有吉弘行

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有吉 弘行
本名 有吉 弘行
生年月日 1974年5月31日(40歳)
出身地 日本の旗 日本広島県安芸郡
血液型 A型[1]
身長 172cm[1]
方言 なし(共通語
最終学歴 広島県立熊野高等学校
師匠 オール巨人 (破門)
コンビ名 猿岩石1994年 - 2004年
相方 森脇和成(元・相方)
芸風 毒舌芸、イジり芸、モノマネ芸
事務所 太田プロダクション
活動時期 1994年 -
同期 ふかわりょう
劇団ひとり など
現在の代表番組 有吉AKB共和国
マツコ&有吉の怒り新党
有吉ジャポン
ウーマン・オン・ザ・プラネット
有吉反省会
有吉ゼミなど
過去の代表番組 AKB48ネ申テレビ
KEN-JIN
ピエール靖子
クイズ☆タレント名鑑 など
作品 下記参照
配偶者 未婚
公式サイト 太田プロダクション 公式ホームページ
受賞歴
猿岩石として受賞したものは当該項目を参照。

有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年5月31日[1] - )は、日本お笑いタレント広島県安芸郡熊野町中溝出身[1][2][3][4]。身長172cm、体重62kg。 

太田プロダクション所属。

名前の読みは「ひろき」ではなく、「ひろいき」である(後述)。

広島の実家は古くから熊野筆を製造する工場を経営[2][5]

略歴[編集]

1993年3月2日放送分の『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入りする[6]。しかし弟子入りして8か月後[7]、元々相性が悪かった兄弟子を歯が折れるほど殴ってしまい[6]、暴力を振るうような人間にするために弟子を取ったのではないと巨人から謹慎を言い渡され[6]、そのまま巨人のもとを離れ東京で「猿岩石」を結成することになる[6]。なお、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅終了後、巨人の元を訪れた有吉は、正式に巨人から破門を言い渡され、破門となっている[7](詳しくは後述)。

1994年、森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し、猿岩石のボケ担当としてデビュー[8]太田プロダクションに所属。[* 1]

1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク[8]

帰国後、CDや著書が爆発的に売れるも、肝心のお笑いで結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。本人によれば「天狗」になっており、あまり人に好かれていなかったようだと言う[9]。そのためブームが去るとその後の転落速度は相当なものであったという[10]

それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできずに食事などは上島竜兵らの世話になっていた[2][11]。仕事も無くほとんど家におり、ネタも無い為、ブログには作り話を多く綴っていた[12]。不遇の時代については#ブレイクと転落を参照。

2004年[1]お笑いにこだわる有吉と、役者や歌手活動を望む森脇とで活動の方向性の違いが生じ、[要出典]猿岩石を解散。ピン芸人として活動を始める。このころから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり(最初の内は猿岩石として、解散後には有吉が一人で)、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となり[13]、復活へのきっかけとなった[14][15]。有吉によれば、自身の復活は正しく「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」と言った気持ちでもあったという[16]。なお、内P出演時は基本的にリアクション芸、基本的に裸、であった(そのために、体力も錬成しダイエットも行ったと言う)[17]。また、女性ファン層は諦め、同世代の男性に的を絞っていった[18]。そしてダチョウ倶楽部の協力などもあり[19]、それら一定の成果を収めた[20]。有吉によれば、結果的には「裸」が功を奏したと言う[21]。月収はいつしか30万円程度にまで回復していた[22]

2007年、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で発生した「おしゃクソ事変」が話題を呼ぶ[23](詳しくは後述)。これは2007年8月23日放送回で、品川庄司品川祐に対し世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼んだと言うもの[23]。このコメントは同番組の年間流行語大賞となり、有吉本人も「久々に爆笑と言う感覚を味わった」(有吉弘行 2012 『お前なんかもう死んでいる』p.134より引用)と言う。この後有吉はあだ名、毒舌芸人として人気を得ることとなる[23]

その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において、出演総本数499本で1位となった[24]

2012年3月、広島県観光大使に就任した[3][25]

