2492億円 単独:631億円 (2009年12月31日現在) |
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| 総資産 | 連結:9870億円 単独:4254億円 (2009年12月31日現在) |
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| 従業員数 | 連結:49,994名 単体:10,690名 (2009年12月31日現在) |
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| 決算期 | 12月31日 | ||
| 主要株主 | ヤマハ(株) 12.11% ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー 8.58% トヨタ自動車(株) 3.58% (2010年12月31日現在) |
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| 関係する人物 | 長谷川武彦 | ||
| 外部リンク | http://www.yamaha-motor.co.jp/ | ||
ヤマハ発動機株式会社(ヤマハはつどうき、YAMAHA MOTOR CO., LTD. )は、静岡県磐田市に本社を置く、主にオートバイを中心とした輸送用機器を製造するメーカーである。
目次 |
会社概要 [編集]
飛行機プロペラなどの軍需生産のための製造設備の平和利用を目的とし、日本楽器製造(現ヤマハ)社内でのオートバイ生産を開始、1955年(昭和30年)7月1日に日本楽器製造から分離される形で、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも2社で細部の違いがある。ロゴに使用されている各文字のアルファベットの形がおのおの左右非対称なのがヤマハ、左右対称なのがヤマハ発動機、また、"M"の真ん中の谷の部分が地面についていないものがヤマハ、地面についているものがヤマハ発動機である。音叉マークは、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているものがヤマハ、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたものがヤマハ発動機である。これにより、どちらの製品かを見分けることが可能である。
2005年度(平成17年度)の決算ではヤマハとの比較で売上高が倍以上の数字となっている。こうした時価総額の関係及びヤマハが持分法適用会社としていることから、間接的買収の対象となりやすい状況にあった。このため2007年(平成19年)5月にヤマハがヤマハ発動機の株式を売却することにより、ヤマハの持分法適用対象から外れるとともに、ヤマハ発動機がヤマハの株式を5%取得することになり、2011年(平成23年)3月現在5.33%を保有し筆頭株主となっている。
一般によく知られているオートバイ・スクーターなどの自動二輪車部門だけでなく、ボート、船外機、漁船、ヨット、マリンジェットなどのマリン製品、スノーモビル、バギーなどのレジャービークル、電動自転車、電動スクーターなどのEV、産業ロボット、表面実装機などの産業機器、ヒロボーとの共同開発による農業用無線操縦ヘリコプター「RMAX」、更には除雪機、発電機、プール設備など様々な製品を展開している。自動車用関連では、従来よりエンジン供給を行ってきたトヨタ自動車の他にも、販路をフォードグループへ拡大。フォード・PUMAなどに搭載された。2005年(平成17年)からヤマハ製のV8 4.4Lエンジンを搭載したボルボ・XC90が発売された。また、パフォーマンスダンパーと呼ばれる車体性能向上装置や相互連携ショックアブソーバシステムなどを開発している。
またヤマハ発動機サッカー部は、サッカーJリーグのジュビロ磐田の母体となった(ジュビロ磐田の住所はヤマハ発動機株式会社本社住所に同じ)。
社員による人力飛行機チーム「チーム・エアロセプシー」が存在し、過去に『鳥人間コンテスト選手権大会』(読売テレビ)で彦根市から琵琶湖西岸まで到達する記録を残した。現在は鳥人間コンテストへの参加こそ行っていないがチーム自体は存続しており、2013年には人力飛行機による飛行距離の世界記録へ挑戦する予定がある[1]。
また、2008年(平成20年)の中華人民共和国:四川大地震に於ける支援活動の功績により、2010年(平成22年)に紺綬褒章を授与されている[2]。
