秋元康

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秋元康
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基本情報
別名 高井良斉、やすす、秋元先生
出生 1958年5月2日(56歳)
出身地 日本の旗 日本東京都目黒区
学歴 中央大学文学部中退
ジャンル J-POP
職業 作詞家
放送作家
タレント
活動期間 1975年 -
事務所 株式会社秋元康事務所
共同作業者 とんねるず
おニャン子クラブ
崎谷健次郎
AKB48
SKE48
SDN48
NMB48
乃木坂46
HKT48
JKT48
TPE48
SNH48
LUHICA

秋元 康(あきもと やすし、1958年5月2日 - )は、日本作詞家放送作家プロデューサー脚本家映画監督漫画原作者2005年に結成された女性アイドルグループAKB48』とその姉妹グループ、およびそれらメンバーが所属するユニットの総合プロデューサーとしても知られている。2007年より京都造形芸術大学副学長を務める。血液型O型。

日本映画監督協会会員。2009年4月より2012年5月まで日本放送作家協会理事長を務めた。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[1]。2013年10月現在、東京都渋谷区在住[2]

自身が取締役を務め、妻の高井麻巳子(元タレント、現姓秋元)が監査役を務める株式会社秋元康事務所に所属している。

略歴

生い立ち

東京都目黒区大橋に生まれる。サラリーマン家庭の2人兄弟の長男。喘息を患い小学1年生のときに保谷市(現:西東京市)に引越す。

放送作家へ

もともと官僚志望で、開成中学を受験するも不合格、高校進学の際には親の勧めがあって中央大学附属高等学校を選択した。高校2年生になった1975年、そろそろ勉強しないと東大に入れないと思い、受験勉強を始めた。しかし大半の生徒が母体の大学に進学する環境もあり、なかなか勉強には集中できなかった。その年の冬の夜、ニッポン放送せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした平家物語のパロディを受験勉強用に用意したノート20枚にわたり書き上げた(当時同番組には「せんみつ深夜劇場」という名作古典文学のパロディのコーナーがあった)。募集されていたわけではなかったが、同級生の薦めを受けそのノートをニッポン放送へ送ったところ、当時ニッポン放送社員だった亀渕昭信と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まった。こうしてニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属した。

中央大学文学部入学後、放送作家として活動を始めた当初は放送作家をアルバイトと考えていたが、当時のサラリーマンの4倍近い収入を放送作家業によって得ていた。しかし、本人はそれを「あぶく銭」だとしていた。「思えば、道草から始まった人生」と自身は回想している[3]

作詞家へ

その後、放送作家業に物足りなさを感じていたこと、放送作家という職業の将来性に不安を感じていたところ、亀渕からPMP(現・フジパシフィック音楽出版)の朝妻一郎を紹介され、それを機に作詞を手掛けるようになる。その経緯より、作詞家としてはフジパシフィック音楽出版と契約している。1981年Alfeeの楽曲「通り雨」のB面を作詞する機会を得て、坂崎幸之助高見沢俊彦の合作「言葉にしたくない天気」で作詞家デビューを果たした。これを機に作詞家としても活動開始。1982年稲垣潤一ドラマティック・レイン」、1983年には長渕剛GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を得る。

ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当して高視聴率を挙げるいっぽう、さまざまなジャンルの楽曲の作詞を手掛ける。小泉今日子なんてったってアイドル」、とんねるず雨の西麻布」などヒット曲を連発し、時代の寵児となる。1985年からは女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせ、その際に全楽曲の作詞・プロデュースを担当した。ただし、後に“総合プロデューサー”として関わるAKB48とは異なり、「おニャン子クラブ」は『夕やけニャンニャン』という番組が最初にありきで、秋元自身は、おニャン子クラブについては共同作業であるとし、自分は仕掛け人ではないと説明している[4]。また、国生さゆりは、「構成作家の秋元さんはスタッフの一員、いい意味で他のスタッフと同列だった」と述べている[5]1986年のオリコンウィークリーチャート52週のうち36週でおニャン子クラブ関係の楽曲が1位を獲得。1987年には長者番付の「その他」部門で16位(納税額1億61万円)となる。