2013年11月23日、第10回『IPPONグランプリ』初優勝。

2013年時点でテレビのレギュラー番組15本、そのうち8本が有吉の冠番組となっている。特に、2013年だけで5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど、2013年は仕事の幅を広げた[26]

なお有吉が2010年に述懐したところによれば、決して自分から「再ブレイク」などと言って反感を買うようなことはせず、できるだけ目立たず、名誉より金、と言うことである[27]R-1ぐらんぷりにも興味は無く、太田プロのライブにも出ていないとのこと[28]

2014年11月8日、第12回『IPPONグランプリ』二度目の優勝。

ブレイクと転落[編集]

ブレイク時の有吉の月収は、最高で2000万円程度[29][* 2]に達していた。しかし有吉は「ブームはそう長くは続かない」と考えており、毎月の生活費を抑え貯蓄に励んだ[30]。貯蓄は最高時で7000万円程度に達したが、税金の支払いなどで残ったのは4000万円程度であった[31]

その後、有吉の予想通りに仕事の量は減少。毎月100万円だった給料も歩合制へとなり、月収7〜8万円、もしくはゼロとなっていった[32]。しかしながら、ブレイク時の収入を貯蓄していた有吉は、貯蓄を切り崩すことで不遇の時期を乗り切っていった。有吉は当時を振り返り、「このような倹約があったからこそ、不遇の時代を借金することなしに過ごすことができた。でなければ恐らくホームレスに転落していた」「この貯蓄があったから踏みとどまれた」などと述懐している[33]。なお、約4000万円あった貯蓄は、7〜8年後には100万円程度にまで減少していた[34]

しかしながら有吉は、転落してしまった現状に非常にストレスを感じ、相当に思い詰めていた。収入が少ないにもかかわらず、人に蔑まれるのが苦痛でアルバイトなどもできなかった[35]。また、この頃には自殺も考えたと言う[36]。芸事の方向性も迷走し、有吉は漫画用具一式を購入し漫画家を志しかけたり[37]、逸物を切り落として「オネエ」タレントとして再起を図ろうとしたり[38]AV男優になろうと考えてみたりしたこともあったという[39]

芸風[編集]

後述の「あだ名の命名」に代表されるような、毒舌や辛口コメントを得意としている。毒舌に関しては、有吉自身が『嫌われない毒舌のすすめ』[40]『毒舌訳 哲学者の言葉』[41]という著書を出版するほどである。

あだ名の命名[編集]

発端と経過[編集]

発端は『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』2007年8月23日放送分においてである。有吉が「一発屋芸人にならないための方法」を指南する役としてゲスト出演し、そこで「世間から『これ』という固定イメージを持たれないことが大事」と解説。その話の流れで、有吉がひな壇に並ぶ他のゲストたちに、「世間が持ってるイメージ」をアドリブで直接伝えていくことになった。その際に品川祐に対して、品川の芸風を揶揄して「おしゃべりクソ野郎」というあだ名を命名した。この一連の流れが大爆笑を誘い、その後他の番組でも「有吉が品川のことを『おしゃべりクソ野郎』と呼んだ」というエピソードが多く語られるなど次第に反響は大きくなり、ついには2008年3月13日放送分において、この「おしゃべりクソ野郎」が、「アメトーーク!年間流行語大賞」に選ばれた。この一連の出来事を有吉自身は、「おしゃクソ事変」と呼んでいる[42]

この出来事以降、有吉のこの『あだ名の命名』という特技が『アメトーーク!』を中心に多くの番組で取り上げられ、多数の共演者に対して毒を含んだあだ名を命名している。これをきっかけとして、有吉は「毒舌キャラ」「イジりキャラ」と認識され再びテレビの露出が多くなり、再ブレイクに至った[43][44]

『日経エンタテインメント!』2008年12月号によると、本人が一番気に入っているのは山崎静代につけた「モンスターヴァージン」とのことである。

あだ名に対する周囲の反応[編集]

