モーニングショー
| モーニングショー | |
|---|---|
| ジャンル | ワイドショー番組 |
| 放送時間 | 平日 8:30 - 9:30(60分) |
| 放送期間 | 1964年4月1日 - 1993年4月2日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | NETテレビ→テレビ朝日 |
| 出演者 | 木島則夫 長谷川肇 奈良和 竹中陽一 溝口泰男 江森陽弘 美里美寿々(現:田丸) 武見敬三 内田忠男 渡辺宜嗣 ほか |
『モーニングショー』(英称:Morning Show)は、1964年4月1日から1993年4月2日まで、テレビ朝日(1977年3月31日まで旧称:NETテレビ)系列他で生放送されていた日本で最初のワイドショー番組。29年に渡って放送された。
目次 |
[編集] 概要
1962年、一社提供番組の広告戦略を計画していた日本ヴィックスが博報堂を通じてNETと毎日放送に構想を持ちかけた。これにNETの浅田孝彦が交渉を行う。司会者の人選はまず最有力候補として挙がった高橋圭三に依頼するもスケジュールの都合で断られる。結果、浅田が推した木島則夫が司会者として選ばれる。[1]番組の基本構想はアメリカの朝のニュース番組『トゥデイ』を踏襲したもので、事件・芸能ニュース・「人間蒸発」などの企画やインタビュー、歌手の生演奏などを織り込んだ[1]。
放送時刻は開始から終了まで一貫して平日の8:30 - 9:30(JST)だった。朝の奥さま向けワイドショーの草分け的存在で、テレビ黎明期の民放テレビ局が1〜2局しかない地域、一部を除くクロスネット局、テレビ朝日系列局がない地域でもネットされていた。また、テレビ朝日系列の新局に当番組の放映権が移行した後もテレビ朝日系列の新局の受信環境が未整備などの理由で1地域2局同時放送を実施していた地域もあった(後述)。
また1992年までは、平日正午枠同様に正月三が日の放送も行っていた[2]。
[編集] 歴史
[編集] 初期・中期
1964年4月1日の初回放送はNET、北日本放送、中部日本放送、毎日放送、九州朝日放送の5局でスタートした。翌週の月曜日(4月6日)から中国放送でもネット開始され、暫くは6局ネットを継続し、徐々に放送地域を拡大していき、次第に足の長い番組へと成長していった。
放送開始時に中京広域圏のネット局が本来の系列局である名古屋テレビではなく、TBS系列局である中部日本放送で放送が開始されたのは、中部日本放送が本番組を教育番組とみなしたためであったが、開始半年後の1964年10月1日に名古屋テレビに放映権が移行している。
日本初のワイドショーとして華々しいスタートを切った当番組だったが、1965年にフジテレビ『小川宏ショー』がスタートして暫くすると視聴率が低下、木島は疲労を理由に降板。2代目の長谷川肇の起用もわずか1年で降板し、3代目の奈良和でいくらか巻き返しを図るが、4代目の竹中陽一は「しゃべらない司会者」として短期間で降板するなど、再び迷走。5代目の溝口泰男が再度巻き返しを図り、1982年3月には『小川宏ショー』を打ち切りに追い込んだ。
1975年3月31日からは、腸捻転解消により、近畿広域圏での放送局が毎日放送から朝日放送へ変更された。
長谷川肇時代から溝口泰男時代までは一般視聴者(主に主婦)にも開放し、司会者の立ち位置(または司会者席)の後ろが観客席となっていた。なお、「アフタヌーンショー」の桂小金治時代にもこのパターンがあった。
70年代後半には青少年の自殺などが社会問題化していたことを受けて、当時教育、心理などの分野で活躍していた坂東義教による「子育て講座」も織り込まれるなど、人気コーナーもあったが、坂東は著書「坂東先生の教育講座」を執筆直後の1978年11月に急逝し、コーナーも自然消滅となった。
1979年4月には、同年3月まで香川県のみを放送エリアにしていた瀬戸内海放送が岡山・香川の電波相互乗り入れに伴い岡山県[3]での放送を開始し47全都道府県での放送となった。しかし同年12月に、当時日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局だったテレビ岩手が当番組を打ち切ったことで[4]、1980年1月1日からは9か月ぶりに47全都道府県での放送ではなくなった。
1981年4月には当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局である新潟総合テレビが、新潟放送から移行を受ける形でメイン系列の番組である『小川宏ショー』を打ち切って当番組のネットを開始した(1983年10月の新潟テレビ21開局まで)[5]。