1988年、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子と結婚。同時に渡米してニューヨークに1年半ほど滞在した。帰国後、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当。これによって作詞家としての地位を不動のものにした。

AKB48の展開

2005年、東京・秋葉原で女性アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーに就任。専用劇場で毎日公演を行う「会いに行けるアイドル」を標榜した。当時の秋葉原は、社会現象を巻き起こしていた書籍・ドラマ・映画「電車男」において描かれた「美少女アニメ・ゲーム」「メイド喫茶」「リュックサックを背負ったオタク男性」のイメージで認識されていたため、AKB48も「アキバの萌えアイドル」といった地下アイドル的な位置付けであったが、10thシングル「大声ダイヤモンド」以降徐々に一般の人気を上げ、2010年以降はシングルCDにおいて100万枚を超える売り上げを記録するようになり、国民的アイドルと呼ばれる存在となった。

2010年初頭のインタビューで秋元は「将来は国内7大都市に劇場を建て、選抜メンバーでJAPAN48を作りたい」と語り、実際に国内外に多数の姉妹ユニットを設立している(名古屋・栄のSKE48、大阪・難波のNMB48、福岡・博多のHKT48、インドネシア・ジャカルタのJKT48、中国・上海のSNH48)。

2013年には、田原総一朗との対談の中で、将来的にはAKB48のプロデュースから退くことを示唆[6] している。

人物

身長166.7cm[7]。2001年3月に第1子(長女)をもうけている。プロ野球は読売ジャイアンツファンである。

作詞家

  • 作詞家として、シングルの総売上が、2013年2月27日付ランキングまでの通算で計506作品6859.1万枚に達し、それまで1位(6831.9万枚)だった阿久悠を抜き、作詞家歴代1位となった。うちAKB48が約3割にあたる1998.7万枚を占めている[8]
  • 作詞家として、100曲を超える作品がチャート1位となっており、作詞家歴代1位(チャート1位シングルを参照)。ただし、その大半はAKBグループ、及び乃木坂46のメンバーによる握手券と抱合せて売った楽曲である。少女に握手をさせる商法には賛否両論がある。
  • AKB48とその姉妹グループ(派生ユニット)関連の殆どの楽曲の作詞を手掛けている[9]
  • 作詞家として、今まで4000曲以上を世に送り出してきた。AKB48関連だけで700曲を超える(2012年2月現在、ステージ公演曲やシングルCD・アルバムなどを含む)。
  • 作詞家として、最もヒットしたシングルはAKB48の「真夏のSounds good !」と「GIVE ME FIVE![10]で2011年に達成したミリオンセラーのベスト5「フライングゲット」、「Everyday、カチューシャ」、「風は吹いている」、「上からマリコ」、「桜の木になろう」の売り上げを遥かに超えるヒットとなった(2012年6月4日付のミリオンセラーオリコン調べによる)。AKB48の3枚目のアルバム『ここにいたこと』もミリオンセラーの認定を受けた(総売り上げ:125万6000枚 2012年2月1日現在)。
  • デビュー作品は大杉久美子の「タコローダンシング」(アニメ『とんでも戦士ムテキング』の挿入歌、1981年1月25日発売のLP『とんでも戦士ムテキング ムテキングとんでもジョッキー』収録)、アーティストに初めて提供した作品はTHE ALFEEのシングルレコード「通り雨」のB面に収録された「言葉にしたくない天気」である(1981年10月21日発売)。
  • とんねるず稲垣潤一崎谷健次郎石川優子少女隊等に20曲以上提供する等、さまざまな歌手に詞を提供しメッセージソングやパロディソングのみならず、美空ひばりの「川の流れのように」のようなシリアスな楽曲も手掛けている。また月光恵亮プロデュース楽曲、真矢猿岩石の楽曲とアニメソングの作詞を担当する際に「高井麻巳子は良妻」を捩った高井 良斉(たかい りょうさい)のペンネームを用いた。ただし、アニメ『機動戦士ガンダムΖΖ』、『蒼き流星SPTレイズナー』の主題歌、『ケロロ軍曹』関連の楽曲の作詞では、秋元康の名を使っている。
  • 新潟県のテレビ局、新潟テレビ21のかつてのテーマソング「いとしのキャサリン」の作詞も手がけた。2011年現在までに作詞した作品では唯一の放送局のテーマソングである。
  • 2011年度・2012年度のJASRAC賞で2年連続金・銀・銅賞の三賞を独占した。JASRAC賞での三賞独占は他に小室哲哉(1995年度)が達成しているのみで、2年連続は秋元が唯一となる[11]