有吉によると、芸人やタレントにあだ名を付けて本気で怒られたことはまだないという。

2008年2月28日付の品川のブログでは「有吉さんと『仲悪いんですか?』とか言う奴がいる。めんどくせぇ。本番中に悪口言われるのは、ありがたいんだよ」と語っている。

有吉は、『アメトーーク!』の演出兼プロデューサー加地倫三(あだ名は「オシャレ骸骨」)に対して「(テレビにたくさん出られるようにしてくれた)加地さんと雨さん(雨上がり決死隊)と品川に感謝です」という感謝のメールを送っている[45]

有吉に「元気の押し売り」というあだ名をつけられたベッキーは、ブログで「それにしても有吉さんのネーミングも最強ですね!(中略) しつこいようですが、“おもしろければ何でもOK”な人間なので、私は大丈夫です! あー楽しかったー!!!」と有吉を大絶賛している。[46]

2009年10月29日付けのブログでは、差出人部分に「有吉を殺す会」と書かれたはがきが送られてきたことを明かしている[47][48]

命名に対する評価[編集]

有吉のあだ名命名については、「特に、タレントにあだ名をつけるのが天才的にうまい」「『クソ』『野郎』が多いのが目につきますが、毒の含み具合が絶妙」(芸能ライター)[43]、「あだ名芸人として活躍の場を広げている」(『TV LIFE』編集部)[49]と、内外から評価され、有吉の「瞬時に人物の特徴を捉える」あだ名の命名は「芸」であるとの評価がなされている。

モノマネ[編集]

2005年秋、『ものまねバトル』に初出場。

レパートリー[編集]


人物[編集]

名前[編集]

名前「弘行」の読みは、「ひろゆき」ではなく「ひろき」である。このようになった理由は、父親が役所に名前を提出する際に、酒に酔っていたため「ひろいき」と間違えて申請したためである。そのため、父親は「ひろゆき」と呼んでいると有吉は語っている。[要出典]

趣味・嗜好・特技[編集]

東京スポーツ』の食生活拝見のコーナーでは、肉しか食べない、酒を倒れるまで飲む、ヘビースモーカーその他、身体に悪いことばかりして、医者から「いつ癌になってもおかしくない」と評されている[要出典]

広島出身ということもあってプロ野球広島東洋カープのファンである。高校時代は広島市民球場に年間30回ほど行っていた[50]。2012年より広島県観光大使に任命されている。

風俗店を好み、『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ50の法則』(2012版)でもp.93-、p.201などで言及するなどしている。

柔道初段で、『リングの魂』の「芸能界柔道王」企画で初代チャンピオンになった[要出典]

性格[編集]

プライベートでは自分に返ってくるとの理由で陰口などは言わないようにしている。

親交関係[編集]

竜兵会[編集]

上島竜兵を中心とする飲み仲間「竜兵会」の一員である。竜兵会に高田文夫が顔を見せた際に、酔っ払った上島に対する有吉の突っ込みの面白さを見た高田は、自身のラジオ番組ラジオビバリー昼ズ』に有吉を起用(2006年に高田が休養した際、中継レポーターの春風亭昇太がMC代行となったため、スライドで中継担当になった)することを決めたという[51]

ウッチャンナンチャン・さまぁ〜ず[編集]

第2日本テレビのネット配信番組『電波少年的懸賞生活2009[52]に出演し、同番組のプロデューサーより再ブレイクのきっかけを訊かれた際、「世間的には『内村プロデュース』の印象が強いと思うが、実は『リングの魂』の柔道企画等、(内村のみならず)南原さんにも大変お世話になっていて、ウッチャンナンチャンの両氏にずっと使ってもらったおかげ」と答えている。その際、『内村プロデュース』に関して「売れてない時期があったからこそ当時のレギュラーメンバーの凄さに気づく事ができた」と答え、ネット配信番組『内村さまぁ〜ず』に出演した際には、Twitterにて内村光良さまぁ〜ずの3人について「3人は命の恩人ですので細心の注意を払うべきですが、それをさせない緩さがある」と評している[53]

元師匠・オール巨人[編集]

