安部譲二

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安部 譲二(あべ じょうじ、本名:直也(あべ なおや)、1937年5月17日 - )は、東京都品川区出身の日本小説家漫画原作者。血液型はB型[1]

元・ヤクザの経歴を持つ(詳細は経歴を参照)。


目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

父は日本郵船に勤務していた。東京都内の裕福な家庭に生まれ、麻布中学校2年の時、江戸川乱歩主宰の雑誌にアブノーマルセックス小説を投稿し、乱歩から「この子は心が病んでいる」と言われ、北鎌倉の寺で写経をさせられたことがある[2]。また、中学在学中から暴力団安藤組事務所に出入りしていたため麻布高校への進学が認められず、慶應義塾高校に進学したが、暴力団との関係のため退学処分となった[3]

[編集] 塀の中へ

その後、本格的にヤクザとなり、刑務所で服役したこともある。府中刑務所収監中に知り合った囚人の中に赤軍派(後に日本赤軍)活動家・城崎勉がおり、安部の著作によると、ダッカ事件が起きる直前、(既に獄外の日本赤軍と連絡を取り合っていた?)城崎にオルグされかけたことがあったという。

[編集] 多彩な職歴

16歳のときカメラマンのアシスタントとしてオランダに渡り、ロバート・ミッチャムと売春婦の取り合いで殴り合いをおこなったことがある[4]。安藤組組員だった時期に保善高校定時制課程に入学した。また、若い時期はブラディー・ナオのリングネームでボクシング活動もしており、海外を転戦していた時期もあった(世界王者・サンディ・サドラーの来日時のスパーリングパートナーもつとめたという)。ハンブルクでは悪役プロレスラーとしてリングに登場し、力道山から「いつでも安藤組に頼みに行くから、ヤクザ辞めてレスリングやれ」と勧められたこともある[5]

高校通信制課程卒業後、23歳で日本航空に入社。スチュワードからパーサーまで出世するが、前科や暴力団組員であることがばれて27歳のとき退社に追い込まれた。日本航空のパーサー時代は、勤務態度は真面目な反面感情的になる事も多く、同僚の彼女をぶん取って交際したり、横柄な支店長を殴ったり、乗客を投げ飛ばしたこともあったと言われている。なおこの際に当時日本航空の社員で、その後作家となる深田祐介と知り合っている。

同時期に安藤組が解散した後は、新宿を治めていた暴力団・小金井一家にヘッドハンティングされる。同時にキックボクシング中継の解説者、ライブハウス経営、会社経営など職を転々とした。

ただし、これらの波乱万丈の過去については「大体、10%だけがホントで、あとは膨らました脚色ですよ」、「作家は政治屋や役人と一緒で、ホントのことなんか言うわけがねぇんだよ」とも発言している[6]

[編集] 作家へ

1981年にヤクザから足を洗う。1984年山本夏彦に文才を見出され、雑誌『室内』に『府中木工場の面々』と題した文章の連載を開始。1987年、刑務所服役中の体験を書いた この連載がまとめられ、『塀の中の懲りない面々』として文藝春秋より出版される。『塀の中の懲りない面々』はベストセラーとなり、映画化もされ、以後人気作家としての地位を築く。日本で刑務所のことを「塀の中」と表現するようになったのは、この著作の影響である。

その後『追跡』(日本テレビ系)のコメンテーターなど、タレントとしても活躍。マルチな才能を持つ稀有な存在である。

[編集] 交友関係

交際のあった人間を『俺が痺れた男たち―日本快男児列伝』で紹介しているだけでも安藤 昇石原裕次郎和泉宗章江夏 豊、大川幸介、大野伴睦金平正紀、黄金井光良、越田利成、サッド・サム・イチノセ(ダド・マリノのマネージャー)、島田 丈、ジョージ川口高本公夫畑山隆則花村元司ピストン堀口(中村信一から間接的に話を聞く)、マック鈴木、宮沢邦明、村田勝志、森田 雅、山手 勝、由佐嘉邦、渡辺正人とそうそうたる面々が顔を揃えている。また裏街道の人物・団体としては「海原清平」(2006年10月に死去した{但し、公表は11月}海原治の父でもある)、「岩田幸雄」、「森脇将光」、「闘鶏協会」といった名前も著書に登場する。