プロデュース業

エピソード

  • 学歴は、保谷市立中原小学校、保谷市立ひばりが丘中学校、中央大学附属高等学校を経て、中央大学文学部中退。
  • 放送作家・作詞家としてデビューして以来、2012年8月に毎日新聞のインタビューで尋ねられるまで、プロフィール上の生年を1956年としていた(実際の生年は1958年なので2歳上に鯖を読んでいたことになる)。それは、高校2年でラジオの台本を書いていた頃、同級生の親友からラジオ局でアルバイトをしたいと言われて局に相談したところ「大学生でなければダメ」と言われたため、親友を大学1年であると誤魔化し、自分もそれに倣って大学1年としたためであり「今更直すのも面倒」ということでそのままにしていた。なお、JASRACなどには当初より実際の誕生年で届けている[12]
  • 作詞家デビュー前に、相談も兼ねて歌詞をやしきたかじんに見せたところ「全然アカン、話にならん。持って帰れ」と、こき下ろされた。たかじんに言わせると「単なる文章であって歌詞とは言えない」という評価であった。しかし、結局その歌詞の中からヒットする作品が出ることとなり、たかじんも「えらいことした。あの中からなんぼかもろといたらよかった」と話の種にしていたが、これに対して秋元自身も「たかじんさんはこだわりが強いから、納得できる歌詞を書くのは至難の業」と語っている。また、たかじんによるとこの時歌詞を見せただけではなく、秋元は「このまま放送作家だけを続けていても、せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。自分はこのままで終わりたくない」という趣旨の相談をしていたという。それから30年あまりの時を経た2010年に、やしきたかじんの新曲「その時の空」で歌詞の提供が実現した。
  • タレントショップブームの1987年頃、便乗して青山で「うんこや」という名前の和食パブを開いたことがある。箸置きが「うんこ」の形をしていて「私の箸」をキープできた。「食と排泄は切っても切れない関係ですからね、だからあえて…」という説明をしていたが、僅かな期間で閉店している。他にも飲食店を開店したが、どれも成功せず閉店を余儀なくされた。
  • 長渕剛とは、長渕が初めてのラジオパーソナリティを担当した番組の放送作家として知り合った。当時は、番組構成などで意見がぶつかり、放送中に喧嘩したこともあったが、同世代ということもあって、後に一緒に食事する間柄となった。長渕は、秋元のことを「戦友」と語っている。ただしAKB48ヒット以後、日本の音楽業界の衰退を危惧した長渕は再びラジオ番組で秋元を批判している。また、SHOW-YAの作詞を手がけたこともあるものの、寺田恵子と言い争いになったこともある。
  • 作曲家・後藤次利とは「ゴールデンコンビ」と言われている。後藤の現在の妻は、秋元の妻のかつての同僚・河合その子である。
  • 1988年5月23日、元おニャン子クラブメンバーの中でもトップクラスの人気を誇っていた高井麻巳子との結婚が突如発表され、高井はそのまま芸能界から引退する。高井のファンクラブが結成された直後でもあったため非難の声が上がったが、実は、むしろ高井の方が結婚に積極的であったということが、高井の友人である斉藤由貴のエッセイで述べられている。そして、当時の秋元と同じスタンスで活躍しているつんく♂に対しては「最終的にはモーニング娘。の誰かと結婚しろ」というアドバイスを送ったという。なお、つんく♂が実際に結婚したのは、モーニング娘。のメンバーではなく、元モデルの女性である[13]
  • サンデー毎日』での連載で「我々の仕事は不安定な上に潰しがきかない。我々のようなレベルの人間でもいつ仕事がなくなるか不安を抱いている」と述べたことがある。
  • 2007年9月30日放送分『情熱大陸』(MBS)にて「自分は天才でもアーティストでも芸術家でもない。ピカソになりたい広告代理店マン。でもピカソになりたいと思った時点でピカソにはなれない」とコメントしている。
  • 作詞家歴30年、ミリオンセラー6回、多数の賞を受賞している。
  • 2009年12月、自身初の日本レコード大賞特別賞をAKB48とともに初受賞をしている。
  • 2011年12月、自身が作詞を手掛けたAKB48の「フライングゲット」が第53回日本レコード大賞を受賞した。
  • 2012年12月、「真夏のSounds good !」が第54回日本レコード大賞を受賞し、AKB48が2連覇した。また、自身初となる作詩賞を受賞した。
  • AKB48のプロデュース活動の一環として始めた『AKB48 on Google+』で自らもGoogle+のアカウントを取得し、自分自身をやすすと称して頻繁に投稿している。Google+でAKB48メンバーやファンとの交流を図るとともに、思いついた仕事のアイデアなどを関係者へ公開の場での連絡ツールとしても使っている。
  • 2013年2月、第40回アニー賞音楽賞を、ヘンリー・ジャックマンスクリレックスアダム・ヤングマシュー・シイッセンジェイミー・ヒューストンらとの連名で受賞[14]
  • 2013年上期のNHK連続テレビ小説あまちゃん』では、秋元を模したとされる音楽プロデューサー・荒巻太一(演:古田新太。通称:太巻)並びにAKB48をパロディしたと見られる女性アイドルグループが登場した。秋元は2014年3月28日放送分のNHK総合テレビあさイチ』内「プレミアムトーク」に出演した際、『あまちゃん』を視聴していたことや太巻が自身の特徴を捉えていたと感じたことを明かした[15]