沿革 [編集]
- 1955年(昭和30年)1月 - 静岡県浜名郡浜北町(現浜松市浜北区)に日本楽器製造(現ヤマハ)浜北工場設立、二輪車「YA-1」(125cc)の生産を開始
- 1955年(昭和30年)7月1日 - ヤマハ発動機株式会社発足
- 1966年(昭和41年)2月 - トヨタ・2000GTへの技術供与
- 1972年(昭和47年)2月 - 静岡県磐田市に本社を移転
- 2000年(平成12年)3月 - トヨタ自動車との提携強化
主要な製品 [編集]
主要製品のうち、汎用エンジン、発電機、レーシングカート、乗用ゴルフカートについては、関連企業のヤマハモーターパワープロダクツに生産・販売が移管されている。
- オートバイ
- マリン製品(モーターボート・漁船・マリンエンジン・船外機・水上オートバイ(マリンジェット)・エンジン)
- スノーモビル
- バギー(ATV) / レーシングカート(KART)
- 汎用エンジン
- 電動乗用機類(カート・車椅子)
- 電動アシスト自転車 - 「PAS」(パス)(車体の開発はブリヂストンサイクルと共同で行っている)
- 発電機
- 産業用ロボット
- 表面実装機(クリームはんだ印刷機・ディスペンサ・チップマウンター)
- 産業用無人ヘリコプター(ヤンマーヘリサービスにもOEMとして供給している)
- ガスヒートポンプエアコン(GHP)(2000年にて製造を止め、市場撤退。主に親会社であるヤマハがピアノ等の楽器販売のルートの関係で学校関係への納入が多い。)
- プール(FRP製のプールを販売をしている。国内プールのシェアはトップ)
- 除雪機械 - 「スノーメイト」(「青い除雪機」として知られる)
- 浄水器
- 乗用ゴルフカート
製品 (オートバイ) [編集]
現行機種 [編集]
2008年9月より125cc以下の一般市販車は全て台湾山葉機車工業に生産が移管されている。また2011年より250cc以上の車両については日本国内専用モデルの開発を行なっていない[3]。
50cc以下(原付一種) [編集]50cc超125cc以下(原付二種) [編集]125cc超250cc以下 [編集]250cc超400cc以下 [編集]400cc超750cc以下 [編集]750cc超 [編集] |
電動スクーター(原付一種) [編集]
競技用車両 [編集]
逆輸入車 [編集]
日本国外生産車 [編集] |
過去のオートバイ車種 [編集]
コンセプトモデル [編集]
マリン製品 [編集]
ラインナップ [編集]
ボート、ヨット、船外機、和船、マリンジェット、マリンディーゼル、漁船・業務艇に分類される。 世界の生産数が不明であるため確定的ではないが、船外機の分野においておそらく同社は世界一のシェアを誇っている、多くの国では船外機のことを「ヤマハ」と言うくらい代名詞的存在である。
サービス [編集]
- ボート免許の取得・更新
- ボート免許(小型船舶操縦士)の取得や更新などをサポートする。
- マリンクラブ・シースタイル
- 全国約140箇所のホームマリーナでボートレンタルするための会員制マリンクラブ[4]。
- シースタイルLight
- ボート免許を取得している個人向けの「シースタイル」の後に、ボート免許を取得していない個人向けの「シースタイルLight」が加わった。
- シースタイル・マスター
- 2009年(平成21年)3月12日、サロンクルーザー『SC-30』を利用することができる「シースタイル・マスター」を導入し、募集開始した[5]。
- シースタイル・マリン塾
- 2009年(平成21年)3月12日、楽しみながらボーティングの知識や技術を学ぶことができる「シースタイル・マリン塾」を導入し、募集開始した[5]。
製品 (全地形対応車) [編集]
- 現行機種
- 過去の機種
製品 (スノーモビル) [編集]
- 現行機種
- RSVector SP
- RSVector Mountain SE
- RS Viking Professional
- PHAZER
- PHAZER Mountain Lite
- PHAZER M-TX
- VK Professional
- VK540III
- RX-1 Mountain SE
- RX-1 MT-X SE
- VT500XL
- Venture Multi-Purpose
- FX Nytro M-TX ER
- FX Nytro R-TX
- BR250T
- 過去の機種
モータースポーツ [編集]
二輪 [編集]