1983年4月には、メイン司会が溝口泰男(サブ、メインを含め14年間出演。歴代の最長寿レギュラー)から、江森陽弘へバトンタッチした。しかし、江森がメイン司会に就任した2年半後の1985年10月には『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」が発覚し、本番組も「やらせリンチ事件」が引き金となって1979年から1984年にかけてスタートした日本テレビ『ルックルックこんにちは』、フジテレビ『おはよう!ナイスデイ』、TBS『モーニングEye』が巻き返しを図り、徐々に凋落傾向へと向かっていく。
[編集] 後期・終了とその後
番組の本格的な凋落は1986年10月にメイン司会が美里美寿々[6]に替わると同時に始まった。『アフタヌーンショー』打ち切りを受けて開始した『なうNOWスタジオ』と棲み分けを図るべく硬派路線に舵を切ったが、芸能情報を扱わない番組内容が不評となり、視聴率で苦しむこととなる[7]。1987年1月には、サブ司会をわずか3ヶ月で高井正憲(当時テレビ朝日アナウンサー)から寺崎貴司に交代した。
1987年10月には、メイン司会が美里美寿々から武見敬三に交代したものの美里時代と状況は変わらず、前述の裏番組に視聴率で差を広げられてしまい、本番組も『アフタヌーンショー』打ち切り以降低迷していた平日正午枠同様に三たび迷走が続くことになり、テレビ朝日系ワイドショー全体が低迷してしまうことになる。。この事態を受けて、武見にメイン司会が交代した半年後の1988年4月にはテレビ朝日制作ワイドショーを本番組に集約したり、同年10月にはわずか1年で内田忠男がメイン司会に交代すると同時に芸能情報の復活や、1980年4月から1986年9月までサブ司会を務めていた八波一起をサブ司会に復帰させるなどのテコ入れを図る。
1989年4月には鳥取県・島根県の民放局である日本海テレビと山陰放送が実施していた当番組並びにテレビ朝日系平日正午枠の1地域2局同時放送が問題となり鳥取県の地元紙に取り上げられてしまう[8]。これを受けて日本海テレビは同年9月29日限りを以って本番組を打ち切り、同年10月1日にANNを脱退しNNSマストバイ局に変更した。同時に同年10月2日以降の当番組の鳥取県・島根県におけるネット局は山陰放送に一本化された[9]。これにより1地域2局同時放送の地域はなくなった。この時期になるとテレビ朝日系新局開局による本番組の放映権移行で、放映権移行が行われた地域では旧ネット局の番組である『ルックルックこんにちは』・『モーニングEye』に苦戦するようになる。
1991年4月のリニューアルでは、当初はメイン司会を内田から、当時テレビ朝日と専属契約を結び、昼の番組『ホットライン110番』に出演していた小島一慶がメイン司会者に登用して立て直しを図ろうとしたが、当時小島が不倫騒動を起こしたため、この影響を与えられたテレビ朝日側は、その登用予定を急遽中止した上で『ホットライン110番』終了と同時に小島との専属契約を解除し、渡辺宜嗣アナウンサーに急遽変更された。同時にサブ司会が篠田潤子(当時テレビ朝日アナウンサー)からロザンナにバトンタッチした。
それでも『ルックルックこんにちは』、『おはよう!ナイスデイ』、『モーニングEye』には視聴率で勝てず、長年続けてきた正月三が日の放送も日本テレビ『新春スポーツスペシャル箱根駅伝』や、日本テレビ・フジテレビの元日特番に視聴率で敗れるようになったため、1992年を以って正月三が日の放送を終了した。さらに1992年9月の朝日放送『素敵にドキュメント』のやらせ発覚によるテレビ朝日系列の更なる信頼失墜もとどめを刺す形となり、1993年4月2日に番組は終了、29年間の歴史に幕を閉じた。同年4月5日からの当該枠は放送開始時間を8:00に前倒しし、9:55まで放送時間を拡大した『スーパーモーニング』となった。
また、テレビ朝日系列では『モーニングショー』終了と同時に平日並びに土曜日のワイドショーの改編を実施し、これに伴い『海江田万里のパワフルサタデー』が本番組終了の6日前に終了した他、平日正午枠のテレビ朝日系列外局への時差ネットも当番組終了と同日に終了した『人間探検!もっと知りたい!!』終了と同時に廃止されたと同時に、テレビ朝日系列外局で放送されるテレビ朝日制作ワイドショーは『スーパーモーニング』のみとなった。
タレントの宮尾すすむがリポーターを務めた『宮尾すすむのああ日本の社長』[10]は『スーパーモーニング』になってから暫くの間も続いたが、1999年8月をもって終了した。また、『スーパーモーニング』の放送地域は開始から1996年9月30日までは、テレビ朝日系新局開局による放映権移行はあったものの、当番組の1980年1月1日以降と同じく岩手県を除く46都道府県で放送されていたが、同年10月1日に岩手朝日テレビ開局に伴い47全都道府県の放送になった。
しかしながら、2009年3月27日には当該枠をネットしているTBS系ネット局では最後まで残った山陰放送と宮崎放送が『スーパーモーニング』のネットを打ち切り、本来の系列の番組である『はなまるマーケット』に切り替えたのに伴い、放送地域が再度47全都道府県ではなくなり『はなまるマーケット』と同じく44都道府県での放送となる同時に当該枠をネットしているTBS系列でのネット局はなくなった。さらに2011年4月1日には『スーパーモーニング』も終了することになり、当番組を初回からネットし、47年間にわたって当該枠をネットしてきた日本テレビ系列の北日本放送と、本番組から当該枠をネットしてきた四国放送が『スーパーモーニング』終了前日である2011年3月31日を以って当該枠のネットを打ち切り、本来の系列の番組である『スッキリ!!』の同時ネットに切り替えた。