書籍

著書

映画

作詞を提供したアーティスト一覧及び楽曲

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

チャート1位シングル

週間チャート1位となったシングル作品は以下の通り。

★はおニャン子クラブ、及び関連作品(派生ユニット・ソロ)
☆はAKB48、及び関連作品(姉妹グループ・派生ユニット・ソロ)
リリース日 曲名 アーティスト名  
1 1985年2月27日 卒業-GRADUATION- 菊池桃子  
2 1985年5月15日 BOYのテーマ 菊池桃子
3 1985年11月21日 なんてったってアイドル 小泉今日子  
4 1986年1月1日 冬のオペラグラス 新田恵利
5 1986年1月21日 バナナの涙 うしろゆびさされ組
6 1986年2月21日 じゃあね おニャン子クラブ
7 1986年3月1日 季節はずれの恋 吉沢秋絵
8 1986年3月21日 青いスタスィオン 河合その子
9 1986年4月1日 私は里歌ちゃん ニャンギラス
10 1986年4月10日 恋のロープをほどかないで 新田恵利
11 1986年4月21日 おっとCHIKAN! おニャン子クラブ
12 1986年5月2日 象さんのすきゃんてぃ うしろゆびさされ組
13 1986年5月10日 夏を待てない 国生さゆり
14 1986年5月21日 風のInvitation 福永恵規
15 1986年6月11日 あじさい橋 城之内早苗
16 1986年6月21日 自分でゆーのもなんですけれど ニャンギラス
17 1986年7月2日 再会のラビリンス 河合その子
18 1986年7月16日 瞳に約束 渡辺美奈代
19 1986年7月21日 お先に失礼 おニャン子クラブ
20 1986年8月1日 不思議な手品のように 新田恵利
21 1986年8月14日 ノーブルレッドの瞬間 国生さゆり
22 1986年8月27日 渚の『・・・・・』 うしろゆびさされ組
23 1986年9月10日 鏡の中の私 吉沢秋絵
24 1986年10月8日 深呼吸して 渡辺満里奈
25 1986年10月15日 雪の帰り道 渡辺美奈代
26 1986年10月22日 悲しい夜を止めて 河合その子
27 1986年11月1日 恋はくえすちょん おニャン子クラブ
28 1986年11月23日 技ありっ! うしろゆびさされ組
29 1986年12月3日 あの夏のバイク 国生さゆり
30 1987年1月1日 ホワイトラビットからのメッセージ 渡辺満里奈
31 1987年1月15日 TOO ADULT 渡辺美奈代
32 1987年1月21日 NO MORE 恋愛ごっこ おニャン子クラブ
33 1987年2月21日 かしこ うしろゆびさされ組
34 1987年4月8日 マリーナの夏 渡辺満里奈
35 1987年4月15日 PINKのCHAO 渡辺美奈代
36 1987年5月7日 時の河を越えて うしろ髪ひかれ隊
37 1987年5月21日 かたつむりサンバ おニャン子クラブ
38 1987年8月31日 禁断のテレパシー 工藤静香
39 1987年10月21日 キスを止めないで 小泉今日子  
40 1992年1月24日 ガラガラヘビがやってくる とんねるず  
41 1992年9月3日 一番偉い人へ TUNNELS  
42 1992年10月28日 クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一  
43 1993年1月28日 がじゃいも とんねるず  
44 2005年12月21日 SNOW! SNOW! SNOW! KinKi Kids  
45 2009年10月21日 RIVER AKB48
46 2010年2月17日 桜の栞 AKB48
47 2010年3月17日 アッカンベー橋 渡り廊下走り隊
48 2010年5月26日 ポニーテールとシュシュ AKB48
49 2010年7月21日 心の羽根 チームドラゴン from AKB48
50 2010年8月18日 ヘビーローテーション AKB48
51 2010年10月27日 Beginner AKB48
52 2010年12月8日 チャンスの順番 AKB48