1955年(昭和30年)に日本国内レースである富士登山レースや浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝するなど、創業直後から積極的にモータースポーツに参加し成功を収めている。
二輪ロードレース競技においては他のメーカーと鎬を削る状態となっており、特にロードレース世界選手権ではドゥカティ、ホンダと激しいトップ争いを繰り広げている。2004年からはホンダから移籍したバレンティーノ・ロッシがエースとなり、MotoGPクラスで2年連続シリーズチャンピオンとなっている。また2005年(平成17年)はMotoGPクラスにおいてライダー(ロッシ)、チーム(ゴロワーズ・ヤマハ)、コンストラクターの三冠を達成した。
「ヤマハ・モーター・レーシング」も参照
またオフロードにおいても、ダカール・ラリーで1990年代にステファン・ペテランセルを擁し幾度の優勝を遂げたが、ペテランセルの四輪転向後は目立った成績は挙げていない。
四輪 [編集]
4輪モータースポーツにもエンジンコンストラクターとして参戦経験がある。
1985年(昭和60年)には全日本F2選手権にV6エンジンのOX66で参戦した。吸気バルブ3本、排気バルブ2本を備えた5バルブシステムを採用する[6]。1987年に全日本F3000選手権にV8エンジンのOX77を投入したが、OX66に引き続いて5バルブを採用した(中身はコスワースDFVを5バルブ化したエンジンのため「コスワース・ヤマハ」と呼ばれた)。鈴木亜久里らがドライブするマシンに搭載されて活躍したが、1988年から全日本F3000で5バルブが禁止されることもあり[6]、その翌年の1989年(平成元年)からF1にもエンジン供給の形で参戦した(詳細は後述)。
レーシングカートについても、1974年(昭和49年)に「ヤマハSLカートクラブ」(現在のSLカートスポーツ機構)を設立して、マシン(フレーム)及びエンジンの供給・レース開催の両面で積極的に活動を行っている。なおカート関連業務については、現在は関連会社のヤマハモーターパワープロダクツが担当している。
F1 [編集]
1989年(平成元年)にV8エンジンのOX88をザクスピードへ供給し、亜久里とともにF1に参入した。当初の予定では。コスワースDFRのシリンダーブロックを使用した5バルブエンジンを開発・供給する予定であったが、コスワースとの折り合いがつかず急遽エンジンを製造することになった[7]。そのためか、エンジンの信頼性に欠け予備予選通過もままならぬ有様で、一時撤退を余儀なくされる。
1990年(平成2年)は1年を丸々エンジン開発に充て、翌1991年(平成3年)にブラバムへ5バルブV12エンジンのOX99を供給し復活を果たす。その甲斐あって後半戦に2度の入賞を記録。
1992年(平成4年)はジョーダンへOX99を供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。またシーズン途中からジャッドと提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカー、OX99-11を発表するものの、市販の実現には至らなかった。
1993年(平成5年)には開発済みだった新しいV12を諦め、ジャッドのV10エンジン(ジャッドGV)をベースにV10エンジンのOX10を開発、片山右京所属のティレルに供給した。エンジン回転数の増加に伴い、ニューマチックバルブを採用した[8]。シーズン当初はそれほどの成績が出せなかったが、1993年の最終スペックのGスペックでは他のワークスエンジンにも見劣りしない程になっていた。
1994年(平成6年)OX10を継続開発し、OX10Bとして投入。右京が予選5位を2回記録した上に、ドイツGPではマシントラブルで停止するまで2位を走行し、チームメイトのマーク・ブランデルもスペインGPで3位表彰台を獲得、その他にも度々上位を走行するなどトップチームに肉薄する性能を発揮したが、シーズン後半にはエンジンのパフォーマンスアップを重視した為、エンジンの信頼性をやや落とす結果になった。最終スペックはKスペック。
1995年(平成7年)には、エンジンレギュレーションが3.5Lから3.0Lへ変更された事に合わせボア・ストロークともに見直したOX10Cを開発。シーズン序盤こそ度々快走を見せるが、他のエンジンに比べて絶対的なパワーが不足していた事とシャーシ側のパフォーマンス不足も合わせ満足行く戦跡は残せなかった。