また、直木賞作家で同時期に日本航空の社員であった深田祐介とも社員時代に交流があったことで知られているが、当時深田は安部が暴力団員でもあったことを知らなかった。

文筆家としての道を歩むきっかけになった山本夏彦との出会いに関しては、著書等で事あるごとに「山本先生は自分の恩師、大恩人である」と触れている。

[編集] 逸話

  • 麻布中時代の同窓生・橋本龍太郎と同窓会で会った際、政界に身を置くようになっていた橋本に自身と似た匂いを嗅ぎ取り、互いに都合の悪い事だけは黙して語らないことを約束したといわれる。また、麻布中学校の入学試験当日、頭のいい受験生の後席に座ればカンニングできると目論んだ安部は、他の受験生を品定めしたところ、橋本が一番頭がよさそうに感じその後席に座ることに成功したという。橋本政権下の時代、コメンテーターとしてトーク番組で政治問題のコメントする際はいつも『俺は龍ちゃん(橋本龍太郎のことを親しみをこめて)同級生だったから』とのことでいつも自民党擁護の発言が目立った。しかし、これは安部自身が元ヤクザのベストセラー作家でありながら橋本龍太郎と麻布中学で同級だったことを言いたかったちょっとしたネタであり一緒に出演していた他のコメンテーターからは特に問題視されることはなかった。ただ、とある番組で司会者の島田紳助からは『あのぉ、すいません自民党員の方の出演は困るんですけど。』と言われ番組内で爆笑を誘った。
  • 永田雅一に大変な恩義を感じており、雅一の孫でTBSラジオディレクタープロデューサーを歴任した永田守の頼みは断れないらしい。そのため永田守が初代プロデューサー兼ディレクターを担当した『伊集院光 深夜の馬鹿力』の番組内では、他所ではありえない扱いをされることが何度かあった(内田有紀遠藤久美子シャロン・ストーンの物真似を延々させ続けられるなど。詳しくは該当記事参照)。
  • 三島由紀夫とは親交があり、三島にボクシングジムを紹介するなどした。また当時の安部の半生を三島が小説にしたのが、田宮二郎主演で映画化もされた『複雑な彼』である。この話の主人公の名前「宮城譲二」は、その後安部が作家デビューするにあたりペンネームにもなった。
  • 日本航空の客室乗務員を辞めるきっかけとなったのは、理不尽な要求をする乗客とトラブルになり殴ってしまい、それがきっかけで暴力団に籍を置いていることがバレてしまった為だと言われている(普段は組の代紋を付け、日本航空に出勤する時はマメに外していた)。
  • ヤクザ時代、青森まで抗争に駆り出され、そこで出会った医師との友情から、上京するといって聞かない医師の娘を下宿させることになった。その娘こそ後の矢野顕子である。
  • 青山3丁目にあった「ロブロイ」というジャズクラブのオーナーで、当時の妻であった遠藤瓔子(現エッセイスト、着物コーディネーター)がママを務めていた。下宿人だった矢野顕子はロブロイで初舞台を踏み、出入りしていた業界関係者の目に留まる。
  • ヤクザ映画の名作「仁義なき戦い」の第四部「仁義なき戦い 頂上作戦」の劇中、第二次広島抗争で、全国からケンカの助っ人が広島に集結した件があるが、これに派遣された一人が、現役渡世時代の安部。安部にとってもこれは輝く実績の一つだが、劇中にもあるように実際は全面戦争にはならず、安部は暇で野球に興じていたという。長嶋茂雄天覧試合サヨナラホームランも広島の親分宅で見たという。ある日、商店街の野球大会に参加して広島市民球場で、飛ばない軟式ボールを外野スタンドにたたき込んだら、商店街の会長が「親分にもよく話してやるから、広島カープの入団テストを受けてみなさい」と言われたという[7][8]
  • 阪神タイガースのファンで、子供の頃に吉田義男のボールさばきを見て大ファンになった。
  • 日本社会党日本共産党の支持を受け、庶民派の東京都知事として在任中であった美濃部亮吉が、高級ホテルとして知られるホテルオークラで朝食を摂っているのを目撃した安部は、美濃部と一悶着起こしたと自著にて記している。
  • 前述のように「追跡」にレギュラー出演していた縁で、青島幸男を深く敬愛していた。青島の東京都知事選出馬時もこれを支持している。
  • 大の岡田奈々ファンとして知られる。自身原作の映画作品に出演させている。
  • 刑務所に服役中、さだまさしの歌『雨やどり』を聴いて更生しようと思った(本人談)。
  • 人名について「京子」「HIDEKO」という名前が特に好きだと語っている(伊集院光ラジオに出演した際)。
  • 都内某ディーラーにて新車購入の際、購入した車の値引の代わりにその車(オートザム・レビューと思われる)のCMキャラクターだった小泉今日子を「4人ばっか乗っけて持ってきてくれ」と(本人は冗談のつもりで)発言。担当営業と営業所長を困らせたことがある。本人曰く「4人なんてありえねぇんだから、等身大の看板でも乗っけてくりゃ笑えたのに」とのこと(雑誌のインタビューにて本人談)
  • 2005年頃より、新聞などに掲載される禁煙グッズの広告に登場。「私は楽して煙草をやめました」として大々的に広告されているが、本人は未だに煙草をやめていないことを自身のブログなどで告白している。