1993年3月2日放送分『EXテレビ』(読売テレビ)で行われた企画「公開弟子審査会」に有吉が参加し、合格。オール巨人に弟子入りする[6]。しかし弟子入り8か月後、元々相性の良くなかった兄弟子を、歯が折れるほど殴ってしまう[54]。結果、有吉は巨人から「乱暴者はいらん」と謹慎を命じられる[54][7]

謹慎中だった有吉は、巨人には無断で巨人のもとを離れ、1994年に森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し上京。太田プロダクションの所属となる。そして、1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となる。何も聞いていなかった巨人は、テレビで見て初めて有吉が弟子を止めて他の場所で芸能活動を継続していることを知って驚いたという[7]

女性セブンのインタビューによれば猿岩石の旅企画の終了後、オール巨人の著書によれば『TBSのオールスター感謝祭』で一緒になった時[54]、女性セブンによれば有吉はすぐに巨人の楽屋を訪れて、巨人の著書によればスタジオで巨人を見かけるなり、(何故か森脇と共に)土下座して「すみませんでした!」と謝罪した[54][7]。巨人は「これで正式に破門や。お前も辛かったんやろ」と声をかけた[7]。この時巨人は、土下座する森脇に笑いながら「君は関係ないやん」と言ったそうである[54]。有吉はいつか巨人に再会した時の事を考えてずっと「びびっていた」といい、巨人が挨拶に来るか電話の一本も入れればいいのにと言った所、それを行う勇気すら出なかったと答えたと言う[55]。巨人によれば有吉は番組の企画で弟子になった時期があっただけのことであり、いつまでも巨人の元弟子だと言われるのはちょっと可哀想であるとしている[55]

一方、弟子時代の有吉の印象について巨人は、「実は謹慎を命じた印象が強すぎて、他のことはあまり覚えていないんです」と語っている[7]

ツイッター関係[編集]

2012年11月末にTwitterのフォロワー数がソフトバンクの社長・孫正義を抜いて日本人としては1位となり、さらに2013年2月6日に、国内初の200万フォロワーを達成した[56]。その後もフォロワーは増加を続け、2014年3月1日に国内初フォロワー300万人突破を果たした[57]

評価[編集]

お笑い評論家のラリー遠田は、芸能界における毒舌キャラに必要な条件として「的外れではない鋭い批評精神があること」「悪口を言っても許される人間であること」の2つを提示し、有吉はその2つを兼ね備えていると評している。特に、2つ目の『悪口を言っても許される人間であること』という点にについて、遠田は雑誌『m9』(晋遊舎)での有吉のインタビュー記事の「売れない時期が続いてやさぐれたっていうことで、『やさぐれて当然だ』っていうバックボーンは作れたんじゃないですかね」という発言を引用し、「一時は頂点を極めながら最底辺まで落ちぶれたという点で、有吉ほど強力な『毒舌の免罪符』を持っている芸人もなかなかいない」と表現している[58]

芸人の千原ジュニアは有吉の毒舌テクニックについて、「有吉は毒舌を言った後に絶対に笑う」というポイントを語り、アメ(笑顔)とムチ(毒舌)を使い分け、毒舌を吐いた相手を本気で怒らせない有吉のしたたかな芸風を指摘した。また、千原は有吉を「カウンター芸の極み」だと評し、求められるままに手持ちのネタを出してばかりである芸風の自分を「残高が減る一方」と表現し、逆に相手から投げられたボールを返すことを主とする有吉のトークテクニックを挙げ、「有吉の残高はまだまだある」と表現した[26]

放送作家鈴木おさむは、ほとんど構成を立てず有吉の自由な休日をVTRにまとめただけの『有吉の夏休み密着100時間』(フジテレビ系列)が、14.2%という高視聴率を獲得したことについて、「『○○の休日』などという内容で視聴率が取れたのは一昔前の大スターが出演する番組のみであり、最近では成立するのが難しいと言われていた。しかし、その殻を久々に破ったのが有吉だった」と解説した。その話を受けた芸人の関根勤は、「このまま(有吉の活躍が)2年3年と続くと、さんまさん(明石家さんま)やたけしさん(ビートたけし)らに次ぐ、芸能界の『新しい柱』になり得る」と評価した[26]