1996年(平成8年)には、当時のF1エンジンとしては革新的なサイズと重量のOX11Aを開発するも、剛性不足の為エンジンに捻れや揺れが発生し、エンジンのパワー不足と信頼性不足に悩み、思ったような成績が残せなかった要因となったが、それが判明したのはヤマハがF1活動を終了した後だった。
1997年(平成9年)にはアロウズにOX11Aを供給。ハンガリーGPではデイモン・ヒルの手によって、ラスト1周までトップを快走したが、2位に終わり初優勝はならなかった。アロウズ(当時代表であったトム・ウォーキンショウ)側は1998年に自身が買収したハートエンジンにヤマハのバッヂを付けて出場する事をヤマハ側に提案[9]するが、ヤマハ側はこれを拒否しアロウズとは決別。他の供給先を探すが、既に供給先に空きはなく、結局この年限りヤマハとしてのF1活動は終了した。
| 年 | チーム | シャシー | 搭載エンジン | 出走数 | 優勝回数 | 獲得ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989年 | ザクスピード-ヤマハ | ザクスピード・891 | OX88 | 16 | 0 | 0 |
| 1991年 | ブラバム-ヤマハ | ブラバム・BT59Y ブラバム・BT60Y |
OX99 | 16 | 0 | 3 |
| 1992年 | ジョーダン-ヤマハ | ジョーダン・192 | OX99 | 16 | 0 | 1 |
| 1993年 | ティレル-ヤマハ | ティレル・020C ティレル・021 |
OX10A | 16 | 0 | 0 |
| 1994年 | ティレル-ヤマハ | ティレル・022 | OX10B | 16 | 0 | 13 |
| 1995年 | ティレル-ヤマハ | ティレル・023 | OX10C | 17 | 0 | 5 |
| 1996年 | ティレル-ヤマハ | ティレル・024 | OX11A | 16 | 0 | 5 |
| 1997年 | アロウズ-ヤマハ | アロウズ・A18 | OX11A | 17 | 0 | 9 |
サーキット [編集]
1975年(昭和50年)、宮城県村田町にテストコースを建設した。これが現在の「スポーツランドSUGO」となっている。スーパーバイク世界選手権やモトクロス世界選手権の開催実績があり、また全日本格式の選手権レースが開催されている。 1990年(平成2年)のF1休止中には、エンジンテスト[10]の舞台となった。
事件等 [編集]
軍事転用可能な無人ヘリコプターの不正輸出事件 [編集]
2005年(平成17年)12月に軍事転用可能な無人ヘリコプター「RMAX Type II G」の改良型「L181」を、中華人民共和国の航空写真撮影会社である「北京必威易創基科技有限公司 (BVE) 」に不正輸出しようとしたとして、外為法違反容疑でヤマハ発動機は2006年(平成18年)1月に刑事告発を受けた。2007年(平成19年)2月、静岡県警・福岡県警合同捜査本部は同容疑及び外国貿易法違反の容疑で同社スカイ事業部の社員3名を逮捕した。
また、BVE社はヤマハ発動機側に「人民解放軍が2、3年後までに同型の無人ヘリ約100機の購入を希望している」と伝えていたことが明らかとなっている。この購入の希望は、2004年(平成16年)6月に北京であった両社の商談中に打診された物で、出席したヤマハ発動機社員がメモとして残していた。BVE側は、輸入した無人ヘリを軍関係の他の会社を経由して人民解放軍に流す仕組みをヤマハ発動機側に明かしていた。
なお、警察の捜査の結果、BVE側とのメールのやりとりが削除されていることが明らかとなっている。違法性を認識していたヤマハ発動機側が証拠隠滅を図った可能性もあるとみて、容疑者を追及していたが、2007年(平成19年)3月17日付 読売新聞によれば、輸出が業務の一環だったことも考慮され、元執行役員ら3人については起訴猶予となった。また、違法行為が業務上のものであり、かつ、逮捕された社員に対する監督責任も認めていたため、法人としての同社は略式起訴された。
また、警察の捜査が行われる以前の2006年(平成18年)12月22日に、名古屋税関から「無許可の疑いがある輸出申告があった」との通報を受けた経済産業省もこの件について調査していたが、同日中に同事業部が提出した関係書類は納品書1枚だけで、要求した書類がそろうのに数日かかるなど、対応に不審な点が多かった。
関連会社 [編集]
- アイパルス株式会社(浜松市北区)
- あまがさき健康の森株式会社(神戸市兵庫区)
- 泉佐野ウォーターフロント株式会社(泉佐野市)