これにより、同年4月1日以降は当番組初回から当該枠をネットする局はテレビ朝日と九州朝日放送の2局のみとなり、系列外の放送局も山梨放送・福井放送・高知放送の3局となった。またネット局は27局に、放送地域も富山・鳥取・島根・徳島・宮崎の5県を除く42都道府県となり、当番組→『スーパーモーニング』と長年ネット局と放送地域数で最大を誇っていた同じ時間帯におけるネット局最大の番組が『はなまるマーケット』(TBS)と『とくダネ!』(フジテレビ)の28局タイに、放送地域数最大の番組も『はなまるマーケット』の44都道府県に明け渡すことになった。
2011年4月4日からは『情報満載ライブショー モーニングバード!』が放送されている。
[編集] 歴代司会者
○印はNET→テレビ朝日所属のアナウンサー。ただし、一部の人物は当時。
| 期間 | メイン | サブ | ||
|---|---|---|---|---|
| 1964.4.1 | 1968.3.29 | 木島則夫 | 栗原玲児1 | 井上加寿子○ |
| 1968.4.1 | 1969.3.31 | 長谷川肇 | ばばこういち | 下重暁子 |
| 1969.4.1 | 1976.10.15 | 奈良和○ | 溝口泰男 | 鈴木弘子2 ↓ 菊池敏恵 ↓ 若林善子 ↓ 渡辺直子 |
| 1976.10.18 | 1976.12 | 竹中陽一3 | ||
| 1977.1 | 1977.4.29 | 溝口泰男、渡辺直子 ほか4 | ||
| 1977.5.2 | 1980.3 | 溝口泰男 | 渡辺直子 | |
| 1980.4 | 1983.3.31 | 柴田美保子 | 八波一起 | |
| 1983.4.1 | 1986.9.30 | 江森陽弘5 | ||
| 1986.10.1 | 1986.12 | 美里美寿々6 | 高井正憲○ | |
| 1987.1 | 1987.10.2 | 寺崎貴司○ | ||
| 1987.10.5 | 1988.10.7 | 武見敬三 | 飯干恵子7 | 藤井暁○ |
| 1988.10.10 | 1990.3 | 内田忠男 | 八波一起 | |
| 1990.4 | 1991.3.29 | 篠田潤子○ | 八波一起 | |
| 1991.4.1 | 1993.4.2 | 渡辺宜嗣○ | ロザンナ | |
[編集] 備考
- タイトルとしては初代 - 6代目、及び9代目の内田については、司会者の名前を被せた冠番組『○○モーニングショー』としていた(例:木島則夫モーニングショー、木島モーニングショー)。
- 10代目の司会者を務めた渡辺(宜)は、『スーパーモーニング』でも司会を担当した(2002年10月から2007年3月まで)。
- 最後のサブ司会者であった八波は本番組終了後、東日本放送の『TVイーハトーブ』の総合司会に起用された。
[編集] ネット局
系列はネット終了当時のもの。太字は後継番組『スーパーモーニング』もネットしていた局。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 | 2局同時放送 |
|---|---|---|---|---|
| 関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 1977年3月31日までNETテレビ |
- |
| 北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 北海道テレビ開局後も1969年3月までネット継続 | |
| 北海道テレビ | テレビ朝日系列 | 1969年3月31日から | ||
| 青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1966年1月から、1971年3月打ち切り 1975年3月31日から1991年9月まで 1975年4月からクロスネット局 |
1969年12月 - 1971年3月 |
| 青森テレビ | NETテレビ系列 TBS系列 |
1969年12月開局から1975年3月28日まで 1971年4月から青森テレビ単独で放送 |
||
| 青森朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1991年10月開局から | - | |
| 岩手県 | 岩手放送 | TBS系列 | 現:IBC岩手放送、1969年11月まで | |
| テレビ岩手 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1969年12月開局から、1979年12月打ち切り[4] | ||