[編集] 親族

はわが国の体育・スポーツ界発展のため尽力し、“近代スポーツの父”として慕われた法学博士岸清一長男の妻[9]。次男はゲームソフトの原作・監督などを手がける遠藤正二朗

[編集] 著作

  • 『塀の中の懲りない面々』文藝春秋、1986 のち文庫
  • 『塀の中のプレイボール』講談社、1987 のち文庫
  • 『極道渡世の素敵な面々 28年間、この男たちに魅せられて』 祥伝社 1987(ノン・ブック)
  • 『極道の恩返し 安部譲二ワルの馬券学』 ネスコ 1987 のち集英社文庫
  • 『塀の外の男と女たち』 ワニブックス 1987
  • 『ぼくのムショ修業』 講談社 1987 のち文庫
  • 『殴り殴られ』集英社 1987 のち文庫
  • 『さらば、極道』 角川書店 1987
  • 『泣きぼくろ』 講談社 1988 のち文庫
  • 『安部譲二の侠気塾』 マガジンハウス 1988(平凡パンチの本)
  • 『塀の中の懲りない面々 2』 文芸春秋 1988 のち文庫
  • 『ジェット・ストリーム』 講談社 1988 のち文庫
  • 『曇りのち晴れ舞台 懲りないジョージのエンドレス・ライブ』(対談集)徳間書店 1988
  • 『怪傑ゾロ目』 文芸春秋 1988 のち文庫
  • 『懲役絵図師』 光文社 1988 のち文庫
  • 『ちんぴら渡世』 実業之日本社 1988
  • 『塀の上の曲芸師たち』 祥伝社 1989(ノン・ブック)
  • 『スゴめ、サラリーマン!』 徳間書店 1989
    • 「サラリーマンの屁無頼語講座」文庫:いわゆる「やくざ語」の解説書。
  • 『賞ナシ罰アリ猫もいる』 文芸春秋 1989 のち文庫
  • 『プロ野球死んでもらいます 元極道の私だから言える』 学習研究社 1989
  • 『黄金の悪夢』 祥伝社 1989
  • 『つぶての歌吉』 朝日新聞社 1989 のち文庫
  • 『夢を、実現する。足を洗った俺の生き方、人生の拓き方 痛快語り下ろし』 佐藤正忠共著 経済界 1989
  • 『女にすがって極道渡世 わが愛しの愚妻・悪妻・聖女・魔女…たち』 主婦と生活社 1989
  • 『みみずのハナ唄』 文芸春秋 1990 のち文庫
  • 『俺達は天使じゃない』 講談社 1990 のち文庫
  • 『男の条件 もっと強い男になりたい』 ごま書房 1990(ゴマブックス)
  • 『きのこ』 中央公論社 1991
  • 『時速十四ノット、東へ』 講談社 1992 のち文庫
  • 『謀られた騎手』 祥伝社 1992 (Non novel)
  • 『塀の外の懲りない二人』 実業之日本社 1992
  • 『いつも命がけ! 小説ジョージ川口物語』 日本テレビ放送網 1992
  • 『心の塀は自分で越えろ 安部譲二の好かれたい人に好かれる法』 アズ・コミュニケーションズ 1992 のちPHP文庫
  • 『懲役の達人。「アメリカ版」塀の中の懲りない面々』 集英社 1992
  • 『大列車旅行 オリエント・エクスプレス15000キロ』 文芸春秋 1992
  • 『突撃将棋十二番 トップ棋士との二枚落ち奮戦記』 日本将棋連盟 1992
  • 『囚人道路』 講談社 1993 のち文庫
  • 『風の向こうに』 角川書店 1993
  • 『欺してごめん 私が舌を巻いた五人の詐欺師たち』 クレスト社 1993
  • 『塀の中の懲りない面々 3』 文芸春秋 1994
  • 『懲りない男と言われても…』 広済堂出版 1994
  • 『エディソン郡のドブ』 ロナルド・リチャード・ロバーツ(訳)扶桑社 1994
  • 『不時着』 サンドケー出版局 1994
  • 『同伴賭博』 実業之日本社 1994
  • 『猫のいいぶん、猫のみかた』 河出書房新社 1995 のち文庫
  • 『敗れざる者』 ジョージ・フォアマン自伝(訳)角川春樹事務所 1995
  • 『博奕・ギャンブル・旅烏』 プレイグラフ社 1995
  • 『僕は百獣(110)の王』 南雲堂 1995
  • 『日本の名随筆』別巻 56 賭事(編)作品社 1995
  • 『仕合証文 忠臣蔵外伝』 有楽出版社 1996
  • 『起きろ、寝ぼけトラ! 愛しているから言う。』 ソニー・マガジンズ 1996
  • 『こいつだけは許せねえ 世間に代わってワルを撃つ』 日本文芸社 1996
  • 『アメリカ東海岸・談論風発 広済堂出版』 1996
  • 『解決!ゴルフに懲りた人がうまくなる』 PHP研究所 1997
  • 『ジョージから愛をこめて』 廣済堂出版 1997
  • 『想い出のゴロニャン』 どうぶつ出版 1997
  • 『天下御免の13人』PHP研究所、1998
  • 『ああ!!女が日本をダメにする』 中経出版 1998 のち徳間文庫
  • 『秋は滲んで見えた』 PHP研究所 1998
  • 『仁侠でござる』 有楽出版社 1999 (Joy novels)
  • 『大勝負 野村阪神VS長嶋巨人 男のプライドを賭けた最後の闘い』 江夏豊共著 中経出版 1999
  • 『ファイナル・ラウンド』 講談社 1999
  • 『きりとりブルース』 徳間文庫 1999
  • 『幸福のすすめ “勇気"と“信念"で生きる』 大和出版 2000
  • 『塀の外の同窓会』 文藝春秋 2000.2
  • 『お金持ちは国の宝です 腹がたつこんな社会をどう生きる』 ぱるす出版 2000
  • 『俺が痺れた男たち 日本快男児列伝』 双葉社 2001
  • 『八ヶ岳あかげら日誌』 PHP研究所 2001
  • 『母さん、ごめんなさい 母とグレた息子の物語』 PHP文庫 2001
  • 『六十歳からのやんちゃ道』 ワイアンドエフ 2001
  • 『人はなぜ生きるのか 生きていてよかったと思えるために』 濤川栄太共著 文芸社 2001
  • 『記憶に残る拳豪たち』小学館、2001
  • 『オレの借金地獄 デフレ・リストラ、どんとこい!』 祥伝社 2002
  • 『日本怪死人列伝』 扶桑社 2002 のち文庫
  • 『塀の内外喰いしんぼ右往左往』 講談社+α新書 2003
  • 『猫のシッポ』 講談社 2003
  • 『ナンバーワンにならない生き方』 日本実業出版社 2004
  • 『藍色の海』 PHP研究所 2004.10
  • 『塀の中から見た人生』 山本譲司 カナリア書房 2004
  • 『渡世の学校』 リイド社 2004
  • 『馬主だけに儲けさせるな-ウラ側から見た馬券術』 角川春樹事務所ハルキ文庫 2005
  • 『「頭のいいワル」だから、人生うまくいく!』 三笠書房 2006