- 株式会社エルム・デザイン(渋谷区)
- 小名浜マリーナ株式会社(いわき市)
- サクラ工業株式会社(浜松市東区)
- 株式会社サンワード(湖西市)
- 株式会社ジェイ・オー・ビー(大津市)
- 株式会社菅生(柴田郡村田町)
- 株式会社銚子マリーナ(銚子市)
- 株式会社ティー・シー(磐田市)
- 東洋精器株式会社(浜松市浜北区)
- 西日本スカイテック株式会社(福岡市博多区)
- 浜北工業株式会社(浜松市浜北区)
- 株式会社葉山マリーナー(三浦郡葉山町)
- 株式会社ファインキャテック(磐田市)
- ベスク株式会社(磐田市)
- 株式会社マリーナ秋田(秋田市)
- 株式会社マリコム東海(湖西市)
- 株式会社マリンウェーブ小樽(小樽市)
- 三笠運輸株式会社(掛川市)
- 株式会社メルコ(磐田市)
- ヤマキ船舶化工株式会社(二海郡八雲町)
- ヤマハ株式会社(浜松市中区)
- ヤマハ天草製造株式会社(上天草市)
- ヤマハ熊本プロダクツ株式会社(八代市)
- ヤマハスカイテック株式会社(磐田市)
- 株式会社ヤマハトラベルサービス(浜松市中区)
- ヤマハ発動機販売株式会社(港区)
- ヤマハ発動機マネジメントサービス株式会社(磐田市)
- 株式会社ヤマハフットボールクラブ(磐田市)
- ヤマハボーティングシステム株式会社(横浜市金沢区)
- ヤマハモーターアシスト株式会社(磐田市)
- ヤマハモーターエレクトロニクス株式会社(周智郡森町)
- ヤマハモーターエンジニアリング株式会社(磐田市)
- ヤマハモーターソリューション株式会社(磐田市)
- ヤマハモーターパワープロダクツ株式会社(掛川市)
- 横浜ベイサイドマリーナ株式会社(横浜市金沢区)
- ヤマハモーターサポート&サービス株式会社(磐田市)
- 株式会社ワイズギア(浜松市南区)
- 公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団
脚注 [編集]
- ^ 日本チーム、人力飛行の世界記録に挑戦 - WIRED・2012年12月20日
- ^ 「紺綬褒章」受章のお知らせ ヤマハ発動機広報発表資料 2010年4月2日付
- ^ ヤマハ発、国内専用250cc以上の二輪開発中止 - 読売新聞2011年8月27日
- ^ マリンクラブ・シースタイル ヤマハ発動機株式会社
- ^ a b “ヤマハ、会員制マリンクラブにサロンクルーザーも利用できるプログラム | Response.”. 株式会社アイ・アール・アイ コマース アンド テクノロジー. (2009年3月12日)
- ^ a b 『Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房、2011年、p.115。ISBN 9784779612398。
- ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房、2011年、pp.115 - 116。ISBN 9784779612398。
- ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』 三栄書房、2011年、p.121。ISBN 9784779612398。
- ^ ヤマハ製エンジンの供給は不要であるが、スポンサーとしてチーム運営資金の出資を要求した。
- ^ テストは、F3000のシャシーをF1レギュレーションに合わせてモディファイし、全日本F3000選手権に参戦する片山右京を起用して1年間継続された。
関連項目 [編集]
- ジュビロ磐田 (前身がヤマハ発動機のサッカー部。Jリーグ1部のチーム(2010年現在)。ヤマハ発動機系だが同社の母体であるヤマハも出資。)
- ヤマハ発動機ジュビロ (ヤマハ発動機のラグビー部。トップリーグのチーム(2010年現在)。)
- ヤマハ・モーター・レーシング ロードレース世界選手権でワークス・チームを運営するイタリアの子会社。
- ヤマハコース (袋井テストコース)
- ヤマハ・コミュニケーションプラザ (企業ミュージアム)
- ヤマハテクニカルセンター(自動二輪車専門の自動車教習所)
- ヤマハスポーツプラザ (正規代理店)
- YOU SHOP(正規代理店)
- ヤマハモーターアシスト(ヤマハ発動機100%出資の人材派遣会社)
- ヤンマー舶用システム(ヤンマーホールディングスグループの一社。ごく一部ではあるが船体を共同開発している。)
- レッドバロン(かつての子会社。資本独立の際にストアブランドを社名に使用。)