53 2011年2月16日 桜の木になろう AKB48
54 2011年3月9日 バンザイVenus SKE48
55 2011年3月16日 週末Not yet Not yet
56 2011年5月25日 Everyday、カチューシャ AKB48
57 2011年6月22日 Flower 前田敦子
58 2011年7月6日 波乗りかき氷 Not yet
59 2011年7月13日 ふいに 板野友美
60 2011年7月20日 絶滅黒髪少女 NMB48
61 2011年7月27日 パレオはエメラルド SKE48
62 2011年8月24日 フライングゲット AKB48
63 2011年10月19日 オーマイガー! NMB48
64 2011年10月26日 風は吹いている AKB48
65 2011年11月9日 オキドキ SKE48
66 2011年11月22日 最初のメール フレンチ・キス
67 2011年12月7日 上からマリコ AKB48
68 2012年1月11日 変わったかたちの石 KinKi Kids  
69 2012年1月25日 片想いFinally SKE48
70 2012年2月8日 純情U-19 NMB48
71 2012年2月15日 GIVE ME FIVE! AKB48
72 2012年5月2日 おいでシャンプー 乃木坂46
73 2012年5月16日 アイシテラブル! SKE48
74 2012年5月23日 真夏のSounds good ! AKB48
75 2012年5月30日 西瓜BABY Not yet
76 2012年8月8日 ヴァージニティー NMB48
77 2012年8月22日 走れ!Bicycle 乃木坂46
78 2012年8月29日 ギンガムチェック AKB48
79 2012年9月19日 キスだって左利き SKE48
80 2012年10月17日 意気地なしマスカレード 指原莉乃 with アンリレ
81 2012年10月31日 UZA AKB48
82 2012年11月7日 北川謙二 NMB48
83 2012年11月21日 ヒカルものたち 渡辺麻友
84 2012年12月5日 永遠プレッシャー AKB48
85 2012年12月19日 制服のマネキン 乃木坂46
86 2013年1月30日 チョコの奴隷 SKE48
87 2013年2月20日 So long ! AKB48
88 2013年3月13日 君の名は希望 乃木坂46
89 2013年3月20日 スキ!スキ!スキップ! HKT48
90 2013年5月22日 さよならクロール AKB48
91 2013年6月19日 僕らのユリイカ NMB48
92 2013年7月3日 ガールズルール 乃木坂46
93 2013年7月17日 美しい稲妻 SKE48
94 2013年8月21日 恋するフォーチュンクッキー AKB48
95 2013年9月4日 メロンジュース HKT48
96 2013年9月25日 ヒリヒリの花 Not yet
97 2013年10月2日 カモネギックス NMB48
98 2013年10月30日 ハート・エレキ AKB48
99 2013年11月20日 賛成カワイイ! SKE48
100 2013年11月27日 バレッタ 乃木坂46
101 2013年12月11日 鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら
僕たちの関係はどう変わってしまうのか、
僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの
AKB48
102 2014年1月8日 鞆の浦慕情 岩佐美咲
103 2014年2月26日 前しか向かねえ AKB48
104 2014年3月12日 桜、みんなで食べた HKT48
105 2014年3月19日 未来とは? SKE48
106 2014年3月26日 高嶺の林檎 NMB48
107 2014年4月2日 気づいたら片想い 乃木坂46
108 2014年5月21日 ラブラドール・レトリバー AKB48
109 2014年7月9日 夏のFree&Easy 乃木坂46
110 2014年7月30日 不器用太陽 SKE48
111 2014年8月27日 心のプラカード AKB48