主な活動[編集]

テレビ[編集]

現在の出演番組[編集]

レギュラー

準レギュラー(不定期出演)

不定期特番(放送から1年未満の継続中の特番)

  • ビバ!!竜兵会システム ぜ~んぶ忘れてイイ宴 2(2013年12月30日、日本テレビ)MC
  • 三村&有吉特番(2014年1月9日・3月28日・9月28日、テレビ朝日)MC
  • 有吉ポンコツ隊 (2014年4月11日、テレビ朝日 )MC
  • 有吉の!モノシリはナカヨシ(2014年6月21日、フジテレビ)MC
  • アリさん 有田哲平×有吉弘行(2014年8月13日、フジテレビ)MC
  • 有吉でら実験(2014年9月3日、CBCテレビ)MC

過去の出演番組[編集]

レギュラー

準レギュラー

特番

  • Calcolon(カルコロン)(2012年6月23日・9月28日・12月1日、2013年1月19日・3月16日・7月13日、フジテレビ)MC
  • 有吉弘行のヘベレケ(2012年7月22日・12月30日、東海テレビ)MC
  • 有吉×大木の人生告白劇場結局どうなったんだ!?(2012年12月29日、フジテレビ)MC
  • 東野・有吉のどん底(2012年12月30日、2013年3月16日・7月4日・10月3日、TBS)MC
  • 有吉vs花の熟女バトル!アリババ(2013年1月6日、フジテレビ)MC
  • 有吉・バカリズムの蜜室&毒室 〜芸能人裏の顔のぞき部屋〜(2013年7月2日、関西テレビ)MC

その他の出演番組[編集]

バラエティ

ドラマ

インターネット配信[編集]

過去の出演

  • 竜兵会の約束(BeeTV
  • Dr.有吉の密着治療室(BeeTV)
  • 竜兵会(GyaO、2006年)
  • オーディションGOGO!(GyaO)
  • 内村さまぁ〜ずミランカ)#27,#36,#42,#84,#90
  • 有吉弘行のおそらく一番安くて安全な世界一周の旅ガイド (goomo
  • 電波少年2010 人はつぶやきだけで生きていけるか? 有吉vsTプロデューサー〜日本縦断四角系男子を探せ〜(第2日本テレビ

ラジオ[編集]

レギュラー

過去の出演

映画[編集]

舞台[編集]

CM[編集]

CD[編集]

  • Hungry man/dear(2001年10月27日)-「KEN-JIN BAND」名義
  • 虹(2002年5月25日)-「KEN-JIN BAND」名義
  • ロケット/働クオトコノウタ(2004年4月29日)-「KEN-JIN BAND」名義
  • 最新J-POP MEGA HITS! BEST40 「マンクマン」(劇団ひとりとのユニット)

DVD[編集]

  • 死球 〜dead ball〜 vol.2(2005年)
  • オレがやるよ!それだったらオレがやるよ!じゃあオレがやるよ!どうぞ!どうぞ!どうぞ! 〜ダチョウ倶楽部のリアクション祭り〜(2005年)
  • その時…上島が動いた(2007年)
  • 我々は有吉を訴える 〜謎のヒッチハイク全記録〜(2008年)
  • ノーマニフェスト for UESHIMA(2008年)
  • ものまねプロレス祭2008 まねんのか!(2009年)
  • イツザイ 「インディーズ芸人スペシャル」(2009年)
  • 大輔宮川のすべらない話2(2009年)
  • ギョーカイ騒然! 〜ココロにのこらない話〜(2009年)
  • リアクションの殿堂(2009年)
  • 我々は有吉を再び訴える 〜沖縄ヒッチハイク殺人未遂事件の全真相〜(2009年)
  • リアクションの殿堂 〜遺作〜(2010年)
  • 竜兵会の約束(2010年)
  • 我々は有吉を訴えるべきかどうか迷っている(2011年)
  • ふわふわトーク こんな感じでどうですか?(2013年)
  • 有吉の夏休み 密着100時間inハワイ もっと見たかった人のために放送できなかったやつも入れましたDVD(2014年)
ほか