| 宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1965年3月まで | |
| 東北放送 | TBS系列 | 1965年4月から1970年9月まで 『おはよう・にっぽん』(TBS)を同時ネットしていた1968年9月までは録画時差ネットで放送 |
||
| ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 | 1970年10月開局から、1975年12月打ち切り 1975年9月まではNETテレビ系列とのクロスネット局 |
1975年10月 - 12月 | |
| 東日本放送 | テレビ朝日系列 | 1975年10月開局から 1976年1月から東日本放送単独で放送 |
||
| 秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 1992年9月まで | - |
| 秋田朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1992年10月開局から[11] | ||
| 山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1993年3月31日まで 1980年4月からクロスネット局 |
|
| 山形テレビ | テレビ朝日系列 | 1993年4月のフジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジから 1993年4月1日・2日のみ放送[12] |
||
| 福島県 | 福島テレビ | 日本テレビ系列 | 1970年1月打ち切り | |
| 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年4月から1981年9月まで 1971年9月まではフジテレビ系列・NETテレビ系列とのクロスネット局 |
||
| 福島放送 | テレビ朝日系列 | 1981年10月開局から | ||
| 山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | ||
| 新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | 1968年9月から1981年3月まで[13] | |
| 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年4月から1983年9月まで[14] | ||
| 新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | 1983年10月開局から | ||
| 長野県 | 信越放送 | TBS系列 | 1965年から1980年9月まで | |
| テレビ信州 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1980年10月開局から1991年3月まで | ||
| 長野朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1991年4月開局から | ||
| 静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | 1965年7月から1978年9月まで | |
| 静岡けんみんテレビ | テレビ朝日系列 | 現:静岡朝日テレビ、1978年10月から 1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 |
||
| 富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 初回から放送 | |
| 石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 1965年から1991年9月まで | |
| 北陸朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1991年10月開局から | ||
| 福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1966年から 1989年4月からクロスネット局 |
|
| 中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 初回から1964年9月まで | |
| 名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 1964年10月から 1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 |
||
