木村優子

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きむら ゆうこ
木村 優子
プロフィール
愛称 キム子
出身地 日本の旗 日本 東京都中央区八丁堀
生年月日 (1961-01-06) 1961年1月6日(63歳)
血液型 A型
最終学歴 聖心女子大学文学部教育学科卒業(初等科より同校)
勤務局 日テレイベンツ
部署 日テレ学院(2014.6 - )
職歴 編成局アナウンス部
報道局社会部(1992.10 - )
報道局解説委員
広報局宣伝部次長(2003.6 - )
コンプライアンス推進室視聴者センター部長
編成局アナウンス部長(部次長待遇、2010.12 - 2014.5。2012.6より編成局アナウンスセンターアナウンス部に改組)
日テレイベンツ常務取締役日テレ学院[1]日本テレビ放送網グループ戦略室出向局次長現職出向、2014.6 - 2015.6)[2]
株式会社J.M.P代表取締役社長・日テレイベンツ常務取締役日テレ学院長(日本テレビ放送網グループ戦略室出向局次長現職出向)2015.6 - 2019.6
活動期間 1983年 - 1992年(アナウンサー時代)
2010年 - 2014年(アナウンス部長)
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 独身(未婚)
出演番組・活動
出演経歴 本文参照

木村 優子(きむら ゆうこ、女性、1961年1月6日 - )は、元株式会社J.M.P代表取締役社長。元日テレイベンツ専務取締役。元日テレ学院講師。元日本テレビアナウンサー、元報道局キャスター。

小学校教諭一種免許状所持。

担当番組[編集]

アナウンサー時代[編集]

報道局時代[編集]

報道姿勢の批判[編集]

  • 阪神・淡路大震災発生後、間もない頃に甚大な被害を出しながらも大規模な避難所および、各報道局の現地レポートの拠点化となっていた神戸市立本山第二小学校からの木村自身の現地初レポート放送時に、高級毛皮で着飾った姿が流れた。この直後から視聴者は無論、当時避難していた多くの被災者からも『平服でも冷え込む中、着の身着のままで避難した被災者の前で余りにも不謹慎』・『避難所はファッションショー会場ではない』等の非難轟々論が巻き起こった。

また後日天皇皇后が前述の本山二小避難所を訪問した際、作業服っぽく地味な服装と、ひざを突いての被災者慰問姿との差異を長らく評論家からも苦言のネタとなった。以後、この事件を切っ掛けとして、マスコミ各社の取材や報道時の服装は被害者感情に配慮し、なるべく質素な平服で画面に登場する流れが、28年経過した今日でも全ての災害報道で引き継がれるきっかけを作った。

映画[編集]

同期入社[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]