書籍[編集]

  • オレは絶対性格悪くない!(2008年9月、太田出版
  • 怒りオヤジ 愛の説教BOOK (2009年3月、太田出版)
  • 竜兵会 僕たちいわばサラリーマンです。〜出世術のすべてがここに〜(2009年4月、双葉社
  • 嫌われない毒舌のすすめ(2009年7月、KKベストセラーズ
  • お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ50の法則 (2010年6月、双葉社) 2012年4月、文庫化(双葉文庫)。
  • 毒舌訳 哲学者の言葉(2012年4月、双葉社) 2013年5月、文庫化(双葉文庫)。
  • 現代用語のクソ知識(2013年10月、双葉社 )

注釈[編集]

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  1. ^ オール巨人の付き人時代は、巨人の所属事務所である吉本興業には正式に所属していなかったので、移籍ではない。
  2. ^ ちなみにブレイク前の給料は5万円。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 太田プロ 公式ホームページ
  2. ^ a b c 落ち目の有吉弘行をあえてレギュラーに 再ブレークに導いた広島県メディアpage=2
  3. ^ a b 「おしい!広島県」 - 中国経済産業局 - 経済産業省
  4. ^ 猿岩石応援団『猿岩石の素―有吉弘行 森脇和成の青春日記』鹿砦社、1996年、p. 25
  5. ^ 真実を語る男有吉弘行(芸人) | GQ JAPAN
  6. ^ a b c d e オール巨人 2012, p. 142.
  7. ^ a b c d e f g オール巨人 兄弟子殴った有吉弘行を謹慎させた出来事を語る小学館NEWSポストセブン』、2014年1月2日
  8. ^ a b 有吉 2012, p. カバー裏.
  9. ^ 有吉 2012, pp. 27-28.
  10. ^ 有吉 2012, p. 28.
  11. ^ 有吉 2012, pp. 59-62.
  12. ^ 有吉 2012, p. 40.
  13. ^ 有吉 2012, p. 125.
  14. ^ a b 有吉 2012, pp. 116-119.
  15. ^ なお、内村プロデュースに最初に出演した時、正確な芸名は「手裏剣トリオ」であった。トリオとしているものの、メンバーを増やした訳ではなく、猿岩石時代と同様に、二人組のままである。これはフジテレビ系列の『プレゼンタイガー』と言う番組での企画による。この時期お笑い業界は改名ブームではあったのだが猿岩石は改名をしても仕事は増えず、不憫に思った『プレゼンタイガー』のスタッフが、同じく担当する『内村プロデュース』へ出演させてくれた、と言う顛末である[14]
  16. ^ 有吉 2012, pp. 122-123.
  17. ^ 有吉 2012, p. 123, 126.
  18. ^ 有吉 2012, p. 123.
  19. ^ 有吉 2012, p. 127-128.
  20. ^ 有吉 2012, p. 125-129.
  21. ^ 有吉 2012, p. 129.
  22. ^ 有吉 2012, p. 130.
  23. ^ a b c 有吉 2012, p. 134.
  24. ^ ニホンモニターによるプレスリリース
  25. ^ おしい!広島県
  26. ^ a b c Techinsight「たけし・さんまに次ぐ芸能界の柱は、有吉弘行」。テレビ業界からの評判。』メディアプロダクツジャパン、2014年1月3日
  27. ^ 有吉 2012, pp. 145-148.
  28. ^ 有吉 2012, p. 151.
  29. ^ 有吉 2012, p. 13.
  30. ^ 有吉 2012, pp. 14, 17.
  31. ^ 有吉 2012, p. 23.
  32. ^ 有吉 2012, p. 31-33.
  33. ^ 有吉 2012, pp. 18, 82.
  34. ^ 有吉 2012, p. 24.
  35. ^ 有吉 2012, p. 53.
  36. ^ 有吉 2012, p. 72.
  37. ^ 有吉 2012, pp. 57-58.
  38. ^ 有吉 2012, pp. 63-65.
  39. ^ 有吉 2012, p. 89.