[編集] 参考文献

  • 『青山ロブロイ物語 安部譲二と暮らした七年間 瓔子と譲二とジャズ』遠藤瓔子 世界文化社 1987

[編集] 漫画原作

[編集] 連載

[編集] 参考文献

  • 昭和・平成 日本 黒幕列伝 時代を動かした闇の怪物たち』 宝島社 2005年 56-59頁

[編集] 関連項目

[編集] 人物

[編集] 脚注

  1. ^ ヤングサンデー内プロフィールページより。
  2. ^ 吉田豪『人間コク宝』p.44(コアマガジン2004年
  3. ^ 吉田豪『人間コク宝』p.72(コアマガジン2004年)では、親同士に交流のあった石原慎太郎が慶應義塾高校ボクシング部をテーマにして『太陽の季節』を書いたため、甚だしく学校の名誉を傷つけたボクシング部員の一人として川口浩などと共に退学処分を受けたと説明している。
  4. ^ 吉田豪『人間コク宝』p.46(コアマガジン2004年
  5. ^ 吉田豪『人間コク宝』p.48(コアマガジン2004年
  6. ^ 吉田豪『人間コク宝』p.52(コアマガジン2004年
  7. ^ 仁義総研『訓録「仁義なき戦い』p.46(徳間書店、2004年) 
  8. ^ 『プロ野球死んでもらいます』p.38-139(学習研究社、1989年)
  9. ^昭和・平成 日本 黒幕列伝 時代を動かした闇の怪物たち』 宝島社 2005年 58頁より

[編集] 外部リンク