テレビドラマ脚本

舞台

ゲーム

出演番組

テレビ

ラジオ

CM

担当番組

2014年現在放送中

定期

過去

など

脚注

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  1. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  2. ^ 首相動静―10月12日 朝日新聞デジタル 2013年10月12日付記事
  3. ^ 秋元康さん(1/2) - インタビュー - ひと - 朝日新聞「どらく(DO楽)」 2006年(2007年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ)
  4. ^ 秋元康「『夕やけニャンニャン』と放送外収入」『テレビ作家たちの50年』日本放送作家協会編、NHK出版、2009年、p.172。
  5. ^ 東京スポーツ連載「国生さゆりのニャンたま事件簿 (11) 」2012年5月16日付け
  6. ^ 『AKB48の戦略!秋元康の仕事術』秋元康、田原総一朗:共著、アスコム:刊、p215において秋元の発言「AKB48のサプライズでいちばん驚くのは、『秋元康、今日をもってAKBを卒業します!』かなと(笑)。ほんと、僕は卒業すると思いますよ」「僕がAKB48の創業者か初代校長かもしれないけど、たぶん、ある程度の形ができたところで僕が交代して、『秋元はスパルタでやったけど、今度のAKBはこう変えたいんだ』という人が出てこないと、逆に続かないと思いますね。これはAKBの宿命です。AKBを守ろうとすれば、それはAKBの進化を止めることでしょう。そのときAKB48は終わるんです」
  7. ^ 高校生か大学生の頃の身体検査では168.6cmだった。自著「贅沢な遺言」より
  8. ^ 秋元康氏、作詞家売上日本一に 総売上6859.1万枚で阿久悠さん上回る ORICON STYLE 2013年2月28日付記事
  9. ^ 派生ユニット『DiVA』の月の裏側Type-Bに収録されている『インフォメーション』はTKが作詞・作曲、3rdシングル『Lost the way』Type-Bに収録されている増田有華のソロ曲『Stargazer -2012 Here I am cuz of U- Yuka Masuda from DiVASolua稲葉エミが作詞を担当。『渡り廊下走り隊(現渡り廊下走り隊7)』の6thシングル『ギュッ』はカシアス島田が作詞を担当し、共同プロデュース作品である。
  10. ^ 2012年6月4日付のオリコンデイリ-チャート調べ
  11. ^ 2013年JASRAC賞「ヘビーローテーション」が2年連続金賞を受賞 - JASRAC
  12. ^ 毎日新聞 2012年8月19日 1面
  13. ^ “つんく♂、ハワイで2度目挙式”. スポーツ報知. (2012年1月17日). http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120116-OHT1T00301.htm 2014年3月18日閲覧。 
  14. ^ アニー賞は「シュガー・ラッシュ」が5冠 秋元康も連名で音楽賞 映画.com 2013年2月5日付記事
  15. ^ http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140328-1276534.html 日刊スポーツ(2014年3月28日)

参考文献

関連項目

  • 堀内賢雄 - 秋元が原作を手掛けたアニメ『OH!MYコンブ』の劇中に出て来る秋元の作中キャラクター・秋元おすしの声を担当。

外部リンク