  40. ^ 有吉弘行『嫌われない毒舌のすすめ』ベストセラーズ、2009年7月9日。ISBN 978-4584122402
  41. ^ 有吉弘行『毒舌訳 哲学者の言葉』双葉社、2012年4月18日。ISBN 978-4575304121
  42. ^ 2009年3月5日『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! 今年が大事芸人』でのブレークまでの自己分析の際に発言[出典無効]
  43. ^ a b 内外タイムス (2008年11月1日). “元猿岩石・有吉弘行が再ブレークした理由”. 2009年2月4日閲覧。
  44. ^ 「有吉弘行 “あだ名付け芸”で復活した不死鳥芸人」 - 『日経エンタテインメント!』2009年11月号(日経BP社
  45. ^ Quick Japan』79号、太田出版
  46. ^ ベッ記”. ベッキーの日記だから、ベッ記!! (2008年12月12日). ...
  47. ^ 腕立て伏せの回数を増やすしかない、、、、、”. 公式ブログ『有吉弘行の馬鹿だからブログやってます』 (2009年10月29日). ...
  48. ^ 有吉弘行「殺す」と手紙届くも通報しない”. 『スポニチアネックス』 (2009年11月3日). ...[リンク切れ]
  49. ^ TV LIFE (2008年12月12日). “『アメトーーク!』で有吉が新あだ名を連発!関根勤、ベッキーのあだ名は?”. 2009年2月4日閲覧。[リンク切れ]
  50. ^ 達川&有吉が今後のカープについて激論! その全貌をレポート(ExciteBit)
  51. ^ 読売新聞夕刊 2009年5月13日付
  52. ^ 電波少年的懸賞生活2009 〜一発屋芸人に二発目はあるのか?〜
  53. ^ 有吉弘行 (ariyoshihiroiki) on Twitter [1]
  54. ^ a b c d e オール巨人 2012, p. 143.
  55. ^ a b オール巨人 2012, p. 144.
  56. ^ 有吉弘行、フォロワー数国内初の200万人突破「もうしばらくのお付き合いを」 オリコン2013年2月6日
  57. ^ 有吉弘行ツイッター 国内初フォロワー300万人突破! スポニチ2014年3月1日
  58. ^ 有吉弘行が手にした「毒舌の免罪符」」株式会社サイゾー、2008年10月1日
  59. ^ 2012年1月11日 - 2014年3月30日まではレギュラー出演していた。
  60. ^ 世界一ダメなテディベアでハリウッド・デビュー!! 日本一注目される男・有吉弘行さんが声優初挑戦!!”. 映画『テッド』公式サイト. 2012年12月19日閲覧。
  61. ^ 有吉弘行が映画CMアフレコで毒舌ツッコミ!効率の良い仕事に味をしめた?
  62. ^ a b c d 有吉弘行のCM出演情報 │ オリコン芸能人事典-ORICON STYLE
  63. ^ 『リズム怪盗R』プロモーションキャラクターに榮倉奈々さんら4名を起用! - 電撃オンライン
  64. ^ Mobage「大冒険!シスタークエスト」テレビCM放映開始!CMキャラクターに有吉弘行さんを起用|Gamer
  65. ^ 太田プロニュース 2013年8月・9月号 | 太田プロダクション
  66. ^ 本田翼“共演”の有吉は「毒舌だけど意外と優しそう」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
  67. ^ 猿岩石以来…有吉弘行「やっと本格的にタレント復帰した」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

参考文献[編集]

文献[編集]

  • 有吉弘行 『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」』 双葉社、2012年  - 加筆・訂正の行われている文庫版を参照し、ページ番号もそれに倣っている。検証者は注意。
  • オール巨人 (2012), 師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年, ヨシモトブックス 


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関連項目[編集]

外部リンク[編集]