| 近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 初回から1975年3月28日まで | |
| 朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1975年3月31日から、腸捻転解消に伴う移行 | ||
| 鳥取県 →鳥取県 ・島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1966年1月5日から、1989年9月29日打ち切り[9] | 1972年9月 - 1989年9月 |
| 島根県 →島根県 ・鳥取県 |
山陰放送 | TBS系列 | 1966年4月4日から 1989年10月2日から山陰放送単独で放送 |
|
| 広島県 | 中国放送 | 1964年4月6日から、1971年3月打ち切り | 1970年12月 - 1971年3月 | |
| 広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | 1970年12月開局から 1971年4月から広島ホームテレビ単独で放送 |
||
| 山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1966年4月4日から 1978年10月からクロスネット局 |
- |
| 徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | ||
| 香川県 | 西日本放送 | 1971年3月まで[15] | ||
| 香川県 →香川県 岡山県 |
瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 1971年4月から、当初は香川県のみ放送 1979年4月2日から相互乗り入れに伴い岡山県でも放送[15] |
|
| 愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 1965年11月から | |
| 高知県 | 高知放送 | |||
| 福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | 初回から放送 1964年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 |
|
| 長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 1990年3月まで | |
| 長崎文化放送 | テレビ朝日系列 | 1990年4月開局から | ||
| 熊本県 | 熊本放送 | TBS系列 | 1989年9月まで | |
| 熊本朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1989年10月開局から | ||
| 大分県 | 大分放送 | TBS系列 | 1968年9月から | |
| 宮崎県 | 宮崎放送 | 1966年から | ||
| 鹿児島県 | 南日本放送 | 1982年9月まで | ||
| 鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 1982年10月開局から | ||
| 沖縄県 | 琉球放送 | TBS系列 | 1968年12月から |
[編集] 備考
- オープニングでは上記のネット局の紹介テロップ(HTB〜RBC)とスポンサーテロップ[16]が流れていたが、1980年代後半からはテレビ朝日系新局開局に伴う当番組の相次ぐ放映権移行でネット局の紹介テロップを半年から1年で更新していたため、放映権移行を受けたテレビ朝日系新局が開局した初日の放送で前日までのネット局の紹介テロップが流れてしまうという放送事故もあった[11]。
- エンディングは『モーニングショー 終』という白テロップを表示されたあと、『制作著作 NET』(後に『制作著作 テレビ朝日』)という白テロップが映し出される。
- 沖縄・宮古島の宮古テレビと石垣島の石垣ケーブルテレビでも、一時期のみであるが時差ネットしたことがあった(RBCが当時宮古・八重山地方で放送されていないため。2局ともに、ネット局の紹介テロップには表示せず)。
- テレビ朝日系新局開局などに伴う当番組の放映権移行が行われる地域があった時には、放映権移行前日の放送で司会が「明日(来週の月曜)からは○○(移行先の放送局)でお楽しみください」と番組のエンディングで挨拶していた。
- 2006年5月8日、神奈川県平塚市の5遺体が発見された事件で逮捕された容疑者が過去[17]この番組の取材にこたえていた。この映像は『スーパーモーニング』などで放送された。
- 1975年以降、近畿広域圏ではABCが毎年8月に全国高校野球選手権大会中継をするため、大会序盤(おおむね1〜2回戦、6日目くらいまで)は本番組を優先して放送されたものの、開会式(ただし他の地域では入場行進が本番組の中で放送)ならびに3回戦から準々決勝の間の4試合日には休止されることが多かった。これは1985年からの近畿広域圏における独立UHF局とのリレー中継開始により休止は開会式と準々決勝だけとなる。なお1975年3月28日までのMBSで選抜高等学校野球大会を中継した際は開会式当日のみの休止だった。(まれに4試合日で休止のときもあり)
- 2009年2月1日にテレビ朝日開局50周年記念特番の一環として放送された「“ニュースの記憶”〜あの頃あの時あなたは…報道50年映像全史〜」で1964年の「木島則夫モーニングショー」時代の番組セット(日付ボードの挿入にも対応)が完全復刻する形で再現された。又、同特番では、歴代の司会者の顔ぶれも放送された。
- 2009年11月11日にユニバーサルミュージックよりリリースされた「ブロードキャスト・トラックス テレビ朝日編」に「木島則夫モーニングショーのテーマ」とあるが、実際に収録されているのは「奈良和〜」から「江森陽弘〜」まで使われたテーマ曲である。
[編集] 脚注・出典
- ^ a b 『ニュース・ショーに賭ける』浅田孝彦著
- ^ ただし、番組最後の年となった1993年は正月三が日の放送は実施されなかった。
- ^ ただし相互乗り入れ前から岡山県では隣接局での視聴が可能であった。
- ^ a b テレビ岩手では『モーニングショー』の打ち切り後は、それまで時差ネットで放送されていた『ルックルックこんにちは』が日本テレビとの同時ネットに切り替えられた他、TBS系列局であるIBC岩手放送にも当番組の再移行は行われず、1980年3月までフジテレビ系『小川宏ショー』を放送したのち、同年4月からはTBS系列の番組である『モーニングジャンボ奥さま8時半です』の同時ネットに切り替えた。移行されなかった理由についてはこちらを参照。ちなみにTVIが日本テレビ系マストバイ局になったのは1980年4月1日である。
- ^ クロスネット局におけるメイン系列の番組の同時ネットからサブ系列の番組(当番組)の同時ネットへ切り替えた唯一の例である。
- ^ 当番組のメイン司会に就任するとともにテレビ朝日との専属契約を結んだ(1994年9月まで)。また、1982年4月から1983年3月までは裏番組である『おはよう!ナイスデイ』の司会を担当した。
- ^ テレビ朝日寺崎貴司プロフィールページ - 寺崎は1987年1月から1987年10月までサブ司会を務めた。
- ^ 1972年9月22日の電波乗り入れ後の当番組の実質的な裏番組は『小川宏ショー』→『おはよう!ナイスデイ』(山陰中央テレビで放送)のみであった。詳しいことはこちらを参照。
- ^ a b NKTでは『モーニングショー』打ち切り後は『朝の連続ドラマ』と『ルックルックこんにちは』のよみうりテレビとの同時ネットに切り替えた。
- ^ 毎週水曜日のコーナー、宮尾が日本各地の会社の社長・会長に密着リポートする長寿コーナー。
- ^ a b 1992年10月1日のAAB開局当日の放送では、前日まで秋田県のネット局だったABSのテロップがそのまま流れてしまい、司会の渡辺宜嗣アナが謝罪する羽目になった。ABSにおける1992年10月1日以降の当該枠は『ルックルックこんにちは』の日本テレビとの同時ネット。
- ^ フジテレビ系列だった1993年3月31日までは『おはよう!ナイスデイ』をネットしていた。YTSでは同年3月31日の新聞のラテ欄に『ナイスデイ』(終)と掲載されたのに続いて、『ナイスデイ』打ち切りの2日後である、当番組最終回当日の新聞のラテ欄に『モーニングショー』(終)と掲載されるという事態となった(『笑っていいとも!』→『人間探検!もっと知りたい!!』も同様)。なお『ナイスデイ』を含むフジテレビ系の同時ネット番組は、4年後の1997年4月1日のさくらんぼテレビ開局に伴い放送を再開した。
- ^ それまではTBSから『おはよう・にっぽん』をネット受けしていた。
- ^ フジテレビ系の『小川宏ショー』を打ち切って、『モーニングショー』に切り替えた。
- ^ a b RNCは1983年3月まで、KSBは1979年3月まで2局とも放送エリアは香川県のみ。
- ^ 最終回までアナウンサーによる協賛社のスポンサー読みのコメントは一切なし。後番組の「スーパーモーニング」では8:30頃 - 9:30頃までのネットセールスの前提供のみ番組開始当初からコメントあり。
- ^ 1985年1月10日放送分・当時は「江森陽弘モーニングショー」だった。
[編集] 関連項目
- スーパーモーニング
- アフタヌーンショー
- ウィークエンドショー
- ウィークエンドモーニングショー
- 八木治郎ショー(1975年4月以降はTBS系番組)
- 坂東義教
| NETテレビ→テレビ朝日系 平日午前のワイドショー枠 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
----
|
モーニングショー
|
|
|
||||||||||||||